寒田神社 http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-18.html
寒田神社 http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-19.html
足柄神社 http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-20.html
小田原城 http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-21.html
小田原城(番外編)http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-22.html
報徳二宮神社 http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-23.html
※URLクリックで、記事に飛べます。
今後、神社や史跡をめぐってレポートを書いたあとは、
こんな感じでまとめていこうかなと。みなさんがそこへ行った時、
これらの記事が参考になったら嬉しく思います。
_[お で ん]_
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続いて立ち寄りましたのは『報徳二宮神社』。
小田原城の敷地内に鎮座しております。
お祀りされているのは、あの二宮金次郎こと二宮尊徳さん。
(「そんとく」ではなく正しくは「たかのり」だそうな)
「小学校の頃、学校に像があったよ!」という人も居るかもですね。
どうでもいい話かもですが(いや、どうでもよくない!)最近は、
「児童の教育方針にそぐわない」「歩いて本を読むのは危険」
「子どもが働く姿を勧めることはできない」
…と、アホか!と言いたくなるような理由で小学校からその像は姿を
消しつつあるようですが、どうせ言っているのは日教組かキチガイか。
そんなに日本の偉人が嫌いなのでしょうかね?
話が長くなるのでそれは置いといてw
いくつになっても勤勉な姿は見習わなくてはいけないと思います。
学ぶことは大事、働くことも大事。日本人の美徳ですからね。

報徳二宮神社
http://www.ninomiya.or.jp
御祭神:二宮尊徳翁
明治27年(1894)4月、二宮尊徳翁の教えを慕う6カ国(伊勢、三河、
遠江、駿河、甲斐、相模)の報徳社の総意により、翁を御祭神として、
生誕地である小田原の、小田原城二の丸小峰曲輪の一角に神社が創建
されました。明治42年本殿・幣殿を新築、拝殿を改築し、
神宛を拡張し現在の社地の景観をを整えました。平成6年(1994)には
創建百年記念奉告祭を斎行して今日に至っています。
現在、神社本庁別表神社。社殿は神明造り。
なお、拝殿礎石は天保の大飢餓の際、藩主大久保公の命により
尊徳翁が小田原城内の米蔵を開き、米が人々の手にわたったことにより、
小田原11万石の領内から一人も餓死者も出さずにすんだという、
その米蔵の礎石が用いられています。
(※報徳二宮神社 HPより)
YouTubeに良い動画がありましたので、貼っておきます。
とにかく、彼はすげぇ人なんです。立派な人なんです。

【境内にあった二宮金次郎像】
昭和3年、昭和天皇の即位御大礼記念として神戸の中村直吉氏が
寄贈したもので、制作者は三代目慶寺丹長。材質はブロンズ。
その後これと同じ像は全国の小学校などに向けて一千体制作されたが
戦時中、すべて供出に遇い、現在残っているのはこの一体だけである。
なおこの像は当時のメートル法普及の意図を反映して、
丁度1メートルの高さに制作されている。
(※境内 案内板より)

【二宮尊徳 翁(1787〜1856)】
経済なき道徳は戯言であり
道徳なき経済は犯罪である
江戸時代後期の農政家・思想家。通称金次郎。尊徳は武士の名乗り。
幼少時代の逸話が一般的に知られているが、後に「報徳仕法」
と呼ばれる独自の方法と理念で、小田原藩や日光神領などを含む、
多くの諸家諸領の復興に尽くした。直接・間接的に指導した農村は
六百余りにものぼる。
内村鑑三著「代表的日本人」の中でも、十九世紀末、
欧米諸国に対して「日本人の中にもこれほど素晴らしい人物がいる」
と苦難の時代を救った偉人として尊徳翁は紹介されるなど、
明治時代以降の政財界人にも多くの影響を与えたのである。
翁の教訓や訓言は、今の時代にも通じる、私達が手本とすべきもの
ばかりである。(※境内 案内板より)
二宮尊徳さんのエピソードと名言をリンクさせちゃおうかな。
・http://www.kokin.rr-livelife.net/goi/goi_ni/goi_ni_2.html
・http://biz-meigen.com/hero/list/people_二宮尊徳&sort=fd
まさに正論。わかっちゃいるけど、こうして読んでみると、
自分自身、全然出来ていない部分があるなぁと反省するばかり。
うむむ…立派な人の言葉は何だか重みがあるな……
尊徳さんの言葉、流行らせたくなるね。
最近の子供は、尊徳さんについて全く知らないと思います。
知っている大人がこういった偉人についてどんどん教えて行かねば
これほどの立派な人がどんどん歴史の隅に追いやられてしまい、
最終的には忘れ去られてしまう事でしょう。彼の存在が消えて
しまうことのないよう、しっかりと伝えて行きたいですね。
(記事:©SERUNA)
★レポ終了。
読んでいただき、ありがとうございました。
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小田原城の食事処で食べた『北条うどん』♪
ダシは昆布と鰹節を使った天然だし100%の関西風。
小田原名産のかまぼこ、そして曽我梅林で育てられた幻の
『杉田梅』と言われるゴロッと大きな梅干しが一粒入っていました。
食べ方としては、まずこの梅干しをほぐして食べるのだそうですが、
つゆに梅干しの酸味と塩気が移り、実にさっぱりとした味に。
ちょっと他所には無い上品な味で本当に美味しかったです。
小田原城へ足を運んだら、
是非一度騙されたと思って食べてみて欲しい。
それ以外にも『小田原戦国武将 茶漬け丼』なんてのもありまして…
こちらは、茶飯(低農薬の小田原米)の焼きおにぎりに昆布と鰹節の
ダシをはり、薬味と、同じく曽我の杉田梅を乗せているもの。
暖かい時期にまた小田原城へ行った時に食べてみようかなー♪
(記事:©SERUNA)
今回、食事をしたお店はこちら♪
----------------------------
本丸茶屋
http://www.0465.net/omise/honmaru/index.html?CATEGORY=154
営業時間:9:00~17:00(年中無休)
TEL:0465-23-8100
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ご馳走様でした♪
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あ、小田原城へ行くのね。
って事で続いては小田原城へ足を運びます。
時間的に夕方だけれど大丈夫だろうかと思いつつ。
小田原城
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/odawaracastle/
さて、到着しました小田原城〜♪
実を言うと今まで一度も来たことがなかった。
門からの写真は取り忘れてしまったけれど、見事な枝ぶりの
桜の木があったので、きっと春に来たらさぞ綺麗だろうなぁ…
と思いました。暖かくなったらまた行こう。

旦那:「特にこれと言った思い入れがないから感想は無いなw」
SERUNA:「うん、まぁ北条氏にも思い入れは無いしw」
他の城と比べてしまったら可哀想な気もしますが、
私ゃこういった歴史に関しては超がつくほどド素人なレベル
ですので見た目で綺麗とか凄いとしか言いようが無い。
城マニアでも無いですからね… orz
でもこれだけは言える。
お城がある所っていいなww
静岡も作ってくれないかしら、駿府城。
あ、設計図や史料が無いから無理なんでしたっけ?
適当に作られても嫌ですから、どこかからポロっと大発見で
設計図なり史料なり出てこないだろうか…なんてね。
いいなぁ、お城のある観光地は。
さて、小田原城。
鎌倉時代からあると言われているものの
ハッキリとしたことはわかっていないようです。
(※現在の天守閣は昭和35年に復元されたもの)
三代目当主 北條氏康〜四代目当主 氏政の代にかけ、
関東は北條・上杉・武田の3氏で争う事となり、
永禄4年(1561)には長尾景虎(後の上杉謙信)が総勢11万の
大軍で小田原城に押し寄せていきます。永禄12年(1569)に
今度は武田信玄が押し寄せ、幸田門からの進入を許してしまい、
二の丸付近まで攻め込まれるものの、どちらの進行もはね退けて
難攻不落の名を天下にしらしめたと言います。
その後、小田原北条氏は終焉の時を迎えるのです。
天正15年(1587)、豊臣秀吉が天下をほぼ手中に収め
秀吉の圧力は北條氏に迫っていきます。小田原城は秀吉の来攻に
備えて城の外郭を城下町まで拡大。その全長は何9km!
秀吉は全国の諸将を率いる約18万の軍勢で城を完全に包囲するも
落とせなかったため、小田原城を見下ろす早川の石垣山に一夜城
を築きました。これには流石にビビる北条氏w
小田原合戦
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/corridor/battle/p10012.html
リンク先の陣形を見て欲しい。自分がもしも北条氏の立場で
あるならば、即ゴメンなさいするレベルですw
だって、陸から海から四方八方を囲まれたら後がないでしょw
「難攻不落の城」と言われた小田原城は持久戦になるのですが、
結局、北条側が降伏するという形で秀吉に落とされてしまう
事となるのです。
※資料を見ながら文章を組み立てているので、
間違いがあったら指摘して欲しい。
…それにしても、ここまで囲まれてプレッシャーは
ハンパなかっただろうなぁw
え、お城の中へ入場はしなかったのかって?
残念ながらここに来た時点で時間がもう無かったのです。
もっと早い時間に来れば城の中をじっくり見学出来たけれど…
それはまた次の機会にとっておきましょう。
★報徳二宮神社レポに続く。
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-23.html
小田原城グルメな話はこちら。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-22.html
『足柄』というと皆さん、何を想像します?
…え、やっぱ足柄山の金太郎ですか。
熊をも投げ飛ばしてしまうというあの恐るべしな童っ子w
足柄といえばそやつが一番有名のようですな。観光地としても
金太郎が売りみたいですし、お土産にもなっている。
うーん、でも古事記に登場するヤマトタケルも思い浮かべて
欲しいなと。そんなわけで今回は金太郎の話じゃなくて、
足柄とヤマトタケルのお話をひとつ。

足柄神社
http://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=939&cd=1210176&scd=000&npg=0
御祭神:天照皇大御神、瓊瓊杵尊、日本武尊
伝説としては、日本武尊御東征の砌、足柄村にしばし御滞在
なされ仮宮安在所を設け慰労後、尚明神嶽から足柄山を越えなむと
するも樹木草生い繁り遂に進路に御迷いの所、白鹿眼前に現れ、
其の後に従い足柄峠に難なく進むことが出来、此処に於て白鹿消え
給うと、これ神霊の御導きならむと待僕を同所に三年間滞在させ、
神霊を齋祀されたと云はれている 。
(※参拝の栞より一部抜粋)
一度、古事記を読まれた方なら「あれ?」と気付いたかもですね。
足柄神社の由緒によれば、彼の目の前に現れた鹿は道に迷っている
彼を助けて正しい道に誘導しています。ですがこれが古事記の記述
では……
ヤマトタケルは東の蝦夷や荒ぶる神を征伐し、大和へ帰る道中、
足柄で食事をとっている時に白鹿(山の神)が目の前に現れるの
ですが、彼は食べ残した蒜の欠片を持って投げつけ、
鹿の目に当てて、打ち殺してしまうのです。
「どちらが本当か」ではなくて、ここで何があったかという事を
読み取るのが正解でございましょうけれど、残念ながら自分は
専門家ではございませんので、そこから「こうだ!」と読み解き、
蘊蓄を垂れるほど偉くはありません。「こういう話もあるのね」
…程度に留めておこうかなとw

何にせよ彼はこの地に滞在された。ゆかりの地をめぐると、
こういった物語のズレも出てくるから面白いしやめられない。
時々、その土地にしか無いお話に出会ったりするのも
楽しかったりします。
皆さんも是非、物語や歴史上の人物の誰でもいいから、
ゆかりの地めぐりをしてみては如何でしょう。
神社へ行くまで大変だったのは、
車一台がやっとの狭い道を通って行かねばならないこと。
境内に車を停めるスペースはありますが、車で行かれる場合は
くれぐれも気をつけて走行して欲しい。
足柄神社、静かな神社でございました。
周辺にはポツポツと古い民家、神社や景色を撮る為にカメラを
持ったかたが一人、境内をお掃除されていたご老人が二人。
神職の方は不在。ちょっと寂しい所ですけれど、
どこか『あたたかな空気』が感じられる神社かも知れません。
(記事:©SERUNA)
【余談ですが…】
この神社からもう少し先へ向かうと足柄峠へ行けます。
足柄峠は古代の東海道。ヤマトタケルが走水の海に身を投げた
オトタチバナの事を思い出し、三度溜息をつき「吾妻はや」
(我が妻よ)と仰せになった場所があるのだそうです。
今回は時間もないし、登山コースは確実なので、
残念ながら足柄峠はスルー。次回の旅にまわします。
★小田原城レポに続く。
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-21.html
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寒田神社のすぐそばを流れる川です。
酒匂川(さかわがわ)
神奈川県西部を流れる川。
富士山東麓の静岡県御殿場付近から流出して北東流し神奈川県に
入る鮎沢川と、神奈川県北西部の丹沢山地西部から発して南流する
河内(かわち)川とが合して酒匂川となり、箱根火山と大磯丘陵
との間の足柄平野を南東流して小田原市酒匂で相模湾に注ぐ。
幹川流路延長46km、全流域面積582㎢。足柄平野の北端では
丹沢山地から流出する川音(かわと)川を合わせ、
平野の南端部では箱根外輪山から流出する狩川を合わせる。
古来は洪水被害が多かった。
鮎釣りも出来るらしい。
釣り好きな人はこちらを参考にどうぞ。
→http://www.sakawagawa-gyokyou.jp
さて、寒田神社を知るキッカケとなったこの酒匂川。
なぜこの川に興味が湧いたのかというと、その1で話した通り
ヤマトタケルと関係するからなのでございますw
(私ゃ彼の物語が好きですからね)東京へ遊びに行く時は必ず
東名高速道路を使って行くのですが、車をずっと走らせている
時に『酒匂川』の名前が目に飛び込んできたのですよね。
「酒が匂う川?…何か由来がありそう」
と気になって調べてみたら…
・日本武尊が川の水を飲んだところ、酒の味がした為。
・東征の際、この川へ御神酒を注ぎ龍神に戦勝祈願をした所、
酒の匂いが暫くの間止まらなかった為。
という、2つの説を見つけてしまった。
神奈川県のホームページを見ると何ともうひとつ説が。
・元は「まりこ川」と呼ばれていたが、その川沿いに酒匂
という集落があったためこの名を取り、酒匂川とした。
後者の説より、自分はヤマトタケルゆかりの説を信じたい。
…というか絶対にそうに違いないでしょw
(タケルさん好きだからそう信じさせてくれぇぇーー )

向こうに目をやると、山の向こうに富士山の頭が見える。
写真(携帯画像)ではよくわからないかもしれないけれど、
肉眼ではハッキリと見えました。この日はたくさんの雪が
積もっていましたよ。

当たり前だが、酒の匂いはしないw
川に手を入れてみたら凍りそうなほど冷たかった。
河川敷に小さなグラウンドがあったのですが、
親子が凧あげを楽しんでいました。一言で凧あげと言っても
今時のスポーツカイトですが、子供が凧をあげている光景
なんて久しぶりに見たなぁ…(記事:©SERUNA)
そうそう。ちなみに酒匂川は、
小学校によく置かれている像で有名な、
あの、二宮尊徳(二宮金次郎)ゆかりの川でもあるらしい。
彼は小田原出身だったのね。知らなかったよ。
★次のレポに続きます。
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