小川地蔵尊「時宗 寶城山 海蔵寺」にやって参りました。
焼津のイベントに「小川地蔵尊御縁日御開帳」とあったので、
気になってお出掛け。そういえば焼津に住んでいるのに
海蔵寺へは生まれてから一度も足を運んだ事が無いや
…という事も含め行ってみたくなったので。

寺の中に幼稚園があるけれど全国的にこれは珍しいケースでは
ないです(気になる人は「お寺と幼稚園 寺子屋」で検索)。
昼に来た時、縁日の屋台はまだ準備中でした。
前は500円くらいだったお好み焼きやたこ焼きが600円。
らくがきせんべいが400円。どれも100円ほど値上がってる?
焼きそばは正直、スーパーで買った方が安いんじゃね?
と思ってしまうくらいの価格とサイズ感で買う気が起きず。
チョコバナナは300円とまだ良心的な価格だったけど…
(じゃがバタも500円なら普通かな)



お堂はこんな感じ。

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小川地蔵尊 時宗 寶城山 海蔵寺
https://www.kaizouji.com/
本尊:延命地蔵菩薩
草創:平安時代 天台宗 安養寺
改宗開創:嘉元三年(1305年)
開山:一遍智真上人(1239年~1289年)
円照大師 正応二年(1289年)8月23日示寂
開基:真教上人他阿弥陀仏(1237年~1319年)
元応元年1月27日示
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元天台宗寶城山安養寺と称し、
後白河院の勅願所であったと伝える。
創立は嘉元三年(1305年)春、時宗二祖真教上人が念仏を
広めるため諸国を巡行し当地へ来た折、時の住僧勧海律師は
上人の徳を慕い徒弟となり、天台宗を改め時宗とした。
本尊は延命地蔵尊。
明応九年(1500年)漁師が城之腰沖で地蔵尊をすくいあげ、
当寺へ還した。当寺に寄せられた、海と地蔵の奇縁により
安養寺から海蔵寺へと改称されたという。
当寺は徳川家(旧紀州家)、西尾家(旧遠州横須賀城主)、
本多家(旧田中城主)などの帰依が厚く、その宝物が残る。
小泉八雲の作品「漂流」の主人公、天野甚助が安政六年
(1859年)勢州沖(現在の三重県)で難船、舟の板子に
命を托して助かり、記念のために奉納した板が残る。
※海蔵寺公式サイトより。
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【小川のお地蔵さん】
今から500年ほど前、室町時代のお話です。
小川に安養寺というお寺がありました。
明応九年(1500年)、夏のことです。
城之腰村の漁師、吉平さんが網を引きあげようとすると、
1メートルほどもある木のお地蔵さんが網にかかっていました。
びっくりした吉平さんは、急いで引きあげると、
小さな仮のお堂を建てて、お地蔵さんをおまつりしました。
しばらくして村人の夢の中にお地蔵さんがあらわれて、
「私と縁がある安養寺に移してくれたなら、
おまえたちを守ってやろう、願い事も叶えてやろう」
と言いました。
村人たちはこれを聞き、そのお地蔵さんを安養寺に運びました。
その後安養寺は、海からあがったお地蔵さんをおまつりして
いるので、海蔵寺と呼ばれるようになったのです。
この地方は、その昔、大雨のたびに大井川が氾濫し、
田畑は大変な被害を受けていました。
そこでお地蔵さんに、なんとか大井川の氾濫を止めてほしい
とお願いしました。
その為、このお地蔵さんは川除地蔵尊とも呼ばれています。
※海蔵寺公式サイトより。
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境内にあった記念碑。
左)日清役従軍記念碑
右)日露戦役従軍記念碑

下の写真は、お寺にはよくある普通の六地蔵。

続いて夜に撮った写真。
提灯の灯りも相まって綺麗です。

7:30頃に花火があがったけどほんの数発だけだったので
花火の写真は撮っていません。
【おまけ】
夕刻にやった餅まきの戦利品。
キャラメルコーン×1、じゃが塩バター×2、うまい棒×2、
紅餅×3、白餅×3。一人でこれだけなら大した物だと思う。
たまたまだけど紅白餅は綺麗に3個づつ。
どうでもいい話だがうまい棒ってちっちゃくなったよね。

必勝法として空中でキャッチするのは確実ではないので、
地面に落ちた瞬間を狙ってガバッと頂く方が沢山取り易い。
ビニールを広げてキャッチしようとする人たちもいるけれど
その方法もあまり確実ではないのでオススメはしない。
とにかく落ちた瞬間を狙い、落ちた物を取れ。
袋を使うなら手に入れた物を詰めるだけにしておこう。
(=゚ω゚)「あなた含めて餓鬼の群れのようだったよ」
SERUNA:「餅まきの時は、まぁみんなそうなるよな」
人間の欲望って怖いね。
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焼津市東小川にある「光心寺」にやって参りました。
本日の記事は小泉八雲所縁の波除け地蔵についての紹介を
メインとしているのでお寺の由緒については省略します。

お地蔵様は寺の境内に入ってすぐ左手側。
お顔の形がどうなっているのかじっくり見てみましたが
何度拝見しても何が何だか全然わかりません。

なぜ八雲地蔵と言われているのか私の言葉で説明すると…
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【小泉八雲ゆかりの波除け地蔵尊】
ある日八雲が長男の一雄・書生の玉木・乙吉とで焼津の堤防を
散歩していたところ、首が取れて代わりに石を乗せてある地蔵
を発見する。この姿ではあまりにも無惨で可哀想だと思い、
「乙吉の家の向かいに住む“鈴木善助”という少年をモデルに
首の取れたお地蔵様に頭を付け、自分の長男の名前を寄贈者
として彫って欲しい」と石屋に依頼。セツ夫人に手紙を送るが
「日本では亡くなった子供の為に地蔵を造る風習があるから
縁起が悪い」と反対されて、その計画を取りやめた。
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…といった感じ。
下の写真は光心寺案内板より。
夫人に宛てた手紙に八雲が描いたお地蔵様の絵。

このお地蔵様はその後首をセメントで繋ぎ波除け地蔵として
人々に守られてきましたが、昭和41年(1966)に地元の人の
浄財によりこちらに移されたそう。
元の場所には小堂宇が設けられ、初代のお地蔵様の身代わりに
新しいお地蔵様がつくられお祀りされています。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-4323.html
(↑元々鎮座していた所は過去ログを参照下さい)
【光心寺の竜舌蘭】
波除け地蔵尊のすぐ側に竜舌蘭が植えられていますが、
こちらも小泉八雲ゆかりの植物です(※わかりづらいけれど
下の写真右上に竜舌蘭。左上に波除け地蔵尊)。

竜舌蘭という植物がこちら。
花は数十年に一度しか咲かないそうで、ここにある竜舌蘭は
何年か前に開花したとのこと。…なので次はまた咲くのは
そのまた数十年後ですので私は見れないですね。(´・ω・`)

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波打際に強烈な日光にギラギラ光りながら波に揉まれている物
がありました。長さ約三尺、幅四,五寸くらい、先の尖った植物
らしい物でした。私はそれを取って丘へ引き摺り上げましたが、
最初それを掴んだ時チクリと指を刺されました。
「乙吉さん!これ何だろう?水母みたいに刺すよ!」
といって浜砂利の上へ投げ出しました。よく見ると葉の両端に
沿って無数に棘が生えていました。最も遅れて上ってきた父は
これを一目見ると「オー、熱帯植物です。どうしてここに
流れて参りましたでしょう。私、西印度懐います」と申して、
さも懐かしそうでした。乙吉さんは「これは新屋(町名)の海
の手前共の檀那寺から流れて来たんでしょうヨ。……」
これは、小泉八雲の長男一雄氏が記した『父「八雲」を憶う』
の一節です。ここに出てくる植物は竜舌蘭で、檀那寺は光心寺
のことです。昭和十年に光心寺はこの地に移りましたが、
竜舌蘭も移植され、現在も繁殖しています。
----------------(光心寺案内板より抜粋)
光心寺跡地(現在は護信寺・弁天宮)についてはこちら。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-4321.html
【おまけ】
光心寺の文化財「麒麟の笙」について。

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焼津市城之腰にある「光明山 常照寺」。
浜通りの小さなお寺です。


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鎌倉時代に法然上人の開かれた浄土宗に属し、天正十年
(1582年)に大蓮社照譽上人常元和尚がこの地に起立す。
本尊 一光九品阿弥陀如来
魚籃観音
文久年間(1861年〜1863年)に上連という漁師が
焼津の浜で網をあげると、魚に混じって全身塗金された
一寸八分の観音様が入っていました。上連は焼津の浜を守る
観音様がだと思い、菩提寺の常照寺に奉納しました。
かさもりさん(瘡守稲荷)
五穀豊穣、皮膚病除けとしていつの頃からか祀られるよう
になりました。特に吹き出物に霊験があると言われ、笠守と
書き松笠を数珠のようにつないで献ずる信仰がありました。
----------------(常照寺 境内案内板より)
焼津市のサイト内に魚籃観音のお話が書いてあったので
リンクしておきますね(↓)。
https://www.city.yaizu.lg.jp/rekimin/bunkazai/mukasibanasi/folktale_14.html
【お地蔵様】
土台に書いてあった文字がこちら。
仏教はよくわかりませんが向かって左から右に…
「地獄無限代受苦」「餓鬼飢渇皆飽満」
「畜生披毛速解脱」「修羅調伏我慢幢」
「人間済度生死海」「天上遠離五衰難」

【「びんずるさん」と「笠守」】

「びんずる」とはお釈迦様のお弟子さんで十六羅漢の筆頭。
漢字で書くと「賓頭盧(びんずる)」。調べてみるとお寺では
撫でた部分の病を治す像としてお堂前に鎮座していることが
よくあるようです。

「笠守」。
由緒に書かれる通り五穀豊穣、皮膚病除けの瘡守稲荷。
神社で言うところの石切神社みたいなものでしょうか?
吹き出物を治してくれるそうですよ。

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焼津の浜通りにある「護信寺・弁天宮(光心寺跡)」。
漁業関係者より篤く信仰されるお寺です。

護信寺・弁天宮(光心寺跡)
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護信寺は浄土宗のお寺です。
昭和10年に市内小川に移転した光心寺の跡地です。
約三百年前、元禄元年間に海上安全・豊漁満足、災害除難を
祈願して木彫りの座像・弁財天が合祀されました。
危険と隣り合わせの漁師とその妻、家族たちが折に触れて
参拝し安全を祈願しました。
浜通りでは「北の弁天さん」「南の青峯さん」が漁師の信仰
の中心的象徴でした。例祭日は十月三日。
-------------------(境内案内板より)
「南の青峯さん」に関しては過去ログを参照下さい。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3752.html

お堂の壁に掲示してあった言葉が。
「つらい時こそ微笑んでみよう。明るい声を出してみよう。
やがて光がさしてくる」…やめろこの言葉は今の私に効く。

稲荷社がありました。

お稲荷さんの側には「庚申塔」と、
経年劣化で頭が削れてしまっている「狛犬」が鎮座。


★2023.3.30 再更新。
東小川の光心寺についての記事を上げました。
小泉八雲ゆかりの初代波除け地蔵について触れています。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-4343.html
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気になって立ち寄っただけのお寺。


案内板。広い寺ですね。

お店があったが閑散としていた。

凄そうなお寺だけど引き返し。
いつかまたの機会にする。


【おまけ】
ここにしか無い小さなマンホール蓋があったので撮影。

勝山市「消火栓」の蓋。

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→http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-4061.html
夜の善光寺境内。

人も少ないから、じっくり心ゆくまで柱に触れます。


本殿の中まで繋がっている糸。
御本尊との縁の架け橋。


山門は一度参拝券を購入すれば、20:00まで上がれます。
夕方にも楼上に行きましたが夜も見たくて再度登楼。
上から見た景色をアップしていきます。

ズームしてみたけど、ガラホの限界。
ボヤけてるけど仲見世のあたり。

善光寺御本堂に向かって左から右へカメラを向けてみる。



再び御本堂。
夜だとあまりうまく写らないな。


山門の額。
「善光寺」の文字の中に鳩が五羽。
「善」に二羽、「光」に二羽、「寺」に一羽。
答えを知った時にどうも「寺」の部分だけ納得がいかなく、
モヤモヤだけが残されるのは私だけだろうか?

【おまけ】
善光寺限定ペヤング焼きそば。発売期間:4月3日~6月29日
http://www.peyoung.co.jp/products/2313/
来た時に旦那が買っていた。お値段は普通よりちょっと高い。
帰ってから食べたけどそこそこ美味しかった。

2022.7.13 再更新:
中身についてはこちら。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-4087.html
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