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定食屋さんに訪れるような感覚で見てもらえたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々。ヲタクなネタから神社めぐりまでw
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2018年06月29日 (金) | 編集 |
検索でいきなりこの記事に辿り着いた人は、その1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2194.html

岡崎城遠景。

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「徳川家康公銅像」
https://okazaki-kanko.jp/okazaki-park/guide/16

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-----------------------------
 天文11年12月26日(西暦1542年)岡崎城公園内二の丸
(現在の能楽堂)で生まれた。幼少の頃人質として苦難の道を
歩き、自立した後は天下統一をめざし、転戦を続け、
慶長5年(1600年)天下分目の関ヶ原の合戦に大勝して、
天下をおさめるにいたった。以後持前の才能を生かし、全国統一
の念願をかなえるとともに、徳川幕府300年の基盤をも作り、
元和2年4月17日(西暦1616年)75才でこの世を去った。
この像は昭和40年家康公350年祭を記念して建てたものである。

------------------(岡崎公園 案内板より)

「松平元康像」
https://okazaki-kanko.jp/okazaki-park/guide/17

20180214_okazakijyou_011.jpg

20180214_okazakijyou_012.jpg

-----------------------------
 この元康像は1992年に開催された、「家康公生誕450年祭」
の一環として、450年祭実行委員会が市内外から寄付を募って
設置し、岡崎市へ寄贈したものです。若き元康(徳川家康)の
騎馬像は城を背にし、大権現として再生する日光東照宮の方角
を向いています。
背景の石垣と滝は治世を象徴し、元康が胸に秘めた国盗りの夢
が、生誕の地、岡崎の土中から盛り上がる様を表しています。

------------------(岡崎公園 案内板より)

訪れたこの時期は、梅が綺麗に咲いていました。

20180214_okazakijyou_013.jpg

20180214_okazakijyou_014.jpg

再び、岡崎城を遠くから撮影してみる。

20180214_okazakijyou_015.jpg

小さくてわからないと思いますが、石垣の下に鴨が整列。

20180214_okazakijyou_016.jpg

お城に到着ー。
https://okazaki-kanko.jp/okazaki-park/guide/2
中は資料館的な感じになっていて、城という城ではなく、
特に惹かれるものも無さそうなので見学していません。

20180214_okazakijyou_017.jpg

20180214_okazakijyou_018.jpg

20180214_okazakijyou_019.jpg

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 15世紀中頃(室町時代)、西郷弾正左衛門頼嗣(稠頼)が
現在の岡崎城の位置にはじめて城を築き、のちに家康の祖父で
ある松平清康が入城し本格的な岡崎城を構えた。
1542年(天文11年)12月26日、徳川家康はここ岡崎城内で誕生
した。江戸時代、岡崎城は「神君出生の城」として神聖視され、
本多氏(康重系統/前本多)、水野氏、松平氏(松井)、
本多氏(忠勝系統/後本多)と、歴代譜代大名が城主となった。
石高は5万石と少なかったが、大名は岡崎城主になることを誇り
としたと伝えられる。
 現在の天守閣は1959年(昭和34年)に復興され、3層5階の
鉄筋コンクリート構造となっている。2階から4階は江戸時代の
岡崎を紹介する展示室で、5階は展望室となっており三河平野
を一望することができる。

------------------(岡崎公園 案内板より)

「東照公遺訓碑」

20180214_okazakijyou_020.jpg

20180214_okazakijyou_021.jpg

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 この東照公遺訓碑は、額田郡岩津町奥殿(岡崎市奥殿町)
出身の加藤賢治郎翁が岡崎市へ寄贈されたものである。
 翁は、岡崎銀行(東海銀行の前身)を創立し、長く同行頭取、
相談役として金融界に尽力されたのをはじめ、岡崎商工会議所
会頭として、本市の経済界の発展に寄与され、昭和十八年三月
九十八歳の天寿を全うされた。
 翁は、終生、徳川家康公の遺訓を座右の銘とされ、
これを後世の市民の教化育成に資するため、家康公研究者柴田
顕正氏の相図り、この実現の為に時の小瀧市長の賛意を得て
建立に到った。
 碑文の文字は田安家徳川達孝氏に、礎石は万年の亀を据え、
碑頭には竜城を象徴する竜を配し、制作施工は岡崎石工研究所
長池上年氏に委ねられた。
 碑裏面には、昭和十一年四月十六日建立とのみ刻み、
寄贈者名は翁の意志により省略されたままであるが、本年は、
遺訓碑が建立されて五十年、また、岡崎市制七十周年の記念
すべき年にあたり、記念事業の一環として、この遺訓碑建立の
由来を記し、あわせて加藤九十八翁を顕彰する次第である。

------------------(岡崎公園 案内板より)

★岡崎城横、龍城神社の記事に続く!
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2203.html
★公園内にいた猫さんの記事はこちら。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2204.html


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2018年06月26日 (火) | 編集 |
2018.2.15 探訪 
初めて行ったよ!岡崎公園。
ってなワケで記事の最初にまず言っておこう。
岡崎城内へは入ってません。周りをウロウロ探訪しただけです。
(あ、お城の写真は撮りましたからね)

20180214_okazakijyou_001.jpg

-----------------------------
 この大手門は、岡崎公園の表玄関にふさわしい建物として、
1993年に再建しました。(高さ11m、幅16.4m、奥行6.3m)
石垣には地元産の御影石を使用し、入母屋造りの屋根には
江戸物本瓦が葺かれています。
 本来の岡崎城大手門は、現在の浄瑠璃寺の南(北東約200m)
にありました。江戸時代の記録によれば大手門は「桁行十間、
梁行二間四尺」でした。

----------------(岡崎公園 公式サイトより)

「本多平八郎忠勝公の像」
https://okazaki-kanko.jp/okazaki-park/guide/18
言わずと知れた徳川四天王のひとり。

20180214_okazakijyou_002.jpg

続いて「家康しかみ像」
https://okazaki-kanko.jp/okazaki-park/guide/19
有名な肖像画を立体化させたものです。ただし、あのしかみ像は
実は家康の肖像画ではないという話を聞いた事があるのですが…
はてさて真実はいかに。

20180214_okazakijyou_003.jpg

-----------------------------
 世に云うしかみ像「徳川家康三方ヶ原戦役画像」は、
浜松の三方ヶ原で武田の大軍に無理な戦いをいどみ、負け戦と
なって多くの家臣を失った家康が、自戒の念を忘れることのない
ように描かせたものと伝えられています。顔をしかめて苦渋の
表情をあらわした珍しい肖像画です。
 「しかみ像」は、やがて戦乱の世を統一し、
世界に冠たる平和国家を作り上げる礎になったと云われます。
このしかみ像は、かの画像を基にして製作された石像です。

----------------(岡崎公園 公式サイトより)

20180214_okazakijyou_004.jpg

三河武士のやかた 家康館
https://okazaki-kanko.jp/okazaki-park/guide/3
の前に来たらグレート家康公「葵」武将隊の人がいた。

公式サイト/https://okazaki-kanko.jp/okazaki-park/feature/aoibushoutai/top
公式ブログ/https://ameblo.jp/aoibushoutai/
公式Twitter/https://twitter.com/aoibushoutai

おぉー、きっと観光の一環でやってる活動なんだな?
というワケで写真を撮らせていただきました。
武将隊のリーフレットをいただき、初めて知った人たち。
で、この武将(役)は「榊原康政」という徳川四天王のひとり。
……ゴメン合ってる?

20180214_okazakijyou_005.jpg

歴史人物になりきって話しかけてくださる役者さん。
康政:「どこから来たのだ?」
SERUNA旦那:「あっ、静岡です」
康政:「おぉ、静岡か。静岡も家康公ゆかりの場所であるな」
…こんなやりとりがあって楽しかったw

他の武将さんもいたので写真が撮りたかったのですけれど、
なにやらちょっとアレ系の物凄く濃いファンみたいな人たちが
取り巻いて近づける雰囲気ではなかった為、そそくさと退散。
ファンの人たちが変な雰囲気で少し怖かったし引きました。
ぶっちゃけもっと正直に言いますけれど、ガンガンデカイ声で
話しかけて武将隊に絡んでいくファンがキモかったです。
私ら、普通の観光客が近づける雰囲気皆無w
知的障害っぽかったから、そういう団体様?と思ったら違うし
ああいう痛いファンが出没する場所は避けたくなる感じよね。
どのジャンルにも変なヤツらがいるなーと思いつつ、
記念写真とか、もうどうでもよくなったので次へ進む。

※このあと、施設の入り口にあった顔ハメパネルを撮影。
(旦那がああいうのに顔を嵌めて写真を撮るのが好きなのでw)

続いては「東照公産湯の井戸」
https://okazaki-kanko.jp/okazaki-park/guide/24
浄水設備を通して井戸から組み上げられた水を
触れる事ができるようになっていますが、飲用は出来ません。

20180214_okazakijyou_006.jpg

20180214_okazakijyou_007.jpg

-----------------------------
 天文11年12月26日(西暦1542年)に岡崎城内で誕生した
竹千代君(家康公)の産湯に、この井戸の水が用いられたこと
から開運スポットにもなっています。2015年に井戸の水を
汲み上げ直接水に触れられるようになりました。

----------------(岡崎公園 公式サイトより)

酔いそうな角度でごめん。もうちょっと続きますよー。

20180214_okazakijyou_008.jpg

★その2に続く!
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2018年06月16日 (土) | 編集 |
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浜松城内部の地下へと下ります。
地下は狭く、ポツンと井戸があるだけでした。

20180214_hamamatsujyou_042.jpg

-----------------------------
浜松城の井戸について 
 浜松城の天守台には穴蔵と呼ばれる地階があり、
その中央部には石組井戸がある。石組井戸とは穴のまわりを、
石で積んで崩れないようにしたもので、この時代、他の城郭にも
多く見られる。浜松城の他に名古屋城、松江城などにも
天守穴蔵に井戸がある。
 井戸は、城内に住む人々の飲料水として、また戦いの時には
籠城になることも想定し、最後の拠点として天守内部や、
天守の間近に設けられることがあった。

-------------------(浜松城 案内板より)

20180214_hamamatsujyou_043.jpg

-----------------------------
浜松城の利水について 
 水は城に住む人にとって最も大切なものである。
浜松城の利水については、安政元年(1854)、東海道沖を震源
とする安政の大地震が発生し、浜松城も大きな被害を被り、
その箇所を記した「安政元年地震破損所巨細書込絵図」に井戸が
記されている。
 この城絵図によると、井戸は天守台の穴蔵に1(口径1.3m丸石
をもってかこむ)、天守曲輪の埋門脇に1、本丸に1、二の丸に
3箇所ある。また作左曲輪には4箇所あったという(浜松御在城
記)。
 この他に、清水の湧出する清水場が清水曲輪に2箇所あった。

-------------------(浜松城 案内板より)

20180214_hamamatsujyou_044.jpg

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(=゚ω゚)ノ「城内見学を終えて、お城の外へ出たよ」
SERUNA:「はーい、続いては『櫓』を見学しますよー」

20180214_hamamatsujyou_046.jpg

戦国BASARAの家康さん。
このゲーム大好きなのでやっぱり撮ってしまうw

20180214_hamamatsujyou_047.jpg

櫓の中からお城にカメラを向けてみる。

20180214_hamamatsujyou_048.jpg

石落とし。

20180214_hamamatsujyou_049.jpg

天井部はこんな感じ。

20180214_hamamatsujyou_050.jpg

建築に詳しい人ならワクワクしてしまうかも?

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20180214_hamamatsujyou_053.jpg

20180214_hamamatsujyou_054.jpg

-----------------------------
 江戸時代の城郭建築は、短期間で建築できるシンプルさと、
戦闘に耐えられる堅固さを兼ね備えています。天守門のつくりを
観察すると、太い木材が単純に組み合わされており、
装飾はほとんどありません。
 上層の櫓は、天井板がないので小屋組(屋根を支える骨組)が
よく見えます。柱盤を土台として本柱が立ち、その上に梁と桁が
架け渡され、束柱で屋根材が支えられています。
 下層の門は、6本の柱の上に、横に梁2本(冠木と内冠木)が
架かっています。

------------------(建築構造説明文より)

20180214_hamamatsujyou_055.jpg

静岡県内に住んでいるのにも関わらず、
今回、浜松城には初めて行ったし、初めて中へも入りましたよ。
正直言っちゃうと、え…これだけ?って思ったのは秘密ですが、
ココも日本のながーい歴史の内の一つの舞台となった場所。
歴史に詳しい人もそうでない人も、一度訪れてみては如何かな?

浜松城からは以上です。
スタジオにお返ししまーすw



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2018年06月13日 (水) | 編集 |
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鎧の展示物からの続きです。
続いて『軍扇』『軍配』

20180214_hamamatsujyou_031.jpg

鉄砲などなど…

20180214_hamamatsujyou_032.jpg

『康継二代(脇差)』

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-----------------------------
 初代康継が家康公より葵門と『康』の一字を賜り康継となる。
その子として徳川の将軍家御用鍛治。初代より継承する。
中心には三葉葵を切る。拵は徳川家伝来と言われる三葉葵一作
の拵がついている。徳川家伝来品。

-------------------(展示物 説明文より)

『陣羽織』

20180214_hamamatsujyou_034.jpg

天守にのぼって眺めてみよう!

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上から先ほどの発掘調査の場所を見下ろしてみる。

20180214_hamamatsujyou_038.jpg

ここはなんだろう?

20180214_hamamatsujyou_039.jpg

北側を眺めてみる。

20180214_hamamatsujyou_040.jpg

東側を見る。

20180214_hamamatsujyou_041.jpg

★その5に続く!
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