出雲国三大大社のひとつ、熊野大社。
まずはYouTubeに熊野大社の良い動画がありましたので、
ちょっとお借りして貼らせていただきますね。
出雲国一之宮。
とても良い神社でございます。

出雲国一之宮 熊野大社
http://www.kumanotaisha.or.jp
御祭神:熊野大神櫛御気野命(素戔嗚尊の別名)
御本殿向って右手には稲田社。スサノオの后クシナダと、
その両親アシナヅチとテナヅチが祀られています。
御本殿向かって左手には伊邪那美社があり、御祭神のイザナミと、
旧熊野11地区の神社(式内社8社)が合祀されています。

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日本書紀(720)は659年に出雲国造が斉明天皇の勅で巌神の宮を
造営したと記し、出雲の国風土記(733)は国内の186社で大社の称号
を有する神社として熊野大社と杵築大社(出雲大社)を掲げ
「出雲の国一宮」の崇敬を表しています。特に、御祭神が初めて鑽火
されたので日本火出初社とも称します。古来、出雲国造(出雲大社宮司)
の襲職は神聖な鑽火器拝戴の儀式を参向して仕える伝統があり、
今も変わることなく行われています。
-------------------(熊野大社 境内案内板より)
ここに来るといつも、『動』の空気が流れているような気がします。
あのスサノオがお祀りされている神社ですから、何となくそんな感じが
するのでしょうかね。
下の写真は『鑽火殿』と言われる場所です。

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御祭神スサノオノ大神は「檜の臼・卯木の杵」で火を鑽り出す法を
教えられたので、熊野大社を「日本火出初社」とも讃えます。
出雲国造(出雲大社宮司)は、古来しきたりにより襲職には必ず大神の
霊幸い給う神器の燧臼・燧杵を拝戴して「火継=霊継」の式を仕え、
大神より霊威を戴き神性国造となります。この鑽火殿はその古伝由緒を
伝える建物であり、神器が奉安してあります。
毎年10月15日の鑽火祭は出雲国造が出雲大社で用いられる神器を拝戴
するために参向し斎行される祭りで、特殊な亀太夫神事として奉仕され、
また神歌・琴板のもと神慮 一体の祈念の百番の榊舞を納めます。
-------------------(熊野大社 境内案内板より)
出雲国造はかつて、意宇の里に住んでいました。
熊野大神櫛御気野命は国造家の祖先である天穂日命に『燧臼・燧杵』
で火を鑽り出す方法を教えました。出雲国造はそれ以来、それらで
鑽り出された火で心身を清め、神に仕えることとなるのですが、
こういった儀式が現在もなお『火継式』として受け継がれているのです。
国造がお隠れになる(亡くなる)と、次に引き継ぐ国造は喪に服す間も
無く、直ちに斎館に籠り潔斎をし、国造家に伝わる燧臼・燧杵を持って
国造館を出発し、熊野大社へ赴きます。鑽火殿において鑽り出された
神火で調理をした食事を神前に供え、自らもそれを口にし、
その後は神魂神社にて饗宴を受けたあと国造は出雲大社に戻り、
奉告の儀式を行って火継式は終了となります。
火継式にて鑽り出された神火はその後、
その火が消えないように国造館の『斎火殿』で保存。
国造は在任中この火によって調理されたものを食べるのですが、
国造以外は例え家族であっても、この神聖な火で調理された食べ物を
口にすることは許されないと言われています。
10月に行われる熊野大社の『鑽火祭』はこの儀式にならって、
年ごとに火を鑽り出す神事が行われているのです。
http://www.kumanotaisha.or.jp/main.htm
熱心にお参りする夫婦の姿や、車のお祓いを受けている人の姿も
見られましたよ。(記事:©SERUNA)
★続いてのエントリーは、
熊野大社そばでお食事のレポートです♪( ´ ∀ ` )ノ
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-127.html
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30過ぎて、こちらに帰省するようになってからです。驚きました。出雲大社より格上ながら知られていない神社がある、と知った時、思ったのは恥ずかしさではなく
「ウチの仏さんは魂が籠ってはる!・・・ホンマやったら国宝なんやけどなァ」
というCMでした。
それくらい出雲って違った土地だったんですね、きっと。
何しろ出雲=金持ち、石見=貧乏、隠岐=海の向こうでしたからね。
それはそうと、子供の頃、母に「大社、と言っても別格(官幣)大社」、と教えられた時は、母の口調に「だから格上」みたいな響きがあったんですが、実際はそうじゃない、と分かったのは大学に行ってからです。母には県民としての誇りがあったんでしょう。
しかし、この頃、別格というのは「民俗」の感覚として、意外に的を射ているのではないかな、と思うようになりました。
亀太夫神事なんかも、没落した本家と、隆盛を極める分家の余裕の付き合いというか、頑固な隠居と働き盛りの当主のやり取りというか。何のかんのと言い合いながらお互いが相手をバカにせず、結構認め合っている風を感じるのは私のひいき目、でしょうか。「敵の大将たるものは古今無双の英雄で~」です。相手を讃えるこの姿勢、近隣の数ヶ国にはないものですね。あらら、ま~た脱線。
いつもコメントありがとうございますー♪
再起さんの考え、なかなか良いところをついていると思います。
しかし本当に島根の『出雲地方』ってのは凄い所ですよね。
神社ひとつにしてもこう…他にはない特別な重みを感じるというか。
再起さんのお母様が仰られていたその「別格」という言葉が
一番しっくりくるような気がします。( ´ ∀ ` )
島根といえば出雲大社だけどそれだけじゃない。
熊野大社といい、神魂神社といい、佐太神社といい、
やっぱり凄いところですね。