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2018年07月07日 (土) | 編集 |
2018.2.15 参拝 
『大樹寺』にやってまいりました。
ここは松平家・徳川将軍家の菩提寺でございます。

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【本堂】
文明7年(1475)松平四代親忠公が勢誉愚底上人を開山として
創建。安政2年の火災により焼失、安政4年(1857)徳川十三代
将軍家定公再建。本堂は間口十五間、奥行十三間の大伽藍。
先づ本堂に参拝し、文化財収蔵庫、位牌堂を経てから境内を巡る
とよい。大方丈、文化財収蔵庫、位牌堂は有料。

------------------(大樹寺 参拝の栞より)

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由緒を書き写そうと思ったら長いッスね。
何だか看板が写経のように見えてきました…(´・ω・`)
なので文章は公式サイトより拝借しておきます。

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浄土宗 成道山松安院 大樹寺
http://home1.catvmics.ne.jp/~daijuji/
御本尊:一光千体阿弥陀如来・如意輪観世音菩薩
-----------------------------
(「大樹寺の歴史」=発行大樹寺 に次のように記されています)
 成道山松安院大樹寺は、安城城主松平左京亮親忠法名大胤西忠
が真蓮社勢誉愚底を開山として文明7年(1475)2月22日創建
した浄土宗の寺院である。創建のいきさつを寺伝は次のように
伝えている。
 応仁元年(1467)8月23日、尾張品野、三河伊保の軍勢多数が
井田野に攻め寄せた。親忠は5百余騎で伊賀村の東いらご縄手で
迎え撃ち、一夜と半日の戦いでこれを撃破、細川、大沢まで追撃
して潰走させた。このときの戦死者を葬った塚を首塚とも千人塚
とも呼んだが、その後9年を経た文明7年になって、
戦死者達の亡霊が騒ぎ出し、塚がしきりに鳴動してときの声が
たえることなく、近辺に悪病が流行することになった。
この亡霊を弔うために親忠は塚のほとりに念仏堂を建て、碧海郡
宇祢部郷福林寺の住職勢譽愚底を招いて7日間の別時念仏を修し、
その功力で亡霊を鎮めた。この念仏堂は後の鴨田西光寺で、
その後親忠は菩提寺として大樹寺を建立し、勢譽を開山とした。

 もっとも、この寺伝には異説が多い。大樹寺そのものが亡霊を
鎮めるためのものと言い、あるいは鎌倉時代以来大寿寺と言う
浄土宗の草庵があったという説もある。

-----------------(大樹寺 公式サイトより)

中に入ってお参り&見学をいたしましたが、本堂より内部は撮影
が禁じられていたため、YouTubeから動画を拝借しておきます。

ちなみに位牌堂には、徳川歴代将軍の位牌(亡くなった時の身長
と同じ大きさのもの)が安置されていますが、徳川最後の将軍
慶喜さんの位牌だけは置かれていません。理由は、慶喜さんだけ
仏式ではなく、神式の葬儀だったからだそうです。

岡崎市広報動画・チャンネルおかざき「岡崎まちものがたり」


続いての写真は「鐘楼」

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【鐘楼】
寛永18年(1641)三代将軍徳川家光公建立。
楼上の大鐘は九代将軍家重公改鋳の名鐘である。

------------------(大樹寺 参拝の栞より)

続いて、大樹寺の「山門」を外側から撮影致しました。
ちなみにこの門の内側より、真っ直ぐ外を見つめると岡崎城が
見えるのです。皆さんも是非直接確かめてみては如何でしょう。

20180215_daijyuji_006.jpg

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【大樹寺 山門】
寛永18年(1641)三代将軍徳川家光公建立。
楼上に後奈良天皇御宸筆「大樹寺」の勅額(重要文化財)が
掲げてある。また釈迦三尊十六羅漢を安置している。
境内から山門、総門をとおして、その真中に岡崎城が見える。

------------------(大樹寺 参拝の栞より)

岡崎市広報動画「ビスタライン」


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今に伝わる歴史的眺望「眺望ライン(ビスタライン)」
 ビスタラインの「ビスタ」は「眺望・展望」を意味し、
大樹寺と岡崎城を結ぶ、高低差を利用した約3kmの直線を
「眺望ライン(ビスタライン)」と呼んでいます。
 これは徳川三代将軍家光公が、家康公の十七回忌を機に、
「祖父生誕の地を望めるように」との想いを守るため、
徳川家の先祖、松平家の菩提寺である大樹寺の本堂から山門、
総門(現在は大樹寺小学校南門)を通して、その真中に岡崎城
を望むように伽藍を整備したことに由来しています。
 時は移り、岡崎城も再建されましたが、大樹寺と岡崎城を
結ぶ歴史的眺望は往時のままで、門越しに望む岡崎城は、
まるで額のなかの絵のようです。

-----------------(大樹寺 境内案内板より)

下の写真は「多宝塔」

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国指定重要文化財 大樹寺多宝塔(付棟札)一棟
 多宝塔とは仏塔の一形式で、平面が下重方形、上重円筒形、
上下の連続部が饅頭型の二重塔のことである。
 大樹寺の多宝塔は室町時代のもので、この寺に残る中世建築の
唯一のものである。松平七代清康により天文四年(1535)に
建立された。
 下層は方三間、総円柱、斗組二手先尾垂木付として、
また上層は漆喰塗りの亀腹上に円形の塔身を立て、四手先で
軒をささえる。屋根は桧皮葺、鉄製相輪を上げ、軒隅には風鐸が
つるされている。塔内部には禅宗様の須弥壇を置き、
その上には春日逗子を据え、本尊の多宝如来像を安置する。
 この多宝塔は上下層の釣り合いもよく、蟇股や木鼻の絵樣
および彫刻、その他の細部様式も古風でていねいに作られ、
この時期としては和様色の強い建造物である。
 明治三十七年二月十八日指定。

-----------------(大樹寺 境内案内板より)

大樹寺小学校南門前にて。
学校前で写真を撮っている不審者がいる!とか通報されそうw
岡崎城をここから眺めようとしたけど、ちっちゃくてね…
写真撮ったけど、コレだとわからないですね。

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龍潭寺のお庭です。
下の写真は縁側左端と右端から撮影したもの。

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-----------------------------
 小堀遠州作・龍潭寺庭園は、江戸時代初期に本堂北庭として
築かれた池泉鑑賞式庭園である。 中央に守護石、左右に仁王石、
正面に礼拝石(坐禅石)が配され、更に池の型が心字池となって
いて寺院庭園として代表的な庭である。
数多くの石組みと築山全体で鶴亀が表現されている。

岩は、地元で産するチャート(通称山石)を使い、
明るくすんだ庭である。春のさつき、秋の満天星(どうだん)
と四季折々の変化にも富み、昭和11年国指定名勝となるが、
まさに東海一の名に恥じない名園である。

-----------------(龍潭寺 公式サイトより)

真ん中に座ってカメラをお庭に向け、左→中央→右に。

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音声案内を聞きながらこのお庭の景色を眺めていると、
世の騒々しい事なんてどうでも良くなってきますね。
私はココでお昼寝がしたい気分になりましたw

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浜松へ訪れた際は龍潭寺に立ち寄ってみては如何でしょう。

-----------------------------
臨済宗妙心寺派 萬松山 龍潭寺
http://www.ryotanji.com/index.html
住所/静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1989
電話番号/054-542-0480(代)
拝観/9:00〜16:30(17:00閉門)
拝観料についてはリンク先をご覧ください。

※2018年6月現在の情報です。
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お堂の中から外を撮影。

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先へ進むと「萬松稲荷」。見学をする順番がちと違うけど、
気になってしまったのでこちらから。

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【萬松稲荷】享保元年(1716)
祖山和尚代、稲荷大明神が建立される。
寛政8年(1796)十四世仲山和尚代には稲荷堂が再建される。
※公式サイトより。

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正夢の稲荷由来記 -夢を叶えてくださるお稲荷さん-
 江戸時代中頃、当山九世祖山和尚さんの夢まくらに稲荷大明神
が立ちました。
「われは昔よりこの山に住む稲荷である。祠がこわれて
今住むところがなく困っている。ここに金三両を置く。
われのために新しい祠を建ててくれ」と和尚さんに告げた。
 翌朝、和尚さんが枕元を見ると、夢のお告げの通り黄金三両が
置かれてあった。和尚さんは早速新しい祠を造り、稲荷大明神を
お寺の鎮守様として大切に祀りました。
 それ以来「夢をかなえてくださる正夢の稲荷」として信仰され
今日に至っています。

「稲荷」は五穀豊穣の神様です。
インドの神荼枳尼天(善人を守る神)と五穀豊穣の神が一つに
なった神です。キツネはその神の使いといわれます。

-----------------(龍潭寺 境内案内板より)

下の写真は「井伊家のお籠」

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酔いそうな角度で申し訳ないです。
こちらは「井伊家御霊屋」

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-----------------------------
 井伊谷を本拠地としてきた井伊氏は、
平安時代より戦国時代まで、遠江の代表的な国人領主として
西遠州地方を治めてきました。井伊介を名乗り、鎌倉幕府に仕え、
南朝方の皇子宗良親王を迎え、北朝軍と戦いました。室町時代、
遠江に侵攻した今川軍との戦いに敗れ、その支配下に入りました。
 戦国時代の永禄三年、二十二代井伊直盛が桶狭間で戦死。
永禄五年には、二十三代井伊直親が今川の手で殺されます。
龍潭寺二世南渓和尚はこの井伊家の危機に、
直盛の一人娘井伊直虎(次郎法師)を「女性地頭」(女領主)
に立て、幼い二十四代井伊直政の後見人としました。
 永禄十一年に徳川家康が、元亀三年には武田信玄が井伊谷に
侵攻(三方原合戦)します。南渓和尚と井伊直虎は、遺児直政を
三河鳳来寺にかくまい、天正三年、十五歳に成長した直政を、
浜松城で家康に出仕させます。直政は「赤備え」軍団を率い武勲
をたて、徳川軍団筆頭に出世し見事井伊家を再興し、江州佐和山
(彦根)に移りました。

井伊家は江戸時代を通して江戸幕府を支え、
幕末には大老井伊直弼が開国・攘夷の渦巻くなか開国を決意し、
日本の近代国家誕生の 基を築きました。この御霊屋には、
井伊家千代にわたる祖霊をお祀りしています。

-----------------(龍潭寺 境内案内板より)

続いての写真は「懸魚」(けんぎょ)。

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 前本堂屋根に使用されていた懸魚で破風の合わせ目につけ
棟木や桁の木口を隠す飾りです。火防の意味で水に関係深い魚形
より出たものです。この形は「蕪懸魚」です。

----------------------(説明文より)

★その4に続く!
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臨済宗妙心寺派 萬松山 龍潭寺
http://www.ryotanji.com/index.html
御本尊:虚空蔵大菩薩(秘仏)/御前立:釈迦如来三尊仏
由緒:井伊家・宗良親王菩提寺
-----------------------------
 井伊氏は平安時代より戦国時代まで六百年間、井伊谷を中心に
遠州地方を治めてきた国人領主です。二十四代井伊直政公が彦根
に移り、今日まで千年を数えます。龍潭寺は井伊家歴代の御霊を
お祀りする菩提寺です。
 また当寺には南北朝時代、井伊城で北朝軍と戦った後醍醐天皇
皇子宗良親王をお祀りしています。

文化財 国指定名勝龍潭寺庭園(小堀遠州作)
    県指定龍潭寺伽藍六棟(本堂・庫裡・開山堂・
    井伊家霊屋・山門・稲荷堂 江戸時代建立)

-----------------(龍潭寺 境内案内板より)

お堂の「龍虎の襖絵」(江戸時代初期の作)が凄いですよ。

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寺田心くんのサインが置いてあったw

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「宗良親王の御位牌」「ほほえみ観音菩薩さま」

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 龍潭寺は南朝、後醍醐天皇の皇子宗良親王の菩提寺です。
興国元年(1340)正月、親王は井伊軍の砦、三岳城に立てこもり、
これを攻める北朝軍と衝突します。
 三岳城は落城し、親王は駿河 ・越後・信州の各地を転々とし、
信濃の大河原に山奥で三十年余り世を避け過ごされました。
晩年井伊谷に戻られ余生を送り、元中二年(1385)八月十日、
七十二歳で逝去されました。
 ご法名を「冷湛寺殿」と申し、寺名も一時冷湛寺と称したと
伝えられています。お祀りされている御位牌は井伊大老直弼公が
ご寄進下されたものです。

-----------------(龍潭寺 境内案内板より)

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-----------------------------
ほほえみ菩薩観音さま 
 江戸時代はじめの頃のお話です。近江の国(今の滋賀県)
琵琶湖で遠網をしていた漁師が湖底より次々と三体の仏像を引き
上げました。それはそれは尊いお顔をした観音菩薩さまでした。
びっくりした漁師はすぐに御領主である彦根のお殿様へ差し出し
ました。お殿様は傷んだ仏像を修理させ、井伊家の菩提寺に
寄進されました。その一体がこの十一面観音菩薩像なのです。
 話は戦国時代にさかのぼります。元亀二年(1571)九月、
織田信長は比叡山を攻め湖畔の寺もことごとく焼き払いました。
火をつけられたお寺では、御本尊様を湖水に沈め火災より守り
守りました。そうした仏さまのなかには、引き上げられること
なく、湖底に眠ったまま江戸時代に至った仏様があったのです。
 この十一面観音様は、火難・水難にあいながら、奇跡的に再び
この世に出現されました。
 合掌し、静かに拝顔ください。仏さまの口もとにかすかな笑み
が現れてきます。モナリザの微笑を連想させる神秘的なほほ笑み
です。ほほ笑みのある日暮しを大切にしたいものです。

-----------------(龍潭寺 境内案内板より)

こちらは廊下にあった龍の彫刻(伝左甚五郎作)。
江戸時代中期 仏殿に使用された蛙股の彫り物だそうです。

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★その3に続く!
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