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2020年01月10日 (金) | 編集 |
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最後まで一気に写真を貼っていきますよー。

「屏風折れの石垣」辺りまでやってきました。
写真は撮りませんでしたけど、ちなみにここを覗き込まないと
石垣は見れません。

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少しウロウロしてみましょう。

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高い場所に石碑がたててありました。

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昭和十二年四月建立と書かれてあります。
ここで旅の記念写真を撮るには絶好のポイントです。

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「温羅舊跡」と書かれた石碑もありました。

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積み重なった小さな石が幾つも。
何かがお祀りされているのでしょうか?

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土塁もありました。

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現在地はこのへん。

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《北門跡》
ようやくココまでやってきました。
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《礎石建物跡》
鬼ノ城の真ん中あたりにあります。

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《角楼跡》付近。
「のろし場」なる物がありました。

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ここからも良い景色を眺める事が出来ます。

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一周まわって元の場所に戻ってきました。
鬼ノ城に到着したのが15:30で、じっくりと散策しながら下の
写真を撮影したのが17:04。かなり時間をかけましたが、
良い運動にもなったし結構楽しかったです。

20190529_kinojyou_093.jpg

【おまけ】
鬼ノ城よりもう少し車で走らせた場所に「鬼の差上げ岩」
なる物があるらしいので見に行こうとしたのですが、
駐車場に駐めたところで時間的に無理かも知れない事が判明
(一応、案内板だけは撮影してきました)。ココでもやっぱり
郷土愛バリバリな超地元民さんが話しかけてこられて、
(静岡から車で来たと言ったらやっぱり驚かれましたよw)
「この時間だと着いた頃には真っ暗になるし危ないから、
あまりオススメはしないよ」だそう。なのでいつかまた岡山に
訪れた時の楽しみにとっておく事にしました。

20190529_kinojyou_094.jpg
※これを撮った時点で時刻は17:24。
場所は総社市奥坂の岩屋地区。

ちなみに私たちに話しかけてこられた地元の男性曰く、
「昔の鬼ノ城は木が鬱蒼としてちょっと怖い場所だったけど、
発掘調査をしてからあそこまで綺麗になった」のだそうです。
他にも岡山について色々と面白い話を聞かせてくださり、
ここでも楽しい時間を過ごす事が出来ました。


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2020年01月08日 (水) | 編集 |
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《第4水門跡》
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《東門跡》
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ここから見える景色もまた良い感じ。
カメラを左から右に。

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門の場所から見たところ。

20190529_鬼ノ城_045

《鍛治工房跡》
草木が生い茂り案内板を見ても何が何だか…
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《第5水門跡》
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上の案内板の写真と比べて撮ってはみたが…
ここも草木が生い茂っていてもうワケがわかんない。
一体どこに何があるのやら…

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★その4に続く!
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20190529_鬼ノ城_007

鬼ノ城
詳細についてはこちらのリンクからどうぞ。
http://www.city.soja.okayama.jp/kanko_project/kanko/kannkou_bunnka/kankouti/kinojyo/kinojo.html

「西門跡」からスタートします。
ここから見る景色は辺り一面を見渡せて凄いです。

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《西門の復元》
20190529_鬼ノ城_010

----------------------------
 西門跡は、きわめて良好な状態で残っていました。
12本の柱の位置と太さ、埋め込まれた深さ、各柱間の寸法も
正確に知ることができ、また通路床面の石敷や石段、敷石も
よく残っていたので、城門の規模と構造を具体的に知ること
ができました。
 そこでこれらの資料をもとに、関連資料を参考にし、
戦闘の場としての機能を考慮して三階建ての城門に復元して
います。一階は通路、二階は城壁上の連絡路、三階は見張り
や戦闘の場としての機能をもつものです。屋根は調査時にも
瓦は出土していないので、板葺きにしています。
 古代山城の城門の復元例としては、日本で初の事例です。

------------------(鬼ノ城案内板より)

20190529_鬼ノ城_011

《西門跡》
20190529_鬼ノ城_012

----------------------------
 鬼ノ城は、四カ所に城門を設けています。
いずれも掘立柱の城門で、通路前面に2m近い段差を持つ
(懸門)ことを特徴としています。
 西門は、南門と同規模の大型の城門で間口3間(12.3m)、
中央1間を通路とし、2間の奥行をもち、12本の柱で上屋を
支えます。柱は一辺最大60cmの角柱を2mほども埋め込んで
います。
 本柱に合わせたくり込み、方立柱穴、軸摺穴、蹴放しが
一体的に加工された門礎をもつのは、鬼ノ城のもののみです。
 西門は日本最大の古代山城大野城の太宰府口城門(間口
8.85m)をしのぐ壮大堅固な城門です。

------------------(鬼ノ城案内板より)

20190529_鬼ノ城_013

《敷石》
20190529_鬼ノ城_014

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----------------------------
 鬼ノ城では、城壁の下の面に接して板石を多数敷き詰めて
います。幅は基本的に1.5m幅で、場内側の広い所では5m幅
にもなる所もあります。
 敷石は多くの区間に敷かれており、総重量は約千トンにも
なります。この石畳のような敷石は、通路としての役わりも
あるものの、敷石の傾斜などからみて、もともとは雨水等が
城壁を壊すのを防ぐことを目的としたものと考えられます。
 敷石は、日本最古の古代山城では鬼ノ城にしかなく、
朝鮮半島でも数例知られるだけの珍しいものです。
 とくにこの区間の敷石は、鬼ノ城でも見事なところです。

------------------(鬼ノ城案内板より)

詳細不明。一応撮影。

20190529_鬼ノ城_016

《第1水門》
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《第2水門》
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所々にあるコレは何だったんだろう?
説明がなかったのでよくわからなかった。

20190529_鬼ノ城_023

《南門跡》
もう説明文を書き写すのが面倒なので画像で。
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南門跡にて歩いてきた道を振り返る。

20190529_鬼ノ城_030

もう少し先の場所にあったもの。

20190529_鬼ノ城_031

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「高石垣」から向こうに小さく見える高石垣。
ここから覗き込むのはちと怖い。第4水門の手前にあります。

20190529_鬼ノ城_033

巨石に仏様が彫られ、祀られていました。

20190529_鬼ノ城_034

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★その3に続く!
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2020年01月04日 (土) | 編集 |
2019.5.29 探訪 
『鬼ノ城』に向かいます。
その手前に「鬼の釜」と呼ばれる大きな釜が置かれていて、
温羅が生け贄をこの大釜で茹でていたという伝説がありますが
説明を読む限り正しい謂れというか、こうだ!というハッキリ
した詳細は不明のようです。口径役185cm、深さ105cm。

20190529_総社市_鬼の釜_001

20190529_総社市_鬼の釜_002

----------------------------
http://www.city.soja.okayama.jp/bunka/kanko/shitei_bunkazai/si/si_10.html
鬼ノ城に住んでいた温羅という伝説の鬼が使用していたとされ、
「鬼の釜」という名で呼ばれています。鋳型で作られた大釜で、
上・中・下三段の横方向と、各段10片の縦方向の鋳造痕が明瞭
に認められます。
 この釜は、現在新山集落の一画にあります。
「湯釜谷という所にあったものを、享保7(1722)年10月に
地元の人が現在の場所に運び、その時底が壊れた」、
また「釜はもともと二つあり、新山寺の僧がその一つを阿曽村
の鋳物師に与えた残りである」、「阿曽村の鋳物師が持ち帰り、
一つを壊すとたたりがあったので、残る一つを新山へ返した」
などの伝承がありますが、定かではありません。
この地は山岳仏教の聖地で、新山別所の浄土堂を修理し、
阿弥陀仏を安置した鎌倉時代の僧:重源が、山口県の阿弥陀寺
で湯釜を寄進したとされていることから、新山でも人々のため
に湯屋をつくり、湯釜もつくったのではないかと考えられます。

---------------(リンク先:総社観光ナビ)

鬼ノ城を遠くから眺められる場所があったので撮影。
鬼ノ城は吉備津彦と温羅の物語の中では鬼と呼ばれた温羅が
ここに住んでいたとされています。山の高さは標高約400m。
山容は擂鉢を伏せたような形状。山頂付近はなだらかな斜面
となっていますが、8〜9合目以下は著しく傾斜している。
築かれた城壁は全周約2.8km。城内はおよそ30ヘクタール。

カメラを鬼ノ城から右の方に向けてみましょう。

20190529_鬼ノ城_001

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でっかい岩があった。

20190529_鬼ノ城_005

案内板によれば築城の時期については諸説あり。
大和朝廷が朝鮮半島の百済軍救援のため出兵した白村江の海戦
(663年)において失敗した後、唐、新羅連合軍の日本侵攻を
恐れ、急ぎ西日本各地に築城した城の一つと考えられており、
古代山城は北九州北部から瀬戸内海、近畿にいたる地域に築城
されているそう。この鬼ノ城は対岸の屋嶋城とともに、
瀬戸内の重要拠点として考えられていたそうです。

さあ、鬼ノ城に着きましたよ。
鬼退治しちゃう?

20190529_鬼ノ城_006

★その2に続くよ!(2以降は少し長くなるかも)
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2018年06月29日 (金) | 編集 |
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岡崎城遠景。

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「徳川家康公銅像」
https://okazaki-kanko.jp/okazaki-park/guide/16

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-----------------------------
 天文11年12月26日(西暦1542年)岡崎城公園内二の丸
(現在の能楽堂)で生まれた。幼少の頃人質として苦難の道を
歩き、自立した後は天下統一をめざし、転戦を続け、
慶長5年(1600年)天下分目の関ヶ原の合戦に大勝して、
天下をおさめるにいたった。以後持前の才能を生かし、全国統一
の念願をかなえるとともに、徳川幕府300年の基盤をも作り、
元和2年4月17日(西暦1616年)75才でこの世を去った。
この像は昭和40年家康公350年祭を記念して建てたものである。

------------------(岡崎公園 案内板より)

「松平元康像」
https://okazaki-kanko.jp/okazaki-park/guide/17

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-----------------------------
 この元康像は1992年に開催された、「家康公生誕450年祭」
の一環として、450年祭実行委員会が市内外から寄付を募って
設置し、岡崎市へ寄贈したものです。若き元康(徳川家康)の
騎馬像は城を背にし、大権現として再生する日光東照宮の方角
を向いています。
背景の石垣と滝は治世を象徴し、元康が胸に秘めた国盗りの夢
が、生誕の地、岡崎の土中から盛り上がる様を表しています。

------------------(岡崎公園 案内板より)

訪れたこの時期は、梅が綺麗に咲いていました。

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再び、岡崎城を遠くから撮影してみる。

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小さくてわからないと思いますが、石垣の下に鴨が整列。

20180214_okazakijyou_016.jpg

お城に到着ー。
https://okazaki-kanko.jp/okazaki-park/guide/2
中は資料館的な感じになっていて、城という城ではなく、
特に惹かれるものも無さそうなので見学していません。

20180214_okazakijyou_017.jpg

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-----------------------------
 15世紀中頃(室町時代)、西郷弾正左衛門頼嗣(稠頼)が
現在の岡崎城の位置にはじめて城を築き、のちに家康の祖父で
ある松平清康が入城し本格的な岡崎城を構えた。
1542年(天文11年)12月26日、徳川家康はここ岡崎城内で誕生
した。江戸時代、岡崎城は「神君出生の城」として神聖視され、
本多氏(康重系統/前本多)、水野氏、松平氏(松井)、
本多氏(忠勝系統/後本多)と、歴代譜代大名が城主となった。
石高は5万石と少なかったが、大名は岡崎城主になることを誇り
としたと伝えられる。
 現在の天守閣は1959年(昭和34年)に復興され、3層5階の
鉄筋コンクリート構造となっている。2階から4階は江戸時代の
岡崎を紹介する展示室で、5階は展望室となっており三河平野
を一望することができる。

------------------(岡崎公園 案内板より)

「東照公遺訓碑」

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-----------------------------
 この東照公遺訓碑は、額田郡岩津町奥殿(岡崎市奥殿町)
出身の加藤賢治郎翁が岡崎市へ寄贈されたものである。
 翁は、岡崎銀行(東海銀行の前身)を創立し、長く同行頭取、
相談役として金融界に尽力されたのをはじめ、岡崎商工会議所
会頭として、本市の経済界の発展に寄与され、昭和十八年三月
九十八歳の天寿を全うされた。
 翁は、終生、徳川家康公の遺訓を座右の銘とされ、
これを後世の市民の教化育成に資するため、家康公研究者柴田
顕正氏の相図り、この実現の為に時の小瀧市長の賛意を得て
建立に到った。
 碑文の文字は田安家徳川達孝氏に、礎石は万年の亀を据え、
碑頭には竜城を象徴する竜を配し、制作施工は岡崎石工研究所
長池上年氏に委ねられた。
 碑裏面には、昭和十一年四月十六日建立とのみ刻み、
寄贈者名は翁の意志により省略されたままであるが、本年は、
遺訓碑が建立されて五十年、また、岡崎市制七十周年の記念
すべき年にあたり、記念事業の一環として、この遺訓碑建立の
由来を記し、あわせて加藤九十八翁を顕彰する次第である。

------------------(岡崎公園 案内板より)

★岡崎城横、龍城神社の記事に続く!
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2203.html
★公園内にいた猫さんの記事はこちら。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2204.html


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