ようやく到着しました物部神社。
駐車場に車を駐め外に出て、鳥居より向こうを見ますと、
見事なまでに素晴らしい社殿が見えます。
御本殿は春日造りでは日本一の大きさ。そしてその高さは16mにも及び、
県内では出雲大社に次いで大きなものになるらしいです。

物部神社
http://www.mononobe-jinja.jp
御祭神:字摩志麻遅命
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御祭神宇摩志麻遅命は、物部氏の御祖神として知られております。
御祭神の父神である饒速日命は十種神宝を奉じ、天磐舟に乗って大和国哮峯
に天降り、御炊屋姫命を娶られ御祭神を生まれました。御祭神は父神の遺業
を継いで国土開拓に尽くされました。
神武天皇御東遷のとき、忠誠を尽くされましたので天皇より神剣韴霊剣を
賜りました。また、神武天皇御即位のとき、御祭神は五十串を樹て、
韴霊剣・十種神宝を奉斎して天皇のために鎮魂宝寿を祈願されました。
(鎮魂祭の起源)
その後、御祭神は天香具山命と共に物部の兵を卒いて尾張・美濃・越国を
平定され、天香具山命は新潟県の弥彦神社に鎮座されました。
御祭神はさらに播磨・丹波を経て石見国に入り、都留夫・忍原・於爾・
曽保里の兇賊を平定し、厳瓮を据え、天神を奉斎され(一瓶社の起源)、
安の国(安濃郡名の起源)とされました。
次いで、御祭神は鶴に乗り鶴降山に降りられ国見をして、八百山が大和の
天香具山ににていることから、この八百山の麓に宮居を築かれました。
(折居田の起源)
-------------ー--(物部神社 参拝の栞より一部抜粋)

この手水舎の石は『含金石』と呼ばれる、砂金を含んだ珍しい石
なのだそうです。手水石に掘られた四つの勾玉に触れて勝運や財運を
祈るといいですよー的な事が、立札に書かれていました。
手水舎に流れる水は御神井より湧き出た御神水。
その昔「石見国安濃群川合郷に甘露降る」と古文書に書かれ、
時の国司が朝廷に献上したところ、天皇は吉兆だと喜ばれ、
元号を仁寿(851〜854)と改めたと言います。御神井に湧き出る御神水
はこの流れと言われ、枯れることなく現在に至っているそうです。

最初は神体山である八十山を崇めていました。
後の時代、天皇の勅命により、継体天皇八年(513)に社殿を創建。
戦国時代には、石見銀山争奪の兵火などで三度消失しており、
宝暦三年(1753)に再建され、文政元年(1818)の修理を経て、
安政三年(1856)宝暦時の規模で改修され、現在に至っています。

ちなみに物部神社の御神紋は、真っ赤な太陽を背にした『ひおい鶴』。
この御神紋は、全国で唯一ココだけのものです。

【折居田のお腰掛け岩】---------------------
むかし物部神社の御祭神字摩志麻遅命が白い鶴に乗って、
この川合に天降られました。そのところを鶴降山(つるぶさん)と
いいます。鶴降山から国見をなされたところ、八十山(神社の後山)
が大和国の天香山によく似ているので、八十山の麓にお住まいなさる
ことになりました。このとき鶴降山から白い鶴に乗って降りられた
ところを折居田といいます。
折居田には御祭神が腰を掛けられたという大きな岩があり、
また、むかしから大きくもならず枯れもしないといい伝えのある
一本の桜の樹がありました。ここから東へ六百メートルくらいの所に
あって、石碑が建ててあります。近くには清らかな泉もあり、
十種神宝を祀る石上布瑠神社もあります。
昭和五十六年の秋、道路の拡張工事のためお腰掛け岩と桜の樹を
境内に移して伝説とともに永久に保存することになりました。
御祭神が白い鶴に乗って天降りなされたという伝説によって、
物部神社の御神紋は『日負鶴』となっています。
-------------------------(境内案内板より)
★少し長くなりますので、二つに分けます。
(その2へ続く)
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-102.html
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この神社は、物部神社へ行くまでの通り沿いにあります。
ついでなので立ち寄ってみました。大田市駅の方から、
国道375号線をずっと南へ車を走らせて行くと小さな神社が
左手にあることに気が付きます。

新具蘇姫命神社(吉永神社)
http://www.geocities.jp/engisiki/iwami/bun/iwa440105-01.html
御祭神:新具蘇姫命、応神天皇、息長足姫命、比咩大神
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当神社は聖武天皇の御代、天平3年(731年)に創建され、
延喜式神名帳に記載されている式内社で、石見地方でも最古の神社
の一つである。主祭神の新具蘇姫命は五穀の守護神、農耕の神様、
乳製品(蘇=チーズ)の神様、家畜の神様として近隣の人たちからも
深く崇拝されてきた。古くは現在の社殿の後方の新山に社殿があった。
国守時代国幣小社であり天平年間に従五下に神階を授けられた。
戦国時代 尼子 毛利 小笠原氏の尊敬篤く社領、社殿を寄進し、
国家安康、武運長久を祈願した。
江戸時代に入り吉永藩主加藤氏の産土神として尊崇篤く、
社領を安堵し、御祈願所として毎月1、15、28日に参拝した。
また一宇一千経を境内に奉納し祈願した。また累代の銀山奉行、
代官も社領保護、神器を奉納した。
明治5年村社に、大正2年 神饌幣帛料供進社に指定された。
大正2年中台にあった村社八幡宮を合祀した。
------------------(境内案内板より一部抜粋)

新具蘇姫命神社(にいぐそひめのみこと神社)と読みます。
御祭神の『新具蘇姫命』は、古事記に登場する、
『波邇夜須毘売神(はにやすひめのかみ)』と同一視されています。
(日本書紀では『埴山媛』)で、このハニヤスという神様はどんな
神様かというと『糞』にまつわる神様なのです。伊邪那美命が
火の神を生み、ホト(陰部)を火傷し苦しみながら亡くなった際に
…っと長くなるので省略。ちなみに昔の農耕は肥料が糞だったので、
御由緒に書かれる通り『五穀の守護神』『農耕の神様』というのも
納得できますよね。
ところでみなさん、『蘇=チーズ』の部分が気になるでしょ。
「そんな昔から日本にチーズがあったの?」
と不思議に思われるかも知れませんが、これがあったんです。
正確には『チーズのようなもの』ですがw(説明したいけどこれも
長くなるので省略。気になる人は「古代 チーズ 日本」で検索!
再現させたものを食べられるお店もあるらしい)

…神社のレポートに戻ります。
波邇夜須毘売神と同一視されている『新具蘇姫命』。
この名前でお祀りされている神社って、もしかして唯一この神社
だけじゃないですかね。この日は運がないのか天候が悪く、
あられも降り始め、もう恐ろしく寒かったです。(記事:SERUNA)
もうちょっとゆっくりしたかったんですけどねー…
静かな神社でございました。
≪旅のコースについてはこちらを参考にどうぞ≫
→二泊三日の島根旅
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