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2015年04月07日 (火) | 編集 |
レポートが前後してしまいますが申し訳ない。

2015.3.27参拝
青山さんの講演会に行く前に、平将門の首塚をお参り。
(私は初めてですが、ウチの旦那は何度か参拝しています)
時代に取り残されたかのような一角が目に飛び込んできます。
ここはオフィスのビルに囲まれた、平将門の首塚。
そう、色々な意味で畏れられているあの場所でございます。

将門好きとおぼしき女性や、将門塚を写真におさめようと、
カメラを手にした男性などのほかに、会社帰りにいつも
参拝を日課にしているかのようなスーツ姿の男性が将門公に
手を合わせに…といった感じで次々にやってくるのを目にし、
噂では聞いていたけど将門さんって凄い人なんだなぁと
改めて思った次第。保存会のかたでしょうか、
綺麗に掃除をしているご婦人もいました。

とりあえず首塚を参拝する前に一枚…

20150327_masakado_001.jpg

----------------------------
東京都文化財 将門首塚の由来

 今を去ること壱千五拾有余年の昔、
桓武天皇五代の皇胤鎮守府将軍平良将の子将門は、
下総国に兵を起し忽ちにして坂東八ヵ国を平定。自ら平新皇と
称して政治の革新を図ったが、平貞盛と藤原秀郷の奇襲をうけ、
馬上陣頭に戦って憤死した。享年三十八歳であった。
世にこれを天慶の乱という。
 将門の首級は京都に送られ獄門に架けられたが、三日後
白光を放って東方に飛び去り、武蔵野国豊島郡芝崎に落ちた。
大地は共鳴し太陽も光を失って暗夜のようになったという。
村人は恐怖して塚を築いて埋葬した。これ即ちこの場所であり、
将門の首塚と語り伝えられている。
 その後もしばしば将門の怨霊が祟をなすため 徳治二年、
時宗二祖真教上人は、将門に蓮阿弥陀佛という法号を追贈し、
塚前に板石塔婆を建てて日輪寺に供養し、さらに傍の神田明神
にその霊を合せ祀ったので漸く将門の霊魂も鎮まり
この地の守護神になったという。

 天慶の乱の頃は平安朝の中期に当り、京都では藤原氏政権を
ほしいままにして我世の春を謳歌していたが、遠い坂東では
国々の司が私欲に汲々として善政を忘れ、下僚は収奪に
民の膏血をしぼり、加えて洪水や旱魃が相継ぎ、人民は食なく
衣なくその窮状は言語に絶するものがあった。その為これらの
力の弱い多くの人々が将門によせた期待と同情とは極めて
大きなものがあったので今もって関東地方には数多くの伝説と、
将門を祀る神社がある。
このことは、将門が歴史上朝敵と呼ばれながら、
実は郷土の勇士であったことを証明しているものである。
また、天慶の乱は武士の台頭の烽火であると共に、弱きを助け、
悪を挫く江戸っ子の気風となってその影響するところは
社会的にも極めて大きい。茲にその由来を塚前に記す。


--------------(将門塚保存会の案内板より)

★二枚目の写真を削除。
オカルトを全力で信じるワケじゃないですがこの記事を載せて
以降すぐ、どうもブログが404になったり現れたり不安定に。
運営さんに問い合わせてページの不具合を直してもらいました。
今までこんな事無かったよ…下に書いた不思議な出来事を含め、
ちょっと怖くなったので首塚の写真は引っ込めます。


写真におさめるのを躊躇いましたが、上の写真が将門の首塚。
沢山の花が供えられています。先程も言いましたがこれだけでも
平将門がどんだけ凄い人かってのは一目瞭然。


ちなみにですが、将門塚には色々な歴史がございます。

江戸時代の寛文年間この地は酒井雅楽頭の上屋敷の中庭でした。
そしてその後…大正十二年にあった関東大震災にて塚が崩壊。
大規模な発掘調査を行ったところ何もなかった為、
その跡地に大蔵省の仮庁舎が建てられる事になるのですが、
鎮魂祭を行ったものの、工事関係者や大蔵省職員、
当時の大蔵大臣であった早速整爾などが次々と不審死。
結局将門の祟りを恐れて仮庁舎は取り壊し。
さらにその後の時代には、第二次大戦後にGHQが区画整理の為、
この場所を取り壊そうとしたところ、原因不明の事故が多発。
アメリカさんもこれにはビビって計画を取りやめ。
そして現在に至るというワケです。

オカルトのような話ですが「将門塚に不敬をすれば祟りが起こる」
と、昔からそう言われている場所です。現代でも再開発の話が
あったのですが首塚だけは壊さずに残しましょうという話に
なったほど。

本当にあった不思議体験
首塚の写真を撮らせていただく非礼を詫びながらお参り。
撮影したのは良いけど、一日の終わりにその日の写真を確認した
ところ、この記事の二枚目に貼った写真だけが無かったのです。
(さらに言わせていただくと、塚自体の写真はこの一枚だけ)
「撮ったはずなのに?!」と焦って携帯のフォルダを探したら、
なぜか塚の写真だけがSDカードの中に。

撮ったもの全て、本体へ保存される設定になっているはずが、
首塚の写真だけがSDカードに移動していたので超ビビりました。
将門さん、私に何を伝えたかったんでしょう… ((((;゚Д゚)))))))



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コメント
この記事へのコメント
一度御参りしてみたいと。
 こんばんは。お邪魔します。
 将門公の首塚ってかなり昔から有名なスポット(敢えて言ってしまうけど)ですね。何でも参拝後後ずさりする態で退出しないと高熱にうなされるとか、本当なんでしょうかね。試したい訳ではありませんが、小学生の頃からずっと気になっている場所ですね。小僧っ子の頃の好奇心も無いと言えば嘘になる。書いているうちに思い出したのですが、いつも帝都に行くときは、別のお宮さんを参拝するのに血熱を上げていますが、今度あたり将門公所縁の場所でも回ろうかと、先日友人と話していたのを思い出しましたw
2015/04/07(Tue) 19:19 | URL  | さとし #-[ 編集]
Re: さとしさん
こんばんは、いらっしゃいませ。
いつもコメントありがとうございます♪

将門塚には今回初めて参拝しましたが、
いざ実際に首塚を目の前にするとドキッとします。緊張もしましたけれど。(;´Д`A
仏教の正しい参拝形式はわからないのですが、一礼、合掌、最後に一礼と…
なるべく失礼のないように参拝。ひょっとすると私、そこから去る時に背を向けて
しまったかもしれませんが、今のところ体に不調などは無いですね。
いつもお伊勢さんのお守りを身につけているからだろうか?
怖かった事といえば記事の内容通り写真の件と、今回のブログの障害くらいかな。
祟られる事したっけな?…と本気で焦ります。((((;゚Д゚)))))))

さとしさんも、将門さんゆかりの地へ是非♪
2015/04/07(Tue) 21:09 | URL  | SERUNA★静岡 #-[ 編集]
No title
おもしろい!
ブログ村トーナメント、優勝おめでとうございました!
2015/04/23(Thu) 18:02 | URL  | シロート・モネ #-[ 編集]
Re: シロート・モネさん
こんばんは、初めまして。
コメントありがとうございます♪

あはは、歴史トーナメント優勝しちゃいましたw
こんな風に日本各地に残される歴史の足跡を訪ねて行くのは
本当に興味深く、面白いものですよね。( ´ ▽ ` )ノ

今回、将門さんの首塚へは初めて行きましたが、
いやはやしかし、いろんな意味でドキドキさせられました
2015/04/23(Thu) 18:58 | URL  | SERUNA★静岡 #-[ 編集]
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