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定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2021年09月28日 (火) | 編集 |
検索でいきなりココに辿り着いた人は、その1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3797.html

20210402_藤枝郷土博物館_ 駿遠線SL_B15_009

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駿遠線SL「B15」
 正式名称は静岡鉄道B8形15号機。
動輪の数が2軸(B形)の、8トンのタンク機関車である。
太平戦争中に設計され、戦後の昭和23年(1948)に
静岡鉄道駿遠線に導入された立山重工業(富山県)製の
戦時規格車2両のうちの1両。おもに専用鉄道向けに製造された
立山重工業製の機関車の中で、静岡鉄道のような地方鉄道に
採用された珍しいケースである。
 昭和23年当時、駿遠線では終戦後の急激な輸送力拡大に
対応するために、蒸気機関車を増備する必要があった。
B15は、物資統制下に作られた簡素な戦時設計であり、
ドームは角形で、運転台も低いなど全体的に見栄えが良くない。
駿遠線を走行したのは昭和23年〜27年頃の短期間である。

-----------------------(↓続く)

※下の写真はB15を後ろから撮影したもの。
20210402_藤枝郷土博物館_ 駿遠線SL_B15_010

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 駿遠線の蒸気機関車の多くがディーゼル機関車に改造
されたなか、B15は改造に不向きだったため、
予備用の機関車としてそのまま温存され、昭和45年(1970)
の廃線を迎えた。廃線後は駿府公園内(静岡市)の
静岡児童会館で保存展示され、その後、静岡鉄道長沼工場を
経て、昭和63年(1988)7月、静岡鉄道株式会社より
藤枝市郷土博物館へ寄贈された。
(参考/『静岡鉄道駿遠線車両史』中村修、2000年)

【車両諸元】
最大長 500cm 最大幅 177cm 最大高さ 266cm

---------------------(説明文より)

【B15形式図】

20210402_藤枝郷土博物館_ 駿遠線SL_B15_011

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運転台前方。
石炭の投入口である焚口戸が見えます。

20210402_藤枝郷土博物館_ 駿遠線SL_B15_015

20210402_藤枝郷土博物館_ 駿遠線SL_B15_016

運転士が座る椅子はちょっとかたそう。
中に入りたかったけど時間外でしたので柵に鍵がされており、
内部での撮影は不可能でした。(´・ω・`)

20210402_藤枝郷土博物館_ 駿遠線SL_B15_017

B15側面。

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20210402_藤枝郷土博物館_ 駿遠線SL_B15_019

勘違いして欲しくないが私は鉄オタではありません。でも、
無骨な鉄の塊だけど汽車って完璧な形で可愛いと思ってます。
昔はこんな小さなSLが走っていたんですね。
コレが走っている所を見てみたいけど、
復刻してどこかで走らせるのはもう無理なのかな。


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2021年09月18日 (土) | 編集 |
2021.4.2 探訪 
蓮華寺池公園を訪れた日(↓)に撮影しました。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3790.html
藤枝市郷土博物館の横に展示される駿遠線SL「B15」。
かなり小さめなSLです。

20210402_藤枝郷土博物館_ 駿遠線SL_B15_001

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日本一の軽便鉄道「静岡鉄道駿遠線」 
 大正から昭和にかけて、藤枝から袋井を結ぶ軽便鉄道が
走っていました。軽便鉄道とは軽便鉄道法(1910年制定)に
もとづき建設された簡便な鉄道のことをいい、
路線幅は762ミリと狭く、国鉄(現JR)在来線の1067ミリの
約3分の2でした。開業当初、鉄道名は藤相鉄道でしたが、
昭和23年(1948)、西駿河の藤枝と遠州袋井を結ぶ長大な
路線となり、静岡鉄道駿遠線と改称されました。
 軽便の歴史は、明治44年(1911)、当時の藤枝町をはじめ
志太・榛原地域の有力者35名が発起人となり藤相鉄道株式会社
を設立したことに始まります。大正2年(1913)大手駅〜藤枝
新駅間が開業、大正7年には相良駅まで開通しました(のち
岡部や地頭方面へも延伸)。国鉄藤枝駅へ接続する藤相鉄道は、
藤枝の特産であるお茶・みかん・志太梨をはじめ、志太・榛原
の特産物を輸送・出荷するための鉄道として、地域の発展に
重要な役割を果たしました。

-----------------------(↓続く)

20210402_藤枝郷土博物館_ 駿遠線SL_B15_002

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 昭和18年(1943)、太平洋戦争中の国策により静岡鉄道
株式会社に合併され、昭和23年に袋井駅〜新三俣駅間を運転
していた中遠鉄道と連結して静岡鉄道駿遠線となりました。
大手駅〜袋井駅間の全線の総延長は64.6kmとなり、
昭和戦後に営業した軽便鉄道では日本一の長さを誇りました。
 昭和20〜30年代、終戦直後の食料買い出し客や、
高度経済成長期の通勤・通学客、夏の海水浴客で大変賑わい、
「軽便」の愛称で親しまれました。しかし、バス・トラック・
マイカーの普及によるモータリゼーションの波や、
大井川木橋の老朽化により営業を続けることが困難となり、
昭和39年(1964)から区間ごとに順次廃線となりました。
昭和45年(1970)7月31日、最後の新藤枝駅〜大井川駅間が
廃止となり、57年に及ぶ軽便の歴史は惜しまれながら
幕を閉じました。

---------------------(案内板より)

20210402_藤枝郷土博物館_ 駿遠線SL_B15_003

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軽便SL「B15」正式名称 静岡鉄道 B8形 15号機 
 太平洋戦争中に設計された立山重工業製(富山県)の
8トンB形タンク式の国産蒸気機関車。戦時設計のため角ばった
簡素な造りとなっています。駿遠線では昭和20年代に走行
しました。駿遠線に在籍した車両は合計153両あるましたが、
唯一の現存車両です。
 廃線後、静岡市の駿府公園内の児童会館で保存展示された後、
昭和63年(1988)、静岡鉄道株式会社から郷土博物館へ寄贈
されました。駿遠線の歴史を後世へ伝える生き証人であり、
軽便のまち藤枝が誇る貴重な鉄道遺産です。

---------------------(説明文より)

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駿遠線は私が生まれた頃には既に廃線となっていましたので
どんな様子だったのかは全くわかりませんが、
かつて鉄道が通っていた場所や駅があった場所などを辿ると、
(完全に消滅している所もありますけど)サイクリングコース
や生活道路となっている所、境界杭が残っている所、橋の下に
枕木が残されてある所もあったりと僅かにその名残を感じる事
が出来るみたいです。

YouTubeから動画を拝借。
廃線跡を辿っていらっしゃる人がいました。

【ぶらり廃線跡の旅】静岡鉄道駿遠線1/3(駿河岡部~新相良)



★その2に続く!
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3808.html


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2021年09月17日 (金) | 編集 |
歴史モノの冊子を探していたら、
西南戦争田原坂顕彰会のサイトに「年刊田原坂」という
「田原坂西南戦争資料館」にて無料配布されている
フリーペーパーのPDFがありました。

イラストも素敵なので歴史が好きなかたはいかがでしょう。
リンクを貼っておきます。
https://tabaruzaka-kensyokai.jimdofree.com/田原坂西南戦争資料館/#cc-m-19099913925

冊子_年刊田原坂_2021

2021年9月現在、Vol.7まで出ている模様。
(なぜか私のiPadでは最新の冊子だけが表示されなかった…)
データではなく本当は紙媒体としての冊子が欲しいのですが、
熊本へは遠くて行けず残念(取り寄せも出来ないっぽい?)。
(´・ω・`)

コレ以外にもなかなか良い歴史モノの冊子等を見つけたので
追加でこんなのいかがでしょう。

「マンガでたどる戦国武将島津義弘」の冊子がPDFで閲覧可能。
https://www.city.aira.lg.jp/yoshihirokou.html
(リンク先:姶良市)

【冊子以外】
実用性があって可愛いのを見つけたので貼っておきます。
家紋付きの便箋・封筒がダウンロード出来るページ
http://www.reki-c.com/club_binfu.html
家紋付きのブックカバーがダウンロード出来るページ
http://www.reki-c.com/club_bookcover.html
種類が大量にありました。(リンク先:歴史倶楽部)

関連してこちらの過去ログもどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3516.html


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2021年08月22日 (日) | 編集 |
2021.3.24 参拝 
ここは焼津市城之腰。
海から近い場所に庚申さんと波除け地蔵尊が鎮座。
このあたりの地域の人々をお守りして下さっています。

20210324_焼津市_庚申尊_波除け地蔵尊_001

順番に説明していきますね。

20210324_焼津市_庚申尊_波除け地蔵尊_002

下の写真正面、杖を持った像が「庚申尊」。
その隣のお地蔵様が「波除け地蔵尊」。

20210324_焼津市_庚申尊_波除け地蔵尊_003

【庚申尊】
写真、頭の部分が切れてしまいました… (´・ω・`)
「庚申さん」は昔からここにありましたが、
この像自体は比較的新しいものかと思います。

20210324_焼津市_庚申尊_波除け地蔵尊_004

20210324_焼津市_庚申尊_波除け地蔵尊_005

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庚申尊(こうしんさん・猿田彦命)
 道教の守庚申より出た庚申(かのえさる)の年や日の
禁忌行事を伴う信仰で町内安産の守り神となっています。
 庚申信仰は神道の「猿田彦」も庚申も猿どうしで、中世から
道祖神(さるたひこのみこと)の信仰と結びついた神様です。
 ここにある庚申像は姿が「猿田彦命」であり「南無帝釈青面
金剛明王尊」と正面に記されています。
庚申(かのえさる・こうしん)は十二支の六十通りある組合せ
の一つであり、年・月さらに日(六十日ごと)が相当します。
【初庚申祭礼1〜2月】

----------------------(説明文より)

【波除け地蔵尊】
庚申尊の横に鎮座するお地蔵様が波除け地蔵です。

20210324_焼津市_庚申尊_波除け地蔵尊_006

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波除け地蔵尊 
 昔 鰯ヶ島、城之腰、御休町の「波除け地蔵尊」として
まつられました。その後堤防工事や台風など一時不明になり
ましたが、無事戻り近年まで台風などのたび町内の安全を
ご守護いただきました。
 また、悪病から救ってもらうために町の多くの人が
おすがりし、「横丁のお地蔵さん」として親しまれました。
 その後「波除け」「先祖の供養」「後世の安泰と各家繁栄」
「無病息災」の祈願をこめて庚申尊の中にまつられています。
【祭礼8月】

----------------------(説明文より)

【津島さん】
鳥居の向こうに鎮座するのが「津島さん」。
向かってその右側に立つ石碑は「天皇行幸記念碑」。

20210324_焼津市_庚申尊_波除け地蔵尊_007

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津島さん 
 東海地方を中心とした神道の信仰です。
祭神は「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)」。
「疫病・厄除けの大神」で知られており、町内の守り神と
なっています。
【祭礼10月】

----------------------(説明文より)

すぐ側にはこんな石碑が…
この辺りがどんな所だったかを説明するものです。

20210324_焼津市_庚申尊_波除け地蔵尊_008

20210324_焼津市_庚申尊_波除け地蔵尊_009

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札の辻(浜通りー城之腰) 
 この地は江戸時代、生活に関わる全ての決まり事を板や紙に
書いて掲示した場所(高札場)であり、ここを「札の辻」と
呼んでいました。昔より浜通りは三つの村で構成され
【南ー鰯ヶ島・中ー城之腰・北ー北新田(北浜通り)】、
船の出入りに関係の深い通りであり人通りも多く、この近辺が
当時の中心であったと伺えます。
 船など漁業関係者の「浦高札」や「吉利支丹高札」
「火付高札」など、さまざまな高札が立てられました。

----------------------(説明文より)

波除け地蔵尊などを見ると「焼津は海と共に生きる町」
という事がよく伝わってくるようです。
この先もずっと大事にしていきたいものですね。


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2021年08月04日 (水) | 編集 |
YouTubeから動画を拝借。

むかしむかしの映像ですが…
この時代を生きた人たちにとっては普通だった事も、
この時代から未来の人間が見て「いいな」と思う。
今ほど豊かではないのかも知れないけれど、人間の心の
豊かさと温かさはきっと今以上にあったんだろうな
って想像出来る。

東京の昔の映像

※「Final A」さんのチャンネル。

↑時代は1913〜1915年だそうです。
音声などは恐らく後付けのものと思われる。
カメラが珍しいのかみんなこっちを見ているのが面白い。
当然ここに映る人たちはもう居ない。時折映るいかにも
日本らしい景色もきっと今はないと考えると、
何か不思議な気持ちになります。

アーノルド・ジェンスが残した100年前の日本

※「blue heart」さんのチャンネル。

↑こちらは明治時代の日本。映像ではなく写真ですが、
古き良き美しき日本の景色は素敵ですね。

富士山と旧東海道の今昔・古写真の今・東海道線の今昔
(古写真と同じ場所で撮影した見比べ写真)Mt.Fuji


※「asz1」さんのチャンネル。

↑富士山だけは昔と変わらずそこにある。
しかし時代は変わり、電信柱と無骨な建物ばかりが建ち並び、
今はそれらが富士山の景観を邪魔しているような気がする。
タイムスリップ出来るものなら、昔の景色を生で見てみたい。


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