定食屋さんに訪れるような感覚で見てもらえたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々。ヲタクなネタから神社めぐりまでw
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2016年11月22日 (火) | 編集 |
※記事の写真は去年のものです。

検索でいきなりこの記事に辿り着いた人は、その1からご覧下さい。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-1455.html

中町
http://www.kakegawa-kankou.com/matsuri/41/19naka/index.html

20151012_kakegawamaturi_013.jpg

20151012_kakegawamaturi_014.jpg

道神町
http://www.kakegawa-kankou.com/matsuri/41/07dou/index.html

20151012_kakegawamaturi_015.jpg

【掛川城】
まずは遠景からの写真。

20151012_kakegawamaturi_016.jpg

天守閣からの眺め。

20151012_kakegawamaturi_017.jpg

ボランティアさんでしょうか。
カッコ良くポーズをキメてくれましたw

20151012_kakegawamaturi_018.jpg

掛川城御殿
http://kakegawajo.com/goden/

20151012_kakegawamaturi_019.jpg

お庭の外側から玄関の方にまわります。

20151012_kakegawamaturi_020.jpg

御殿から見た天守閣。

20151012_kakegawamaturi_021.jpg

松尾町
http://www.kakegawa-kankou.com/matsuri/41/08matuo/index.html

20151012_kakegawamaturi_022.jpg

北門
http://www.kakegawa-kankou.com/matsuri/41/10kita/index.html

20151012_kakegawamaturi_023.jpg

20151012_kakegawamaturi_024.jpg

「ちょっとお出掛け」
の範囲がとっても広い静岡県民のお散歩でしたw


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テーマ:静岡県
ジャンル:地域情報
2016年09月09日 (金) | 編集 |
2015.10.5探訪
射水神社を参拝した帰りにぶらっとしていたら、
高岡城跡の石垣にこんなものを発見。
大変興味深いものだったので、写真を撮ってみた。

20151005_takaoka_j_001.jpg

-----------------------------
 高岡城は元和元年(1615年)廃城となったが、当時の城壁の
名残として、二の丸と本丸を結ぶこの地に土橋の石垣が見られる。
 この石垣にはいろいろな文字や文様が刻印されており、
キリシタンに関係があるという説もあるが、石工が石を切り出し
た時につけた目印だと考えられる。
 石の積み方は乱積みという素朴ながら堅固な方法を用いている。

------------------(高岡城跡 案内板より)

20151005_takaoka_j_002.jpg

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20151005_takaoka_j_004.jpg

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20151005_takaoka_j_006.jpg

…ま、普通に考えれば石工が付けた目印なんですけどねー。
私もキリシタンはあまり関係ないと思う。

http://www.kojyo.sakura.ne.jp/guidemap/ninomaru/index3.html
積まれた石の数は池の端側に920個、内濠側に850個だそうな。
これらの刻印は確認できるだけで60個以上あるらしい。
『上』『十』『卍』などなど……昔の人がこれを掘ったんだなぁ
と思うと何だか不思議な感じ。時を越えて私たちがこれを見て
いるんですからね。


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2016年08月18日 (木) | 編集 |
2015.10.3 探訪 
金崎宮を参拝した後は、金ヶ崎城跡を散策。
細かい歴史については長くなるし面倒なので各自ググるように。
あと、ついでにこいつも貼っておきます。
http://kanegasakigu.jp/rekishi/

20151003_kanegasaki_c_001.jpg

城跡散策は、金崎宮を出てからすぐに出来ますよ。

20151003_kanegasaki_c_002.jpg

20151003_kanegasaki_c_003.jpg

-----------------------------
金ヶ崎の退き口
 敦賀市は三方を山に囲まれ、一方を海に面した盆地のような
場所である。
 元亀元年(1570)4月、織田信長は朝倉義景討伐の軍を起こし
て徳川家康、木下藤吉郎(豊臣秀吉)等とともに敦賀に進軍。
手筒山城、金ヶ崎城を落とし越前に攻め入ろうとした時、
近江浅井氏が朝倉氏に味方する。
 信長は福井方面(手筒山の奥)からの朝倉氏の援軍と滋賀県
方面からの浅井軍に挟まれ窮地に陥り急遽総退却。(信長の退路
など不明な事も多いが、信長軍は関峠を通り若狭方面に退却した
と考えられる)
 この時金ヶ崎城に残り殿(しんがり)を務めてこの難関を
救ったのが秀吉で、その活躍で無事帰京できたと伝えられ、
後にこの戦いを「金ヶ崎の退き口」と称される。
 また信長の妹、お市の方は危機を知らせるため両端を紐で
結んだ袋に小豆を入れ陣中に届けたという逸話も残している。
 金崎宮ではこの逸話をもとに「小豆袋守(難関突破守)」が
授与されているが、ここからの景色は「袋のねずみ」のような
信長の厳しい状況が感じられるのではなかろうか。
(眼下の線路や公園などは当時海でした)

-----------------(金ヶ崎城跡 案内板より)

20151003_kanegasaki_c_004.jpg

鴎ヶ崎から見える景色。

20151003_kanegasaki_c_005.jpg

-----------------------------
 明治42年9月大正天皇(当時皇太子)北陸三県行啓の折と、
昭和8年10月に聖上陛下の敦賀に行幸の折にもここにおいて、
小憩され港湾内を眺望されたところである。


-----------------(金ヶ崎城跡 案内板より)

尊良親王御墓所見込地

20151003_kanegasaki_c_006.jpg

20151003_kanegasaki_c_007.jpg

-----------------------------
 安政年間(江戸時代末期)この地付近より経塚が発見され、
石室からいずれも銅製の経筒・円鏡・椀(三点とも敦賀市指定
文化財・金崎宮所蔵)が出土した。当時は殆ど話題にならず、
遺物は埋め戻されたという。
明治維新後、建武中興に関する史実の全国的な見直しが行われ、
湊川神社や鎌倉宮、藤島神社などが創建された。
 当地においても、金崎城合戦より五百五十余年を経た
明二十三年、金崎宮が官幣中社に列せられ、同二十六年に社殿
が竣工、鎮座祭が斎行されたが、それに先立つ、同九年
経塚出土品からこの地を尊良親王御墓所と解し「墓所見込地」
の碑が建てられた。
 しかし、他に立証する史料に乏しく、また京都市内(左京区
南禅寺下河原町・永観堂そば)に同親王の御墓所が指定されて
いることもあって、現在では親王御台臨、自刀の地として大切
に保存されている。

-----------------(金ヶ崎城跡 案内板より)

月見御殿
ここ、月見御殿から見える景色。
眼下には青く美しい福浦湾が広がります。
敦賀新港からは、フェリーが出ているようですよ♪
http://www.snf.jp/embark/turuga.html

20151003_kanegasaki_c_008.jpg

-----------------------------
 この付近は金ヶ崎の最高地(海抜86メートル)で月見崎
といい通称月見御殿と呼んでいて、南北朝時代の金ヶ崎城の本丸
跡といい、戦国時代などにも武将が月見をしたと伝えている。


-----------------(金ヶ崎城跡 案内板より)

右手に見えますのが、敦賀火力発電所でございます。

20151003_kanegasaki_c_009.jpg

左下に目を下ろすと『絹掛ノ崎』が見えます。

20151003_kanegasaki_c_010.jpg

金崎古戦場の石碑。

20151003_kanegasaki_c_011.jpg

他にも『二の城戸』や『三の城戸』なども撮りましたけれど
似たような景色で、読む人もつまらないかなーと思いましたので
省略します。気になった人は是非、金ヶ崎城跡まで足を運び、
その目で確認してみて下さいw


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テーマ:散策・自然観察
ジャンル:趣味・実用
2015年02月22日 (日) | 編集 |
この日の時系列についてはこちら。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-639.html

「八犬伝の地へ行きたい」
ここへ来たのは、ウチの旦那がそう言い始めたのが始まりです。
南総里見八犬伝って言うと角川映画しか思い浮かばないや。




あの当時は小学生。映画の八犬伝のストーリーをあまり事細かに
覚えてないのが残念。薬師丸ひろこさんが可愛くて好きだったけど、
時の流れは何とまあ残こ(以下自粛)
そういや放送部でこの映画のパロディ映像作ってたなぁ。
あの当時の8ミリって高かっただろうに、しかも小学校の備品で…
ってそんな話はどうでもいいw

さて…

20150214_tateyamajyou_001.jpg

館山城(八犬伝博物館)
http://www.tateyamacity.com/info.php?lngCode_Data=186

城の形をしていますが博物館です。

江戸時代の文豪、曲亭馬琴が書き上げた『南総里見八犬伝』に関する
資料や錦絵などがいろいろと展示されています。物語が好きな人なら
楽しめる場所かと思われます。…私は残念ながら原作を読んだ事が
全く無いのでアレですが、錦絵を見るのが好きなので良かったなと。
「原作をちょっと読んでみたいかも」という気持ちにもなれたし。
博物館の後半には、昔NHKで放送されていた人形劇の貴重な人形まで。
(放送開始時が昭和48年4月って、私が産まれる数ヶ月前ッスよ…orz)

あと、南総里見八犬伝をベースに制作された関連物も展示されていて、
その中に山田風太郎の生原稿があったり。「まさかここにあるとは!」
って山風好きな旦那がメチャクチャ感激してたよw

それにしても八犬伝って随分と超大作なんですよね。長ぇ… orz
誰か「3分でわかる南総里見八犬伝」って動画作ってくれんかなぁ。


SERUNA:「原作って面白いの?」
旦那:「おおまかな感じしか知らないけど、後半はグダグダ」
SERUNA:「じゃあ、最初の方がクライマックスか」
旦那:「うん、最初の方が盛り上がってる感じ」

…多分、読んだら読んだでハマりそうな予感がする。
ハマったらハマったで漫画描き始めちゃいそうだから怖い。(;´Д`A

20150214_tateyamajyou_002.jpg

『里見城跡』という石碑と、側に梅が咲いていたので撮ってみた。
------------------------------
 里見氏は戦国時代の房総に君臨した一族です。
里見氏はもともと安房の武士ではなく、上野国の出身です。
今の群馬県高崎市(旧榛名町)に里見という土地があります。
そこから、戦国時代初頭に安房に現れたのが、
房総里見氏の祖となる、里見義実(さとみよしざね)です。
 豊臣秀吉の時代に、館山城を拠点に栄華を誇った里見氏でしたが、
江戸時代になり、外様大名を取りつぶす政策にのまれ、慶長19年間
(1614)9月、安房国十代の里見忠義は安房領地を没収され
鹿島三万来の替え地として倉吉(鳥取県倉吉市)に移され、八年後、
29才の若さで亡くなりました。忠義公と八人の家臣墓は倉吉市の
大岳院にあり、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』のモデルと言われて
います。


--------------------(案内板より一部抜粋)

20150214_tateyamajyou_003.jpg

広場からの眺めがまたいい。
ここにも桜の木があるんだけど、時期になったら絶対に綺麗。
写真の位置から真っすぐ進んでいって…

20150214_tateyamajyou_004.jpg

↑城を背に北側(海の向こうは横浜)の方角を見る。
↓城を背に西側(海の向こうに富士山)の方角を見る。

20150214_tateyamajyou_005.jpg

天守閣から西の方角を見るとこんな風景が広がります。
左側の広い敷地『海上自衛隊 館山航空基地』から海の向こうには、
向かって右手に三浦半島、左手に伊豆半島と、半島越しの富士山…
が見えるハズですが…ゴメン。遠くて薄くてよくわかんないね。

20150214_tateyamajyou_006.jpg


おまけ
城の側にあった浅間神社。

20150214_tateyamajyou_007.jpg

御祭神:木花佐久夜毘売命
------------------------------
 館山は関東の富士見百景に選ばれた土地で古代より富士山に
対する信仰が厚く、文明二年(1782年)には、
富士山本宮の明細帳に富士浅間宮として記載されている。
 関東大震災後に間口五尺・奥行四尺の神社が再建され、
昭和十二年に戦争のため北下台に移転されましたが、
戦後の昭和二十五年に再び城山の山頂に復現され、平成二十一年
老朽化が著しく、氏子からの寄進により修復されました。
 社前にある小御嶽様の石碑は、慶応二年(1866年)に富士講中
より奉納されたものです。


--------------------(案内板より一部抜粋)

★南総里見八犬伝の『伏姫籠穴』に続く。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-653.html
★『里見茶屋』で食べた美味しいカレーについて。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-651.html


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