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2019年01月17日 (木) | 編集 |
検索でいきなりココに辿り着いた人は、その1からどうぞ。
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神社社殿の裏手にはゴツゴツした岩山があります。そして、
この岩山こそが、神社の御祭神である武葉槌命が甕星香々背男の
霊力を封じた岩なのだとか。その岩を上から抑えるかのように、
武葉槌命の御本殿が鎮座しています。

登ってお参りができるそうなので行ってみましょう。

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まずは石段をのぼります。
ちなみに下の写真、右手に見えるのは「大杉神社」

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途中で石段がなくなるけど、上まで頑張ろう。

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ちなみにこれらの岩群は、日本最古といわれている
カンブリア紀(約五億年前)の地層だそうです。

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進んで行くと、拝殿裏手にあった小さなお社が見える。

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さあ、もうちょっと頑張ろう。
鎖場(もじずり石)が見えてきたよー。

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よいしょ…鎖を掴んでのぼって…
足を滑らせないように気をつけてねー。

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のぼってきた鎖場を上から見てみる。
下に見える屋根は神社の拝殿。

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武葉槌命が鎮座する御本殿が見えたよー。

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到着ー♪( ^ω^ )

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久慈郡大甕山で甕星香々背男を封じた巨石を、
武葉槌命が蹴り飛ばしたところ、砕けた石の一つが海中に落ちて
「おんねさま」(日立市久慈町の海岸から沖の方へ約4kmの石)
となり、残りは石神(東海村)、石塚(城里町)、石井(笠間市)
に飛んだと伝えられています。

武葉槌命は大甕山に葬られ、お祀りされていましたが、
水戸藩主徳川光圀公によって甕星香々背男を封じ込めた現社地に
御遷座されたというお話です。

★その3に続くよ♪
→ 更新までしばし待て。


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2019年01月17日 (木) | 編集 |
2018.9.12 参拝 
「大甕(おおみか)神社」へやって参りました。
ココには、つよーい神様がお祭りされているんですよ♪

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神社の拝殿を右から&左から。

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御祭神の「武葉槌命」という神は、最強の武神といわれている
鹿島の武甕槌命さんと香取の経津主神さんですら散々手を焼いて
倒せなかった相手「甕星香々背男」を従わせる事の出来た神様。
甕星香々背男を倒した後はこの地にとどまり、人々に織物の技術
を伝えたといわれています。

ちなみに武葉槌命に倒された「甕星香々背男」は星の神で、
武葉槌命と同様、日本書紀にのみ登場する神様です。

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大甕神社
http://omikajinjya.sakura.ne.jp
主祭神:武葉槌命(建葉槌命)
地主神:甕星香々背男(天津甕星 亦の名 天之香々背男)
-----------------------------
 當社の創祀は詳らかではありませんが、
社伝によれば皇紀元年(紀元前660年)とあります。
鹿島・香取の二神が、服はぬ国津神・草木石類にいたるまで
平定するも、唯一、甕星香々背男と称する星神を征服すること
ができずにおりましたところ、二神に替わって大甕に赴き
地主神の霊力を宿魂石に封じたのが倭文神武葉槌命であったと
伝えられています。

 此の地の住民、国土開発と国家安寧に尽力された神として、
大甕山上の古宮の地に祀り祭祀が行われておりました。
時は移り、江戸期元禄八年旧暦四月九日藩命により
甕星香々背男の磐座、宿魂石上に遷座されてより三百年の
星霜を経て今に至ります。

----------------(大甕神社 公式サイトより)

旧社務所の側にあった記念碑。

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毎月一日のみにしか手に入れる事の出来ない、
限定のお守りがあるそうですよ。
http://omikajinjya.sakura.ne.jp/goods/index.html

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拝殿の裏手側。

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拝殿向かって右手に鎮座する「稲荷神社」

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「八坂神社」

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「御神輿殿」

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★その2に続くよ!
次の記事では武葉槌命がお祀りされる御本殿へ!
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2019年01月11日 (金) | 編集 |
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この神社に訪れたら、注目してみて欲しいのはこのおみくじ。
吉田神社で唯一「凶」の入っているおみくじで、
もしもおみくじをひいて「凶」が出た人は授与所にて申し出ると
吉田神社オリジナル『転禍為福(禍転じて福と為す)』御朱印帳
がいただけるそうです。

私と旦那とで一回づつひいてみましたが、
凶は出ませんでした。(^ω^;)

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もう暫く境内を散策しましょう。

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下の写真は「大国主事代主神社・疱瘡守護神社・八幡宮・
住吉神社・多賀神社・松尾神社」

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幣殿に向かって右手の奥へ進みます。

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「早歳神社・国見神社」。

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吉田神社の御本殿。

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さて、これは何でしょう?

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正解は「縁結びの笹」です。
徳川光圀公(水戸黄門)お手植えの笹で、この笹の葉を利き手と
反対の手で結んで上手に結べると「願いが叶う」と言われている
とか何とか。

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おぉ!結べたぞ…!
左手で結ぶの結構大変だったけど、頑張ってみた。
「私が描くイラストを沢山の人に好きになって貰いたい」
と願っておきました。叶うといいな。(´・ω・`)

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「吉田天満宮」。

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皆さんも茨城に訪れたら、吉田神社へ参拝いかがでしょう。


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2019年01月09日 (水) | 編集 |
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「日本武尊 御遺蹟」でお参りを済ませ、さらに進みます。

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吉田神社では秋に例大祭が行われるようで、こんな説明文が。

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-----------------------------
吉田神社の秋季祭礼 
 吉田神社の秋季祭礼は、日本武尊を祀る吉田神社の祭礼で、
毎年10月15日に近い金・土・日曜日に開催されます。
吉田神社は常陸第三宮として、古来より高い格式(延喜式内
名神大社)を誇っています。
 初日に例大祭と夜祭、2日目と3日目には御神体を神輿に遷し、
氏子町内を巡り神社に戻る神幸祭と還幸祭が行われます。
神幸祭では、神社の境内で三角山神事が、那珂川の河岸にあたる
細谷舟渡(城東5丁目)で舟渡神事が行われます。
古い文献によると、日本武尊が細谷から小舟で三角山に鎮座
(神がとどまること)したとされており、茨城の太平洋岸の神事
にみられる「神霊が鎮座地から、最初に上陸した海岸に赴き、
神の力の回復を願う」という「磯出」「浜降り」の要素を持つ
貴重な祭礼です。
 現在は実行委員会が結成され、下市を代表する祭礼として定着
しています。神幸行列では、7基の山車や「台町のささら」
が加わり、地元の多くの人々が参加するとともに、
見物人も多数訪れて賑わいを見せます。吉田神社の秋季祭礼は
水戸の秋を彩る、歴史と伝統のある祭礼です。

----------------(吉田神社 境内案内板より)

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こちらは吉田神社の「隋神門」。

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阿吽の狛犬。

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奉納された酒樽。

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さて、お参りしましょうかね。

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吉田神社
https://yoshidajinja.jp/
御祭神:日本武尊
-----------------------------
 尊が東夷平定の帰途、常陸を過ぎて兵をこの地朝日山に留めて
憩わせた故事を以って、この地に神社を創建し尊を奉祀した。
尊の御休憩の場所は今日も三角山と称し境内見晴台の一角を占め、
神聖な処として伝え残されている。
創建の年紀は詳らかではないが、当社の古文書によれば正安4年
(西暦1301年)は、御創建以来800余年に当たるとあるので、
これより推定すると、顕宗天皇(485)と仁賢天皇(498)の
御代の間に遡るもののようである。
後に後鳥羽天皇は建久4年(1193)国司に勅して社殿を改造せられ
12月遷宮式を行い、これより後は鹿島神宮(旧官幣大社)
の遷宮についで当社の遷宮が行われるのを例とした。
次いで亀山天皇は弘長元年(1261)2月20日本社の神位を従一位
より正一位に進め、後陽成天皇の父、誠仁親王は天正4年(1576)
に御手ずから第三宮の三字を記され、大宮司田所清恒に賜り
当社の扁額とされた。更に後光明天皇の慶安元年(1648)10月
には、大将軍源家光が「吉田宮印」の朱印を下され、
権中納言源頼房は水戸に封ぜらるるや尊の功烈を慕われ、
その子贈大納言源光圀に至っては、尊崇最も敦く旧制に従って
本殿(神明造)拝殿・神殿・神楽殿・宝蔵・階・玉垣等を造営し、
八乙女・神楽男五人を置き盛大な斎祀を行われた。

------------------------(↓続く)

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-----------------------------
 現在においても尚毎年10月中旬の金・土・日曜には、
旧下市周辺を挙げて盛んな神輿渡御の神事が行なわれ、細谷町
舟渡の那珂川岸に渡御することは今も古例の通りである。
尊が朝日山に憩わせ給うた折、舟を藤蔓でつないでこの朝日山に
登られたと伝えられ、今に存する藤柄町の町名はこれより出た
ものであるとされている。
 現在三角山のある一角は、見晴台と呼ばれ茨城百景の内でも、
特に優れた勝地と称えられているが、この高地に立てば一望千里
水戸市を眼下に収め、視界の及ぶところ近くはひたちなか市、
湊の反射炉、遠くは阿武隈山脈のなだらかに起状しつつ静かに
尾を引き彼方に達し、まことに史蹟と眺望とを兼ね備えた
天下有数の神域である。

----------------(吉田神社 公式サイトより)

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