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定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2022年05月05日 (木) | 編集 |
検索でいきなりココに辿り着いた人はその1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-4007.html

下の写真は薬師堂。
病気平癒の仏・薬師如来を本尊とする仏堂。

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阿野全成のお墓にお参りをしに行きましょう。
お墓は本堂から奥の方に向かった所にあります。
下の写真、一段上がった右手側がそうです。

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こちらが阿野全成と息子時元のお墓。
親子の墓が二基横並びになり手厚く葬られています。

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沼津市指定史跡 
   伝 阿野全成・時元墓  指定 昭和58年6月15日
 阿野全成は、幼名は今若丸といい清和源氏の嫡流源義経の
七男です。鎌倉幕府を開いた頼朝の異母弟、義経の同母兄に
あたり、母は有名な常盤御前です。
 平治の乱で義朝は敗死し、常盤御前は今若、乙若、牛若の
三児を連れて逃れ、後に助命されました。今若は山代国の
醍醐寺に預けられ出家して全成と改名しましたが、
その荒法師ぶりから後醍の悪禅師とも呼ばれました。
 治承四年(1180)、頼朝が挙兵するや、全成はひそかに
寺を抜け出し、修行をよそおいながら頼朝のもとに
参じました。頼朝は、その志に涙して感動したといわれます。
後に駿河国阿野庄(現在の沼津市東原・今沢から植田・
富士市境付近まで)を与えられて出井に居館を構えたとされ、
大泉寺がその館跡であるといわれています。
 頼朝の死後、建仁三年(1202)五月、全成は阿野庄に
おいて兵を挙げましたが、幕府軍に捕らえられ常陸国へ配流
となり、同年六月二十三日、下野国で処刑されました。
首は阿野庄の全成館へ届けられたと伝えられています。
 その後、全成の遺児時元も承久元年(1219)二月十一日、
反北条の兵を挙げましたが、執権北条義時はただちに兵を
さしむけ、交戦十日の後に阿野一族は敗北して、
時元も自刃しました。
 墓は、左が阿野全成、右が時元と伝えられています。

----------------(大泉寺 境内案内板より)

YouTubeより動画を拝借。最初の部分に音は無いようです。
音声、43秒辺りから急に出ますので注意。

現地で動画解説 訪ねて学ぼう文化財めぐり
〜沼津の文化財をめぐってみませんか〜



大泉寺には、はねられた全成の首が一夜のうちにこの寺まで
飛んできて松の枝にかかったという言い伝えが。
本当は、住職の説明や案内板に書かれる通り「運ばれてきた」
「運ばれたのち松に掛けて隠しておいた」が正解なんですけど
飛んできたというのはそこはほら、あくまで伝承という事で。
大泉寺の客殿にその時の「首掛け松」の一部が残っています。

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超美麗なイラストが展示されていました。
この絵師の詳細が知りたい。聞いてくればよかった…

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去年の11月21日、大河ドラマで阿野全成役をつとめた
新納慎也さんがお忍びで大泉寺にやってきたとのこと。
https://ameblo.jp/daisenji02/entry-12712533023.html
https://twitter.com/KojimaTakenobu/status/1462399773944680453
↑住職のブログとtwitterを貼っておこう。

写真とサインが飾られてありました。

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ボランティアのかたがお話して下さいましたが、
新納慎也さんの顔がちっちゃいものだから住職が…
「自分の顔がデカく見えちゃうw」と仰っていたそうな。

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客殿の玄関入ってすぐ正面に「鎌倉殿の13人」のポスター。

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切り株を模したものの上にモニュメント。
昭和39年、松食い虫に喰われた「首掛けの松」は仕方なく
切らざるをえなくなりました。阿野全成の話を後世に伝える為、
そしてここに松の木があったことを忘れないよう、
このモニュメントが作られたようです。
本物の松の一部は先程紹介した通り、客殿に置かれています。

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その側に銀杏観音。結構大きな木でした。
↓物語については長くなるので詳細は大泉寺のページで。
http://daisenji.com/?page_id=17
乳の出が悪い母親に銀杏の実を焼き食べさせたら、
乳が出るようになったという伝説の木。
写真暗くなっちゃってゴメン。

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小野寺左京の墓。お寺の片隅の目立たない場所にポツンとある
のでどこにあるかわかりにくいかも知れません。
「一花無残居士」と刻まれています。
お寺のリーフレット(スタンプラリーでいただいた用紙)には
「大泉寺を再興隆した檀家で、天皇家(南朝)の末裔」
と書かれていました。

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大泉寺の御朱印と、消しゴムはんこの御朱印。

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これから阿野全成のお墓参りに行かれる予定があるかたは、
お線香やお花を持参して行くと良いでしょう。
忘れた人用には、寺務所に用意してあるそうです。
詳細→http://daisenji.com/?p=8094

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大泉寺 
http://daisenji.com/
https://twitter.com/KojimaTakenobu
住所/静岡県沼津市井出744

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2022年05月03日 (火) | 編集 |
2022.3.19 参拝 
沼津にあります「大泉寺」にやって参りました。

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お寺によくあるアレ。
時々なかなか刺さる言葉が書かれてあったりする。

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下の写真は阿野氏の館跡(土塁)。
大泉寺は阿野全成の居館跡に建っています。

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お寺へ向かいましょう。

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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でいまアツイであろう
阿野全成ゆかりの寺。

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大泉寺の歴史 
 愛鷹山麓に沿って沼津から富士へ抜ける根方街道も、
沼津市の西境の井出のあたりまでくると、今でも純農村的
風景が展開する。その東井出でもひときわ縁が深いのが
士詠山大泉寺である。開基は法華院殿阿野法橋全成である。
牛若丸と弁慶の話は誰でも知っているが、源頼朝に今若丸
という異母兄弟がいたことは余り知られていない。
この今若丸がのちの阿野全成である。牛若と今若は源義朝と
常磐の間に生まれ、平治の乱で義朝が敗北したあと寺に
預けられたのも同じなら乱暴者で名が通っていたのも同じ
である。今若は醍醐の悪禅師とも呼ばれ、治承四年(1180)
頼朝挙兵後その傘下に加わり、源平の争乱後駿河の阿野荘
(沼津市今沢から富士市吉原にかけてを阿野庄と言った)
を賜って阿野全成と呼ばれるようになる。


-----------------------(↓続く)

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 北条時政の娘と結婚し、現在の大泉寺あたりに館を建て
その一隅に持仏堂を造り源氏一門の霊を慰めたのが寺の始まり
で、最初は真言宗であったという。建仁三年(1203)全成は
謀反の疑いをかけられて鎌倉で捕えられ、常陸に流されたのち
切られる。切られた首が空を飛んで帰り、門前の松に懸かった
という「首懸け松」の口承が残っている。
さらに、承久元年(1219)全成の子時元が深山に城を築き兵
を集めているということで、幕府の派遣した金窪成親らの
追討を受け滅ぼされたのは、三代将軍実朝が頼家の子公暁に
よって暗殺されてわずか十数日後のことである。
ここに源氏は嫡流も庶流も断絶し、執権北条氏の天下となる。

-----------------------(↓続く)

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そして、阿野全成父子は大泉寺の墓地で八百年の眠りにつく。
北条氏の野望に陥れられたのか、源氏の主導権回復を積極的に
狙っていたのか今となってはわからない。
義経は一人として知らぬ者はいないが、その兄にあたる全成が
無名に終るのには訳がある。それは、頼朝が大変疑い深い男で、
自分に取って代わりそうな可能性のある源氏一族をつぎつぎに
滅ぼしていっており、全成としては幕府政治などから
身を引いて保身をはかっていたように思われるのである。

本尊は聖観音。はじめ真言宗の寺であったが、
天正年間(1573~92)寺僧永芝が裾野の普明寺六世梁山宗棟
を招いて開山として、曹洞宗に転じたという。
古文書としては天文五年(1536)と永禄元年(1558)の
今川義元の十五石の寺領奇進状や永禄三年の今川氏真・
河毛重次の書状を有する。慶長年中(1596~1615)に
徳川家康から寺領一六石五斗の朱印状を受け、江戸時代を
通して認められていた。


----------------(大泉寺 公式サイトより)

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手の形をした個性的な椅子が。

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黄金に輝く仏像。「慧光照無量」と書かれてあります。

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本堂。扉を開けてお参りをしました。
ここに「全成・時元・公暁」の位牌があるそうです。
(※位牌を拝みたい人は特別拝観料がかかります)

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ここの住職さんが実に面白いかたでして…
消しゴムはんこを趣味にお持ちのようでクオリティ高い作品を
幾つも作られていらっしゃる。実はこのお寺に来たのは、
大河ドラマ絡みではなく住職さんの作品を見たかったから。
(地元ローカル番組でやっていてこの寺の存在を知った)

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凄い。うますぎ。

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消しゴムはんこを使った御朱印が幾つかあるとの事で、
気になる人は、寺務所の窓口で問い合わせてみると良いかも。
今までどんな物があったかも見せて頂けて楽しかったです。
(ながーい御朱印や、寺っぽくない御朱印もあったり…)

↓これは帰宅後に撮ったものですがスタンプラリーの台紙。
全てのはんこは全部住職さんが作られたもの。
寺務所でペタペタ押していくと、住職さんがゴールのはんこを
押してくれます。季節に合わせ毎月ゴールの絵が変わるとか。
この時は3月だったので、梅・つくしのはんこ。

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★その2に続く。
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2022年03月02日 (水) | 編集 |
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おりてくる途中にあったお地蔵様。

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お地蔵様がいる場所から見えるだんご茶屋。

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「蛸薬師堂」「不動明王像」「弁財天堂」。

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【不動明王像】
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【蛸薬師堂】
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蛸薬師堂
本尊:薬師如来
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 本尊の薬師如来は『蛸薬師(たこやくし)』と古来より
称され、本尊の台座や建物の蟇股(かえるまた)にも
蛸の聴覚蛸の彫刻が施されたユニークな仏様である。
ご利益も大変に特徴的で、美肌や皮膚の病、肌トラブルの
平癒に特にご利益があるといわれ、古くは鯰(なまず)や
鯉の絵馬を奉納して願掛けをする風習があった。
 現在の蛸薬師堂は平成二十七年に再建されたもので、
伝統技法の粋を集め建立され、彫刻や瓦には海洋生物や
波濤の意匠が用いられている。
 毎月八日の縁日には正面の扉が開扉され、
本尊台座や旧堂より移された蟇股に施された蛸の彫刻を
拝観することができる。

----------------(蛸薬師如来堂 石碑より)

【弁財天堂】
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【一願成就絵馬奉納所】
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【だんご茶屋】
http://www.hattasan-dango.com/
本当でしたら食べていく事が出来るはずなのですが、
この時はコロナ対策で持ち帰りのみになっていました。

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↓法多山の「厄除けだんご」と実家に祀る家内安全のお札。

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法多山に行くと必ずといっていいほど買ってしまうこの団子。
静岡県民ならこの箱を見ただけで「法多山行ってきたの?」
と即反応。そしてみんなこのお団子が大好きなのです。
知らなかったという県外民さん(または県内民さん)は、
法多山へ行かれた際は是非ともこの厄除けだんごを食べてみて
欲しいです。「もっと食べたい」となる位に美味しいですよ。
お茶やコーヒーにもよく合います。

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※冷蔵庫に入れるとかたくなってしまうので注意。
柔らかいまま頂きたいならその日すぐに食べるのが良いです。

一箱6カサ入りを購入。
ひとカサ五本の串に刺した団子は「頭・首・胴体・手・脚」
を意味し、食べる事によって厄除けになると言われています。

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 江戸時代には、毎年正月に幕府の武運長久、天下泰平、
五穀成就の祈祷を奉修し、祈祷ご符と当地名産品を献上する
習わしがありました。十三代将軍家定の頃(1854)に、
門前に住する寺士 八左エ門の発案による観世音名物団子が
登城の土産に添えられ将軍家より「くし団子」と御命名を賜り、
以来150年以上一般参拝客に愛され、俗に法多山名物
【厄除団子】として、今も広く親しまれています。


------------(法多山 尊永寺 公式サイトより)

下の写真は「本坊」(向かって右)と「持仏堂」。

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法多山へのお参り、皆さんもいかがでしょう。

★お参り後に「吉田屋」で食べたもの。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3949.html
★参道と境内にあった萌え自販機 
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3950.html


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2022年02月28日 (月) | 編集 |
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そこそこ混雑していますね。本堂でお参りをした時に、
護摩祈祷をしているところを見る事が出来ました。
家内安全のお札も授かって参りましたよ。
願い事はみんなが笑って暮らせる事。世間一般で言うトコの
ごく普通の暮らしが出来ればそれでいいです。
最近は以前のように心から笑えることもなくなったので。
良い事も悪い事も全て、仏様に報告してきました。

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法多山 尊永寺
https://www.hattasan.or.jp/
---------------------------
略縁起
 法多山は、寺号を尊永寺と称する、高野山真言宗の別格
本山です。本尊正観世音菩薩は厄除開運のご利益に霊験
あらたかであるとして、古来より俗に厄除観音と呼ばれて
おります。神亀二年(725)、聖武天皇の勅命を受けた
行基上人が大悲観音応臨の聖地をこの地に探し求め、
自ら刻んだ本尊正観世音菩薩を安置したのが縁起といわれて
います。本尊の霊徳は遠く京都に及び、白河、後白河天皇の
勅願あつく定額寺の列に加えられていました。その後今川、
豊臣、徳川等武将の信仰を得て、特に慶長七年(1602)、
徳川家康公より五万石の格式を以って遇せられ、
一山十二坊の法燈が栄えましたが、明治維新に朱印地返還、
十二坊を廃して総号尊永寺と改め今日に至りました

------------(法多山 尊永寺 公式サイトより)

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法多山本堂 
 昭和58年落慶。自伝に残る間口10間、奥行15間の大伽藍を
現代建築技法の粋を集めて、建立当時の姿に再建したもの。
本尊に東海随一の厄除正観世音菩薩を安置する。
長い石段の先に広がるパノラマに鳳が舞い降りたような姿で、
法多山のシンボルとなっています。

------------(法多山 尊永寺 公式サイトより)

「旧本堂跡整地」とある石の上にお賽銭が乗っていました。
多分ここは賽銭を乗せてお参りする場所じゃ無いけど、
そこは八百万の神の国ニッポンですから日本人の面白いクセと
言いましょうか、何となくそこが有り難い場所に思えてしまい
ついお賽銭を置いて祈念してしまうんでしょうね。
(モノリス大明神を思い出します)

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こうして硬貨が沢山置かれていても、誰もくすねる事が無い
というのは日本が如何に安全な国であるかという事や、
神仏を信じている人が多いという事がよくわかると思います。
(「貴方の行動全て、みんな神様仏様が見ているよ」という
気持ちが常に心の奥底にあるので…)この光景から日本人の
宗教観がよく表れているような気がします。

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【鐘楼堂】
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 元の梵鐘は戦時中に供出されてしまったため、
現在の梵鐘は昭和39年に人間国宝であった故香取正彦氏の手
により鋳造されたものである。 大晦日には午後11時30分より
先着順に108回の除夜の鐘突きができるため、
多くの善男善女で賑わう。


------------(法多山 尊永寺 公式サイトより)

【二葉神社】
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亀石が鎮座しておりました。

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仏塔と狛犬。

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鳥居が立ち並んでいます。

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鳥居の奥に二葉明神のお社。
ココでも良い事・悪い事を神様にまるっと報告。

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二葉明神
https://www.hattasan.or.jp/engi/05/index.html
御祭神:二葉明神
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 元来は浜松市にあった二葉遊郭内に遊郭の守護神として鎮座
していたものである。瀟洒な社は大正時代の建立で、
娼妓、芸妓、カフェーの女給といった往時の浜松の夜を華やか
に彩った女性たちが一銭、二銭と浄財を出し合い、郭内安全と
ともに自身の商売繁盛や恋愛成就を願い造営された
と謂われる。
 戦後の遊郭解体に伴い法多山に遷座した現在でも、
女性の願いを結ぶ「女性の守り神」として働く女性を中心に
信仰を集めている。

------------------(二葉明神 石碑より)

色とりどりのリボンに願い事が結びつけられています。
女性の願い事なら特に(男性よりも)聞いてくれるでしょう。
願い叶ったらお礼のお参りも忘れないようにしましょうね。

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【氷室神社】
ストレスだらけの今の私にもってこいの神社。

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氷室神社
https://www.hattasan.or.jp/engi/07/index.html
御祭神:氷室明神 
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 氷を貯蔵する「氷室」が神格化した我が国では珍しい
氷の神様である。洞窟そのものが社殿であり、
同時にご神体でもある。
 往古は熱病平癒の利益で信仰されていたことが
『遠江風土記伝』等に見られる。明治の神仏分離で不明に
なっていたが、古文書からこの洞窟が氷室神社であること
が判明した。
 現在は、暑気払いや流行病の予防、平癒の祈願と同時に、
ストレスなど現代社会の心の熱を鎮静させる「冷却の神様」
として信仰されている。

------------------(氷室神社 石碑より)

★その3に続く。
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2022年02月27日 (日) | 編集 |
関西の旅日記がまだ途中ですが、ここで今年の一月に行った
静岡県内にある有名なお寺の記事を挟ませていただきます。

2022.1.9 参拝 
「法多山 尊永寺」にやって参りました。
静岡県民なら「法多山」と聞いて知らぬ者は無いというくらい
に有名なお寺です(寺の名前を言わなくても「法多山」と言う
だけで通じてしまう)。

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訪れたこの時期はまだ新年の雰囲気がムンムンしていました。
たこ焼きだの焼きそばだのの屋台に目を奪われます。
…が、食べ物の誘惑に負けずここはぐっと我慢。

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境内図はこちら。
https://www.hattasan.or.jp/annai/img/map02.pdf

参拝者が続々と「仁王門」をくぐっていきます。

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仁王門 
https://www.hattasan.or.jp/engi/03/index.html
 寛永17年(1640)建立。国指定重要文化財。江戸時代初期
の建立でありながら桃山時代の遺風もよく残しており、
播州二見(兵庫県)より移築されたとの伝もある。
垂木も太く、肘木や斗拱も大きくおおらかで、法多山の総門
に相応しい雄大かつ豪壮な三間一戸の楼門である。


------------(法多山 尊永寺 公式サイトより)

大きく立派な門松。

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下の写真、向かって左手側に見えるのは「黒門」。

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黒門 
https://www.hattasan.or.jp/engi/08/index.html
 宝永8年(1711)建立。市指定文化財。旧塔頭寺院正法院の
山門で、全体が黒塗りであることから黒門と呼ばれる。
江戸時代中期の建築様式を伝える桧皮葺の四脚門である。
柱の建ちも高く屋根勾配も強いため、簡素でありながら
趣きあふれる優美な姿の門である。


------------(法多山 尊永寺 公式サイトより)

参道を進みます。

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長い石段をのぼって…と思ったら誰もいない。

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そう、この時は石段が封鎖されていたから。

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迂回の道に進んでいくと「地蔵堂」が見えました。

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本堂がある場所から少し下がった所に到着。
カメラを左から右に。

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うっかり店舗の外観を取り忘れましたが、
ここに美味しそうな甘酒を出しているお店がありました。
「甘酒7」というフルーツの入った甘酒。
甘酒大好きだから気になる。

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「3つのこだわり」
地元袋井市で長年経営している「榊原米麹店」の麹を使用。
トッピングに使っている果物は遠州の旬の果物。
最後は味へのこだわりだそうです。

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金柑の甘酒を休憩所でいただきました。
本当は柚子のとどっちにしようかかなり悩んでコレ。
果肉を潰して飲んでも、潰さずそのまま食べてもご自由に。
私は潰して飲んだけど美味しかったなー。
果物と甘酒って意外と合うんだね。

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他にもこれだけの種類が。

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★その2に続く。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3947.html


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