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2020年10月16日 (金) | 編集 |
2020.10.15 探訪 
藤枝市の蓮華寺池公園にある小さなお山に登ってみた。
夕方に訪れた時の写真なので、ちと写真が暗いかも…

20201015_nyakuoujikofun_001.jpg

ここは「古墳の広場」
富士見平とも言われている場所です。

20201015_nyakuoujikofun_002.jpg

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富士見平のいわれ
 永享四年(1432)、室町幕府の第六代将軍足利義教は、
敵対する鎌倉公方・足利持氏のようすをさぐるため、
富士山見物という名目で駿河へやってきました。九月十日に
京都を出発、十七日には藤枝の鬼岩寺に一泊したのでした。
 地元の伝説では、この時将軍義教がこの山の上から
富士山をながめたというので、富士見平とよばれるように
なったと伝えられています。
 その後、文明五年(1473)のことです。
釈正広という有名な歌人が京都から旅をして藤枝の長楽寺
にとまったことがありました。この人は、この富士見平で
はじめて富士山を見、感動して和歌をよみました。
「富士はなお 上にぞ見ゆる藤枝や 高草山の峰の白雲」

-----------------(富士見平 案内板より)

若王子古墳群の一号古墳が見晴台になっていて、ここからの
景色と古墳群についての案内板が置かれていました。

20201015_nyakuoujikofun_003.jpg

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静岡県指定史跡 若王子古墳群 平成七年三月二十日指定
 古墳時代前期〜中期(四世紀末〜五世紀)の横穴式石室墳
五基からなる古墳群です。標高約110mの富士見平と呼ばれる
ところに一辺約10〜18mの大きさの古墳が南北につながって
いますが、この時期の古墳がこのように密集して造られる
ことは全国的にも珍しいものです。
古墳には土器・鉄製の武器・玉類・鏡などが副葬されて
いましたが、とくに車輪石と呼ばれる石製の腕輪は貴重な
出土品です。
ここからの景色は大変素晴らしく、天気がよいときには
西は牧之原台地・大井川、東は伊豆半島・富士山まで遠望
できます。志太平野に広がる志太郡衙跡、群遺跡(益頭郡衙)
田中城などの数多くの遺跡を見渡すことができ、
このような場所に造られるのは古い時期の古墳の特徴です。
古墳群は盛土の下にそのまま保存されており、古墳からの
出土品は郷土博物館で展示しています。

---------------------(案内板より)

【富士見平からの眺望】
景色手前側は藤枝市。その向こう海側は焼津市です。
まずは、案内板の写真を。

景色に向かって左から…潮山、富士山、高草山。

20201015_nyakuoujikofun_004.jpg

伊豆半島、田中城下屋敷、駿河湾。

20201015_nyakuoujikofun_005.jpg

藤枝市役所、瀬戸川。

20201015_nyakuoujikofun_006.jpg

一番右側にふれあい大橋。

20201015_nyakuoujikofun_007.jpg

これら実際の景色を一号古墳から撮影しようと思いましたが、
ベンチで寝ている人がいたので一号古墳の下から撮影。
暗いうえ、全然町が見えなくてすいません。

20201015_nyakuoujikofun_008.jpg

20201015_nyakuoujikofun_009.jpg

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写真だとわかりづらいですが…高草山の右端に目をやると、
ホテルアンビア松風閣が肉眼で確認できます。
(更にその右隣に見える三角のお山は「虚空蔵山」)

20201015_nyakuoujikofun_012.jpg

【若王子古墳群について】
20201015_nyakuoujikofun_013.jpg

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一号古墳の下より北側を振り返る。

20201015_nyakuoujikofun_017.jpg

一号古墳より南側を見る。

20201015_nyakuoujikofun_018.jpg

12号古墳から北側を振り返る。
向こうに見えるのは19号古墳と1号古墳。

20201015_nyakuoujikofun_019.jpg

全ての古墳は写真に収めませんでしたが、
気になるかたは直接足を運んでみては如何でしょう。
今の時期からだと夕方は陽が落ちるのが早く、古墳群の辺りは
暗く危険になりますので明るい時間帯にどうぞ。

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若王子古墳群リーフレット(PDF)
https://www.city.fujieda.shizuoka.jp/material/files/group/125/nyakuouji.pdf
住所/静岡県藤枝市若王子474-1
蓮華寺池公園に駐車場あり。

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2020年05月29日 (金) | 編集 |
検索でいきなりココに辿り着いちゃった人は、
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2020.2.8
熱田神宮公園管理事務の前にこんな物があったので紹介。
ミニチュア(1/27スケール)の断夫山古墳だそうです。

20200208_danpuyama_017.jpg

20200208_danpuyama_018.jpg

「たける&みやちゃん」。
ヤマトタケルとミヤズヒメのキャラクター。
めちゃ可愛い。この絵のグッズどこかで売ってないかなぁ…
色々なワードでググって探しても全然引っかかってこない。
ステッカーとかでもいいから欲しいんだけど。

20200208_danpuyama_019.jpg

20200208_danpuyama_020.jpg

ミニチュア古墳の中は立ち入り禁止だそうです。

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近くの木の根本に三毛猫ちゃん。
ごめんよ、写真がピンボケちゃった。(´・ω・`)

20200208_danpuyama_022.jpg

梅が咲いていました。

20200208_danpuyama_023.jpg

20200208_danpuyama_024.jpg

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ウメ(思いのまま)
  開花時期 2月上旬〜3月中旬
思いのままは別名輪違い(りんちがい)といいます。
1本の梅の木に赤色や白色の花と一つの花が赤白分かれた花を
つけます。この梅は品種改良の時に、人が思っていた通りに
花が咲かずに、梅の思いのままに何色かに分かれて咲いたこと
からこの名前がついたと言われています。


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2020年05月28日 (木) | 編集 |
2020.2.8 探訪 
熱田神宮公園の中にある「断夫山古墳」にやって参りました。
以前行ったのが2011年ですので9年ぶりの探訪となります。
この古墳は一説によると日本武尊の妻である「宮簀媛」のお墓
(ミヤズヒメ/古事記では美夜受比売と書かれる)と伝えられ
ておりますが、正確な被葬者はわかっていないらしいです。

20200208_danpuyama_001.jpg

断夫山古墳
http://www.atsutajingu-park.com/enjoy/danpusan/index.html
ミヤズヒメの墓とも言われているこの古墳についてですが、
彼女は日本武尊が亡くなったのち、「私の夫は彼ただ一人」と
生涯独身を貫いたことから「夫」を「断つ」で「断夫」という
名がついたとかなんとか。

駐車場側から時計回りにぐるぐるーっとまわってみましょう。
写真を淡々と貼っていきますね。

20200208_danpuyama_002.jpg

前方後円墳の頭の部分です。

20200208_danpuyama_003.jpg

……あっ!ネコちゃん発見!
限界までズームしたけどガラホのカメラではキツいな。

20200208_danpuyama_004.jpg

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前方後円墳のお尻の部分に到着。

20200208_danpuyama_006.jpg

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古墳の上の部分を撮ってみる。
木々が茂っていますね。

20200208_danpuyama_008.jpg

断夫山古墳は熱田神宮の所属地として管理されていましたが、
戦後は名古屋市の戦災復興事業として仮換地され、
昭和55年愛知県の所有地に。昭和62年7月9日に国史跡として
指定されたそうです。

20200208_danpuyama_009.jpg

再び古墳のお尻部分。
ちなみに向かって左手側は公園です。
頭の部分に向かって再び歩いていきましょう。

20200208_danpuyama_010.jpg

20200208_danpuyama_011.jpg

古墳の中央あたり。ここにもネコちゃんが居たので
ズームして撮ったがやっぱりよくわからなくなってしまう。
可愛かったんだけどなー(ちなみに黒猫ちゃんでした)。

20200208_danpuyama_012.jpg

20200208_danpuyama_013.jpg

古墳の頭の方に戻って参りました。小さな古墳なので、
ぐるっと一周してもそんなに時間はかからないです。

20200208_danpuyama_014.jpg

古墳の案内板。
「かつて断夫山は、常日頃の立ち入りが禁止されていましたが、
三月三日だけは入ることを許されました。熱田の浜を眼下に
見渡せるのはこの時だけでした」

20200208_danpuyama_015.jpg

20200208_danpuyama_016.jpg

★おまけ記事に続く。
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2019年12月17日 (火) | 編集 |
2019.5.28 探訪 
「王墓の丘史跡公園」にやって参りました。
ここには「楯築遺跡」と呼ばれる遺跡があるとのことで、
それを目的にして来たのです。

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_001

王墓の丘史跡公園
https://tabioka.com/obo-no-oka-historical-park/
----------------------------
 王墓の丘史跡公園は、王墓山丘陵に残された貴重な遺跡群を
広域的に 保存・公開するため約6.5ヘクタールの区域について
整備を行ったものである。
 公園は、楯築地区・日畑赤井堂地区・王墓山地区の三つに
分かれている。これらの地区には、楯築遺跡(国指定史跡)
・王墓山古墳(県指定史跡)・ 日畑廃寺(市指定史跡)など
の史跡のほか、総数60基にものぼる古墳が残されている。
 これらは吉備地方の歴史を考える上で欠くことのできない
重要な遺跡であり、永く後世 に伝えていかなけれなならない。

---------------------(案内板より)

この公園内では様々なものが発掘されているようです。

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_002

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_003

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_004

神社?…と思ったら「弧帯文石収蔵庫」だそうな。

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_005

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_006

中には御神体が置かれているようです。
御神体があるのなら実質、神社みたいなものですね。
ガラス窓から覗くことが出来ましたが写真は遠慮した。
案内板の写真を掲載しておきます。

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_007

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旋帯文石 国指定重要文化財 昭和57年6月5日指定 
 隣にある収蔵庫に納められているこの石は、かつて楯築遺跡
の上に建てられていた楯築神社の御神体で、円丘上に今も残る
小さな石の祠に長らく安置されていました。石の表面には、
帯が円を描きながら複雑に絡み合う文様が彫り込まれており、
その様子は収蔵庫の窓越しに見ることができます。正面には、
顔と思われる表現が浮彫りにされており、地元では別名
「亀石」とも呼ばれています。
 この不思議な文様を持つ石には他に類例がなかったため、
その性格や製作時期については長らく謎のままでした。
しかし、岡山大学が実施した楯築遺跡の発掘調査で、旋帯文石
と同じ文様をもつ小形の石(弧帯文石)が出土したことから、
この石は、楯築遺跡と同じ弥生時代の終わり頃に作られたもの
であることが明らかとなりました。


---------------------(案内板より)

さて、楯築遺跡を見ることにしましょう。
「楯築神社跡地」と書かれた碑も立っています。

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_008

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_009

https://tabioka.com/tatetsuki-ruins/
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楯築遺跡 国指定史跡 昭和56年12月9日指定
 弥生時代後期(2世紀末頃)に造られた墳丘墓。墳丘は、
やや歪んだ円形を呈する円丘部とその両側に長方形の突出部を
もつ特異な形をしていますが、突出部の大部分は昭和40年代
に行われた住宅団地造成の際に破壊されました。消滅した
突出部を含む全長は約80mと推定され、同時期の墳丘墓では
全国でも最大級の大きさを誇ります。
 昭和51年から平成元年にかけて、岡山大学考古学研究室が
中心となって発掘調査を実施し、遺跡の全体像が明らかと
なりました。
 5個の巨大な立石がある円丘部からは、2基の埋葬施設が
確認されました。このうち中心主体となる埋葬は、円丘中央部
に掘られた長さ9mの巨大な墓壙を伴い、木棺の外側を木の板
で囲んだ木棺木槨構造であることがわかりました。

-----------------------(↓続く)

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_010

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木棺内には鉄剣1口と、勾玉や管玉、ガラス製小玉などの玉類
が副葬されていたほか、歯の小片2点も検出されました。
また、棺の底には、総重量32㎏を越える大量の水銀朱が分厚く
敷き詰められていました。
木棺の上方は大量の円礫で埋め戻されており、その中から、
特殊器台や特殊壺といった供献土器をはじめ、人形土製品や
土製の玉類などが出土しました。また、墳丘の脇にある収蔵庫
に納められている旋帯文石(国指定重要文化財)と同様の文様
を持つ小形の石(弧帯文石)が、意図的に割れれた状態で発見
されており、このふたつの石の関係が注目されます。
 南西突出部の調査では、その先端が給水塔フェンスの下に
残存していることが明らかとなり、平らな面を外側にして立て
られた列石が良好な状態で検出されました。
また、突出部の前面では、尾根を切断するように掘られた大溝
も確認されており、墳丘墓の造営がかなり大規模であったこと
がわかります。
 楯築遺跡は、弥生時代から古墳時代にかけての墓制の変遷を
考える上で重要な遺跡であるとして、国の史跡に指定されて
います。


---------------------(案内板より)

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_011

石祠がありました。

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_012

上からの景色。周囲には民家があります。

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_013

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_014

そうそう。岡山に伝わる桃太郎のお話では、
鬼たちによる矢の攻撃から守るために吉備津彦命の軍が
石の盾を築いた場所とされているのがここなのだそうです。
ちなみに鬼(温羅)が拠点としていた鬼ノ城跡までは、
楯築遺跡から車で約30分ほどの距離にあります。
私たちが訪れた理由は、古墳が見たくてでも、先程の御神体を
見たかったのでも何でもなく桃太郎のお話を辿りたかったから
だったりします。実際に辿ってあれこれ目にしていくと、
面白い発見があったりするので楽しいですよ。
ある意味聖地巡りみたいな物ですが、部屋に閉じこもって悶々
と考察するより、外に出て考えるのも大事だと思います。

20190528_王墓の丘史跡公園_楯築遺跡_015

岡山に伝わる桃太郎「吉備津彦と温羅」のお話を読みたい
という人はこちらのリンクからどうぞ。
https://okayama-kanko.net/up_load_files/pamphlet/8_pdf.pdf
絵本はpdf形式になっています。


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テーマ:岡山県
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2019年12月05日 (木) | 編集 |
2019.5.28 参拝 
『中山茶臼山古墳』にやって参りました。
ココに来る前に岡山県古代吉備文化財センターに立ち寄り、
古墳の場所を聞いたら案内図をくださいまして…
「駐車場に車を置いて歩いて行かれたほうが良いですよ」
との事でしたので、お言葉に甘えて。

センターからは近い場所にこの古墳はあります。

20190528_中山茶臼山古墳_001

20190528_中山茶臼山古墳_002

道標がありました。
「左 宮内」「右 くあんのん」。

20190528_中山茶臼山古墳_003

「三十三観音像」

20190528_中山茶臼山古墳_004

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http://kibinonakayama.com/中山散策/24-三十三観音像/

 御陵道から八徳寺に続く参道の両側にお祀りされている
江戸時代末期に造られた観音石像。
「法華経観世音菩薩普門品」には、観音様が衆生救済のために
三十三の姿に身を変えて現れるという。近畿地方の観世音菩薩
の霊場を巡礼するのにあやかって作られたものである。
石仏が並ぶ入り口付近に「左宮内」「右くあんのん」と刻んだ石碑
がある。吉備の中山を越えて吉備津に至る古い道が
ここにあったことがうかがわれる。


------------(リンク先:吉備の中山を守る会)

道なりに歩いていきます。
お地蔵様に守られているような光景が続くよー♪

20190528_中山茶臼山古墳_005

20190528_中山茶臼山古墳_006

御陵はすぐそこ。

20190528_中山茶臼山古墳_007

20190528_中山茶臼山古墳_008

神々しいッスな。

20190528_中山茶臼山古墳_009

宮内庁が管理しています。
「孝霊天皇皇子 大吉備津彦命墓」と書かれています。

20190528_中山茶臼山古墳_010

御陵。
桃太郎のモデルとなった皇族のお墓です。

20190528_中山茶臼山古墳_011

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http://kibinonakayama.com/中山散策/22-中山茶臼山古墳/

 古墳時代前期(4世紀頃)に築かれたと推定される
全長105mの大型前方後円墳。四道将軍として大和から派遣
された「吉備津彦命」の墓と伝えられ、宮内庁の管理下にある。
この古墳を地域では「御陵」と呼んでいる。考古学的調査は
行われていないが、墓域からは特殊器台形埴輪が採取されて
おり古い時代の古墳である。吉備津彦命が実在したかは不明
だが、南に吉備の穴海が広がり海運の要所であることから、
大きな勢力を持った大首長の墓であることは間違いない。

------------(リンク先:吉備の中山を守る会)

実在したかは不明だと?…いやいや、ちょっと待て。
存在するに決まってるじゃないですか。

20190528_中山茶臼山古墳_012

御陵の隅(向かって右側)から撮影。
カメラを右から左へ向けてみる。

20190528_中山茶臼山古墳_013

20190528_中山茶臼山古墳_014

20190528_中山茶臼山古墳_015

亀さんのような石が置いてあったけど何だろう?

20190528_中山茶臼山古墳_016

ココから少し行った場所に「吉備武彦命鎮座跡地」がある。
続いての記事はその吉備武彦命鎮座跡地と新宮社について
の記事を書いてみようと思う。

★「吉備武彦命鎮座跡地」の記事に続く!
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3008.html


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