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2019年07月18日 (木) | 編集 |
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御本殿四社を拝める所があるそうなので行ってみる。

20190125_丹生都比売神社_013

…と言っても屋根だけですけどね。
御本殿の四社、そして一番左手側にあるのが若宮です。

20190125_丹生都比売神社_014

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 第一殿から第四殿が左右に並んで社殿を構えています。
平成26年の「平成のご造営」の修復工事で本殿の塗装を
江戸初期の配色に戻しています。


-------------(丹生都比売神社 公式サイトより)

神社参拝の栞はこちらから(pdf)。
https://niutsuhime.or.jp/wp-content/themes/niutsuhime/files/about/goyuisho/yuisho.pdf

下の写真は「佐波神社」

20190125_丹生都比売神社_015

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 神饌所の横にある境内社です。
明治時代に地域の諸社を合祀した社です。


-------------(丹生都比売神社 公式サイトより)

お参りが済んだらこちらの方へ。

20190125_丹生都比売神社_017

来てみたはいいけど大峯修験者の碑以外は何もありませんね。
かつてこの場所には「御影堂」と「多宝塔」があったそうです。

20190125_丹生都比売神社_018

20190125_丹生都比売神社_019

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【御影堂跡】
 お堂は、三間(5.4m)、四方に三尺(90cm)の縁をつけ、
本尊は、大師尊像を安置していました。源頼朝の妻、二位の尼
(北条政子)によって建暦元年(1211)建立され、二位の尼が
熊野詣でのかえりに天野社に立ち寄り、三、四社殿の建立寄進
と共に女人禁制で高野山に登れない女人のためと、
夫頼朝の菩提を弔うために建てられたと言われています。

【多宝塔跡】
 二層の塔は、二間三尺五寸(4.65m)、周りに縁をつけ、
御本殿は、胎蔵界大日如来を安置し、神社周辺に建立された
中心的なものでした。
 十世紀中頃、高野山一度目の荒廃のとき、復興に当たった
雅山僧都によって建てられ、御影堂とおなじく神社に向かって
正面に建てられていました。堂と谷川の間、一段低いのが昔の
各堂塔の参拝道です。

-------------(丹生都比売神社 境内案内板より)

【光明真言板碑と大峯修験者の碑】

20190125_丹生都比売神社_020

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「光明真言板碑」

20190125_丹生都比売神社_022

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 大きな板碑は、光明真言曼荼羅碑と言います。
寛文二年(1662)建立され、正面の円形の部分に、中央下より、
時計の針の進む方向に、梵字で光明真言が、背面には、多くの
僧名が刻まれています。
 この頃より、光明真言講が形成され、この形の碑が建てられ
るようになりました。


-------------(丹生都比売神社 境内案内板より)

「大峯修験者の碑」

20190125_丹生都比売神社_023

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 高い石柱の四基は、大峯修験者(山伏)が、
大峯入峯に際し建てた碑で、県の文化財に指定されています。
 元は、神社輪橋を渡った所に建っていましたが、
明治の神仏分離により、此処に移されました。

 向かって右より
四号塔 延元元年(1336)泰助 外三十名
二号塔 正安四年(1303)定慶 外百七十名
一号塔 正応六年(1293)幸明 外九十名
三号塔 文保三年(1319)覚祐 外百八十名

-------------(丹生都比売神社 境内案内板より)

詳細不明の祠。

20190125_丹生都比売神社_024

★丹生都比売神社 おまけ記事に続く!
→ 更新までしばし待て。


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2019年07月18日 (木) | 編集 |
2019.1.25 参拝 
『丹生都比売神社』にやって参りました。

20190125_丹生都比売神社_001

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両部鳥居の様式。
両部とは密教の金剛界・胎蔵界のことで神仏習合が盛んだった
神社によく見られ、高野山と縁の深い丹生都比売神社の鳥居
にもみられます。


-------------(丹生都比売神社 公式サイトより)

「輪橋」
ここに来たのは今年の一月。
橋は凍結による転倒防止のため閉鎖されていました。

20190125_丹生都比売神社_003

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 神様がお渡りになる神橋ですが、丹生都比売神社の輪橋は
神さまのおかげをいただくために、参拝者も渡ることができる
ようになっています。 半円形に沿った形が別名、太鼓橋の由来に
なっており、坂のような傾斜になっています。


-------------(丹生都比売神社 公式サイトより)

20190125_丹生都比売神社_006

こちらは「鏡池」

20190125_丹生都比売神社_007

続いて「中鳥居」。大正6年に一度焼失。
平成22年10月16日に再建されたそうです(軒高7メートル超)。

20190125_丹生都比売神社_008

一月はとても寒く、手水舎の柄杓の水が凍結。
神社で手を清める時にはけっこう厳しい季節だったりw
「うわぁあぁぁぁーーっ!冷たい!」って声が出てしまいます。

20190125_丹生都比売神社_009

さて、お参りをしましょう。

20190125_丹生都比売神社_010

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楼門
 室町時代に建立された入母屋造・檜皮葺きの堂々とした楼門。
本殿とともに重要文化財の指定を受けています。
一般のご参拝はこの楼門前からとなります。


-------------(丹生都比売神社 公式サイトより)

20190125_丹生都比売神社_011

丹生都比売神社
https://niutsuhime.or.jp
御祭神/第一殿:丹生都比売大神、第二殿:高山御子大神
    第三殿:大食都比売大神、第四殿:市杵島比売大神
    若宮:行勝上人
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 紀ノ川より紀伊山地に入り標高450メートルの盆地天野に
当社が創建されたのは古く、今から千七百年前のことと伝えられ
ます。天平時代に書かれた祝詞である『丹生大明神告門』に
よれば、丹生都比売大神は天照大御神の御妹神さまで稚日女命
とも申し上げ、神代に紀ノ川流域の三谷に降臨、紀州・大和を
巡られ農耕を広め、この天野の地に鎮座されました。
また、『播磨国風土記』によれば、神功皇后の出兵の折、
丹生都比売大神の託宣により、衣服・武具・船を朱色に塗った
ところ戦勝することが出来たため、これに感謝し応神天皇が社殿
と広大な土地を神領として寄進されたとあります。

 ご祭神のお名前の「丹」は朱砂の鉱石から採取される朱を
意味し、『魏志倭人伝』には既に古代邪馬台国の時代に丹の山が
あったことが記載され、その鉱脈のあるところに「丹生」の地名
と神社があります。丹生都比売大神は、この地に本拠を置く
日本全国の朱砂を支配する一族の祀る女神とされています。
全国にある丹生神社は88社、丹生都比売大神を祀る神社は108社、
摂末社を入れると180社余を数え、当社はその総本社であります。

------------------------(↓続く)

20190125_丹生都比売神社_012

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 丹生都比売大神の御子、高野御子大神は、密教の根本道場の地
を求めていた弘法大師の前に、黒と白の犬を連れた狩人に化身
して現れ、高野山へと導きました。弘法大師は、丹生都比売大神
よりご神領である高野山を借受け、山上大伽藍に大神の御社を
建て守護神として祀り、真言密教の総本山高野山を開きました。
これ以降、古くからの日本人の心にある祖先を大切にし、自然の
恵みに感謝する神道の精神が仏教に取り入れられ、神と仏が共存
する日本人の宗教観が形成されてゆきました。
 中世、当社の周囲には、数多くの堂塔が建てられ(絵図参照
3DCG再現映像)明治の神仏分離まで当社は516人の神主と
僧侶で守られてきました。

また、高野山参詣の表参道である町石道の中間にある二つ鳥居は、
神社境内の入口で、まず当社に参拝した後に高野山に登ることが
慣習でした。 鎌倉時代には、行勝上人により気比神宮から大食都
比売大神、厳島神社から市杵島比売大神が勧請され、社殿が北条
政子により寄進され、本殿が四殿となり、このころから舞楽法会
が明治のはじめまで盛んに行われます。現存する本殿は、
室町時代に復興され、朱塗りに彫刻と彩色を施した壮麗なもので、
一間社春日造では日本一の規模を誇り、楼門とともに重要文化財
に指定されています。
 尚、平成十六年七月「紀伊山地の霊場と参詣道」の丹生都比売
神社境内として世界遺産へ登録されました。

-------------(丹生都比売神社 公式サイトより)

【‪丹生都比売神社仮想再建CG‬】


★その2に続く♪
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2019年07月09日 (火) | 編集 |
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大楠まで誘導するかのように、不自然に黄色い珪藻土で固めた
とっても歩きづらい変な参道が出来ていました。なんなのコレ。
神社ならばもっと自然と調和した美しい参道をだな…

大楠への小路の詳細。
http://www.kinomiya.or.jp/top/komichi.html

20190117_kinomiya_019.jpg

20190117_kinomiya_020.jpg

http://www.kinomiya.or.jp/top/ookusu.html
-----------------------------
大楠の由来 
 大昔の大楠を御神体として、よろずの人が信仰していたもので、
いわゆるひもろぎ神社であった。樹齢は二千年以上と謂れており
ます。古くからそのまわりを一周廻る毎に一年間生き延びると
伝えられ、廻った人は医者いらずといい、一名不老の楠とも
呼ばれている。此の大楠の由来は宮地直一・加藤玄智両博士の
著書にも明かである。昭和八年二月二十八日に文部省より国定の
天然記念物に指定された。


※こちらの文章は神社入り口鳥居そばにあった案内板のもの。
------------------(来宮神社 案内板より)

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-----------------------------
日本最樹齢の楠 国指定天然記念物 大楠
    文部省大臣指定 昭和八年二月二十八日
      樹齢 二千年以上/周囲 23.9m/高さ 26m以上
御由緒
 古代においては此の楠へ神の御霊をお招きして、お祀りして
おりました。現在は当社の御神木となっております。此の大楠は
二千年の間、世の天変地異を経て今の世に至りましてもその樹勢
は衰えずいよいよ旺んにして根は深く大地をふまえ巌石の如き
様相を呈し「延命長寿」の象徴とされています。
世の貴顕紳士をはじめあらゆる方々が訪ねて来られ、此の大楠の
前にたたずみ何物かを感得されて帰られます。

※こちらの文章は大楠のそばにあった案内板のもの。
------------------(来宮神社 案内板より)

ぐるっとまわっていきましょう。

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大楠の裏側です。大楠をスケッチする人・写真を撮る人・
大楠に祈る人・大楠を仰ぎ見る人・そっと触れる人…この大楠は
この場所で二千年もの間ずっと、様々な歴史・多くの人間たち・
人々の営み・人々の願いを見送ってきたんだなと思うと感慨深い
ですね。私が生きているン十年なんて短い短い。

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この大楠は二千年、どんな風景を見てきたのだろう。
変な事を言うようだけど、この大楠を通してそれを全て見たい。

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嬉しいことや悔しいこと、悲しいことや楽しいことの全て、
もしも大楠の気持ちを知る事が出来るなら、私はこの大楠に
大昔の色々な事を教えてもらい、お喋りがしたいです。
魔法でも使えない限り、絶対に叶わない事だけど。

私がいなくなった後もきっとこの大楠は生き続け、
私が見ることのできない未来をも見届けることだろう。
遠い未来、この樹の周りにはどんな人達が集っているのか。

★その4に続くよ!
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2019年07月08日 (月) | 編集 |
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「弁天岩」の上には弁財天のお社が、
その周りには池があり、鯉が泳いでいます。

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「御鳳輦」(ごほうれん)。

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来宮神社例大祭 毎年7月14日〜16日
 今から千三百年の昔、御祭神の五十猛命の御神像が漁夫の網
にかかり引き上げられました。漁夫が麦こがし・百合根・橙・
ところをお供えすると、とても喜ばれたと云われています。
祭りの名“こがし祭り”は此の故事から来ており、今でも例大祭
にはこの四品を新撰としてお供えします。古より熱海では
「麦こがし」に触れ、食することにより無病息災・身体健全に
なると言い伝えられています。
 毎年例大祭は、7月14日宵宮祭に始まり、7月15日宮神輿渡御、
7月16日の神幸祭では、麦こがしを撒く猿田彦命(天狗)の先導
により、「42歳の地元の男性」が来宮の神々を御鳳輦に乗せ、
街の繁栄を祈り市街・浜に降ります。100年以上続く伝統、
総勢500人の御神幸行列は壮大な時代絵巻の再現となります。

------------------(来宮神社 案内板より)

さて、お参りをしましょう。

20190117_kinomiya_018.jpg

来宮神社
http://www.kinomiya.or.jp/
御祭神:大己貴命・日本武尊・五十猛命
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 社伝によると、およそ三千有余年前大己貴命(大国主命)
が国を治めるため、遠い西の国(現在の島根県)より諸神を
率いて海を渡り、伊豆の国のこの地に(現在の熱海市の海岸)
に上陸されて此の地をお治めになり、ここは温泉に恵まれ
気候風土よく、その上諸物資の豊かな所なので、非常にお喜び
になり、ここに居を定められ、当神社が其の跡と伝えられて
いる。その後、第十二代景行天皇の御代に御東征になられた
日本武尊をおまつりし、第四十三代元明天皇の 御代に
(約千三百年前・和銅三年)五十猛命をお祀りしたと伝えられ
ている。

------------------(来宮神社 案内板より)

★その3に続くよ!
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