FC2ブログ
定食屋さんに訪れるような感覚で見てもらえたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々。ヲタクなネタから神社めぐりまでw
| Login |
2019年11月14日 (木) | 編集 |
2019.5.27 参拝
『安仁神社』にやって参りました。
安仁神社と書いて「あにじんじゃ」と読みます。

20190527_anijinjya_001.jpg

ここの狛犬が凄いんですよ。
場所が場所だけに備前焼の狛犬さん。
シャキッと背筋を伸ばしてムキムキしてますね。

20190527_anijinjya_002.jpg

20190527_anijinjya_003.jpg

----------------------------
 明治末期から大正初期に奉納されたもので、
当代備前焼の名細工師 木村宗太郎氏による奉納物。
県内では比較的備前焼による狛犬奉納が盛んであった(近年、
岡山県教育委員会による備前焼の狛犬集成がなされている)。
木村宗太郎氏の子息に故16代木村宗得氏と木村陶雲氏がおられ、
陶雲氏と16代宗得氏の子息 玉舟氏が現在も備前市において
作陶活動を続けておられます。


---------------(安仁神社 公式サイトより)

20190527_anijinjya_004.jpg

下の写真は「二の鳥居」

20190527_anijinjya_005.jpg

----------------------------
 標柱右奥にある一の鳥居をくぐって緩やかな坂道を登ると、
やや広くなった参道のやや向かって左にあります。
江戸時代の初期、四代岡山藩主 池田綱政公によって奉献・
建立されました。古老の話によると、かつて鳥居の右側には
大きな松が立っていて、後年枯れてしまったために大きく
右側が開いているとのことです。


---------------(安仁神社 公式サイトより)

続いて「隋神門」

20190527_anijinjya_006.jpg

----------------------------
 手前側の手水舎を過ぎると、随神門にでます。
やや参道に対して左へ30度ほど主軸が振れています。
多くの神社建築がそうであるように、本殿に対してその他の
建物は正中(せいちゅう、神様に対して真正面、もしくは同一
方向であること)を同じくしない決まりごとがあるからです。
本殿の神様に付き従う神が祭られた神門であるために正中が
異なります。


---------------(安仁神社 公式サイトより)

石段をあがるとすぐ拝殿が見えます。

20190527_anijinjya_007.jpg

----------------------------
 山上にある神社に石段は付き物ですが、あまりにも急で
上がりきらないと拝殿(社殿)の全容を拝することはできま
せん。 かつてはこの石段の下に賽銭箱が設置されており、
一般の参拝者は石段を上がることができませんでした。
石段を上がれるのは勅使様や祭典参列者など、ごく限られた
人々だけだったようです。現在では石段に手すりを設置し、
どなたでも登段できます。
近年では正月三賀日などに駐車場から拝殿前まで氏子有志に
よる駕籠参拝が行われたりしています。

---------------(安仁神社 公式サイトより)

では、お参りしましょう。

20190527_anijinjya_008.jpg

安仁神社
http://anijinja.webcrow.jp/index.html
御祭神:五瀬命、稲氷命、御毛沼命
----------------------------
 当社の創立年月日は不詳である。
「続日本後紀」の承和8年(841)2月8日の条に『安仁神預
名神焉』とあるのが初見で、「延喜式神名帳」に備前国名神
大社とある。古くは「兄神社」又は「久方宮」と称したとも
伝えられている。
御祭神は五瀬命・稲氷命・御毛沼命等である。 この社地は、
宮城山、別名鶴山といい、元宮は標高80メートル位の頂上に
あった。その後、備前藩主池田家の祈願所として現在の地に
鎮座した。
明治4年国幣中社に列せられ勅使の御参向があった。
大正15年皇太子殿下が行啓され、祈年祭・新嘗祭・例大祭
には幣帛供進使の参向などがあり、戦前(大東亜戦争まで)
は荘厳で隆盛な神域であった。

-----------------------(↓続く)

20190527_anijinjya_009.jpg

----------------------------
 昔はこの鶴山の麓まで海であり、入江の奥の良港だった。
後方の山には磐座や列石があり、古代の祭祀跡と見られる
ところに、神武東征の船の「ともづな」を掛けたといわれる
「綱掛石神社」などがある。
『古事記』『日本書紀』の神話や明治期に古記録を再編纂した
『安仁神社誌』によると、 末弟の若御毛沼命(後の神武天皇)
と共に、日向国(現在の宮崎県)から大和国(奈良県)へと
東進する途中に神社近在へ数年間滞在される。
この時に地域住民に稲作や機織りなどの殖産事業を大いに奨励
された。後年、難波津(大阪湾)での対抗勢力との戦いでの傷
が致命傷となり、 体制を立て直すためにたどり着いた木国
(和歌山県)でついに薨去(落命)された。
神武天皇即位後、皇兄の産業奨励を顕彰して「兄を祭る神社」、
安仁神社が創建された

---------------(安仁神社 公式サイトより)

摂社「右補神社」
20190527_anijinjya_010.jpg

末社「荒神社」
20190527_anijinjya_011.jpg

「伊勢神宮遥拝所」
20190527_anijinjya_012.jpg

「出雲大社遥拝所」
20190527_anijinjya_013.jpg

「瀧神社遥拝所」
20190527_anijinjya_014.jpg

御神水を汲む場所がありました。
小さな祠には水神様がお祀りされています。

20190527_anijinjya_015.jpg

摂社「左補神社」
20190527_anijinjya_016.jpg

「稲荷神社」
20190527_anijinjya_017.jpg

「伊登美宮遥拝所」
20190527_anijinjya_018.jpg

向かって左手側は「綱掛石神社遥拝所」
向かって右手側は「天神社遥拝所」
20190527_anijinjya_019.jpg

石段上から隋神門を見る。

20190527_anijinjya_020.jpg

境内で見たポスター。
令和元年。今年はお祝い事の多い年です。

20190527_anijinjya_021.jpg

20190527_anijinjya_022.jpg

安仁神社での参拝を終え、再び備前焼の狛犬。
吽の背中越しから阿の狛犬を撮影。

20190527_anijinjya_023.jpg

良い神社でございました。


ブログに訪問ありがとう!
記事が面白かったら拍手をポチッとして戴けると嬉しいです。
テーマ:岡山県
ジャンル:地域情報
2019年11月13日 (水) | 編集 |
いきなり検索でココに辿り着いた人はその1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2968.html

こちらは「和気清麻呂公と道鏡事件」について記された看板。
詳細については公式サイトを参照下さい。
http://wake-jinjya.com/history#history4

20190527_和気神社_011

「大猪殿」という名の猪の剥製を飾った小さな展示室。
ガラス越しに見る事が出来ますが、公式によるとこの剥製は
平成十九年に奉納されたものらしいです。

20190527_和気神社_012

「和気清麻呂公像」
平成二年に奉納された石像。
台座は和気神社崇敬会「国造会」により奉納されたもの。

20190527_和気神社_013

「和気広虫姫像」
広虫姫卒去千二百年の記念事業として平成十年に建立。

20190527_和気神社_014

さて、お参りをしましょう。

20190527_和気神社_015

和気神社
http://wake-jinjya.com/
御祭神/鐸石別命、弟彦王命、佐波良命、伎波豆命、宿奈命
    乎麻呂命、清麻呂命、広虫姫命(相殿)
----------------------------
由緒 
 第十一代垂仁天皇の皇子鐸石別命の曾孫である弟彦王は、
神功皇后に反逆した忍熊王を和気関に滅ぼした功により、
藤原県(後の藤野郡→和気郡)を与えられ土着した。
この弟彦王を祖先とする和気氏は備前・美作両国に栄え、
その十二代後裔が清麻呂公・広虫姫である。

創祀 
 和気神社は、古く和気氏一族の氏神として遠祖の鐸石別命
が祀られ和気神と称せられていた。天正十九年(1591)
数町下手にあった社殿を現在地に遷座した。

合祀 
 明治四十二年(1909)に弟彦王、清麻呂公、広虫姫を祭神
に加えた。同時に清麻呂公の高祖父佐波良、曽祖父伎波豆、
祖父宿奈、父乎麻呂を奉祀していた国造神社を合祀した。

社格 
 大正三年(1914)に社名を和気神社とし、
同八年に応神天皇を相殿として奉祀し県社に列した。

和気氏の主な功績 
 国体護持・政治浄化・備前美作開発・平安遷都・
京阪神開発・治水の功・孤児院創立・弘文院創立・
平安仏教確立・医道確立・法令制定(民部省例二十巻)・
系譜奉撰・等々

---------------(和気神社 境内案内板より)

拝殿に向かって右手側にある小さなお社。
(一番奥に見えるのは御本殿です)

20190527_和気神社_016

拝殿に向かって左手側にある小さなお社。
御本殿手前に天神社(天満宮)。初宮詣の際に「名付け石」
を奉納する慣わしがあるのだそうです。

20190527_和気神社_017

酔いそうな角度の写真で申し訳ない。
こちらは和気神社の「御本殿」

20190527_和気神社_018

----------------------------
和気町指定重要文化財 和氣神社本殿

一.本殿は、明治十八年(1885)に造営された。
 近世初期の屋根形式に、江戸後期の装飾主義を取り入れた。

一.大型の屋根と千鳥破風・軒唐破風の見事な調和、妻の箕甲・
 破風板の美しい曲線が、外観を優美で壮大に仕上げている。

一.細部では、向拝の手挟・母屋透彫などの絵様(装飾彫刻)
 が、すぐれた意匠と技術で表現されている。

一.門第六十余人を有し、関西一の名人・大棟梁といわれた、
 田淵勝義(転煙斎)の手による。彼の造営した社寺建築は
 八十五棟にのぼり、畿内から備後に及ぶ。

---------------(和気神社 境内案内板より)

社務所の外側に「撫で猪」がありました。
ウリ坊が可愛いですな。(´ω`*)

20190527_和気神社_019

最初に見た狛猪をもう一度撮影。
躍動感ありますね。

20190527_和気神社_020

【おまけ】
次の神社に行こうと駐車場に向かった際に、
地元のお爺さんが「どこから来たの?」と話しかけてきて
この神社について色々とお話ししてくださいました。
郷土愛がこちらにまでバリバリ伝わってきて、
お話を伺っていて楽しかったです。

最後の写真は鯉のぼり。
神社近くの「徳永こいのぼり」の辺りで撮影しました。
※白い車は全然知らない他人の車です。

20190527_和気神社_021

20190527_和気神社_022


ブログに訪問ありがとう!
記事が面白かったら拍手をポチッとして戴けると嬉しいです。
テーマ:岡山県
ジャンル:地域情報
2019年11月09日 (土) | 編集 |
2019.5.27 参拝 
『和気神社』にやって参りました。
ココは旦那が「今年は亥年だから行っておきたい」という事で
立ち寄った神社でございます。猪に関係ある神社なの?
と思ったかたは、下に貼ったリンク先を参考にして下さい。
http://wake-jinjya.com/picture
http://www.gooujinja.or.jp/inosisi.html

20190527_wakejinjya_001.jpg

こちらは「霞橋」
日笠川に架かる橋で俗界と聖界の境とされています。

20190527_wakejinjya_002.jpg

橋を渡ってすぐの景色。
和気清麻呂公の像が立っています。

20190527_wakejinjya_003.jpg

----------------------------
和気清麻呂公  〜その人と業績〜
 我が国の歴史の中で、国政に参加し参与し大きな働きをした
偉大な人物として、和気清麻呂公の名は全国に知られています。
 清麻呂公は、天平五年(733)備前の国藤野郡(和気町)に
生まれ、長じて国政に参与し、政治の浄化と革新に大きな役割
をはたしました。また、長岡遷都・平安京の建設・河川改修・
港湾工事を行い、学校を建てて人材の育成に務めるなど、
多くの業績を残しました。
 また姉上である広虫姫についても、その深い博愛精神は広く
知られるところであり、現在の福祉行政・人権尊重の祖と
いっても過言ではありません。
 そして子孫一族も、学問の振興や新しい仏教の導入に力を
入れ、医学を拓き、郷土においてはよく民の意見を聞き、
産業の振興に務める等、和気氏は平安時代の先覚者であると
ともに、郷土の誇りでもあります。
「我独慙天地」(われひとり天地にはず)
 京都護王神社の社宝である清麻呂公のご直筆書は、常に己を
反省しながら至誠と広い愛をもって公事を為した清麻呂公の
精神と、崇高な姿を現在に伝えております。

---------------(和気神社 境内案内板より)

和気清麻呂公の像がドーン!とお出迎え。

20190527_wakejinjya_004.jpg

----------------------------
和気清麻呂公の像について 
 この清麻呂公像は、高さが4.63メートルの青銅製で、
高さ1.8メートルの台座の上に立てられています。
 像は、明治・大正・昭和にわたり、わが国彫塑界で活躍
された、朝倉文夫氏が、自己の信念をこめて製作されたもので、
昭和十六年、当時の彫塑界ですでに長老的存在となっていた
氏の五十九歳の作品です。
 それは、紀元2,600年奉祝展覧会に出品された後、
橿原神宮に献納され、大和国史館で一般展示され、戦後は現在
の奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(旧館)に所蔵されて
いましたが、清麻呂公生誕1,250年を記念する年にあたり、
奈良県と朝倉氏ご遺族のご厚志により、清麻呂公の故郷である
和気町に譲与されました。そこで和気町では、石膏像である
この作品の永久保存と同時に、清麻呂公の顕彰をはかるため、
銅像として、この地に建立することとしました。
 町民こぞって、郷土を愛した清麻呂公の里帰りを祝福し、
像の建立をよろこび合い、ご尽力いただいた多くの方々に感謝
の意をこめて、その経緯をここに記します。

---------------(和気神社 境内案内板より)

こんな看板が。
旧拾円紙幣に清麻呂公と猪が印刷されたものがあるそうだ。

20190527_wakejinjya_005.jpg

亥年の絵馬型看板。

20190527_wakejinjya_006.jpg

鳥居とその両側に狛亥
さざれ石も置かれています。

20190527_wakejinjya_007.jpg

20190527_wakejinjya_008.jpg

「和気神社 四つのご利益」

20190527_wakejinjya_009.jpg

「隋神門」

20190527_wakejinjya_010.jpg

----------------------------
本殿、拝殿に続き、明治28年に造営されました。
随身の姿の守護神像を左右に安置した神社の門です。

---------------(和気神社 公式サイトより)

機種変したばかりのガラホの電池が何故かガンガン減るので
写真撮れなくなったらどうしようと焦りながら撮影。
何故こうなるんだと携帯をいじっていると、全然使っていない
アプリがバックグラウンドで動いていたりエコモードがオフに
なっていたりしていたことが判明。心の中で半分キレそうに
なりながら、要らん機能を全部切ってやりました。

新しい携帯にしたときの記事を貼っておこう。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2659.html
遠い地方に旅行して初っ端こうだと不安になるよね。(´・ω・`)

★その2に続く!
→ 更新までしばし待て。


ブログに訪問ありがとう!
記事が面白かったら拍手をポチッとして戴けると嬉しいです。
テーマ:岡山県
ジャンル:地域情報
2019年11月09日 (土) | 編集 |
2019.5.27 参拝 
神社は本宮の方ではありません。
これ以前の時期に使っていたガラケーからガラホに機種変。
使い慣れない操作をしながらの撮影でしたが上手く撮れて
いるかな。※画質は編集の時点で若干落としています。

20190527_和気_由加神社_001

20190527_和気_由加神社_002

20190527_和気_由加神社_003

20190527_和気_由加神社_004

20190527_和気_由加神社_005

由加神社
https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/17903/
御祭神:由加大神、八幡大神、素佐嗚大神、他二十余柱
----------------------------
御由緒 
 当神社の創立は不詳、現存している最古の棟札には平安時代
後期天永三年(1112年)和気氏が新田郷の総鎮守として
西久保方の上山上に八幡宮を建立したことが記されている。
爾来、和気氏(郡司)藤原氏(地頭)明石、村上氏等有力者の
崇敬が篤く、特に、播磨、備前、美作の守護であった赤松氏の
崇敬が篤かった。
南北朝時代、赤松則祐が足利尊氏に従い、九州で戦った時、
宇佐八幡宮に参篭し戦勝祈願を行なったところ軍利を得たので
神助に報いるため建武四年(1338)当神社を新しく造営し、
現在地に遷宮した。明治五年郷社に列せられ、由加神社と改称
した。明治四十二年各地区のお社を当社に合祀し、
現在に至る。

御宝物 
 神功皇后御鎧及び御陣草履 赤松則祐奉納御鎧 
赤松政則奉納御鎧 明石景行奉納矢 児玉因幡守為氏奉納馬具

祭り
春祭り/由加神社合祀祭 和気靖国宮戦没者慰霊祭
秋祭り/十月第三土、日曜日(昔は十月十七、十八)

御幸行
 室町時代までは天王山素佐嗚神社まで御幸行がおこなわれ、
流鏑馬、競馬が行われていた。現在では境内の御旅所まで
神輿三台を中心に氏子各地区より集まった子供神輿二十数台と
神輿の供人が矛、太刀、弓、幟等持って続き荘厳な御幸行が
行われている。

---------------(和気神社 境内案内板より)

こちらは「和気靖国宮」

20190527_和気_由加神社_006

----------------------------
祭神/本荘、藤野、和気出身戦没者 三百柱
例祭/五月第三土、日曜日


---------------(和気神社 境内案内板より)

静かで清掃が行き届いた綺麗な神社でございました。


ブログに訪問ありがとう!
拍手をポチッとして戴けると嬉しいです。
テーマ:岡山県
ジャンル:地域情報