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定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2014年03月29日 (土) | 編集 |
2014.3.15参拝
『天が淵』をあとにして続いて足を運んだのが『温泉神社』。
ここにはクシナダの両親である、アシナヅチとテナヅチの神陵が
お祀りされている。
…そしてここでも杉の木があぁぁ。orz
(花粉症の私はこのあと酷い目に遭うw)

《旅のコースについてはこちらを参照ください》
二泊三日の島根旅

20140315_温泉神社_001

とても静かな場所で、雰囲気の良い神社でした。
手水舎の榊は作りもののやつだったけど…まぁこれはこれでw

20140315_温泉神社_002

温泉神社
http://www.unnan-kankou.jp/contents/orochi/132
御祭神:阿遲須高日古根神、
別雷命、玉依姫命、大己貴命、少彦名命

---------------ー--------------
【足名椎・手名椎の陵】
 天が淵に迫る急峻な山を萬歳山といいます。
足名椎・手名椎は、娘を連れてこの山に住んでいました。
八岐大蛇がくると、後ろの山に駆けのぼり逃れていました。
 この屋敷跡は、国道改修のため取り壊されることになり、
温泉神社境内に移されました。なお、萬歳山の山頂近くに大きな
岩があり、両神の御陵といいます。

---------------ー-(温泉神社 境内案内板より)

20140315_温泉神社_003

あ。そうそう、拝殿の横に昔の写真がありました。
(天が淵、足名椎・手名椎夫婦の屋敷跡、二神岩の位置関係)
元々は先程行ったあの天が淵の辺りに足名椎と手名椎、
そして娘のクシナダが住んでいたんですね。

前にも言った通り『八岐大蛇』は斐伊川を神格化したもの。
八岐大蛇がくると、後ろの山に駆けのぼり逃げていた…
つまり洪水がおこると高い場所へ避難していたのでしょうね。
そう考えるとやっぱ八岐大蛇=斐伊川説は正しいんだろうなぁ。

20140315_温泉神社_004

境内右手側に足名椎と手名椎の神陵があります。
これは御由緒にある通り、国道改修によりこちらに移動し、
ここ温泉神社の境内に鎮まっています。(記事:©SERUNA)

20140315_温泉神社_005

このエントリーの最後に、
神陵の横にあった案内板の説明を転載しておきますね。
最初にあったものと中身はあまり変わりませんが…

---------------ー--------------
【足名椎・手名椎の神陵の由来】
 むかし、万歳山のふもとに住んでいた足名椎と手名椎には八人の
娘がいたが、天が淵に棲む八俣の遠呂智(大蛇・八岐蛇)によって
次々にたべられ稲田姫一人となった。そこに須佐之男命が参られ
遠呂智退治となる。須佐之男命は稲田姫を妻にむかえられ、
国づくりがなされていく。
 稲田姫の父神足名椎、母神手名椎を祭った二神岩は万歳山の中腹
にあるが、山崩れで参道道がなくなり、天ヶ淵の上に玉垣を設けて
拝神していた。国道改修にともない、その神陵が温泉神社境内に
遷座されたものである。

---------------ーー(温泉神社 境内案内板より)

余談です
ちなみに出雲国風土記(仁多の郡の話の中)に登場する温泉場が、
神社近くの斐伊川からもう少しだけ上流に行った所にあります。


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2014年03月29日 (土) | 編集 |
2014.3.15探訪
島根県雲南市木次町湯村の『天が淵』。
斐伊川の上流にあるこの場所はその昔、八岐大蛇が住んでいた所と
言われています。別の伝承ではスサノオに『八塩折酒』を飲まされ、
酔いつぶれた大蛇が逃げ込んだ場所とも伝えられているのだとか。


20140315_天が淵_001

斐伊川に添って国道314号をひたすら南へ行った場所に、
『天が淵公園』という場所があるのですが、温泉神社の少し手前の
場所にあるので、川の方をチラ見しながらずっと進んで行けば
たぶんわかると思います。※休憩所のような所でした。

天が淵
http://www.unnan-kankou.jp/contents/orochi/5

20140315_天が淵_002

…あれ?写真右下、端っこの二本の赤い光のような物何だ?
こんなのあったっけな?光線の具合で偶々入っちゃったのかも?
おいおい何だよホラーだなと思いつつも、気にせず淡々とアップw
まさかの心霊写真(多分違うと思う)www


斐伊川流域は古代から山陰地方の政治や文化、経済の中心として発展
してきました。そして八岐大蛇伝説は、島根の斐伊川を中心にして
展開されています。古事記で語られる大蛇の姿は…

「ほおずきのように真っ赤な目、一つの身体に頭が八つ、尾が八つ、
胴体は苔生し、檜や杉が生えている。その長さは八つの谷と、
八つの山間を這い渡るほどで、腹を見れば血膿のようにただれて、
血が流れ出している」


八岐大蛇は、斐伊川を神格化したもの。

血に染まる大蛇の腹は『たたら製錬』を意味し(『鉄穴流し』により
砂鉄をふくんだ砂で川底が赤く錆びた色になる)、大蛇が大暴れする
のは洪水で斐伊川の氾濫を意味するという説があります。
(奇稲田姫は田畑をあらわし、生贄にされる=斐伊川の反乱で田畑が
飲み込まれる…という例え)実際に斐伊川のあたりでは、
そういった被害が何度もあったというお話が残されていますね。

現在の斐伊川の全長は、約153km。
くねくねと蛇行する様や幾つにも分かれた派川を見ると、
八岐大蛇に例えられるのがなんとなくわかるような気がしませんか?

20140315_天が淵_003

天が淵と言われる場所を写真におさめてみました。
何かが棲んでいそうな雰囲気が…するようなしないような。
天が淵には『蛇帯』と呼ばれる、青と赤の筋になっている石があり、
それが八岐大蛇の足跡と伝えられているとありますが、
「現在ではほとんど見えなくなっている」との事で探そうと思っても
どれがどれやらサッパリわかりませんでした。

20140315_天が淵_004

スサノオは、繰り返し水害がおこる斐伊川の『治水灌漑工事』
を行っていたのではないでしょうかね。今のところは大体それが
八岐大蛇退治のお話として残された…という説になっていますが、
私もそうだと思っています。(記事:©SERUNA)

むかし本当にあったお話ってのは、ほとんどが何かに例えられて
伝説として語り継がれていたりしますからね。
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