定食屋さんに訪れるような感覚で見てもらえたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々。ヲタクなネタから神社めぐりまでw
| Login |
2018年07月14日 (土) | 編集 |
さて、この間「縄文の神秘」というタイトルで写真をアップした
ワケですけれども、あの時どこへ行っていたかというと…
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2209.html

2018.7.10 探訪 
東京国立博物館(平成館)の『縄文展』!
http://jomon-kodo.jp

20180710_東京国立博物館_縄文展_001

良いお天気でしたよ♪

20180710_東京国立博物館_縄文展_002

20180710_東京国立博物館_縄文展_003

看板どどーん!

20180710_東京国立博物館_縄文展_004

国宝の「縄文のヴィーナス」「仮面の女神」の展示は、7月31日
からの模様。そのほかの国宝土偶はもう既に展示されています。
でもまだ来ていない二つの土偶は二年前に見ちゃったからいいやw
(過去ログ↓茅野市で見た時は自由に撮影もOKだったし…)
1)http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-1231.html
2)http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-1236.html

20180710_東京国立博物館_縄文展_005

会場到着ー。

20180710_東京国立博物館_縄文展_006

記念撮影スポットがありました。
「自分の推しはこの土偶!」というタスキが置いてあるので、
それをかけて、ココで写真を撮るといい感じになりますよw
(私は縄文のヴィーナス推しで記念撮影♪)

20180710_東京国立博物館_縄文展_007

会場内は撮影が禁じられていたので、YouTubeから動画を拝借。



一番最後のコーナーには撮影が可能な場所もあります。
写真が撮れるのはこれだけですけどねw

20180710_東京国立博物館_縄文展_008

20180710_東京国立博物館_縄文展_009

数々の展示物の中には、粘土板に押し付けて焼いた、
縄文人の赤ちゃんの手形や足型もあってワクワクしましたよ。
動物の土偶なんかもあって可愛かったです。

ずっと大昔の人が作った沢山の土器や土偶について現代の人々が
「これはきっと、こういう事に使ったものではないだろうか?」
と大真面目に議論していますけれども、実際のところそれらが
何に使われていたかなんて、縄文人にしかわからない物もきっと
中にはあるかも知れませんね。

縄文人たちも流石に自分たちが一生懸命作ったものを、
時代を超えてガラスケースに入れられ、現代人が鑑賞するとは
予想もしていなかっただろうなw

20180710_東京国立博物館_縄文展_010

9月2日まで開催されているそうなので、
皆さんも見に行ってみてはいかがでしょうか。
縄文人が作っているところをあれこれ想像しながら展示物を見る
のは結構楽しいですよ♪「何を考えながら作ってたのかな?」
「この部分の細工は苦労しただろうなー」なんてね。

-----------------------------
東京国立博物館
http://www.tnm.jp
住所/東京都台東区上野公園13-9

-----------------------------

【おまけ】
ヲタクが所持している現代のフィギュアがもしも未来で発掘
されたとしたら、未来人はクソ真面目に議論するのだろうか?w
「どうしてこの像は、こんなにも異常に乳が大きいのだろう?」
「五穀豊穣・子孫繁栄を願って作られたものに違いない!」
「マスクをしている像もあるが何を意味するのか?」
「きっと儀式的な時には、そのような姿をしていたのだろう」
…とかさw


あなたの応援がブログ継続の活力となっています。
拍手やランキングをポチッとよろしくね!
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
テーマ:趣味と日記
ジャンル:趣味・実用
2018年07月07日 (土) | 編集 |
2018.2.15 参拝 
『大樹寺』にやってまいりました。
ここは松平家・徳川将軍家の菩提寺でございます。

20180215_daijyuji_001.jpg

20180215_daijyuji_002.jpg

-----------------------------
【本堂】
文明7年(1475)松平四代親忠公が勢誉愚底上人を開山として
創建。安政2年の火災により焼失、安政4年(1857)徳川十三代
将軍家定公再建。本堂は間口十五間、奥行十三間の大伽藍。
先づ本堂に参拝し、文化財収蔵庫、位牌堂を経てから境内を巡る
とよい。大方丈、文化財収蔵庫、位牌堂は有料。

------------------(大樹寺 参拝の栞より)

20180215_daijyuji_003.jpg

由緒を書き写そうと思ったら長いッスね。
何だか看板が写経のように見えてきました…(´・ω・`)
なので文章は公式サイトより拝借しておきます。

20180215_daijyuji_004.jpg

浄土宗 成道山松安院 大樹寺
http://home1.catvmics.ne.jp/~daijuji/
御本尊:一光千体阿弥陀如来・如意輪観世音菩薩
-----------------------------
(「大樹寺の歴史」=発行大樹寺 に次のように記されています)
 成道山松安院大樹寺は、安城城主松平左京亮親忠法名大胤西忠
が真蓮社勢誉愚底を開山として文明7年(1475)2月22日創建
した浄土宗の寺院である。創建のいきさつを寺伝は次のように
伝えている。
 応仁元年(1467)8月23日、尾張品野、三河伊保の軍勢多数が
井田野に攻め寄せた。親忠は5百余騎で伊賀村の東いらご縄手で
迎え撃ち、一夜と半日の戦いでこれを撃破、細川、大沢まで追撃
して潰走させた。このときの戦死者を葬った塚を首塚とも千人塚
とも呼んだが、その後9年を経た文明7年になって、
戦死者達の亡霊が騒ぎ出し、塚がしきりに鳴動してときの声が
たえることなく、近辺に悪病が流行することになった。
この亡霊を弔うために親忠は塚のほとりに念仏堂を建て、碧海郡
宇祢部郷福林寺の住職勢譽愚底を招いて7日間の別時念仏を修し、
その功力で亡霊を鎮めた。この念仏堂は後の鴨田西光寺で、
その後親忠は菩提寺として大樹寺を建立し、勢譽を開山とした。

 もっとも、この寺伝には異説が多い。大樹寺そのものが亡霊を
鎮めるためのものと言い、あるいは鎌倉時代以来大寿寺と言う
浄土宗の草庵があったという説もある。

-----------------(大樹寺 公式サイトより)

中に入ってお参り&見学をいたしましたが、本堂より内部は撮影
が禁じられていたため、YouTubeから動画を拝借しておきます。

ちなみに位牌堂には、徳川歴代将軍の位牌(亡くなった時の身長
と同じ大きさのもの)が安置されていますが、徳川最後の将軍
慶喜さんの位牌だけは置かれていません。理由は、慶喜さんだけ
仏式ではなく、神式の葬儀だったからだそうです。

岡崎市広報動画・チャンネルおかざき「岡崎まちものがたり」


続いての写真は「鐘楼」

20180215_daijyuji_005.jpg

-----------------------------
【鐘楼】
寛永18年(1641)三代将軍徳川家光公建立。
楼上の大鐘は九代将軍家重公改鋳の名鐘である。

------------------(大樹寺 参拝の栞より)

続いて、大樹寺の「山門」を外側から撮影致しました。
ちなみにこの門の内側より、真っ直ぐ外を見つめると岡崎城が
見えるのです。皆さんも是非直接確かめてみては如何でしょう。

20180215_daijyuji_006.jpg

-----------------------------
【大樹寺 山門】
寛永18年(1641)三代将軍徳川家光公建立。
楼上に後奈良天皇御宸筆「大樹寺」の勅額(重要文化財)が
掲げてある。また釈迦三尊十六羅漢を安置している。
境内から山門、総門をとおして、その真中に岡崎城が見える。

------------------(大樹寺 参拝の栞より)

岡崎市広報動画「ビスタライン」


-----------------------------
今に伝わる歴史的眺望「眺望ライン(ビスタライン)」
 ビスタラインの「ビスタ」は「眺望・展望」を意味し、
大樹寺と岡崎城を結ぶ、高低差を利用した約3kmの直線を
「眺望ライン(ビスタライン)」と呼んでいます。
 これは徳川三代将軍家光公が、家康公の十七回忌を機に、
「祖父生誕の地を望めるように」との想いを守るため、
徳川家の先祖、松平家の菩提寺である大樹寺の本堂から山門、
総門(現在は大樹寺小学校南門)を通して、その真中に岡崎城
を望むように伽藍を整備したことに由来しています。
 時は移り、岡崎城も再建されましたが、大樹寺と岡崎城を
結ぶ歴史的眺望は往時のままで、門越しに望む岡崎城は、
まるで額のなかの絵のようです。

-----------------(大樹寺 境内案内板より)

下の写真は「多宝塔」

20180215_daijyuji_007.jpg

20180215_daijyuji_008.jpg

-----------------------------
国指定重要文化財 大樹寺多宝塔(付棟札)一棟
 多宝塔とは仏塔の一形式で、平面が下重方形、上重円筒形、
上下の連続部が饅頭型の二重塔のことである。
 大樹寺の多宝塔は室町時代のもので、この寺に残る中世建築の
唯一のものである。松平七代清康により天文四年(1535)に
建立された。
 下層は方三間、総円柱、斗組二手先尾垂木付として、
また上層は漆喰塗りの亀腹上に円形の塔身を立て、四手先で
軒をささえる。屋根は桧皮葺、鉄製相輪を上げ、軒隅には風鐸が
つるされている。塔内部には禅宗様の須弥壇を置き、
その上には春日逗子を据え、本尊の多宝如来像を安置する。
 この多宝塔は上下層の釣り合いもよく、蟇股や木鼻の絵樣
および彫刻、その他の細部様式も古風でていねいに作られ、
この時期としては和様色の強い建造物である。
 明治三十七年二月十八日指定。

-----------------(大樹寺 境内案内板より)

大樹寺小学校南門前にて。
学校前で写真を撮っている不審者がいる!とか通報されそうw
岡崎城をここから眺めようとしたけど、ちっちゃくてね…
写真撮ったけど、コレだとわからないですね。

20180215_daijyuji_009.jpg

20180215_daijyuji_010.jpg

20180215_daijyuji_011.jpg


ブログに訪問ありがとう!
拍手やランキングをポチッとよろしくね♪
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
にほんブログ村 その他趣味ブログ 多趣味へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
テーマ:神社仏閣
ジャンル:学問・文化・芸術
2018年07月04日 (水) | 編集 |
公園内とお城の写真が見たい人はこちらから読んでください。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2194.html

2018.2.15 参拝 
岡崎城本丸に鎮座する『龍城神社』です。
(社殿はお城のすぐ隣にあります)

20180214_tatukijinjya_001.jpg

そんなに大きくは無いですけどね。

20180214_tatukijinjya_002.jpg

龍城神社
http://home1.catvmics.ne.jp/~tatuki/
御祭神/徳川家康公・本多忠勝朝臣・天神地祇・護国英霊
-----------------------------
 往昔、三河の守護代西郷弾正ェ門稠頼が此の地に築城成る日、
何処ともなく柳の五ッ衣に紅の袴をつけた気高い乙女が天守に
現われ、「われはこれ歳久しく此の処に住む龍神なり、汝われを
鎮守の神と崇め祀らば永く此の城を守護し繁栄不易たらしめん」
と、おりしも城中の井水噴き出で、高く天に沖し飛瀑の如く龍神
に注ぎ、一群の黒雲舞い下りて天守を包むと見るまに龍神の姿は
忽ち消えうせた。此の不思議に城主おどろき、天守楼上に龍神を
祀って城地鎮守と崇め永く加護を祈り、城の名を龍ヶ城、
井の名を龍の井と称えしと云う。

 天文十一年十二月二十六日、後の征夷大将軍徳川家康公、
幼名竹千代君此の城に産声をあげ給う。
この英雄児の生まれ出づるを待つが如く、城楼の上に雲を呼び
風を招く金鱗の龍を見たりと云う。今に龍神の井、産湯の井、
東照公胞衣塚を存する。

 東照公戦乱の世を鎮め天下を統一し、万民和楽の大業を達成
して世を去り給う。その偉業を称え、城内に東照宮を奉祀した。

 後に本多忠勝公を合祀し、大正三年県社に昇格、
神饌幣帛料供進神社に指定せされ、岡崎市の中心神社として
崇敬せられた。昭和三十七年社殿再建の議成り、広く崇敬者の
浄財を得、また日光東照宮より神木の寄進を受け、社殿を竣成。
天神地祇、全市旧領の護国の英雄を配祀した。
 諸人の尊崇益々厚く諸願成就、開運守護の霊験いやちこな
大社である。

----------------(龍城神社 公式サイトより)

この戦争記念碑は「忠義護邦家」碑
日露戦争直後の1906年に建立されたそうだ。
忠義護邦家碑の前には明治39年(1906)2月に献納された灯籠。

20180214_tatukijinjya_003.jpg

その他、神社や忠義護邦家碑に関する詳しい話は
下記リンク先の資料(pdf)を参考にしてみてください。
https://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/6595/1/BB25180515_015_022.pdf


ブログに訪問ありがとう!
拍手やランキングをポチッとよろしくね♪
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
にほんブログ村 その他趣味ブログ 多趣味へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
テーマ:神社仏閣
ジャンル:学問・文化・芸術
2018年06月29日 (金) | 編集 |
検索でいきなりこの記事に辿り着いた人は、その1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2194.html

岡崎城遠景。

20180214_okazakijyou_009.jpg

「徳川家康公銅像」
https://okazaki-kanko.jp/okazaki-park/guide/16

20180214_okazakijyou_010.jpg

-----------------------------
 天文11年12月26日(西暦1542年)岡崎城公園内二の丸
(現在の能楽堂)で生まれた。幼少の頃人質として苦難の道を
歩き、自立した後は天下統一をめざし、転戦を続け、
慶長5年(1600年)天下分目の関ヶ原の合戦に大勝して、
天下をおさめるにいたった。以後持前の才能を生かし、全国統一
の念願をかなえるとともに、徳川幕府300年の基盤をも作り、
元和2年4月17日(西暦1616年)75才でこの世を去った。
この像は昭和40年家康公350年祭を記念して建てたものである。

------------------(岡崎公園 案内板より)

「松平元康像」
https://okazaki-kanko.jp/okazaki-park/guide/17

20180214_okazakijyou_011.jpg

20180214_okazakijyou_012.jpg

-----------------------------
 この元康像は1992年に開催された、「家康公生誕450年祭」
の一環として、450年祭実行委員会が市内外から寄付を募って
設置し、岡崎市へ寄贈したものです。若き元康(徳川家康)の
騎馬像は城を背にし、大権現として再生する日光東照宮の方角
を向いています。
背景の石垣と滝は治世を象徴し、元康が胸に秘めた国盗りの夢
が、生誕の地、岡崎の土中から盛り上がる様を表しています。

------------------(岡崎公園 案内板より)

訪れたこの時期は、梅が綺麗に咲いていました。

20180214_okazakijyou_013.jpg

20180214_okazakijyou_014.jpg

再び、岡崎城を遠くから撮影してみる。

20180214_okazakijyou_015.jpg

小さくてわからないと思いますが、石垣の下に鴨が整列。

20180214_okazakijyou_016.jpg

お城に到着ー。
https://okazaki-kanko.jp/okazaki-park/guide/2
中は資料館的な感じになっていて、城という城ではなく、
特に惹かれるものも無さそうなので見学していません。

20180214_okazakijyou_017.jpg

20180214_okazakijyou_018.jpg

20180214_okazakijyou_019.jpg

-----------------------------
 15世紀中頃(室町時代)、西郷弾正左衛門頼嗣(稠頼)が
現在の岡崎城の位置にはじめて城を築き、のちに家康の祖父で
ある松平清康が入城し本格的な岡崎城を構えた。
1542年(天文11年)12月26日、徳川家康はここ岡崎城内で誕生
した。江戸時代、岡崎城は「神君出生の城」として神聖視され、
本多氏(康重系統/前本多)、水野氏、松平氏(松井)、
本多氏(忠勝系統/後本多)と、歴代譜代大名が城主となった。
石高は5万石と少なかったが、大名は岡崎城主になることを誇り
としたと伝えられる。
 現在の天守閣は1959年(昭和34年)に復興され、3層5階の
鉄筋コンクリート構造となっている。2階から4階は江戸時代の
岡崎を紹介する展示室で、5階は展望室となっており三河平野
を一望することができる。

------------------(岡崎公園 案内板より)

「東照公遺訓碑」

20180214_okazakijyou_020.jpg

20180214_okazakijyou_021.jpg

-----------------------------
 この東照公遺訓碑は、額田郡岩津町奥殿(岡崎市奥殿町)
出身の加藤賢治郎翁が岡崎市へ寄贈されたものである。
 翁は、岡崎銀行(東海銀行の前身)を創立し、長く同行頭取、
相談役として金融界に尽力されたのをはじめ、岡崎商工会議所
会頭として、本市の経済界の発展に寄与され、昭和十八年三月
九十八歳の天寿を全うされた。
 翁は、終生、徳川家康公の遺訓を座右の銘とされ、
これを後世の市民の教化育成に資するため、家康公研究者柴田
顕正氏の相図り、この実現の為に時の小瀧市長の賛意を得て
建立に到った。
 碑文の文字は田安家徳川達孝氏に、礎石は万年の亀を据え、
碑頭には竜城を象徴する竜を配し、制作施工は岡崎石工研究所
長池上年氏に委ねられた。
 碑裏面には、昭和十一年四月十六日建立とのみ刻み、
寄贈者名は翁の意志により省略されたままであるが、本年は、
遺訓碑が建立されて五十年、また、岡崎市制七十周年の記念
すべき年にあたり、記念事業の一環として、この遺訓碑建立の
由来を記し、あわせて加藤九十八翁を顕彰する次第である。

------------------(岡崎公園 案内板より)

★岡崎城横、龍城神社の記事に続く!
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2203.html
★公園内にいた猫さんの記事はこちら。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2204.html


ブログに訪問ありがとう!
拍手やランキングをポチッとよろしくね♪
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
にほんブログ村 その他趣味ブログ 多趣味へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
テーマ:史跡
ジャンル:学問・文化・芸術