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定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2021年05月11日 (火) | 編集 |
2020.11.11 探訪
「崇道天皇八嶋陵」にやって参りました。

20201111_崇道天皇八嶋陵_001

20201111_崇道天皇八嶋陵_002

崇道天皇(早良親王)は「天皇」とついてはいるが、
正式には皇位継承をしていない。色々とややこしい事があって
(この辺長くなるので気になる人は各自調べて下さい)
怨霊と呼ばれてしまい、その御魂を鎮める為に早良親王は没後
「崇道天皇」と追号された。

20201111_崇道天皇八嶋陵_003

日本の三大怨霊は「菅原道真・平将門・崇徳天皇」
と言われていますが、崇道天皇はそれを遥かに凌ぐ大怨霊だと
言われ恐れられていたそうな。でも今は神としてお祀りされる
事によりありとあらゆる厄災から守ってくださっているので、
必要以上に怖がらなくても大丈夫です。ご安心を。

歴代天皇の御陵を思い浮かべると、必ず見える場所に鳥居が
立っていると思うのですが、崇道天皇の御陵の鳥居はなぜか
白壁の内側にあるのが不思議ですね。

20201111_崇道天皇八嶋陵_00
↑門の裏にチラッと見えるのがそうです。

現地で写真を撮り忘れたのでGoogleストリートビューから。
こちらは御陵入り口前の道路にある「八つ石」。

20201111_崇道天皇八嶋陵_005

この辺一体は「八島町」という地名である。
八島の名前の由来は早良親王がお隠れになったあと、親王から
「九つの石を投げて落ちた所に葬って欲しい」という夢のお告げ
により石を投じたところ、その内の八つがこの地に落ちた為、
ここに葬られたという伝説が残されている事から。
…が、実のところこの巨石は崇道天皇の時代よりさらに遡った
古墳時代のもの(石室の一部)で、崇道天皇とは関わりのない
ものだという見方がある。ちなみにこの石を取り除こうとすると
祟られると恐れられたりもしたそうな。

とても静かな場所でしたよ。(´ω` )

【豆知識】
お彼岸」の起源は崇道天皇の御霊を鎮めるため、大同元年
(806)に諸国の国分寺に春秋の七日間、金剛般若経を読経
したことから始まっています。


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2021年04月09日 (金) | 編集 |
2020.11.11 参拝 
第9代天皇「開化天皇」の御陵にやって参りました。

20201111_開化天皇陵_001

建物が立ち並ぶ町の中に天皇陵があります。
普通に歩いていて「えっ、ここに?!」という感じで。
立ち寄るコースには入れていませんでしたが、
たまたま見かけたので折角だからとお参りを済ませました。

20201111_開化天皇陵_002

20201111_開化天皇陵_003

欠史八代のうちの一人で存在が怪しいなんて言う人がいますが
私は存在したと思っています。だって長く続く皇統のうち、
一人でも怪しんだら皇室丸ごと否定する事になるからね。
皇室を否定するという事は、二千年以上続いた日本を否定する
事とイコールになってしまうから。

20201111_開化天皇陵_004

気付く人も少ないのか素通りする人が多そう。
静かな場所でした。


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2021年04月04日 (日) | 編集 |
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墳丘から降りていきましょう。
階段を降りた辺りがちょうど古墳のくびれ部分です。
後円部から前方部にカメラを向け左から右に。

20201110_史跡_黒塚古墳_016

20201110_史跡_黒塚古墳_017

20201110_史跡_黒塚古墳_018

【城郭に利用された跡】
20201110_史跡_黒塚古墳_019

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 くびれ部付近で検出された掘割である。
V字状にうがたれ、上面の幅は6mあり、深さは3mに達する。
後円部と前方部を分断して、後円部を主郭として守りの要と
したのであろう。室町時代後半の戦国時代になると古墳が
大幅に改変されて砦として利用されたのである。


-----------------(黒塚古墳 案内板より)

振り返って後円部の墳丘を見る。

20201110_史跡_黒塚古墳_020

20201110_史跡_黒塚古墳_021

前方部にカメラを向ける。

20201110_史跡_黒塚古墳_022

ぶらっと歩いていたらこんなものが。

20201110_史跡_黒塚古墳_023

20201110_史跡_黒塚古墳_024

20201110_史跡_黒塚古墳_025

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 碑文の要旨 
文政六年(1823年)壬未の歳の春(旧暦二月)鬱蒼と茂った
黒塚を整地し、頂上に稲荷神の祠と、この碑を並べて立てた。
柳本藩中が安けく穏やかであり嘉穀が豊かにみのりますように
と神に祈り鎮守の森となりますように。ということである。
石碑は柳本村民が、立てたものである。

-----------------(黒塚古墳 案内板より)

内堀側の景色。

20201110_史跡_黒塚古墳_026

黒塚古墳の案内図。

20201110_史跡_黒塚古墳_027

古墳へのアクセスはこちら。
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黒塚古墳 
http://www.nantokanko.jp/midokoro/1380.html
住所/奈良県天理市柳本町1118-2

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2021年03月28日 (日) | 編集 |
2020.11.10 探訪
「黒塚古墳」にやって参りました。
天理市の黒塚古墳のページにパンフレットがありましたので、
こちらにリンクしておきますね(pdfで開きます)。
https://www.city.tenri.nara.jp/material/files/group/36/46977018.pdf

20201110_史跡_黒塚古墳_001

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 黒塚古墳は、墳丘の主軸を東西方向に置き、後円部を東に
する前方後円墳です。全長約130m、後円部直径約72m、高さ
約11mの規模を有します。後円部の調査では、中央部において
中軸に直交する、南北方向の竪穴式石室を検出しました。
 竪穴式石室は南北長さ約8.3m、北小口幅は約1.3m、
南小口幅は約0.9m、高さ約1.7mです。石室規模は全国第4位の
規模であり、特に墳丘の規模の比較からすれば長大な石室が
作られていたと言えます。
 石室の構造は、下部を3~4段が人頭大の自然石を積み上げ、
この上部から天井部までは板石により強く持ち送りながら
壁面を作っています。このため板石で積まれた壁面は、
断面が三角形状を呈する合掌式の竪穴式石室であることが
わかりました。
 石室内には南北長さ約6.2m、幅約1mの粘土で作られた
棺台が置かれていました。断面はU字形であることから、
本来は割竹式木棺がこのうえに置かれていたことでしょう。
ほぼ中央部は鮮明な朱色を呈しますが、分析の結果水銀朱が
付着しています。おそらくこの範囲が被葬者の埋葬された場所
と考えられます。

-----------------------(↓続く)

20201110_史跡_黒塚古墳_002

----------------------------
 石室に残された遺物は盗掘を免れ、埋葬された当時のまま
出土しました。棺内の遺物は画文帯神獣鏡1面が立った状態で
あり、その両端からは刀剣が2振り置かれていました。
棺外では33面という大量の鏡が、棺と壁面の間、および
北小口に立てかけるように置かれていました。鏡式は全て
三角縁神獣鏡であるという点もこれまでにない特徴です。
そして鏡に重複するように、刀剣類、鉄鏃、槍などが出土
しました。
 今回の調査結果は、古墳築造に込められた当時の葬送思想の
解明ばかりか、初期ヤマト政権の樹立を究明する重要な資料と
なるでしょう。
         平成13年(2001)1月29日 国史跡指定

-----------------(黒塚古墳 案内板より)

墳丘の方向にカメラを向ける。

20201110_史跡_黒塚古墳_003

20201110_史跡_黒塚古墳_004

【黒塚古墳の全景(南から)】
20201110_史跡_黒塚古墳_005

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 黒塚古墳は柳本町の市街地に所在し市民の憩いの場所と
なってきた。古墳時代後期に築造された全長約132mの
前方後円墳である。現在地は後円部の東側裾付近である。
この古墳は行燈山古墳(崇神天皇陵古墳)を盟主墳とする
柳本古墳群の中にあり、古墳群では最初に築造された古墳
であると推定される。

-----------------(黒塚古墳 案内板より)

墳丘から見下ろしてみる。

20201110_史跡_黒塚古墳_006

竪穴式石室があった場所を示すものが。

20201110_史跡_黒塚古墳_007

20201110_史跡_黒塚古墳_008

案内板があったので転載していきますね。
皆さんきっとサラッと読み流したりしてると思いますが、
毎回写真を編集しつつ、説明文を全て見ながらひとつひとつ
打ち込んでいる苦労もわかって頂けたら嬉しいッス。
(これって料理と同じだよね。調理には時間かかるけど、
食べるのだけはみんな早い。よく味わって食べて欲しいな)

20201110_史跡_黒塚古墳_009

【後円部に作られた竪穴式石室】
20201110_史跡_黒塚古墳_010

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 北側から竪穴式石室と副葬品が配置された様子を見ている。
棺内中央には画文帯神獣鏡と刀剣が置かれていた。画文帯神獣
鏡は、直径13.5cmで頭部付近にあり、周囲に置かれた三角縁
神獣鏡に比べても小さい。被葬者が日常的に使っていた鏡で
あろうか。頂上部を囲う石列は、竪穴式石室を構築するための
墓礦ラインを表している。東西15m以上、南北17m以上の
大規模な墓礦である。西斜面の2列の石列は墓道(作業道)を
表している。

-----------------(黒塚古墳 案内板より)

20201110_史跡_黒塚古墳_011

----------------------------
 竪穴式石室は、現在の頂上から約2mの深さに作られている。
発掘調査により、盗掘や地震によって散乱していた石材や土砂
を取り除いた。竪穴式石室は、後円部のほぼ中央にあり、
長さ約8.3m、幅約0.9〜1.3mの規模で、南端付近での高さは
1.7mの長大な石室である。中央に赤く染まっているのが、
竪穴式石室の内部におかれた粘土棺床である。この上に長さ
6.2m、直径1mを超えるクワの巨木で作られた割竹形木棺が
置かれたが、すべて腐り残っていない。竪穴式石室の周囲には、
石室の構造を支えるための裏込石が集積され、さらにこの石の
上を粘土で被覆している。

-----------------(黒塚古墳 案内板より)

古代における赤(朱)色は、呪術的なものというか、
魔除け的な意味があるんですよ。今でも神社に朱色が使われて
いるのもそういった理由があるからです。ちなみに昔々、
朱色は「丹」と呼ばれ、顔料として硫化水銀が使われていて、
防腐剤や防虫剤としての役割も果たしていました。

(=゚ω゚)「……丹……辰砂……賢者の石!」
SERUNA:「はいそこ、話が脱線していくから黙ろう」

20201110_史跡_黒塚古墳_012

----------------------------
竪穴式石室の崩落状況 
 地震で崩壊した竪穴式石室である。写真の中央が石室の空間
部分にあたるが、ここには左右の両壁から滑り落ちた板石が
空間を満たしていた。これにより、板石の直下にあった鏡など
の副葬品は盗掘から免れたのである。
地震は古墳が作られてから程なく発生したようで、強い揺れは
石室以外の場所でも影響が観察された。

-----------------(黒塚古墳 案内板より)

20201110_史跡_黒塚古墳_013

----------------------------
石室の南側 
 竪穴式石室の南側が破壊を免れていた。
石室は床面から1.7mあり、両側壁面が天井部で重なる合掌型
の構造である。大和古墳群でも初期に築造された竪穴式石室
に採用されたが、石室構造が不安定であるため類例はない。
 石室の下部は3〜4段を川原石で構築し、上部は板石を強く
持ち送る。川原石にはベンガラが塗布され石室内の荘厳を醸し
ている。


-----------------(黒塚古墳 案内板より)

北西方向を撮影。遠くに見える山は恐らく「松尾山」。

20201110_史跡_黒塚古墳_014

箸墓古墳がある南の方向。

20201110_史跡_黒塚古墳_015

★その2に続く!
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2021年03月27日 (土) | 編集 |
2020.11.10 探訪
「黒塚古墳」を見学する前、展示館に訪れました。
施設に入ると、実物大の復元竪穴式石室が。
大掛かりな模型で面白いね。

20201110_kurozukatenji_001.jpg

長さ8.3m、幅約0.9〜1.3m、高さ1.7m。
古墳からは鏡や鉄製品などの副葬品が出てきたそう。

20201110_kurozukatenji_002.jpg

20201110_kurozukatenji_003.jpg

2階から見下ろしたところ。

20201110_kurozukatenji_004.jpg

2階に展示されていたもの。三角縁神獣鏡33面、
画文帯神獣鏡1面、鉄製刀剣類のレプリカなどなど…

20201110_kurozukatenji_005.jpg

----------------------------
天理市立 黒塚古墳展示館
http://www.city.tenri.nara.jp/shisetsu/kyouikubunkacommunity/kurodukakofuntenjikan/1395295232369.html
住所/天理市柳本町1118番地2
電話番号/0743-67-3210
開館時間/9:00〜17:00
休館日/月曜日、祝日
(月曜日が祝・休日の場合は次の平日も休館)
年末年始(12月28日~翌年1月4日)
ゴールデンウィークは祝日も臨時開館します。

※施設情報は2021年3月現在のものです。
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★史跡「黒塚古墳」へ続く!
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2021年03月03日 (水) | 編集 |
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20201110_キトラ古墳壁画体験館_四神の館_032

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日本の古墳壁画ではキトラ古墳だけの獣頭人身十二支像 
 キトラ古墳の特徴のひとつは、動物の頭と人間の体で十二支
をあらわした獣頭人身像が描かれていること。
身につけている中国風の衣装が陰陽五行説にのっとった各方位
の色で描かれています。手に武器をもっている点は中国の意匠
では見られない特徴ですが、仏教の影響とも朝鮮半島の影響
とも言われています。


---------------------(説明文より)

20201110_キトラ古墳壁画体験館_四神の館_033

20201110_キトラ古墳壁画体験館_四神の館_034

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確認できる6体の十二支像。
 キトラ古墳の十二支像のうち図像が確認できるのは、
子、丑、寅、午、戌、亥。はっきりと見えないものもあり、
午は壁にかぶさっていた泥に図像が転写された状態で確認され
ました。


---------------------(説明文より)

20201110_キトラ古墳壁画体験館_四神の館_035

20201110_キトラ古墳壁画体験館_四神の館_036

20201110_キトラ古墳壁画体験館_四神の館_037

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確認できない6体を海外の十二支像から推測。
 確認できていない6体については、どのように描かれていた
かはわかりませんが、中国や朝鮮半島の十二支像から、
ある程度、想像することができます。


---------------------(説明文より)

【キトラ古墳天文図】
20201110_キトラ古墳壁画体験館_四神の館_038

【高松塚古墳天文図】
20201110_キトラ古墳壁画体験館_四神の館_039

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キトラ古墳の古墳石室の天井は 星空を精密に描いている。
 キトラ古墳石室の天井に描かれた天文図は、現存する
世界最古の科学的な天文図です。天の赤道や太陽の通り道で
ある黄道が描かれ、大きな呪術的力をもつとされた北斗七星
をはじめとする中国式の星座が配置されています。
円を描くためのコンパスを使ったあとも確認されており、
正確とは言えないまでも、実用的な天文図をもとにして描いた
と考えられています。『日本書紀』の天文に関する記録に
よれば、日本で天文に大きな関心がもたれるようになった時期
は飛鳥時代からです。


---------------------(説明文より)

【石室について】
20201110_キトラ古墳壁画体験館_四神の館_040

20201110_キトラ古墳壁画体験館_四神の館_041

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石室は18個の凝灰岩を組み合わせて作られています。
 奈良と大阪の境にある二上山の凝灰岩が使われ、
石室内の天井は屋根形に加工されています。
南の天井石も外側が屋根形に加工されています。
石と石のすき間は漆喰で埋められています。


---------------------(説明文より)

20201110_キトラ古墳壁画体験館_四神の館_042

20201110_キトラ古墳壁画体験館_四神の館_043

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段をかみ合わせて組み立てる
「相欠き」という工法で造られています。

 「相欠き」とは、つなぎ合わせる2つの部材をカギの手形に
組み合わせる工法のこと。現代でも使われている工法です。
この工法で石をがっちり組み合わせて石室が造られています。

---------------------(説明文より)

埋葬されていた人がどんな人だったかという事だけでなく、
名もわからない壁画を描いた人が一体どんな人だったかとか、
どんな事を考えながらコレを描いたのかも気になってしまう私。
変だよって言われるかもだけど、自分自身、絵を描く事が好き
だからか描き手についても知りたくなるクセが…
(昔の絵巻物を見ても同じ考えに陥る)

遥か昔に想いを馳せながら見学するのは面白かったです。
皆さんも四神の館を見学してみては如何でしょう。


施設の情報はこちら。
----------------------------
キトラ古墳壁画体験館 四神の館
https://www.nabunken.go.jp/shijin/
住所/奈良県高市郡明日香村大字阿部山67
開館時間/※入室は閉室30分前まで。
9:30~17:00(3月~11月)、9:30~16:30(12月~2月)
入館料/一階展示室は無料。申し込み不要。
閉館日/水曜(祝日の場合は翌平日)・年末年始
 ※作業等により臨時に閉室する場合があります。
 ※台風等の影響により、気象警報が発令された場合には、
 壁画保存管理施設(四神の館1階)は、開室時間内でも
 臨時で閉室することがあります。

※施設情報は2021年3月現在のものです。
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