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定食屋さんに訪れるような感覚で見てもらえたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々。ヲタクなネタから神社めぐりまでw
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2019年12月17日 (火) | 編集 |
2019.5.28 探訪 
「王墓の丘史跡公園」にやって参りました。
ここには「楯築遺跡」と呼ばれる遺跡があるとのことで、
それを目的にして来たのです。

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_001

王墓の丘史跡公園
https://tabioka.com/obo-no-oka-historical-park/
----------------------------
 王墓の丘史跡公園は、王墓山丘陵に残された貴重な遺跡群を
広域的に 保存・公開するため約6.5ヘクタールの区域について
整備を行ったものである。
 公園は、楯築地区・日畑赤井堂地区・王墓山地区の三つに
分かれている。これらの地区には、楯築遺跡(国指定史跡)
・王墓山古墳(県指定史跡)・ 日畑廃寺(市指定史跡)など
の史跡のほか、総数60基にものぼる古墳が残されている。
 これらは吉備地方の歴史を考える上で欠くことのできない
重要な遺跡であり、永く後世 に伝えていかなけれなならない。

---------------------(案内板より)

この公園内では様々なものが発掘されているようです。

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_002

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_003

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_004

神社?…と思ったら「弧帯文石収蔵庫」だそうな。

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_005

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_006

中には御神体が置かれているようです。
御神体があるのなら実質、神社みたいなものですね。
ガラス窓から覗くことが出来ましたが写真は遠慮した。
案内板の写真を掲載しておきます。

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_007

----------------------------
旋帯文石 国指定重要文化財 昭和57年6月5日指定 
 隣にある収蔵庫に納められているこの石は、かつて楯築遺跡
の上に建てられていた楯築神社の御神体で、円丘上に今も残る
小さな石の祠に長らく安置されていました。石の表面には、
帯が円を描きながら複雑に絡み合う文様が彫り込まれており、
その様子は収蔵庫の窓越しに見ることができます。正面には、
顔と思われる表現が浮彫りにされており、地元では別名
「亀石」とも呼ばれています。
 この不思議な文様を持つ石には他に類例がなかったため、
その性格や製作時期については長らく謎のままでした。
しかし、岡山大学が実施した楯築遺跡の発掘調査で、旋帯文石
と同じ文様をもつ小形の石(弧帯文石)が出土したことから、
この石は、楯築遺跡と同じ弥生時代の終わり頃に作られたもの
であることが明らかとなりました。


---------------------(案内板より)

さて、楯築遺跡を見ることにしましょう。
「楯築神社跡地」と書かれた碑も立っています。

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_008

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_009

https://tabioka.com/tatetsuki-ruins/
----------------------------
楯築遺跡 国指定史跡 昭和56年12月9日指定
 弥生時代後期(2世紀末頃)に造られた墳丘墓。墳丘は、
やや歪んだ円形を呈する円丘部とその両側に長方形の突出部を
もつ特異な形をしていますが、突出部の大部分は昭和40年代
に行われた住宅団地造成の際に破壊されました。消滅した
突出部を含む全長は約80mと推定され、同時期の墳丘墓では
全国でも最大級の大きさを誇ります。
 昭和51年から平成元年にかけて、岡山大学考古学研究室が
中心となって発掘調査を実施し、遺跡の全体像が明らかと
なりました。
 5個の巨大な立石がある円丘部からは、2基の埋葬施設が
確認されました。このうち中心主体となる埋葬は、円丘中央部
に掘られた長さ9mの巨大な墓壙を伴い、木棺の外側を木の板
で囲んだ木棺木槨構造であることがわかりました。

-----------------------(↓続く)

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_010

----------------------------
木棺内には鉄剣1口と、勾玉や管玉、ガラス製小玉などの玉類
が副葬されていたほか、歯の小片2点も検出されました。
また、棺の底には、総重量32㎏を越える大量の水銀朱が分厚く
敷き詰められていました。
木棺の上方は大量の円礫で埋め戻されており、その中から、
特殊器台や特殊壺といった供献土器をはじめ、人形土製品や
土製の玉類などが出土しました。また、墳丘の脇にある収蔵庫
に納められている旋帯文石(国指定重要文化財)と同様の文様
を持つ小形の石(弧帯文石)が、意図的に割れれた状態で発見
されており、このふたつの石の関係が注目されます。
 南西突出部の調査では、その先端が給水塔フェンスの下に
残存していることが明らかとなり、平らな面を外側にして立て
られた列石が良好な状態で検出されました。
また、突出部の前面では、尾根を切断するように掘られた大溝
も確認されており、墳丘墓の造営がかなり大規模であったこと
がわかります。
 楯築遺跡は、弥生時代から古墳時代にかけての墓制の変遷を
考える上で重要な遺跡であるとして、国の史跡に指定されて
います。


---------------------(案内板より)

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_011

石祠がありました。

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_012

上からの景色。周囲には民家があります。

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_013

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_014

そうそう。岡山に伝わる桃太郎のお話では、
鬼たちによる矢の攻撃から守るために吉備津彦命の軍が
石の盾を築いた場所とされているのがここなのだそうです。
ちなみに鬼(温羅)が拠点としていた鬼ノ城跡までは、
楯築遺跡から車で約30分ほどの距離にあります。
私たちが訪れた理由は、古墳が見たくてでも、先程の御神体を
見たかったのでも何でもなく桃太郎のお話を辿りたかったから
だったりします。実際に辿ってあれこれ目にしていくと、
面白い発見があったりするので楽しいですよ。
ある意味聖地巡りみたいな物ですが、部屋に閉じこもって悶々
と考察するより、外に出て考えるのも大事だと思います。

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_015

岡山に伝わる桃太郎「吉備津彦と温羅」のお話を読みたい
という人はこちらのリンクからどうぞ。
https://okayama-kanko.net/up_load_files/pamphlet/8_pdf.pdf
絵本はpdf形式になっています。


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テーマ:岡山県
ジャンル:地域情報
2019年12月05日 (木) | 編集 |
2019.5.28 参拝 
『中山茶臼山古墳』にやって参りました。
ココに来る前に岡山県古代吉備文化財センターに立ち寄り、
古墳の場所を聞いたら案内図をくださいまして…
「駐車場に車を置いて歩いて行かれたほうが良いですよ」
との事でしたので、お言葉に甘えて。

センターからは近い場所にこの古墳はあります。

20190528_中山茶臼山古墳_001

20190528_中山茶臼山古墳_002

道標がありました。
「左 宮内」「右 くあんのん」。

20190528_中山茶臼山古墳_003

「三十三観音像」

20190528_中山茶臼山古墳_004

----------------------------
http://kibinonakayama.com/中山散策/24-三十三観音像/

 御陵道から八徳寺に続く参道の両側にお祀りされている
江戸時代末期に造られた観音石像。
「法華経観世音菩薩普門品」には、観音様が衆生救済のために
三十三の姿に身を変えて現れるという。近畿地方の観世音菩薩
の霊場を巡礼するのにあやかって作られたものである。
石仏が並ぶ入り口付近に「左宮内」「右くあんのん」と刻んだ石碑
がある。吉備の中山を越えて吉備津に至る古い道が
ここにあったことがうかがわれる。


------------(リンク先;吉備の中山を守る会)

道なりに歩いていきます。
お地蔵様に守られているような光景が続くよー♪

20190528_中山茶臼山古墳_005

20190528_中山茶臼山古墳_006

御陵はすぐそこ。

20190528_中山茶臼山古墳_007

20190528_中山茶臼山古墳_008

神々しいッスな。

20190528_中山茶臼山古墳_009

宮内庁が管理しています。
「孝霊天皇皇子 大吉備津彦命墓」と書かれています。

20190528_中山茶臼山古墳_010

御陵。
桃太郎のモデルとなった皇族のお墓です。

20190528_中山茶臼山古墳_011

----------------------------
http://kibinonakayama.com/中山散策/22-中山茶臼山古墳/

 古墳時代前期(4世紀頃)に築かれたと推定される
全長105mの大型前方後円墳。四道将軍として大和から派遣
された「吉備津彦命」の墓と伝えられ、宮内庁の管理下にある。
この古墳を地域では「御陵」と呼んでいる。考古学的調査は
行われていないが、墓域からは特殊器台形埴輪が採取されて
おり古い時代の古墳である。吉備津彦命が実在したかは不明
だが、南に吉備の穴海が広がり海運の要所であることから、
大きな勢力を持った大首長の墓であることは間違いない。

------------(リンク先;吉備の中山を守る会)

実在したかは不明だと?…いやいや、ちょっと待て。
存在するに決まってるじゃないですか。

20190528_中山茶臼山古墳_012

御陵の隅(向かって右側)から撮影。
カメラを右から左へ向けてみる。

20190528_中山茶臼山古墳_013

20190528_中山茶臼山古墳_014

20190528_中山茶臼山古墳_015

亀さんのような石が置いてあったけど何だろう?

20190528_中山茶臼山古墳_016

ココから少し行った場所に「吉備武彦命鎮座跡地」がある。
続いての記事はその吉備武彦命鎮座跡地と新宮社について
の記事を書いてみようと思う。

★「吉備武彦命鎮座跡地」の記事に続く!
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3008.html


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2019年10月23日 (水) | 編集 |
2019.4.22 探訪 
埼玉古墳群の辺りをぶらり。こちらは『行田市はにわの館』
埴輪好きなのでこういう場所はつい見てしまう。

20190422_haniwanoyakata_001.jpg

20190422_haniwanoyakata_002.jpg

外に沢山の埴輪が置かれてありました。
みんな凄く個性的。

20190422_haniwanoyakata_003.jpg

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20190422_haniwanoyakata_005.jpg

一番注目してしまったのがこの作品。
良いね、可愛いね。(´ω`*)

20190422_haniwanoyakata_006.jpg

『埼玉県立さきたま史跡の博物館』
見たかったけど残念なことに休館日でした。

20190422_sakitamashiseki001.jpg

ぶらっと歩いていると「移築民家」の文字が目に入る。
ここは移築された『旧遠藤家住宅』
https://www.jalan.net/kankou/spt_guide000000187223/
中に入れるかと思ったけど博物館同様、こちらも閉館中。

20190422_kyuu_endouke_001.jpg

20190422_kyuu_endouke_002.jpg

中はこうなっているらしい。

20190422_kyuu_endouke_003.jpg

家の外側は見れるので、ぐるっと回ってみましょう。

20190422_kyuu_endouke_004.jpg

20190422_kyuu_endouke_005.jpg

住宅の裏手にまわる。

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20190422_kyuu_endouke_007.jpg

更にまわって横手側。

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20190422_kyuu_endouke_010.jpg

正面(遠景より)。
お家の中も見たかったなー… (´・ω・`)

20190422_kyuu_endouke_011.jpg

こちらは『瓦塚古墳』
先程の旧遠藤家のすぐそばにあります。

20190422_kawaraduka_001.jpg

----------------------------
瓦塚古墳 
 全長73mの前方後円墳です。
他の前方後円墳と同じく周囲には長方形の堀が二重に巡り、
墳丘のくびれ部には造出しと呼ばれる張り出しがあります。
また、造出し正面の外側には、通路と見られるブリッジ状の
掘り残しがあります。
 整備に先立つ発掘調査の結果から、その周辺の中堤には、
事を弾く男子、踊る男女、武人などの人物埴輪、盾形埴輪、
家型埴輪など多種の埴輪が立て並べられていたと推定されて
います。
 墳丘内部は未調査であるため、埋葬施設の形や大きさ、
副葬品の内容など詳しいことはまだ分かっていません。
古墳の造られた時期は、出土した遺物から6世紀前半から
中頃と推定されています。

-----------------(瓦塚古墳 案内板より)

20190422_kawaraduka_002.jpg

20190422_kawaraduka_003.jpg

本当はまだ見ていない古墳がいっぱいあるのですが時間切れ。
いつかまた行く機会が出来たらブログで紹介します。


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2019年09月23日 (月) | 編集 |
検索でいきなりココに辿り着いた人は、その1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2880.html

この景色の方向に忍城があるのだそうな。
写真に撮ってみたけど小さくてよくわかんないですね。
中央より右側にポコっと凸っぽいものが確認出来る
と思うのですが、それが忍城です(合ってる?)。

20190323_sakitamakofun_033.jpg

20190323_sakitamakofun_034.jpg

20190323_sakitamakofun_035.jpg

どこからツッコんだらいいのかアレですが、いくらどれだけの
川の水を流しこもうとしたって水攻めは無理があるよなぁ…
なぜ成功すると思ったのか。

----------------------------
丸墓山古墳と忍城
 天正八年(1590)、豊臣秀吉の命を受けた石田三成は、
総延長28km(一説には14km)の石田堤を築き、忍城を水攻め
しました。丸墓山古墳は高さが19mもあり、周辺を一望できる
ことから三成の陣が張られたと言われています。
 北の利根川水系、南の荒川水系の水を流し込んでの城攻めは
成功せず、豊臣秀吉が唯一落とせなかった城とも言われて
います。

----------------(埼玉古墳群 案内板より)

丸墓山古墳から降りて歩きましょう。

20190323_sakitamakofun_036.jpg

20190323_sakitamakofun_037.jpg

道端にこんなのあったので撮ってみた。
「馬頭観世音」と書かれてあります。

20190323_sakitamakofun_038.jpg

20190323_sakitamakofun_039.jpg

こちらは字が消えかかっている部分がありよくわかりません。
「剣空道」の文字が見えます。

20190323_sakitamakofun_040.jpg

他にも古墳は幾つかあったのですがでココまで。
時間も時間だったので帰らなくてはいけませんからね。
埼玉古墳群には後にまた行く事になるので、続きはいずれ。


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