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定食屋さんに訪れるような感覚で見てもらえたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々。ヲタクなネタから神社めぐりまでw
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2020年03月20日 (金) | 編集 |
2019.12.1 撮影 
静岡市内にこんな史跡があるのはご存知だろうか。
ちなみにずっと前はこのようなイラスト看板がなくて、
誰にも気づかれないような恐ろしく地味な場所だったんです。
場所はペガサートの一角。
http://www.pegasart.com/access/

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----------------------------
静岡市指定文化財(史跡) 西郷・山岡会見の地
    指定年月日 昭和四十二年七月十二日
    所在地 静岡市葵区伝馬町
 慶応四年(1868)、江戸に向け駿河に進軍した有栖川宮
熾仁親王を大総督とする東征軍の参謀西郷隆盛と、徳川幕府
十五代、最後の将軍徳川慶喜の命を受けた旧幕臣山岡鉄舟の
会見が同年三月九日に、ここ伝馬町の松崎屋源兵衛宅で
行われた。
 この会見において、徳川慶喜の処遇を始め、
江戸城の明け渡し、徳川幕府の軍艦・武器の引き渡しなどが
合意され、五日後の三月十四日、江戸・芝田町の薩摩藩邸で
山岡鉄舟も同席した西郷隆盛と勝海舟との会談により最終的
に決定され、江戸城の無血開城が実現した。

明治維新史の中でも特筆すべき会談に位置付けられるものである。

---------------------(案内板より)

鉄舟さんのパネルに、身長188cmと書かれてありましたが…
かなり身長デカかったんですね。対する西郷さんの身長も
気になったのでググったら180cmと出てきて驚きました。
今ですら180超えは長身なのに、昔の価値観で言うならば
現代よりも「かなりな大男」って感じだったかもですね。

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イラスト・漫画の作者は「たたらなおき」さん。

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一コマづつ。
この話と関係ないが、ちと豆知識として書いておくと…
徳川慶喜公は静岡では「けーきさん」と呼ばれています。
(「けいき」でなく静岡独特な「けーき」とのばす発音)
カメラを使いこなし自転車にも乗っていたなどなど
新しい物好きで、静岡の人間から親しまれていたそうな。

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…というワケでココは駅からそう遠くない場所にありますので
静岡へ訪れた際はちょっと立ち寄ってみるのは如何でしょう。
城はないですが近くに駿府城公園もありますよ♪

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詳細はこちら(リンク先:静岡・浜松・伊豆情報局)。
https://shizuoka-hamamatsu-izu.com/shizuoka/shizuoka-city/sz534/
アクセス/静岡県静岡市葵区御幸町3-21


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テーマ:静岡県
ジャンル:地域情報
2020年03月05日 (木) | 編集 |
2019.8.26 探訪 
随分前に何かのテレビ番組で「珍しい橋がある」という感じで
紹介されていて、いつか生で見てみたいと思っていたところ、
たまたま通りがかりに「猿橋」の案内板を見つけて「あぁ!」
となり立ち寄ってみることに。

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猿橋の側に鎮座する小さな神社「山王宮」

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----------------------------
 推古朝のころ、志羅古という造園の巨匠が猿橋に住み着いた。
村長は息子恭任を弟子に、娘の美久里をかしづかせた。
ある月明の夜、たくさんの猿が来て手と足をつないで橋を架けた。
これをみて猿橋の断崖に架橋を考えていた志羅古は設計を完成
させた。休んでまどろむと、急に2匹の猿が飛び込んできて、
ここに橋を架けるのなら、病気の猿王様のために申年申の日申
の刻に生まれた未婚の男女の生血を差し出せ、そうしなければ
妨害するという。志羅古は架橋を強行するが暴風雨のために
橋は何度も流されてしまう。
志羅古は該当者である自分と美久里とでいけにえになり、
あとは恭仁に託し、橋を完成させた。猿に因んで猿橋と名をつけ、
猿王を祀る小社を傍らに立て山王宮とよぶ。

http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/0450063.shtml
(リンク先:国際日本文化研究センター)

----------------------------

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こちらに見えますのが「猿橋」でございます。

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甲斐の猿橋
https://otsuki-kanko.info/category/content-page/view/31
(リンク先:大月市観光協会)
----------------------------
名勝 猿橋 昭和七年三月二十五日指定
 猿橋架橋の始期については定かでないが、諸書によれば
「昔、推古帝の頃(600年頃)百斉の人、志羅呼、この所に
至り猿王の藤蔓をよじ、断崖を渡るを見て橋を造る」とあり、
その名はあるいは白癬(しらはた)、志耆麻呂(しきまろ)
と様々であるが、これ以外の伝説は見当たらない。
 史実の中では、文明十九年(1486)二月、聖護院の門跡
道興はこの地を過ぎ、猿橋の高く危うく渓谷の絶佳なるを
賞して詩文を残し、過去の架け替えや伝説にも触れています。
 応永三十三年(1426)武田信長と足利持氏、
大永四年(1524)武田信虎と上杉上杉憲房との合戦の場と
なった猿橋は、戦略上の要地でもありました。

-----------------------(↓続く)

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----------------------------
 江戸時代に入り、五街道の制度が確立してから甲州街道の
要衝として、御普請所工事(直轄工事)にて九回の架け替えと、
十数回に及ぶ修理が行われてきました。
 この間、人々の往来が頻繁となり、文人墨客はこの絶景に
杖をとめて、多くの作品を今に残しています。
 昭和七年、付近の大断崖と植生を含めて、猿橋は国の名勝
指定を受け今に至っています。昭和九年、西方にある新猿橋の
完成により、この橋の官道としての長い生命は終わりましたが、
その後も名勝として生き続けています。
 今回の架け替えは、嘉永四年(1851)の出来杉帳により架け
られており、江戸時代を通してこの姿や規模でありました。
 昭和五十八年着工、昭和五十九年八月完成、総工費三億八千
三百万円であります。
 橋の長さ30.9メートル、橋の幅3.3メートル、
橋より水際まで30メートルです。

-------------------(猿橋 案内板より)

猿橋を渡ってみましょう。

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桂川で遊覧体験が出来るそうです。
https://l-outdoor.com/outdoor/saruhashi_yuran.html

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「猿橋から見えるアレは何だ?」と調べてみたら、
「八ツ沢発電所施設 第一号水路橋」という橋だそうです。
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/147648

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新猿橋の方向を見てみよう。
上から下にカメラを向けてみると…結構高いんだなココ。
吸い込まれそうな感じでちょっと怖いが、この景色は美しい。

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猿橋の特徴的な部分はココ。

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「明治天皇御召換所趾」の石碑がありました。

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いやはや実に良い橋&良い景色。

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新猿橋から見た猿橋。

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先程見た水路橋とあわせても、恐らく橋マニアの人たちならば
きっと必ず訪れる場所なのではないでしょうか。
なかなか良いものを見る事が出来て楽しかったです。


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2020年02月13日 (木) | 編集 |
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石段の先にある庭園はスルーしました。

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カメラを右から左にぐるぐるーっと。

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カエルさんがいる事に気が付いた。
可愛い声でケロケロ鳴いていましたよ♪

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「朝倉館跡」から出ました。

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「朝倉神社」

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景色を撮影。

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【下城戸】

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----------------------------
 一乗谷の北側の谷が最も狭まるところに下城戸が構築され
ています。土を盛り上げて構築された下城戸は、基底部で
幅12〜19m、上面で幅6〜9mを測ります。高さは約4mです。
道路により一部が削り取られていますが、現存長は38mを
測ります。城戸の外側にあたる土塁北側には、幅約10mを
測る濠が作られていますが、深さについては不明です。
土塁の西側には巨石を組み合わせた通路があり、
ここが城下町への出入り口となっていました。この通路は、
外側から町の中が見通せないように矩折(かねおれ)状に
作られているところに最大の特色を見ることができます。
城戸の内側は広場的な空間となっており、その広場の南側
には町屋地区が形成されていることが、発掘調査の成果から
知られています。


----------(一乗谷朝倉氏遺跡 公式サイトより)

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2020年02月11日 (火) | 編集 |
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朝倉館跡がある方へ向かってみましょう。

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ここへ行った日にイベントがあったようです。

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鯉がいました。

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そういえばブラタモリでタモさんが来たらしく、
最近その放送があったみたい。※リンク先はpdfで開きます。
https://www.city.fukui.lg.jp/kankou/kankou/jouhou/buratamori_d/fil/map.pdf

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【朝倉館跡】
カメラを左から右に…

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説明を書き写すのが面倒になったので(以下略)

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「五代 義景公墓所」
毎年8月には命日に合わせて法要が行われているそうです。

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 館跡の東南隅旧松雲院墓地内にあります。朝倉義景は、
天正元年(1573)8月20日、大野六坊賢松寺で一族の景鏡の
裏切りにより自刃。法名は松雲院殿太球宗光大居士。
現在大野市にも義景の墓がありますが、これは江戸時代に
建てられたものです。館跡の墓は天正4年に村民の建てた小祠
が始まりで、寛文3年(1663)福井藩主松平光通によって
現在の墓塔が立てられました。
館跡には当初朝倉氏の菩提寺心月寺が置かれました。
心月寺は朝倉氏滅亡後、一時丹生郡に避難していましたが、
慶長4年、館跡に再興されました。その後慶長6年に北ノ庄に
移り、館跡の寺と墓は心月寺の末寺として義景の法名をとり
「松雲院」として残されることとなりました。
発掘前の館跡地には中央に「松雲院」が、西北部に「足羽町
一乗谷支所」が置かれていましたが、発掘開始時にそれぞれ
移転し、松雲院は心月寺と統合されました。

-----------(一乗谷朝倉氏遺跡 公式サイトより)

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