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定食屋さんに訪れるような感覚で見てもらえたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々。ヲタクなネタから神社めぐりまでw
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2019年07月19日 (金) | 編集 |
検索でいきなりココに辿り着いた人は、その1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2758.html

神社から少し歩いたところに『お照の墓』があるそうで、
気になってしまい行ってみることに。少しばかりわかりづらい
場所にありました。

20190125_お照の墓_001

この標識が現れるまで歩きながらキョロキョロ。
途中でどこかで道を間違えたのかとドキドキしてしまった。

20190125_お照の墓_002

何の神様がお祀りされているのかわからない小さな神社。

20190125_お照の墓_003

お墓への道が崩れてどこへ行ったらいいのか…
途中で道を見失いそうになったが、なんとか到着。

20190125_お照の墓_004

20190125_お照の墓_005

-----------------------------
貧女の一燈 お照の墓
 高野山奥の院に、千年近くの間光り輝いている貧女の一燈と
言われる燈籠があります。お照という少女が、自分の髪を売った
金で養父母の菩提を弔うために献じた一燈です。
 お照はその後、ここに庵を結び養父母の菩提を弔いつつ生涯を
終えたと伝えられています。
 天和二年(1682)妙春尼により供養塔が建てられ、貞享五年
(1688)天野の郷供僧、浄意が女人の苦しみを救うために、
代受苦の行を勤め、ここに碑が建てられました。
 この上に実父母の墓と伝えられる碑があります。

----------------------(案内板より)

20190125_お照の墓_006

自然にまかせたままなのか、
お墓の周辺が荒れてしまっているようにも見える。
もう少し綺麗にしてあげてほしいな…

20190125_お照の墓_007

20190125_お照の墓_008

20190125_お照の墓_009

【貧女の一灯 長者の万灯】※pdfで開きます。
http://www.katsuragi-kanko.jp/hinniyonoistutou.pdf


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2019年07月05日 (金) | 編集 |
2019.1.12 探訪 
我がふるさと焼津には、たとえ人物が有名だとしても、
あまり知られる事もなくひっそり存在する史跡がございまして。
『井伊直孝産湯の井』って知っていますか?
…って知るワケないですよねぇ。(^ω^ ;)

20190112_iinaotaka_ubuyu001.jpg

だって、道路脇にこんな風にちんまりしているだけだから、
あまり気付かれる事も無いんです。これでも整備された方で、
以前はもっとわかりにくい雰囲気でした。

20190112_iinaotaka_ubuyu002.jpg

井伊直孝といえば誰もが知る歴史上の有名人。
彼は焼津の地で誕生したんです。

20190112_iinaotaka_ubuyu003.jpg

20190112_iinaotaka_ubuyu004.jpg

案内板。

20190112_iinaotaka_ubuyu005.jpg

以下、焼津市で配布している冊子から転載しておきます。

井伊直孝産湯の井
https://www.city.yaizu.lg.jp/rekimin/iinaotakaubuyunoi.html
-----------------------------
 井伊直孝は「徳川四天王」の一人と称えられた井伊直政の次男
です。度胸がすわっていて物事に動じず、表裏がない性格で、
少年のころ屋敷に忍び込んだ盗賊を退治した話や、徳川家康の
お墨付きをめぐる伊達政宗との調停話、招き猫の由来となった
言い伝えなど、多くの逸話が残る人物でもあります。父の直政は
「井伊の赤鬼」と恐れられ、関ヶ原の戦いなどの活躍で知られ
ますが、息子の直孝も大変勇敢で戦術に優れ、大坂夏の陣では
大きな功績を上げて「井伊の赤牛」の異名を誇りました。
直孝は家康から絶大な信頼を得て彦根城主となり、家康に続く
将軍秀忠の遺言で、三代将軍家光の後見人に指名されるなど
歴代の将軍の信任が厚く、戦場だけでなく徳川幕府の内政や外交
にも大きな力を発揮して、譜代大名の中で最大の領土を与えられ
ました。なお、遠江井伊谷の女領主として有名な井伊直虎は、
直孝と面識はありませんが義理の祖母にあたります。
また、幕末の大老で有名な直弼も直孝の子孫です。

------------------------(↓続く)

20190112_iinaotaka_ubuyu006.jpg

-----------------------------
 さて、江戸幕府ナンバー2ともいわれるこの直孝ですが、
その生まれは現在の焼津市中里の地といわれ、次のような話が
伝えられています。
 直孝の父直政が東海道を通った折、岡部宿本陣へ泊まりました。
そこで中里の娘が、身の回りのお世話をすることになりました。
直政は娘をたいそう気に入りました。その後、娘は男の子を
産みました。この子が後の井伊直孝で、出産の時の産湯を汲んだ
のが、中里にある井戸と伝えられています。天正18年(1590)
のことです。
 また、直政の側室が正室に遠慮してこの地で産んだともいわれ、
直孝の出生については諸説ありますが、中里地区で大事にされて
きた産湯の井や若宮八幡宮、そして江戸時代から今も連綿と続く
井伊家と中里地区との関係などは無視できない事象と考えられて
います。

-------(焼津辺文化遺産ガイド 高草山周辺ルートより)

20190112_iinaotaka_ubuyu007.jpg

20190112_iinaotaka_ubuyu008.jpg

なんて事のない井戸のみが残される場所ですが、
歴史好きなかたは訪れてみては如何でしょう。

★直孝ゆかりの若宮八幡宮に続く。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2730.html


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2019年06月28日 (金) | 編集 |
……私は好き。
日本神話や昔ばなしの冊子をpdfで探しているのですが、
良いものを見つけるとちょっと嬉しかったりします。
お気に入りのオススメをほんの少しだけ置いておきますね。
「他にもこんなのもあるよー!」って人がいたら、
教えて頂けるとありがたいッス(欲を言えば分割じゃなくて、
出来たら一括ダウンロード出来る冊子が望ましい)。

【WEBで閲覧できる神話・民話の冊子】
川の民話集(リンク先:河川財団)/
https://www.kasen.or.jp/school/tabid240.html
※民話集は71ページもありますので、DL重いかも…

ふるさと読本 いずも神話
https://www.pref.shimane.lg.jp/kyoikusido/H23_hurusato_izumo.html
※「こちら」の部分をクリックしてダウンロード。

神話のふるさと読本みやざき・パンフレットDLページ
http://www.kanko-miyazaki.jp/shinwanofurusato/sp/pamphlet.html
(リンク先:神話のふるさと 宮崎)

吉備路ガイドブック「おかやま桃太郎ものがたり 吉備津彦と温羅」
https://okayama-kanko.net/sightseeing/news.php?id=117
(リンク先:おかやま観光ネット)

岡山へはこのあいだ行ってきまして…
「吉備津彦と温羅」の絵本は観光協会で無料配布していたので、
日本語版と英語版を一冊づついただいてきました(実はその他の
言語版もあったのですが、欲張らずに二種類だけ頂戴した)。
そんな感じでpdfで見られるWEB冊子も、実物を手に入れる事が
出来たらもっと嬉しいんですけどね。(^ω^ ;)


【アプリ】
★過去に紹介しましたが…「読み聞かせ古事記」。
お子様に古事記を読み聞かせるならこのアプリがオススメ。
絵も可愛いですよ♪


読み聞かせ古事記 公式サイト「さざれいしジャパン」/
http://www.sazareishi.or.jp/index.html

★日本神話を絡めたゲーム「はじまりの島 淡路島日本遺産RPG」。
現在プレイ中ー♪ キャラが方言で喋っています(兵庫弁というか
淡路島方面の言葉でしょうか?)。基本無料で遊べるにしては
なかなか良くて、RPG苦手な人でも簡単に出来ます。


「はじまりの島」淡路島日本遺産RPG 公式サイト/
http://kuniumi-awaji.jp/rpg/

淡路島に住む普通の高校生が、イザナギに導かれ、
淡路島の歴史を歪めてしまおうとする魔物に立ち向かい、
淡路島を救うといった王道&感動のRPGです。
次々と襲いかかる絶望や困難、悲しくも優しい運命。
淡路島日本遺産をめぐる冒険が始まります。

注:ゲーム内課金あり
(課金による収入を淡路島日本遺産事業運営資金として活用)



【おまけ】
日本の伝統文化について興味のある人はこちら。
ポーラ伝統文化振興財団 伝統と文化
http://www.polaculture.or.jp/index.html
※機関紙の最新号は無料で送付してくださるようです。
バックナンバーはWEBで読めます。


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2019年06月01日 (土) | 編集 |
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明治時代の教員室(職員室)。

20181115_旧見付学校_043

20181115_旧見付学校_044

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明治6年開校当時の教員
【正教員】
中等教授2名 上等助教1名 一等授業生1名

【臨時の雇教師】7名
    教員免許を持たない授業生(代用教員)
    寺子屋の師匠など
浜松県では教員不足解消のため、明治8年3月に浜松瞬養学校を
開設し、2〜4ヶ月修行期間で教員を養成した。
(入学年齢15歳以上)教官は文部省から派遣された。
明治20年以降は正規の教員(訓導)が代用教員の数を上回って
いる。

-----------------(旧見付学校 説明文より)

【市指定文化財 伝 酒井之太鼓】
その昔、先程の最上階にて叩かれていた太鼓です。

20181115_旧見付学校_045

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児童の士気を高めた太鼓 
 見付学校が新築落成した年、家康の窮地を救ったと
いわれる「酒井之太鼓」が、見付学校に寄贈されました。
 明治七年(1874)浜松の祭りを見物していた見付の花屋
吉三郎らが、板屋町の屋台で使っている太鼓が浜松城の警鼓で
あったことを知り、板屋町から買い受けました。
太鼓は吉三郎らがどこに置くかと協議していたとき、ちょうど
見付学校が建設中であったことから、当時の見付の戸長・
古澤脩らと交渉して、翌年開校を記念してこの学校に置くこと
になりました。太鼓は最上階に据え付けられ、児童の登校の
合図と正午の時報として、 また児童の士気を高めるために
毎日打ち鳴らされ、見付の人たちの生活の音として親しまれて
いました。

-----------------(旧見付学校 説明文より)

【磐田文庫】北側にある建物です。

20181115_旧見付学校_046

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 淡海国玉神社の神官大久保忠尚は、寄付と私財合わせて200両
を投じて元治元年(1864)4月に設立した私設図書館である。
忠尚は自宅に門下生を集めて和漢の書を講じ、維新の際に
遠州報国隊を組織して活躍したことから、磐田文庫は遠州国学の
象徴ともいえる。内外の書約500冊を所蔵する。
 建物の構造は、角材を積み上げた校木造二階建で、間口5.5m、
奥行5.7m、平面積約31㎡を測り、4室が設けられる。
 昭和44年、旧見付学校とともに国の文化財に指定され、
平成4年県の補助金を受けて解体復元修理をおこなう。

-----------------(旧見付学校 説明文より)

20181115_旧見付学校_047

二階は立ち入り禁止で、登れないようになっていました。
入口より、カメラを左から右に向けて撮影。

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展示物の一部。

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【遠州国学の流れ】
賀茂真淵(1697-1769) → 内山真龍(1740-1821)
→ 夏目甕麿(1773-1822) → 八木美穂(1800-1854)
→ 大久保忠尚(1825-1880)

20181115_旧見付学校_053

国学者「大久保忠尚」

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磐田文庫から見える淡海國玉神社。
神社について知りたい人は、こちらの記事をどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2657.html

20181115_旧見付学校_056

校舎の方へ戻ってまいりました。
下の写真は見付学校の玄関。この学校の珍しいところは、
右と左とで男女別に区切られていたこと。向かって右手側は、
男子専用出入り口、左手側が女子専用出入り口。内部も中央で
仕切られ、教室はそれぞれ別に分かれていたとあります。

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 子供は男女の別なく、みな学校へ通う決まりでしたが、
はじめの頃、女子児童は少なく、各県では女子の就学率向上に
力を入れ、女子児童の数は次第に増えていきました。
 女子教室では、普通教科のほかに裁縫や家事の授業が行われ
ました。女の子には、 勉強より実用的な技術の習得を望む親
たちが多かったからです。目標の「男女同質の教育」への道は、
まだまだ遠いものでした。

-----------------(旧見付学校 説明文より)

20181115_旧見付学校_060

磐田市の『旧見付学校』、
皆さんも行かれてみては如何でしょう。


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