古代の物が大好きです。埴輪にすら萌えるよ。
古事記や風土記を勉強していけば誰だって埴輪にも辿り着くよ。
あぁ「埴輪女」ってバカにしたけりゃすればいいさ。orz
さて、そんな話は置いといて…
神魂神社のあとにやってきました、八雲立つ風土記の丘!
ここでしか見れない見返りの鹿の埴輪を見にやって来ましたよ♪
八雲立つ風土記の丘
http://www.yakumotatu-fudokinooka.jp
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八雲立つ風土記の丘一帯は、奈良時代に編さんされた
「出雲国風土記」のくにびき神話を起源とする意宇郡の中心にあたる
地域です。この周辺には縄文時代、弥生時代の遺跡をはじめ方墳や
前方後円墳などの多くの古墳が分布し、また国庁、国分寺といった
奈良時代の政治、経済、文化の中心地でもあり、出雲国造家にゆかり
のある神社や寺もあって、文化財の一大宝庫です。
八雲立つ風土記の丘は、それらの遺跡を整備し、総合的に保存活用
する目的でつくられました。これは国の指導による風土記の丘構想の
一環に基づき、全国で6番目にできた施設で、島根の古代文化紹介と
保護を目途としています。
---------------(公式サイト説明文より一部抜粋)

上の写真は『箱式石棺』と言われるもので、
約1600年前の古墳時代の一般的なお墓の一種です。
この石棺は大橋川に面した東津田町石屋の丘陵尾根上で発見された物
で、発見時には人骨の一部も。ちなみにこの人骨には朱(水銀を原料
とした赤色の顔料)が残っていたのだとか。古代、赤色は魔除けの色
とされていましたので、何らかの呪術的な意味がこめられていたの
かも知れません。
写真を撮り忘れましたが、ここには古墳もあったりします。
岡田山1号古墳と、2号古墳。1号の方は発掘調査済みで数々の貴重な
ものが出てきましたが、2号古墳の方は手付かずなまま。
なぜ調査しないんだろうとも思いましたが、発掘するということは、
墓荒らしみたいなものだし…でも掘ってみなけりゃ謎が解けない。
中身を知りたい気もしますけど、ちょっと複雑な感じだね。 (;´Д`A
外にはこんなものも。
竪穴式住居(復元)

掘立柱建物(復元)

撮影はできませんので写真はありませんが、
館内には私が大好きな埴輪がいっぱいありました。
まわしをシッカリとしめたお相撲さんの埴輪があったり、
(ちなみに力士の埴輪の足をよく見るとトゲトゲの武器が!!
古代の相撲は、今で言うところの打撃系の格闘技ですからねw)
巫女さんの埴輪があったり。
『見返りの鹿』、可愛かったなぁ。全国に見返りの鹿は三例のみ
らしいけれど当時の埴輪で鹿が振り返ったポーズって、
実はあまり珍しくなかったのかも?
「たかが埴輪、されど埴輪」と侮る事なかれ、埴輪にもいっぱい
種類があります。埴輪から何が見えるって当時の様子がそこから
色々わかるのが面白いんですよね。(記事:©SERUNA)
他にもまだ出土品が展示されていました。小さい博物館ですが、
お近くに足を運んだ際は是非とも見ていただきたいです。
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-123.html
全てを説明出来なくてすいません、取り敢えず重要なものだけ。

御本殿の右手側に目を向けますと、
一番むこうに『御釜宮』というお社がございます。
ひとまず神魂神社参拝の栞に書いてあるものを転載致しますね。
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当社の境内にありて出雲国造の大祖天穂日命が、
天照皇大神の神勅に依り大国主命に、出雲国奉還を促し給う為、
高天原より大庭釜ヶ谷へ乗って天降られたと伝える神釜を祀る。
出雲国造新嘗祭に参向の節には必ず御釜御神事を行うを例とした。
故に、今日出雲大社で新嘗祭の時(明治四年より)大庭御神事と
称する御釜を祀る神事を執行することになったのは一時当社へ
参向が中止になったので此の御釜宮を遙拝の為の神事と云える。
竈繁栄、火難除、五穀豊饒、特に子供の虫除、稻熱病並刺虫除の
神として崇敬されている。
----------------ー(神魂神社 参拝の栞より)
御神体みたいなものですので、
写真におさめるのはちょっとばかり気が引けましたが…
この御釜宮の中には、古くて大きな釜が祀られています。

古事記にありますが、
天穂日命はアマテラスとスサノオの“うけい”により、
アマテラスの持ち物から生まれた神。『正勝吾勝勝速日天忍穂耳命』
の弟神にあたります。葦原中国を譲るよう、高天原から大国主命を
説得にやってくるのですが、彼は大国主に感服してしまい、
ついには三年も高天原に戻りませんでした。
神魂神社の御由緒によれば、この御釜宮に祀られる釜は、
天穂日命が高天原よりやって来た時に乗ってきたものだとか。
……想像するとちょっと滑稽なような、可愛いようなw
旦那:「ちょっとしたUFOだよねwww」
SERUNA:「ホヒちゃんが一番ヘンな物に乗って来てるねw」
えー、再び視線を御本殿向かって左手に戻しまして、
写真奥から『武勇社』『蛭子社』『荒神社』。荒神社には神籬
(ひもろぎ)が見えますね。これは神様をお迎えするための
依り代となります。(記事:©SERUNA)

……で、いつも気になるんだけど向こうにある『謎の穴』は、
いったいなんだろう。誰か知ってる人いる?

《旅のコースについてはこちら》
→二泊三日の島根旅
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以前、こちらの神社には足を運んだことがあるけれど、
前回は御朱印をいただけませんでしたので、もう一度参拝に
訪れました。歴史があって素晴らしい神社なんですよね。
ちょっと長くなりそうなので分けます。

参道は鳥居をくぐって少し行きますと、拝殿まで一直線の急な石段
『男坂』と、緩やかな石段を登っていく『女坂』に分かれています。
神社の雰囲気をじっくり楽しみたい人は女坂がオススメです。
…が、私たちはあえて男坂を選択w

神魂神社
http://furusato.sanin.jp/p/area/matsue/36/
御祭神:伊奘冊大神
合祀:伊弉諾大神
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当社は大庭大宮とも云い出雲国国造の大祖天穂日が、
ここに天降られて御創建、伊奘冊大神を祀り、出雲大神、
出雲国の総産土大神、として天穂日の子孫(大社町、北島、千家国造)
は元正天皇霊亀二年に至る二十五代果安国造迄祭主として奉仕、
斉明天皇の勅令により、出雲大社の創建なるや、杵築(大社)へ移住
(霊亀二年・716年)したるも、国造就任の印綬とも云うべき神代
ながらの神火相続式並新嘗祭を執行の為、現在も参向されている。
従って大国主命の国譲りも、出雲朝廷のもと国造として祭政を執った
のも皆当社が中心で古代の神都であり、種々な遺蹟、伝説も豊富で
神奈備山、大古墳群、出土品等貴重な文化財も多く、附近に国庁、
国分寺等もあって、神代上古を通じ、鎌倉時代迄は政治、経済、
交通の要衝であり、隣接に島根県立八雲立つ風土記の丘が建設され
出雲文化発祥の転移を紹介している。また毎年十月には全国の八百万
の神々が集い給う神在祭も行われている。
---------------(神魂神社 参拝の栞より一部抜粋)

…旦那が写り込んでるけどまぁいいやw
この神社の御本殿は国宝とされているもので、大変貴重。
こちらの説明も神社でいただいた栞から転載しておきますね。
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日本最古の建築様式である天地根元造の形態を有する大社造りとして、
明治33年4月7日特別保護建造物(後に国宝と云う)に指定され
現在の本殿は従来応安元年の建築と伝えられていたが、昭和23年度
よりの修理の際主柱上部の突起(ホゾ)に、正平元年丙戌十一月日
(室町時代の初期六百数拾年前)と墨書きされているを発見された。
従って現存する大社造としては最古のもので、出雲大社の改築より
約400年も古いので歴史的にも更に一層原始的な構造、古形を具備し
全国総ての神社建築並一般民家建築の根元をなし、日本民族祖先の
独創になる世界に誇るべき文化財として斯界の学者、技術者から推称
されている。(出雲大社が創建される時当社の倍率に設計されたとの
社伝がある)
-----------------(神魂神社 参拝の栞より抜粋)
ちなみに本殿内(非公開です)は、狩野山楽土佐光起の筆とも
伝えられる大壁画九面に囲まれ、天井には『九重雲』(出雲大社は
七重雲だそうです)が描かれているのだとか。
続いてはこちら。本殿向かって左手にありますこのお社。
重要文化財に指定されている『貴布禰稲荷両神社本殿』。

『高神』『稲荷大神』の二神を祀り、宝永年間(1704〜1710)頃
から稲荷社を合祀。貴布禰、稲荷両社を祭祀した後、
更に『高天神社』『速玉神社』が稲荷神社に合祀されました。
この社は室町時代のもので、神社建築様式としては他に類例のない
珍しい形式のもの。全国に一間社、三間社流造は多いけれど、
二間社は類例が少ないそうです。(記事:©SERUNA)
★その2へ続く。
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-124.html
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