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定食屋さんに訪れるような感覚で見てもらえたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々。ヲタクなネタから神社めぐりまでw
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2014年03月30日 (日) | 編集 |
2014.3.15探訪
『鷹の爪』の吉田くんのキャラが妙に好きでして…
彼は島根県吉田村(現在の雲南市吉田町)の出身っていう事で、
よく島根をネタにしたりするんですよね。2009年に島根県雲南市で
特別住民票の交付を受けているらしいのですが、住民票での住所が、
『島根県雲南市吉田町たたらば一番地』。本当はたたらば一番地
という住所は無いんですけどねw

そして、この雲南市吉田町に『たたらば壱番地』という道の駅が
去年オープンしたという事で、ちょっと興味を惹かれて行ってきた
というわけです(つい最近一周年のイベントがあったらしいね)。

《旅のコースについてはこちらを参照ください》
二泊三日の島根旅

20140315_たたらば壱番地_001

やべ、もうちょっと正面から撮っておくべきだった。

たたらば壱番地
http://www.unnan-kankou.jp/contents/buy/337
住所:島根県雲南市吉田町吉田4378-31
営業時間:9:00~20:00/年中無休
(2014年1月6日~2月28日までは10:00~19:00)
駐車場:29台・24時間利用可能
(普通車22台/大型車5台/身体障害者用2台)

20140315_たたらば壱番地_002

吉田くんがお出迎え。パネルがあったので撮ってみた。
どうでもいいけれどこの場所に来る前に、杉の木がいっぱいある
場所に行ってきたせいか、花粉症の薬を飲んだのにクシャミが
止まらなくなる。でもいいんだ、楽しかったから。

YouTubeにあった、雲南市を紹介する動画の続きがこの道の駅で
観れるそうなので見てきたら、やっぱりオチは予想通りだったw

…んで、館内のパネルをもういっこ貼ってみる。

20140315_たたらば壱番地_003

さすが島根の観光大使ッスなぁ。あちこちに吉田くん。
そういえば、吉田くんのお土産やらグッズやらも売ってたわ。
ここでしか売られていないの、無いかなぁってのを探したけれど、
島根県内どこのお土産屋さんにもある物が殆どだった。
吉田くんラーメンを買ってみたけど、どうだろう?
きっとここにしか…と思ったら、通販でも売られていてワロタw
http://www.s-yoshidaya.com/shopdetail/002000000008/

道の駅の裏側にあった、
「飛び出し注意」の看板までもが吉田くんw

20140315_たたらば壱番地_004

たたらば壱番地で美味しいものを食べました。
詳細は次のエントリーにて。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-122.html

おまけ的な話

吉田くんといえば、島根県の自虐ネタで有名だけど、
私が本気で島根の「おいおいおウソだろ?!」を体験したのが
前回二度足を運んだ時の事かな。旦那がNintendo3DS本体を、
人が多い場所へ持って出掛けたのにもかかわらず、すれ違い通信で
入ってきたのは他県民ばかりで島根の人間にひとりも出会わな
かったというミラクルw(あれは本気で驚いた)

あ、今回はたくさん島根の人が通信に入ってきましたよ。
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テーマ:道の駅
ジャンル:旅行
2014年03月29日 (土) | 編集 |
2014.3.15参拝
『天が淵』をあとにして続いて足を運んだのが『温泉神社』。
ここにはクシナダの両親である、アシナヅチとテナヅチの神陵が
お祀りされている。
…そしてここでも杉の木があぁぁ。orz
(花粉症の私はこのあと酷い目に遭うw)

《旅のコースについてはこちらを参照ください》
二泊三日の島根旅

20140315_温泉神社_001

とても静かな場所で、雰囲気の良い神社でした。
手水舎の榊は作りもののやつだったけど…まぁこれはこれでw

20140315_温泉神社_002

温泉神社
http://www.unnan-kankou.jp/contents/orochi/132
御祭神:阿遲須高日古根神、
別雷命、玉依姫命、大己貴命、少彦名命

---------------ー--------------
【足名椎・手名椎の陵】
 天が淵に迫る急峻な山を萬歳山といいます。
足名椎・手名椎は、娘を連れてこの山に住んでいました。
八岐大蛇がくると、後ろの山に駆けのぼり逃れていました。
 この屋敷跡は、国道改修のため取り壊されることになり、
温泉神社境内に移されました。なお、萬歳山の山頂近くに大きな
岩があり、両神の御陵といいます。

---------------ー-(温泉神社 境内案内板より)

20140315_温泉神社_003

あ。そうそう、拝殿の横に昔の写真がありました。
(天が淵、足名椎・手名椎夫婦の屋敷跡、二神岩の位置関係)
元々は先程行ったあの天が淵の辺りに足名椎と手名椎、
そして娘のクシナダが住んでいたんですね。

前にも言った通り『八岐大蛇』は斐伊川を神格化したもの。
八岐大蛇がくると、後ろの山に駆けのぼり逃げていた…
つまり洪水がおこると高い場所へ避難していたのでしょうね。
そう考えるとやっぱ八岐大蛇=斐伊川説は正しいんだろうなぁ。

20140315_温泉神社_004

境内右手側に足名椎と手名椎の神陵があります。
これは御由緒にある通り、国道改修によりこちらに移動し、
ここ温泉神社の境内に鎮まっています。(記事:©SERUNA)

20140315_温泉神社_005

このエントリーの最後に、
神陵の横にあった案内板の説明を転載しておきますね。
最初にあったものと中身はあまり変わりませんが…

---------------ー--------------
【足名椎・手名椎の神陵の由来】
 むかし、万歳山のふもとに住んでいた足名椎と手名椎には八人の
娘がいたが、天が淵に棲む八俣の遠呂智(大蛇・八岐蛇)によって
次々にたべられ稲田姫一人となった。そこに須佐之男命が参られ
遠呂智退治となる。須佐之男命は稲田姫を妻にむかえられ、
国づくりがなされていく。
 稲田姫の父神足名椎、母神手名椎を祭った二神岩は万歳山の中腹
にあるが、山崩れで参道道がなくなり、天ヶ淵の上に玉垣を設けて
拝神していた。国道改修にともない、その神陵が温泉神社境内に
遷座されたものである。

---------------ーー(温泉神社 境内案内板より)

余談です
ちなみに出雲国風土記(仁多の郡の話の中)に登場する温泉場が、
神社近くの斐伊川からもう少しだけ上流に行った所にあります。


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2014年03月29日 (土) | 編集 |
2014.3.15探訪
島根県雲南市木次町湯村の『天が淵』。
斐伊川の上流にあるこの場所はその昔、八岐大蛇が住んでいた所と
言われています。別の伝承ではスサノオに『八塩折酒』を飲まされ、
酔いつぶれた大蛇が逃げ込んだ場所とも伝えられているのだとか。


20140315_天が淵_001

斐伊川に添って国道314号をひたすら南へ行った場所に、
『天が淵公園』という場所があるのですが、温泉神社の少し手前の
場所にあるので、川の方をチラ見しながらずっと進んで行けば
たぶんわかると思います。※休憩所のような所でした。

天が淵
http://www.unnan-kankou.jp/contents/orochi/5

20140315_天が淵_002

…あれ?写真右下、端っこの二本の赤い光のような物何だ?
こんなのあったっけな?光線の具合で偶々入っちゃったのかも?
おいおい何だよホラーだなと思いつつも、気にせず淡々とアップw
まさかの心霊写真(多分違うと思う)www


斐伊川流域は古代から山陰地方の政治や文化、経済の中心として発展
してきました。そして八岐大蛇伝説は、島根の斐伊川を中心にして
展開されています。古事記で語られる大蛇の姿は…

「ほおずきのように真っ赤な目、一つの身体に頭が八つ、尾が八つ、
胴体は苔生し、檜や杉が生えている。その長さは八つの谷と、
八つの山間を這い渡るほどで、腹を見れば血膿のようにただれて、
血が流れ出している」


八岐大蛇は、斐伊川を神格化したもの。

血に染まる大蛇の腹は『たたら製錬』を意味し(『鉄穴流し』により
砂鉄をふくんだ砂で川底が赤く錆びた色になる)、大蛇が大暴れする
のは洪水で斐伊川の氾濫を意味するという説があります。
(奇稲田姫は田畑をあらわし、生贄にされる=斐伊川の反乱で田畑が
飲み込まれる…という例え)実際に斐伊川のあたりでは、
そういった被害が何度もあったというお話が残されていますね。

現在の斐伊川の全長は、約153km。
くねくねと蛇行する様や幾つにも分かれた派川を見ると、
八岐大蛇に例えられるのがなんとなくわかるような気がしませんか?

20140315_天が淵_003

天が淵と言われる場所を写真におさめてみました。
何かが棲んでいそうな雰囲気が…するようなしないような。
天が淵には『蛇帯』と呼ばれる、青と赤の筋になっている石があり、
それが八岐大蛇の足跡と伝えられているとありますが、
「現在ではほとんど見えなくなっている」との事で探そうと思っても
どれがどれやらサッパリわかりませんでした。

20140315_天が淵_004

スサノオは、繰り返し水害がおこる斐伊川の『治水灌漑工事』
を行っていたのではないでしょうかね。今のところは大体それが
八岐大蛇退治のお話として残された…という説になっていますが、
私もそうだと思っています。(記事:©SERUNA)

むかし本当にあったお話ってのは、ほとんどが何かに例えられて
伝説として語り継がれていたりしますからね。
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テーマ:旅行、旅、ドライブ
ジャンル:旅行
2014年03月28日 (金) | 編集 |
2014.3.15参拝
八岐大蛇のお話は、知らないという人はいないでしょう。
スサノオが大蛇に飲ませた『ハ塩折酒』が入っていた壷のうちの
ひとつが残されている場所があると言うのです。


取り敢えず、最初に吉田くんの動画で八岐大蛇退治のお話を。
なんかこのシリーズ、妙に好きなんだわw



舗装されている山道をずーっと車で走らせて、突き当たった場所に
この神社があります。徒歩だと軽くハイキングコースになるので、
歩くのがメンドクサイって人は車がオススメです。

さて…車を走らせていると所々に、
「悪い事をしてはいけないよ。壷神様が見ているぞ!」的な看板が。
この辺りではきっと子供に戒めをする時に「壷神様が見ているよ」
って教えるのでしょうね。「お天道様が見ているよ」ってのは昔から
よくある事なのでそんな感じで。写真に撮ってくれば良かったな。

到着してふと気が付くと、目の前はもう杉林だらけ。
花粉症なので、それ見ただけで軽く死ねるw

20140315_印瀬の壷神_001

印瀬の壷神(ハ口神社)
http://www.unnan-kankou.jp/contents/orochi/9
御祭神:須佐之男命、櫛名田姫命
配祀祭神:国神社(脚名槌命、手名槌命)、八幡宮(誉田別命)

----------------------------------
 現存する最古の棟札は宝暦八年修復(1758)のものであるが、
当社の建立年代は不明である。簸ノ川(斐伊川)の天が淵(湯村地旧)
に住む八岐の大蛇は、国神である脚名槌、手名槌夫婦の娘を年毎に一人ずつ
奪った。今年はついに八人目の末娘、稲田姫が奪われようとしていると
泣き悲しんでいた老夫婦から事情を聞かれた須佐之男命は、現社地に仮の館
を建てさせ、見事に大蛇を退治されたという。─八岐の大蛇退治の物語─

 今境内に「壷神」として祀られてあるのは、その酒壷の一つである。
天正年代(1570)三沢城主為景の建立した国神社があったが後世荒廃し、
合殿として当社に合祀されている。古来より例祭には「八塩折の酒」
を作って献上していたが今は行われていない。
明治四十三年神社制度の改革により三社神社に合祀されていたが、
氏子(七戸)の熱心な願望により昭和二十一年御分霊を奉斉して飛地末社
となし昭和三十一年宗教法人として設立。元の社地に復旧したものである。


--------------------(ハ口神社 境内案内板より)

20140315_印瀬の壷神_002

写真左側、囲ってあるその場所に壷が祀られているようです。
玉垣が新しくなっていたので、いかに氏子のみなさんに大事にされて
いるかがよくわかります。境内はキチンと手入れもされていました。

さて、この壷神様。どうしてこういったカタチで祀られているのか、
どのくらいの大きさなのかが、更に案内板に書かれていましたので
ここに転載しておきます。

--------------------------------ー
【壷神由緒】 「壷」口経四寸五分・腹経六寸五分・深さ五寸。
 神代の昔、須佐之男命が八岐の大蛇を退治なされる時、
脚名槌、手名槌の夫婦に「汝等は八塩折の酒を醸り、垣を造り廻らし、
その垣に八門を作り、門毎に八桟敷を結い、その桟敷毎に酒船を置きて
船毎にその八塩折の酒を盛りて待ちてよ」と仰せられた。その時の酒壷
の一つを祀ったものである。昔土民がこの壷に触れたところ、
俄に天はかきくもり山は鳴動して止まず、八本の幣と八品の供物を献じて
神に祈ったところようやく鎮まったという。村人たちは人の手に触れる
ことを恐れ多くの石で壷をおおい、玉垣で囲み、注連縄をめぐらし、
昔のままの姿で昔のままの場所に安置することにつとめ現在にいたって
いるものである。

 毎年旧六月晦日の夕刻には氏子全員がにぎやかに参拝し、昔ながらの
八本の幣と供物を献じて壷神祭を続けている。昔から「印瀬の壷神さん」
として広く知られている。

------------------------(境内案内板より)

※上の部分が切れて見えないけれど、八本の御幣が立っている。
20140315_印瀬の壷神_003

八岐大蛇の物語を聞く限りでは、大蛇が飲む酒が入っていた位です
から、かなり大きなものだと思って勝手に想像をしていましたが、
御由緒に書いてあるものは普通のサイズの壷でビックリ。
…というか冷静になって考えると、あくまで大蛇は斐伊川を神格化
した物なので本当に居たわけではないのですよねw
ひょっとしたらこの壷、遥かむかしに斐伊川の氾濫を抑えるための、
何らかの神事に使われていた物なのかも知れない…とかね。
色々と想像してみると面白いです。(記事:©SERUNA)

『ハ塩折酒』を作って献上していた時代もあるようですが、
そのお酒、どんな味だったんだろう?



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