ウチの母と同年代くらいのご婦人がこちらを見てニコニコ。
…あ、地元の人っぽい。
また方言で話しかけられたらどうしようww
と、そんなことを思いつつも、でもやっぱり何だかんだで
地元民とのコミュニケーションは大好きなのでちょっと
ワクワクする。
ご婦人:「もしかしてこの車で来たの?静岡から?」
SERUNA:「あっ!はい、静岡からです」
(良かったー!方言じゃ無いw)
ご婦人:「あらまぁー!凄いわねぇ、時間かかったでしょー」
このかた、ここの超ご近所に住んでいる人で、
毎日このへんに散歩に出掛けては、時々旅行者に出会うと、
イザナギとイザナミの物語について説明をするのが
好きなんだそうだ。

記紀とはまったく関係無い話だけど、脇にあるこの池、
むかし地域の人でたくさんの鯉を放流した事があり、
本当はもっと住んでいたのだけど、鳥がその鯉を食べてしまい
今は数匹しか泳いでいないとか。言われてみればこの時、
確認できるだけで紅と白の二匹だけしか見つける事が
出来なかったです。
色々雑談をしながらでしたが、
この山には千両や万両と名のついた植物があって、
これらは合わせて揃えて正月に飾る縁起物だということも
説明して下さいました。
さて、少し話を元に戻して…

まずは駐車場側からの道。
この道を進み山道を真っ直ぐ進んで行くと小石が積まれた
場所に『塞の神』と言われる道祖神があります。
ここは、塞の神という神様が、イザナギを追うイザナミの
前に立ち持っていた杖を投げて(置いて)、
「ここから先へは行っていけない」と言われた場所だそう。
古事記にその『塞の神』は出てきませんが、日本書紀では
この神について触れられています。

塞の神は道祖神。
人間に襲いかかる悪霊や災難に立ち塞がって、
人間を守ってくれる神様。その昔このあたりでは塞の神の前を
通る時には石を置いていくという習慣があったそうで、
今でもこのようにして少しづつ積まれた石が残っているのだと
仰っていました。

写真の左側に『塞の神』が祀られています。
そういえば、この山の上の方には更に不思議な石があるとか。
ご婦人は登って行ったことが無いのでその石について
詳しくは知らないらしいけれど、黄泉比良坂の保存会の人が
詳しいと教えてくれました。
「今その人が居れば良かったんだけど…」
と残念そうにしていたけど、いえいえその情報だけで充分。
面白い話を聞きました。ありがとうございます。
「じゃあ、私はもうちょっと散歩して行きます。良い旅を♪」
と私たちに言って、塞の神の前でお別れをしたご婦人、
次のコースに行こうと黄泉比良坂を後にした道でまた再会w
SERUNA:(車の窓を開け)
「さっきはありがとうございましたー」
ご婦人:「あらぁー、あははwまた会っちゃったw
これからどちらへお参り?揖屋神社へ向かうの?」
旦那:「そこは前に参拝したので今から美保関へ行こうかなって。
美保神社をお参りして、そしたら静岡へ帰ります」
ご婦人:「あそこは恵比寿様よね。
櫂を落としてサメに噛まれたw」
SERUNA:「で、鶏と卵が大嫌いになっちゃうんですよねw」
ご婦人:「そうそう!あらま、よく知っていらっしゃる。
こないだまであの地域は、卵を口にしなかったのよね」
(※こないだと言っても、数十年前までの出来事かと)
ご婦人:「すごくいい所よー。楽しんでいってね♪」
SERUNA:「ありがとうございまーす。お元気でー♪」( ´ ∀ ` )ノ
こんなやりとりがあったりして、楽しかったですよ。
美保神社の事代主神(恵比寿様)がサメに噛まれたお話はまた、
美保神社のエントリーでお話致します。(記事:©SERUNA)
【追加情報として…】
黄泉比良坂はじめっとした場所でちょっと怖いかもですが、
付近が整備される前はもう少し薄暗くて怖い場所だったそうな。
《旅のコースについてはこちらをどうぞ》
→二泊三日の島根旅
私がここを訪れるのは二度目。最初に来た時には、
駐車場がわからなかったために旦那を待たせて自分だけで見に
行ったのですが、今回は車を駐める場所を発見できましたので、
一緒になって見に行くことにしたのです。

http://www.nihon-kankou.or.jp/shimane/detail/32304af2170020021
(国道9号から駐車場まで、車で行けます)
なんかもう、伊邪那岐命と伊邪那美命について語るのに
古事記の物語を最初から説明するのも長くなるし面倒なので、
2分くらいでわかる有名なあの動画を貼っておこうかなw
何やかんやあってイザナミが、夫であるイザナギを追いかけて
きたという坂がここ『黄泉比良坂(伊賦夜坂)』という場所。
あの世とこの世の境です。

ここに到着してみるとチョコンと鳥居が立っているのですが、
そこをくぐると『千引岩(ちびきいわ)』と言われる大きな岩が。
むしろ駐車場からすぐ見える場所にあります。写真じゃ伝わり
ませんがちょっとデカいです。一人では絶対に動かせません。

物語の中ではイザナギは、妻がこれ以上追って来れないよう、
大きな岩で道を塞ぎ、お互い離別の言葉を交わします。
イザナミ:「約束を破ったあなたに恥ずかしい姿を
見られてしまい、こんな目にあわされた。
もうあなたのいる世界には戻れない」
イザナギ:「私は今でもお前が恋しい。
しかしもう別れることにしよう」
イザナミ:「これから後、あなたの国の人間を
毎日千人づつ殺してやる」
イザナギ:「ならば私は毎日、1500人の産屋を立てよう」
……壮絶な夫婦喧嘩です。神の喧嘩スケールデカすぎwww
というか毎日千人づつ殺すとか、人間とんでもないとばっちりw
(ってこれは人間の生き死にを意味するものなんですけどね)
まぁ、こんな感じのお話が満載ですので、古事記を知らない
という人は是非とも一度読んでみて欲しい。絶対にハマるから。

岩のすぐ側に記紀のお話になぞって桃の木が植えてありました。
前回に来た時には、札がついていませんでしたが、
「やまももの木」の札が掛けられていました。
新しいので最近付けられたものでしょう。
古事記では、千引岩で道を塞ぐ前にイザナギが追っ手に桃を
投げつけて退散をさせるのですが、「お前が私を助けたように、
もしも葦原中国の人々が苦しい目に遭っている時には、
お前が助けてやってくれ」と、この桃に『意富加牟豆美命』
という名前をつける場面があります。

『神蹟 黄泉比良坂 伊賦夜坂 伝説地』と刻まれた石碑は、
皇紀2600年記念事業として昭和15年7月、当時の揖屋町長
『佐藤忠次郎』(佐藤造機株式会社 初代社長)が、
神蹟の荒廃を嘆き建てたもの。
現地にプリントが置いてありました。後半からちょこっと転載。
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伊邪那美命が黄泉の国に隠れたあとをつけて通った道を、
今もつけ谷(付谷)といい、山坂道を追っかけ上がった坂を
追谷坂(大谷坂)とよばれている。その峠には塞の神(道祖神)
が祀ってあり、そこを越した所が夜見路谷であって、
ここに神蹟伝説の碑が建っている。
-------(黄泉比良坂神蹟保存会のプリントより一部抜粋)
★その2に続きます。
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-130.html
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