以前よりずっとこのブログで書いていた通り、
昔からモヤモヤした気持ちになると海を眺めに行きます。

焼津港(新港)より午前の富士山。
雲が多くて頭だけしか見えなかったけれど、
もう暫くしたら全部見えるだろうか。


【旧港】
旧港もぶらっとしていった。
魚市場会館付近。



海は優しい。
優しく寄り添ってくれる。
無理しないでと包み込んでくれる優しさが海にはある。
★おまけ;「うみしる」で撮ったお魚さんたち。
※施設詳細は過去ログを参照下さい。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3739.html
アホ可愛い子もいる(ウツボ君)。


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焼津駅前の足湯にやって参りました。
地元に親しいお友達もいないので今日もぼっち。
こんな場所で見ず知らずの人同士で会話が始まって…
とも妄想してみたが甘かったね。(´・ω・`)

足湯については過去ログを参照下さい。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-4268.html
白い敷石の場所のお湯は、ぬるま湯過ぎるくらいにぬるい。
これで足湯?もっと温度が高ければいいのに…

…というかたにオススメは黒い敷石の場所。
アツアツのお湯なので誰もがきっと心ゆくまで堪能出来る筈。
ただこの場所は狭いスペースしかないので、人の居なさそうな
時間帯を狙って行かれた方がいいかも。ダラダラっと長時間
場所を占拠してお喋りに夢中になり浸かっている常連ジジババ
がいたら絶望的。

1時間くらい足を浸けていました。汗が出てきますよ。
ぽっかぽかになって足が赤くなりました。
ついでに言うとこの足湯は塩分を含んでいるので(海水の半分
ほどの塩分を含む)長時間毎日利用したい人は日焼けに注意。

足湯に浸かった後は、側のウエルシアでアイスを購入。
https://www.welcia-yakkyoku.co.jp/karadatokurashi/products/4934397308905/
ウエルシアPB商品のマンゴーアイスバーが美味しいらしいので
気になっていたんです。使用されている果肉はインド産で、
製造は京都の工場と袋の裏に書かれてありました。
香料と着色料は使われていません。


足湯の場所は飲食禁止なのでちゃんと外側で食しましたよ。
マンゴー感たっぷりでめちゃくちゃ美味しかったです。
足湯のあとのアイスもいいよね。
焼津に訪れた際は皆さんいかがでしょう。
【余談です】
いつも清掃をしてくれている人のおかげで
ココの足湯は清潔が保たれている。
ありがとう、お疲れ様です。
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朝比奈川の河津桜が満開なので見に行ってみた。
ぽかぽか陽気で気持ち良かったな。(*´ω`*)
みんな、綺麗な桜を見ながら歩いていましたよ。


朝比奈川沿いの河津桜は早咲きで、2月中旬頃から咲き始め
3月中旬頃まで楽しむことが出来ます。桜並木は2kmにわたり
およそ200本植樹されており皆に親しまれています。


ハラハラと桜吹雪。ちょっと散り始めてるかな…
途中でベンチがあったので腰掛けてぼっちで花見をしながら
黙々とあんぱん食べてました。(´・ω・`)



先月の23日、この桜並木の場所でお祭りが行われてました。
行きたかったけどその日はウォーキングイベントに参加
していたから行けなかったんだよね。

「さくら募金」。
山の手さくら育成協力お願いしまーす。


後ろを振り返ったところ。

ところでココには悲しい歴史がありまして…
太平洋戦争時代のお話です(赤丸印が着弾地)。


バクダン淵はこのあたり。

さて、桜を見ながら来た道を戻りましょう。


菜の花も綺麗ですよー。


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浜通りへ向かいます。新川橋のすぐ側にある石碑には、
「贈従四位小泉八雲先生風詠之地」と刻まれている。
石碑は1925(大正14)年5月、当時の焼津青年団が大正天皇の
銀婚式を記念し、町役場前の旧東小学校玄関脇に建てたもの。
1984(昭和59)年に現在の場所に移されました。



浜通りには今も古い建物が残されています。
下の写真は旧服部邸「帆や」。詳細→ https://niwayado.com/


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浜通り(八雲通り)
カツオの水揚げ量が全国一位を誇る焼津漁港とサバの漁業基地
として知られる小川漁港を結ぶように南北に走る約1.5kmの
街道と、この道路に沿って家並みが続く細長い集落を
土地の人々は昔から「浜通り」と呼んでいる。
二つの漁港に挟まれた浜通りには漁師や船元、魚を販売・加工
する“さかなや”が集中し、海とともに暮らしてきた焼津市民の
古巣といえる。
焼津カツオ・マグロ漁とサバ漁の集散地として、
また水産加工業の発祥の地として「水産都市焼津」の名声を
全国に知らしめた原点がここにある。
新しい焼津漁港と堤防、オーシャン道路が整備されるまでは
「浜通り」の東側は海岸に接し、昭和三十年代までは暴風雨に
よる荒波が家々までに襲いかかることがしばしばあった。
そのため強風を避けるために住宅の屋根を低く傾斜を緩やかに
したり、高潮対策としての波除け堰や排水装置(土地の傾斜、
排水小路)など工夫が凝らされ、その名残りが今もそこかしこ
に見られる。
---------------------(案内板より)
私が小学生の頃の遠い記憶ですが、
昔はこんな感じの建物が今よりもっと建っていました。
当時同級生の友達のお家もこんな造りの家で、玄関から奥の方
まで排水をするための長い土間が続いていた事をよく憶えて
います。焼津市に多い苗字ですが村松さんという子。
元気にしてるかな?
下の写真、向かって左手側は「小石商店」。
右手側のお店はダシ専門店の「焼津善八 マルハチ村松」。
小石商店はイカの原料不足でお休みしているみたい。

【焼津弁の話】少し話はズレますが…
聞いた話によると、ずーっと昔の浜通りの人たちの焼津弁は、
海から離れた場所に住む人たちよりも方言が強かったらしい。
焼津弁は「浜言葉」って言うんですけどね、漁師町だけあって
多少言葉は荒っぽいかも知れないけど大事にしていきたいな。
★関連過去ログ:静岡弁・焼津弁
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-3611.html
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