fc2ブログ
定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2022年05月25日 (水) | 編集 |
検索でいきなりココに辿り着いた人はその1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-4028.html

20220326_鎌倉宮_038

20220326_鎌倉宮_039

鎌倉宮にかけてあった絵馬。

20220326_鎌倉宮_040

20220326_鎌倉宮_041

20220326_鎌倉宮_042

【厄割り石】
1:「かわらけ」に息を吹きかけ自分の中にある厄をのせる。
2:「厄割り石」めがけてかわらけを投げ、厄を割る。
※割れなかったら割れるまで続けましょう。
「石をしっかり見つめて投げるのがコツ」とありました。

20220326_鎌倉宮_043

20220326_鎌倉宮_044

20220326_鎌倉宮_045

【おまけ】
最初の鳥居の側にあったみかんの木。
高田みかん」(こうだみかん)という種類だそうです。
高田みかんは、日本武尊の父「景行天皇」が九州に御征西中、
肥後八代の高田に植えられたという日本最初のみかんだそう。

20220326_鎌倉宮_046

護良親王の墓所(宮内庁管理)は鎌倉宮から近い所にあります。
私たちは時間の関係でお墓にはお参り出来ませんでしたが、
時間に余裕がある方は行かれてみては如何でしょう。


ブログに訪問ありがとう。
応援拍手をポチッと頂けると嬉しいです。
テーマ:神奈川
ジャンル:地域情報
2022年05月25日 (水) | 編集 |
検索でいきなりココに辿り着いた人はその1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-4028.html

御神苑の方へは行かずに引き返す。

20220326_鎌倉宮_020

社務所前に虎のぬいぐるみが置いてあった。
背に鞍を乗せたでっかいねこ。何これ可愛い。

20220326_鎌倉宮_021

でも見て欲しいものは虎じゃなくて、きっとこの鞍。

20220326_鎌倉宮_022

----------------------------
 この鞍は、今から332年前の元禄二年(1689)の作との
刻印があり、大正十五年(1926)に本多正憲子爵が鎌倉宮に
奉納されたものです。
 ちなみに、本多正憲子爵は、下総国舟戸藩(現千葉県柏市
舟戸)藩主・本多三弥左衛門正重の子孫です。三弥左衛門正重
は、本多佐渡守正信(徳川家康の信頼厚かった謀臣)の弟。
 あの織田信長から「海道一の勇士」と賞賛された、
槍を得意とした剛勇の武将です。
 なお、この鞍が作られた元禄二年は、あの松尾芭蕉が
「奥の細道」の旅に出た年でもあります。


---------------------(説明文より)

鞍を乗せた虎の足元に、猫ちゃんの写真がいっぱい。
…と思ったら宮司さんが猫好きだからなんですね。
同じ猫派の人には親近感がわく。

20220326_鎌倉宮_023

20220326_鎌倉宮_024

【亀若丸】
長寿を願い亀若丸さんを撫でたあと、
折り鶴をひとつ持ち帰る。鶴と亀で健康長寿に。
初穂料100円。

20220326_鎌倉宮_025

20220326_鎌倉宮_026

20220326_鎌倉宮_027

寄り道ばかりしてしまいましたが、お参りしましょう。

20220326_鎌倉宮_028

20220326_鎌倉宮_029

鎌倉宮 
https://www.kamakuraguu.jp/
御祭神/護良親王
----------------------------
 鎌倉宮の御祭神である大塔宮・護良親王は、幼少より英明・
勇猛な御方でした。 比叡山延暦寺の天台座主となられた親王は、
父帝・後醍醐天皇が目指された理想の為に御自ら奮闘・活躍
され、遂に鎌倉幕府打倒を果たされて平和な世を実現、
征夷大将軍・兵部卿に任ぜられました。 
 しかし、足利尊氏の陰謀によって鎌倉二階堂に幽閉の御身
となり、建武2年(1335)旧暦7月23日、御年28歳にて
苦闘のご生涯を閉じらたのです。
 明治天皇は、親王への追慕の念が真に篤く、明治2年
(1869)勅旨を以て一社をご創建され御自ら社号を鎌倉宮と
定められ、永く親王の御霊を祀られました。
 そして同6年(1873)には明治天皇の行幸を仰ぎ、
官幣中社に列格されたのです。

----------------(鎌倉宮 公式サイトより)

拝殿奥には御本殿。

20220326_鎌倉宮_030

その隣には「村上社」

20220326_鎌倉宮_031

20220326_鎌倉宮_032

護良親王の忠臣、村上彦四郎義光公の像。
ここでは「身代わり様」と呼ばれているようだ。
自分の治したい所、よくして欲しい箇所を撫でたあと、
絵馬に願いを書いてお参りをします。

20220326_鎌倉宮_033

20220326_鎌倉宮_034

20220326_鎌倉宮_035

----------------------------
撫で身代りの由来 
 村上義光公は護良親王の忠臣にして元弘三年(1333)正月
吉野城落城の折、最早これまでと覚悟を決めた護良親王は、
別れの宴をされました。
 そこへ村上義光公が鎧に16本もの矢を突き立てた凄まじい
姿で駆けつけ、親王の錦の御鎧直垂をお脱ぎいただき、
自分が着用して「われこそは、大塔宮護良親王ぞ、
汝ら腹を切る時の手本とせよ」と告げて腹を一文字に掻き切り、
壮絶な最期をとげ、その間に親王は、南に向かって落ちのび
ました。
 このように身代わりとなられた村上義光公を境内の
樹齢103年の欅の大木にて彫り上げ「撫で身代り」として入魂
致しました。


------------------(鎌倉宮 案内板より)

【宮さまの盾】
大事にしたい縁、守ってもらいたいことを盾に書いて奉納。
大事な縁を守っていただけるそうです。

20220326_鎌倉宮_036

20220326_鎌倉宮_037

★その3に続く。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-4031.html


ブログに訪問ありがとう。
応援拍手をポチッと頂けると励みになります。
テーマ:神奈川
ジャンル:地域情報
2022年05月24日 (火) | 編集 |
2022.3.26 参拝 
「鎌倉宮」にやって参りました。
この日はほんのちょっとお天気が悪かったかも。
写真が暗っぽいのはそのせいです。

20220326_鎌倉宮_002

20220326_鎌倉宮_001

鎌倉宮は護良親王を御祭神とする神社です。
護良親王は、後醍醐天皇の鎌倉幕府討幕の動きに呼応し
幕府軍と戦いました。幕府が滅亡し天皇親政が復活すると
征夷大将軍に任じられましたが、その後足利尊氏と対立。
捕えられ、28歳の若さで非業の最後を遂げました。

20220326_鎌倉宮_003

20220326_鎌倉宮_004

疫病退散の幟。

20220326_鎌倉宮_005

20220326_鎌倉宮_006

時期は過ぎてしまいましたが「懐良親王お手植えの梅」。
征西大将軍懐良親王は、征夷大将軍護良親王の弟宮にあたる。
この梅は九州八代から移植されたものらしい。

20220326_鎌倉宮_007

----------------------------
「将軍梅」は、懐良親王が「日本三代合戦」の一つと云われる、
「筑後川の戦い(大保原の戦い、正平14年・1359)」に
勝利された際、両軍の犠牲者への手向けとしてお手植えされた
もので、親王の勇ましくもお優しい、御心が偲ばれます。
明治時代、懐良親王を祀る八代宮が熊本・八代に創建された際、
その境内に移植され、やはり明治の聖代に、八代宮より鎌倉宮
にも「将軍梅」が奉納、移植されたと伝わります。


-----------------(説明文より一部抜粋)

【獅子頭守】
「御祭神護良親王が出陣の際に、ご自分の兜の中に入れた」
という由緒があるもの。神社の授与品ですが、
木に沢山ぶら下がっていました。

20220326_鎌倉宮_008

20220326_鎌倉宮_009

手水舎。
ここにも獅子頭守がいっぱい。

20220326_鎌倉宮_010

20220326_鎌倉宮_011

20220326_鎌倉宮_012

コロナ対策で水が張られていないのでアルコールで。
こういう時代いい加減早く終わりにしてほしい。
普通に清めたい。なんか違うんだよ、こうじゃないんだよ。

20220326_鎌倉宮_013

ウクライナ募金やってました。一口500円。
協力のお礼として、ウクライナの国旗の色に奉製された
「丈長(巫女の髪を結わくもの)」が頂けるとか。

20220326_鎌倉宮_014

20220326_鎌倉宮_015

社務所の方へ…

20220326_鎌倉宮_016

20220326_鎌倉宮_017

社務所向かって左手側に進むと宝物殿・御神苑。
ここより先は有料拝観となります。護良親王が幽閉されていた
土牢もこの奥にありますので時間があるかたは是非。
(行っておけばよかった…)

20220326_鎌倉宮_018

20220326_鎌倉宮_019

★その2に続く。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-4030.html


ブログに訪問ありがとう。
応援拍手をポチッと頂けると励みになります。
テーマ:神奈川
ジャンル:地域情報
2022年04月04日 (月) | 編集 |
いきなり検索でココに辿り着いた人は、その1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3976.html

おまけ的な感じで、絵馬の写真を。
ずっと掛けられていると思しき年季の入っているものが沢山。
掛けてあった所が少し暗かったので鮮明さがなくてすいません。

20211222_京都御苑_厳島神社_013

20211222_京都御苑_厳島神社_014

20211222_京都御苑_厳島神社_015

20211222_京都御苑_厳島神社_016

20211222_京都御苑_厳島神社_017

20211222_京都御苑_厳島神社_018

20211222_京都御苑_厳島神社_019

20211222_京都御苑_厳島神社_020

20211222_京都御苑_厳島神社_021

20211222_京都御苑_厳島神社_022

20211222_京都御苑_厳島神社_023

それにしても京都御苑は大きい。

20211222_京都御苑_厳島神社_024

----------------------------
 京都御苑のあらまし 
京都市内の中心にあって、深い緑に包まれた京都御苑は、
東西約700m、南北約1,300mのほぼ長方形をしており、
このうち御所などを除いた65haが「国民公園」として
終日解放されています。苑内には約5万本の樹木が生育し、
外周九門や、かつての公家屋敷の遺構も多く残っています。
豊かな自然と歴史に恵まれた京都御苑は、御所の前庭として、
また、散策、休養、スポーツ、そして自然や歴史との
ふれあいの場として多くの人々に親しまれています。

-----------------(京都御苑 案内板より)

20211222_京都御苑_厳島神社_025

----------------------------
 京都御苑の歴史 
京都御苑が現在のような公園として整備されたのは明治以降
のことで、それまでは左図のように約200軒の公家屋敷が
建ち並ぶ公家町を形成していました。明治2年(1869)の
東京遷都に伴って御所周辺は荒廃し、明治10年(1877)、
京都に還幸された天皇は、この状況を悼み、整備の御沙汰を
下されました。
これを受けて「大内保存事業」が進められ、皇居苑地として
整備されたのが現在の京都御苑に始まりです。

-----------------(京都御苑 案内板より)

京都仙道御所の外塀。

20211222_京都御苑_厳島神社_026

紫宸殿の外塀と建礼門。

20211222_京都御苑_厳島神社_027

20211222_京都御苑_厳島神社_028

…の側に「清水谷家の椋」。

20211222_京都御苑_厳島神社_029

20211222_京都御苑_厳島神社_030

----------------------------
清水谷家の椋 
 この大きなムクの木は、このあたりが清水谷家という公家の
屋敷であったことから「清水谷家の椋」と呼ばれています。
樹齢は約三百年といわれ、苑内でも数少ないムクの大木です。
1864(元治元)年の禁門の変の時、長州藩士で遊撃隊
(長州尊王攘夷激派の一つ)の総督だった来島又兵衛がこの木
の付近で討死したとも伝えられています。


-----------------(京都御苑 案内板より)

建礼門の辺りから厳島神社の場所まで一見近く見えるが、
いざ歩くと時間がかかる。いやもう広い。ただただ広い。
それだけでも京都御苑スゲーってなりました。
今回は厳島神社にのみ訪れましたが、御苑内を全てくまなく
散策するとしたらえらく時間がかかりそうです。

★おまけ:京都御苑内のマンホール蓋。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3980.html


ブログに訪問ありがとう。
応援拍手をポチッといただけると嬉しいです。
2022年03月31日 (木) | 編集 |
2021.12.22 参拝
京都御苑にやって参りました。
…が、目的はここではなくて御苑内にある厳島神社。

20211222_京都御苑_厳島神社_001

20211222_京都御苑_厳島神社_002

下の写真は「建例門」のあたり。
広くて塀の外側をずっと歩いて行くにも一苦労です。

20211222_京都御苑_厳島神社_003

門に向かって左手側。

20211222_京都御苑_厳島神社_004

門に向かって右手側。

20211222_京都御苑_厳島神社_005

少し離れた場所から。ちなみに時間は16:00頃。

20211222_京都御苑_厳島神社_006

到着しました。京都御苑の厳島神社は平清盛が母祇園女御の為
厳島神社の神を祀ったのが始まりだそう。

20211222_京都御苑_厳島神社_007

20211222_京都御苑_厳島神社_008

厳島神社(京都御苑)
https://sugawarain.jp/about/concurrent/
御祭神:祇園女御・市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命
----------------------------
一.当社は往昔平相國清盛公安藝の國佐伯郡に坐す嚴島大神を
崇敬の余り攝津の國莵原郡兵庫築島 (神戸市兵庫区永沢町)
に一社を設けて、この大神を勧請し給い鎮祭されたのであり
後故あって側らに清盛公の母儀祇園女御をも合祀されました。
後世 年を経て、この九條家邸内 拾翠池の嶋中に移転、
遷座されたものであります(濫觴年代等は天明八年、
京都大火の砌。旧地悉く焼亡して詳でありません)
この地旧公爵九條家の邸内に属せしにより自ら同家の鎮守と
なりました。又古くより家業繁栄家内安全の守護神として
一般の人々よりも深く崇敬されているところであります。

一. 神前の鳥居(重要美術品)は破風形の鳥居として有名
であり詳細は本殿横の由来書を御覧ください。

---------------(厳島神社 境内案内板より)

これも「京都の三珍鳥居」と呼ばれるもののひとつだそう。

20211222_京都御苑_厳島神社_009

20211222_京都御苑_厳島神社_010

----------------------------
 社前の鳥居(重要美術品)は、平清盛公兵庫厳島の同神社に
建てられたもので第104代後柏原天皇の御代永正の足利家の
管領細川武蔵守高國、有名なる京都の彫刻師後藤氏の邸を掠奪
して住居として居たが、大永元年3月(1521年)足利12代将軍
義晴公 播磨國より上洛して暫くこの邸に在留際取り寄せて庭前
に建て置かれしところ、足利市滅亡の後、徳川家康公 後藤氏に
所領を下賜の沙汰あり、望に任せて後藤氏を右邸に復住せしめ
たるが、慶長9年徳川家康公此邸に立ち寄らせ給ひし折り
御覧あり 該鳥居の古稚なる形を深く愛玩し給ひし事ありてより、
以来 京都所司代の交代後とに必ず巡見すべき物件となり。
明和8年3月(1771年)後藤法橋玄家の代に内大臣九絛道前公
(芳盛光院殿)鎮守の厳島神社由来有るにより當時所司代、
阿部飛騨守正元(武蔵國鷹忍城主)を以て幕府に懇望し給い
當神社に復帰す。之は最も世に類例なき姿にして、
即ち破風形の鳥居を口し 昭和13年6月文部省より重要美術品
に指定される。


---------------(厳島神社 境内案内板より)

20211222_京都御苑_厳島神社_011

20211222_京都御苑_厳島神社_012

★その2に続く。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3979.html


ブログに訪問ありがとう。
応援拍手をポチッと頂けると嬉しいです。