FC2ブログ
定食屋さんに訪れるような感覚で見てもらえたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々。ヲタクなネタから神社めぐりまでw
| Login |
2019年10月15日 (火) | 編集 |
---------------------------
武蔵小杉、田園調布、稲田堤...
台風19号で水害にあった地域を古地図で見てみると、
興味深い"共通点"があるよって話

https://togetter.com/li/1416315
(リンク先:まとめ)

地名の由来トピ
https://girlschannel.net/topics/2382198/
(リンク先:ガールズちゃんねる)

---------------------------

「地名についてもっと興味を持ってほしい」
というのはこのブログで何度も何度も触れていますが、
災害があるたびにこういった話が持ち上がってくるので、
本日はこんな過去ログ(↓)を貼っておこうと思う。

関連過去ログ/地名って面白いよね。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-1502.html

地名だけでなく川の名前からも色々わかったりしますね。
それだけでなくいま何もなくて安心している場所だとしても、
何十年前には災害がなかった地域でも、さらにもっともっと
時代を遡って古地図などを見たりその土地がどんな所だった
のかを調べてみて欲しいってのは声を大にして言いたいッス。
…ってか、このブログをずっと見ているかたならもうとっくに
ご存知かと思いますが、大事なコトだから私、繰り返し何度も
言ってますよね?ね?(^ω^ ;)

自分は神社めぐりをする時にその「土地の名前」や「古地図」
「物語」などにも興味を持って調べる事が多いのですが、
災害が起こった時に「ああ、やっぱりあそこは…」と思う事が
多々あったりします(例えばですが茨城県。風土記やその土地
に伝わる昔ばなしからも知る事ができたりするんですが、
あそこは遥か昔に広範囲で沼地だったり、かつて川があった
場所も現在ではすっかり何もなかったかのように埋め立てられ
ていたりする所がいくつも存在してます)。

災害に遭いたくないからハザードマップを参考にするのは当然
ですけれどハザードマップだけでは資料が足りないんです。
昔ばなしや地名、古地図にも興味を持ってください。
災害は、昔ばなしの中で何らかの空想上の生き物に例えられ、
語り継がれているものもあるからバカに出来ないですよ。
それらに興味を持つ事によって、その場所の歴史を知る事だけ
ではなく災害について普段から何らかの対策や心構えが出来る
かも知れない。

「今は何もないから大丈夫」
「昔ばなしなんて知らんし興味ない」
なんて言わないで欲しいな。


ちなみに我がふるさと焼津は日本武尊ゆかりの地名ですが、
遥か昔は葦のいっぱい生えた場所でした。
川や沼地を埋め立てている所も確かあるはずなので、
地盤も弱くとても不安な土地だったりする。

余談です
地名はね、ご先祖さんがちゃんと意味を持たせて残している
んですよ(ただし最近とってつけたようなキラキラネームに
変えられてしまっている所があるけど、それは無視してOK。
そういう所は元の地名が何だったのかに注目しよう)。

あ!あともう既に知ってる人は多いかと思われますが、
東京も意外と脆いですよ。大丈夫と思っていても
全然大丈夫じゃない所があるから気をつけてねー。


あなたの応援がブログ継続の活力となっています。
記事が面白かったら拍手をポチッとして戴けると嬉しいです。
テーマ:地域情報
ジャンル:地域情報
2019年10月08日 (火) | 編集 |
2019.9.27 探訪
五稜郭といえばまず北海道が思い浮かびますが…
日本に五稜郭はそれ以外にもう一つあるってご存知でした?
それがここ、長野県佐久市にある『龍岡城五稜郭』
現在は佐久市立田口小学校が建っています。

20190927_tatsuokajyou_001.jpg

五稜郭って上から見ないと形がわからんのですよね。
まず、ドローンなんか持ってはいないし、持っていたとしても
学校を上から無断で撮影したら完全に不審者w
…なので当然、外堀からそれとわかる部分しか確認できず。

20190927_tatsuokajyou_002.jpg

20190927_tatsuokajyou_003.jpg

案内板にあった図を撮影。
(昔はこんなんだったんですよーという説明図)
上から見ると、北海道にある五稜郭と同じ形をしています。

20190927_tatsuokajyou_004.jpg

----------------------------
 信州に一万二千石、三河に4千石の封地を持つ三河奥殿藩の
松平氏は、宝永以来百六十年間 三河に本拠を持ち、佐久には
陣屋を置いて、領内二十二か村の統治をつづけてきたが、
11代乗謨になって、幕末激動の状勢に応じて信州に居館を移す
ことを計画し、元治元年(1864)三月着工、慶応三年(1867)
竣工、地字名をとって龍岡城と称した。
用地一万余坪は田野口村より、石材木材などは領内より献納、
総費用四万円余であった。藩主乗謨は学才識見ともにすぐれ、
幕府の陸軍奉行、老中格、陸軍総裁などの要職につき、明治に
入っては、佐野常民と共に、赤十字社の前身である博愛社を
創設し、副社長、又、賞勲局総裁など歴任した。
 築城にあたっては、稜堡式築城法を用い、いわゆる五稜郭が
成立した。そしてこれより四年前完成した函館五稜郭址ととも
に、わが国城址の中においてただ二つの貴重な洋式城郭である。
 廃藩後明治五年、城はとりこわしとなったが、さいわい濠と
石塁、建物の一部大台所を残している。

注 松平乗謨、田口藩最後の藩主で明治初年 大給恒と改姓名

---------------(龍岡城五稜郭 案内板より)

何度も言うが現在は小学校の敷地。
小学生がサッカーをして遊んでいたのでカメラを向けるのにも
少しばかり戸惑いましたが案内の冊子と一緒に撮影。
私らは決して怪しい人じゃないよー。単なる観光客だよー。

※写真は小学校のグラウンド。
20190927_tatsuokajyou_005.jpg

龍岡城五稜郭(龍岡城跡)内にある神社「田口招魂社」
北越戦争・日清戦争・日露戦争・大東亜戦争等で命を落とした
英霊が祀られています。

20190927_tatsuokajyou_006.jpg

20190927_tatsuokajyou_007.jpg

20190927_tatsuokajyou_008.jpg

20190927_tatsuokajyou_009.jpg

20190927_tatsuokajyou_010.jpg

【おまけ】
龍岡城五稜郭の外側に設置されていた農業集落排水のマンホ。
中央に入っているのは五稜郭のマークでしょうか?
(ちなみに田口小学校の校章も五稜郭のデザインでした)

20190927_tatsuokajyou_011.jpg


ブログに訪問ありがとう!
記事が面白かったら拍手をポチッとして戴けると嬉しいです。
テーマ:国内旅行
ジャンル:旅行
2019年07月19日 (金) | 編集 |
検索でいきなりココに辿り着いた人は、その1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2758.html

神社から少し歩いたところに『お照の墓』があるそうで、
気になってしまい行ってみることに。少しばかりわかりづらい
場所にありました。

20190125_お照の墓_001

この標識が現れるまで歩きながらキョロキョロ。
途中でどこかで道を間違えたのかとドキドキしてしまった。

20190125_お照の墓_002

何の神様がお祀りされているのかわからない小さな神社。

20190125_お照の墓_003

お墓への道が崩れてどこへ行ったらいいのか…
途中で道を見失いそうになったが、なんとか到着。

20190125_お照の墓_004

20190125_お照の墓_005

-----------------------------
貧女の一燈 お照の墓
 高野山奥の院に、千年近くの間光り輝いている貧女の一燈と
言われる燈籠があります。お照という少女が、自分の髪を売った
金で養父母の菩提を弔うために献じた一燈です。
 お照はその後、ここに庵を結び養父母の菩提を弔いつつ生涯を
終えたと伝えられています。
 天和二年(1682)妙春尼により供養塔が建てられ、貞享五年
(1688)天野の郷供僧、浄意が女人の苦しみを救うために、
代受苦の行を勤め、ここに碑が建てられました。
 この上に実父母の墓と伝えられる碑があります。

----------------------(案内板より)

20190125_お照の墓_006

自然にまかせたままなのか、
お墓の周辺が荒れてしまっているようにも見える。
もう少し綺麗にしてあげてほしいな…

20190125_お照の墓_007

20190125_お照の墓_008

20190125_お照の墓_009

【貧女の一灯 長者の万灯】※pdfで開きます。
http://www.katsuragi-kanko.jp/hinniyonoistutou.pdf


ブログに訪問ありがとう!
記事が面白かったら拍手をポチッとして戴けると嬉しいです。
テーマ:地域情報
ジャンル:地域情報
2019年07月05日 (金) | 編集 |
2019.1.12 探訪 
我がふるさと焼津には、たとえ人物が有名だとしても、
あまり知られる事もなくひっそり存在する史跡がございまして。
『井伊直孝産湯の井』って知っていますか?
…って知るワケないですよねぇ。(^ω^ ;)

20190112_iinaotaka_ubuyu001.jpg

だって、道路脇にこんな風にちんまりしているだけだから、
あまり気付かれる事も無いんです。これでも整備された方で、
以前はもっとわかりにくい雰囲気でした。

20190112_iinaotaka_ubuyu002.jpg

井伊直孝といえば誰もが知る歴史上の有名人。
彼は焼津の地で誕生したんです。

20190112_iinaotaka_ubuyu003.jpg

20190112_iinaotaka_ubuyu004.jpg

案内板。

20190112_iinaotaka_ubuyu005.jpg

以下、焼津市で配布している冊子から転載しておきます。

井伊直孝産湯の井
https://www.city.yaizu.lg.jp/rekimin/iinaotakaubuyunoi.html
-----------------------------
 井伊直孝は「徳川四天王」の一人と称えられた井伊直政の次男
です。度胸がすわっていて物事に動じず、表裏がない性格で、
少年のころ屋敷に忍び込んだ盗賊を退治した話や、徳川家康の
お墨付きをめぐる伊達政宗との調停話、招き猫の由来となった
言い伝えなど、多くの逸話が残る人物でもあります。父の直政は
「井伊の赤鬼」と恐れられ、関ヶ原の戦いなどの活躍で知られ
ますが、息子の直孝も大変勇敢で戦術に優れ、大坂夏の陣では
大きな功績を上げて「井伊の赤牛」の異名を誇りました。
直孝は家康から絶大な信頼を得て彦根城主となり、家康に続く
将軍秀忠の遺言で、三代将軍家光の後見人に指名されるなど
歴代の将軍の信任が厚く、戦場だけでなく徳川幕府の内政や外交
にも大きな力を発揮して、譜代大名の中で最大の領土を与えられ
ました。なお、遠江井伊谷の女領主として有名な井伊直虎は、
直孝と面識はありませんが義理の祖母にあたります。
また、幕末の大老で有名な直弼も直孝の子孫です。

------------------------(↓続く)

20190112_iinaotaka_ubuyu006.jpg

-----------------------------
 さて、江戸幕府ナンバー2ともいわれるこの直孝ですが、
その生まれは現在の焼津市中里の地といわれ、次のような話が
伝えられています。
 直孝の父直政が東海道を通った折、岡部宿本陣へ泊まりました。
そこで中里の娘が、身の回りのお世話をすることになりました。
直政は娘をたいそう気に入りました。その後、娘は男の子を
産みました。この子が後の井伊直孝で、出産の時の産湯を汲んだ
のが、中里にある井戸と伝えられています。天正18年(1590)
のことです。
 また、直政の側室が正室に遠慮してこの地で産んだともいわれ、
直孝の出生については諸説ありますが、中里地区で大事にされて
きた産湯の井や若宮八幡宮、そして江戸時代から今も連綿と続く
井伊家と中里地区との関係などは無視できない事象と考えられて
います。

-------(焼津辺文化遺産ガイド 高草山周辺ルートより)

20190112_iinaotaka_ubuyu007.jpg

20190112_iinaotaka_ubuyu008.jpg

なんて事のない井戸のみが残される場所ですが、
歴史好きなかたは訪れてみては如何でしょう。

★直孝ゆかりの若宮八幡宮に続く。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2730.html


ブログに訪問ありがとう!
拍手をポチッとして戴けると嬉しいです。
テーマ:静岡県
ジャンル:地域情報