定食屋さんに訪れるような感覚で見てもらえたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々。ヲタクなネタから神社めぐりまでw
2017年07月11日 (火) | 編集 |
2016.8.15 参拝 
お堂の紹介をする前に、この辺りに伝えられている物語をひとつ。
昔ばなしってのは面白いですね。

20160815_dainichidou_001.jpg

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七人立ちの大蛇 
 亀久保片吹に「霊是」という所があり、昔は人も寄せつけない
原生林で、行方不明になった人が何人もあったと言われています。
 いつの時代かははっきりしませんが、片吹地区で炭焼きで生計を
たてていた男が、ある日一日休み芋掘りに出かけて道に迷い、
夜更けに大人が七人立てるぐらいの広さのある「七人立ち」の岩
までたどり着きました。
 ここまで来れば帰り道は分かると安心した男はぐっすり
眠り込んでしまいました。夜の寒さに目を覚ました時、村の年寄り
から聞いた七人立ちに住む大蛇のことや山犬のことを思い出して、
震え上がりました。
 怖々振り向くとそこにある洞穴の中に青白く光る二つの玉を
見つけました。恐ろしさのあまり、手に触れた竹竿で光の一つを
めがけて突き出しました。
 すると「ギャッ」と苦しそうな声を残して、二つの光は消えて
しまったそうです。

-------------------(大日堂 境内案内版より)

……と、案内板に書かれてあるのはここまで。
光る玉はきっと大蛇の眼だったんだな。

というか、眠っていた若者をどうして大蛇は食わなかったの?
若者が大蛇の目を突いたあとはどうなったの?
もしかしたらこの物語のあとには続きがあるんじゃないの?
と、気になって調べてみたところ、やはり続きがあったのです。

-------------------------------
http://www.chuen.net/mukashi/mukashi_090.html
 やれやれと思った途端、今度は下の方から犬の遠ぼえのような、
薄気味悪い声が聞こえてきました。山犬の群れです。近くにある竹竿
では、どうすることもできません。噛み殺されると思うと、身も心も
縮みます。その時ふと、獣が火を嫌うという事を思い出しました。
男はいそいで焚き火を始めました。山犬の声は遠のきましたが、
危険が去ったわけではありません。火が消えれば襲ってきます。
集めたものを少しずつくべて火を灯しながら夜明けを待ちました。

 夜を明かした男は、急いで家まで逃げ帰りました。
そして村の人たちに、昨日からのことを話しました。すると、
長老の一人がこんなことを話してくれました。
「大変な事をしてくれたな。七人立ちの洞穴には大蛇が住んでいるが、
その大蛇は、今まで一度も人に害を加えたことはない。
それどころか、お前が眠っている間山犬に襲われなかったのは、
大蛇が守っていてくれたからだろう。お前が竹竿で突いたのは、
大蛇の目だったに違いない。祟りが無ければよいが……
七人立ちへ行って、傷ついた大蛇を祭ってやりなさい」と。

 その後、男が大蛇を祭ったという話も、
また大蛇がどうなったかという話も聞いた人はありませんでした。

-------(中遠広域事務組合 中遠の昔ばなしのページより)

さて、境内を案内していきましょう。
下の写真は『山の神様』。陰石が祀られていました。
女性がお参りすると嫉妬されるみたいなので私はここはスルー。

20160815_dainichidou_002.jpg

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 周りを深い山々に囲まれた片吹は、三倉とともに木材の一大産業
として知られ、シイタケの栽培や炭焼きなど山と大きな関わりを
もって生活してきました。村では日々の山仕事が安全に行われるよう
祠を築き「山の神様」を祀ってきました。
 シイタケを栽培する家では2月7日、山仕事をする家では11月7日を
「山講」といって、ぼた餅と祈り掛け(女竹を竹筒にして酒を入れ、
杉の葉で蓋をしたの物)を祠の両脇にお供えして安全に祈願をします。
 この度、地元の総意で新しく御神体が奉祀されました。山の神様は
女性といわれています。男の神様「大丸様」と合わせてご参拝
いただくと、諸々のお願いが叶うものと思います。
なお、山の神様はやきもちをやくことがありますので、女性は石段の
下でお参り願います。

-------------------(大日堂 境内案内版より)

続いて『八幡様』

20160815_dainichidou_003.jpg

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 片吹地区には、古くから八幡様をはじめ数々の神様が祀られて
いました。ダム事業に伴い湖に沈んでしまう町の神仏などを、
平成十四年この地に移設しました。

-------------------(大日堂 境内案内版より)

この石は『力石』

20160815_dainichidou_004.jpg

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 若い衆が持ち上げて、堂の回りを一周すると一人前といわれた
丸石で、一人前の日傭(賃金)を貰えるようになる錬金石であった。
 滑りやすく16貫(60kg)はあるから18歳位にならないと
持ち上げられなかったという。

-------------------(大日堂 境内案内版より)

いよいよ主なお堂である『大日堂』ですよ。
この地域では「大まる様」と言われ親しまれています。
御神体はなんと陰茎石!男性のシンボルっス。

20160815_dainichidou_005.jpg

大日堂(大まる様)
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 この建物は、特定の宗旨に属さない御堂建築です。
通称として親しまれている「大まる様」は「おおまら様」に通じ、
その名が示すように懐妊及び安産祈願を目的とする大衆の陰陽信仰に
伴って維持されてきた建物です。
 室内には、1708年(宝永五年)の年紀を有する棟札と1797年
(寛政九年)の棟札があり、建物の各部材の細部の意匠から現在の
建物は、寛政九年のものと考えられます。この時の大工は薄場村
(うすんばむら)に住む伊三郎ですが、大工の傍らに「片吹惣村中」
とあるので、村民あげての労働力提供があったことが推測され、
このことからも、信仰の広さが窺われます。
この建物は、片吹地区にあったものを、太田川ダム建設に伴い、
現在地に移築されたものです。

-------------------(大日堂 境内案内版より)

お堂の中。
手前に木製のがありますが、御神体はこれじゃなくて、
恐らくこの奥にあるのではないかと。

20160815_dainichidou_006.jpg

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 お堂は入母屋造りの二間四方の建物で、
奥の須弥壇に大まる様(陽茎石)とお地蔵様が安置されている。
 大まる様と呼ばれている石棒は長さおよそ94cm、太さ12cmの
陽石。地蔵は像高42cm、幅27.5cmで、これらは元々菰張山にあった
ものを移転したものらしい。ここの信仰は多様で、
さまざまな物が奉納されていたという。
 子供の成長、丈夫な歯、足、手、耳・目や皮膚病の平癒を祈り、
人形、クロモンジの爪楊枝、ワラジ、手袋、穴明き石や松かさが奉納
された。また、母乳が豊かであるように椀や、子供や親の病気平癒の
ために女性の大事な髪の毛を奉納していたなど様々な祈願がされて
いたらしい。
(一説には、大まる様は男の神様なので、願い事をする時に女性の
大事なところをちょっと見せてお願いすると、願いが成就する
との言い伝えもある)

-------------------(大日堂 境内案内版より)

……大まる様、面白すぎw
大事なところをチラッと見せると願いが成就とかwww

女性:「ねぇ大まる様ぁ〜、私の願い叶えてくれるぅ?(チラチラ」
大まる様:「うほほぉ〜♪ 良いぞ、わかったぞ、叶えてやろう」
女性:「大まる様ぁ〜、私、お金持ちになりたいのぉ〜(チラチラ」
大まる様:「良いぞ良いぞ、叶えてやってもよいぞ ( ^ω^ )」

大まる様は女好きらしいので、大事な部分を見せなくても
若い女性がお参りに来ただけで喜ぶのだそうです。

(=゚ω゚) 「若い女性だってさー」
SERUNA:「私みたいな中年女じゃダメだろうかw」
(=゚ω゚) 「お色気作戦も、中年女のは神様も見たくないだろう」
SERUNA:「そこ強調しないでw」

続いて『石仏』(馬頭観音と地蔵)。

20160815_dainichidou_007.jpg

-------------------------------
 片吹に最初に住み、村を開いた人の墓という。
馬頭観音は馬などの息災を祈って建てられたもの考えられる。

-------------------(大日堂 境内案内版より)

皆さんもお参りされてみてはいかがでしょう。
特に女性の皆さん!神様へのお色気作戦は、
太ももだけでも喜ぶかも知れないぞw


おまけ
陰陽信仰にまつわる過去ログを置いておいきます。
下ネタ満載ですが興味がある人はどうぞw
・田縣神社
(1)http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-625.html
(2)http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-626.html
・大縣神社
(1)http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-627.html
(2)http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-628.html


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2017年07月08日 (土) | 編集 |
2016.8.5 探訪 
井川にある白い大仏。大きさはさほど大きくはない。
小学生の頃の自然教室では大仏が見学コースに組み込まれていた。
ココへは思い出を辿って来ただけなので、懐かしくはあるが、
あまり感動はなかった。

20160805_ikawadaibutsu_001.jpg

石段を上がっていくと…

20160805_ikawadaibutsu_002.jpg

子供の頃はもう少し大きく見えたような気がしたんだけど、
大人になってから見るとそうでもない。…うん、そんなもんだよね。

20160805_ikawadaibutsu_003.jpg

-------------------------------
 井川診療所の歯科医であった佐藤平一郎氏が、
60年間の健康に感謝をこめ4年の歳月をかけて建立した大仏です。
高さ11m、昭和55年11月1日に開眼しました。
毎年4月と10月に例祭を開催。


---------------(しずおか観光情報のサイトより)

20160805_ikawadaibutsu_004.jpg

大仏さんの側には『毘沙門天』の像もありましたよ。
皆さんご存知、毘沙門天は福の神として七福神に数えられており、
また四天王として仏教では守護神とされています。

20160805_ikawadaibutsu_005.jpg

新しいといえば新しく、特に歴史があるという訳ではありませんが、
井川には大仏さんがいるよという事で…

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井川大仏
https://www.visit-shizuoka.com/spots/detail.php?kanko=473
住所:静岡市葵区井川

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2016年12月02日 (金) | 編集 |
検索でいきなりこの記事に辿り着いて、
まだその1を読んでいない人はこちらからご覧ください。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-1464.html

『茶亭跡』

20151013_kyuuenji_007.jpg

下の写真右手側が、茶亭があった場所のようです。

20151013_kyuuenji_008.jpg

-------------------------------
 慶長五年(1600)掛川城主山内一豊は、境内に茶亭を設けて、
大阪から会津の上杉景勝攻めに向かう徳川家康をもてなした。
 関ヶ原の合戦の後、山内一豊は功績を認められ、土佐二十万石に
栄転した。


-------------------(久延寺 境内案内板より)

『徳川家康公御手植五葉松』

20151013_kyuuenji_009.jpg

二代目の松があるはずですが…なんだかよくわからなかった。

20151013_kyuuenji_010.jpg

久延寺を訪れた印象としては、人がいる気配が全くしなくて、
申し訳ないけれど綺麗な状態を保っているようには見えなかった。
お庭もちょっと荒れかけているような感じで…
(写真はなるべく綺麗に写るように努力したんですがw)
歴史あるお寺のようですが、この状態は勿体無いッスね。

……さて、お寺の外に出ました。
寺の前の少し広くなった場所に『接待茶屋跡』があります。

20151013_kyuuenji_011.jpg

-------------------------------
 鎌倉時代・永仁年間(1300年頃)から旅人の求めに応じて茶等を
接待し、旅人の憩いの場となっていたといわれる。
芭蕉の「馬にねて残夢月遠し茶のけむり」の句もこの辺りで詠まれた
ものであろう。


------------------------(案内板より)

『東海便覧図略』

20151013_kyuuenji_012.jpg

-------------------------------
 天明六年(1786)に尾張藩士高力種信が東海道の風物を描いた
ものの一枚である。久延寺とその西に並ぶ飴屋などが描かれていて、
当時の風景を知ることができる


---------------(久延寺 境内案内板より一部抜粋)

東海便覧図略と同じ方向にカメラを向けるとこんな感じ。
写真右手側に接待茶屋跡。奥に向かって左の方向に道が続きます。

20151013_kyuuenji_013.jpg

寺の隣には『扇屋』という飴屋さんがあります。小泉屋と同じ子育飴
が作られていますが、宝永年間創業扇屋の子育飴が元祖のようです。
(砂糖を使わず、昔からの製法で大麦ともち米のみで作られている)

20151013_ougiya_001.jpg

20151013_ougiya_002.jpg



土日祝日のみ営業しているようです。

20151013_ougiya_003.jpg


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2016年12月02日 (金) | 編集 |
2015.10.13 探訪 
記事は去年訪れた時のものです。
夜泣石についての記事を読んでいない人はこちらからどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-1460.html

20151013_kyuuenji_001.jpg

20151013_kyuuenji_002.jpg

日坂から安全なルートを辿って久延寺へ。広重の東海道五十三次の絵
に描かれた、石が元々あった場所も見たかったですが今回はスルー。
ま、焦らなくてもいつでも行けるさ。

さて、お寺に到着しましたよ。

20151013_kyuuenji_003.jpg

久延寺
http://www.kakegawa-kankou.com/kanko/guide/facility_detail.php?_mfi=56
-------------------------------
 久延寺は、真言宗の寺院で山号は佐夜中山。
本尊は聖観音で、「昔、住職が山賊に殺された妊婦の子を育て、
子は成長して親の仇を討つことができた。これはひとえに本尊の加護
によるものである。」という夜泣石の伝説に因み、
子育て観音と称される。
 慶長五年(1600)、掛川城主山内一豊は、境内に茶亭を設けて、
大阪から会津の上杉景勝攻めに向かう徳川家康をもてなした。

-----------------(久延寺 案内板より一部抜粋)

20151013_kyuuenji_004.jpg

20151013_kyuuenji_005.jpg

んで、実はこの久延寺にも夜泣石があるのだが、
この寺の境内にあるのは「夜泣石と同型の供養塔」であって、
夜泣石本体ではありません(本物の夜泣石は以前紹介した物です)。

20151013_kyuuenji_006.jpg

【夜泣石が二つある理由について】
本物の夜泣石は、東海道の道の真ん中にあった→
明治天皇が東京に巡行のため、夜泣石は沓掛の茶店前に移される→
久延寺へ移される→浅草の「東京博覧会」で見世物として出品→
博覧会終了後焼津港へ→中山街道まで運ぶも峠の道が急すぎて運べず
石はそのまま峠の小泉屋に置かれることとなる→久延寺、仕方がない
ので同型の石を「久延寺夜泣石」として境内に置く。

YouTubeから拝借。


ちなみに昭和十一年に東京銀座の松坂屋で開催された、
『静岡物産展』でも本物の夜泣石の方が展示されたそうですが、
この時に計測された石の重さが、三百貫(1125kg)だと記録されて
いるそうです。そりゃ当時の運搬技術ではあの峠を越えるのは
無理があったことでしょうね。

【もうひとつの夜泣石伝説】
-------------------------------
 その昔、小夜の中山に住むお石という女が、菊川の里へ働きに
行っての帰り中山の丸石の松の根元でお腹が痛くなり、
苦しんでいる所へ、轟業右衛門と云う者が通りかかり介抱していたが、
お石が金を持っていることを知り殺して金を奪い逃げ去った。
 その時お石は懐妊していたので傷口より子どもが生まれ、
お石の御魂がそばにあった丸石にのりうつり、夜毎に泣いた。
里人はおそれ、誰と言うとはなく、その石を「夜泣石」と言った。
 傷口から生まれた子どもは音八と名付けられ、久延寺の和尚に飴で
育てられ立派な若者となり大和の国の刃研師の弟子となった。
 そこへ轟業右衛門は刃研にきたおり刃こぼれがあるので
聞いたところ、「去る十数年前小夜の中山の丸石の付近で妊婦を切り
捨てた時に石にあたったのだ」と言ったので、母の仇とわかり
名乗りをあげ、恨みをはらしたということである。
 その後弘法大師がこの話を聞き、お石に同情し石に仏号をきざみ、
立ち去ったと言う。

 文化元年滝沢馬琴の「石言遺響」より

-------------------(久延寺 境内案内板より)

……許す話より、こっちのお話の方がスッキリするんだよなぁ。
やっぱ悪いヤツは討たれるべきだと思うの。(´・ω・ )


★その2に続く!
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-1465.html


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