★後半に漫画を貼っておきますね。
東日本大震災があった年に、
鹿島で不思議なお話があったのをご存知でしょうか。
神社大好きな人には有名な話かも知れませんし、ニュースにも
なったので、ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが…
鹿島神宮の神と諏訪の神といえば、古事記の『国譲り』の物語
の中では葦原中国をめぐって力比べ(相撲の起源となるもの)
をして鹿島の神が勝利をおさめるというお話があり、
勝者と敗者の関係にあります。いわばライバルのような関係。
その鹿島の神と諏訪の神を結びつける不思議なお話。
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それは2011年、東日本大震災のあとに起こった不思議な物語。
震災から1ヶ月が経った4月11日朝、鹿島灘に面する荒野地区
の老人から鹿島神宮に「大きなお札が流れ着いたので面倒を見て
欲しい」という電話があり、二人の神主が受け取りに行きました。
持ち帰ってお焚き上げをすればよいと考えていたのですが、
老人に案内されて浜辺へ行くとそこには「諏訪大明神祈祷神璽」
と書かれた、長さ1メートル30センチ、幅20センチの大きなお札
が流れ着いていたのです。
お札は泥と油にまみれて傷だらけのお姿でしたが、すぐにお札を
車にお乗せして持ち帰り、綺麗に拭い、お祓いをして応接室の床
の間に暫くお祀りされました。
どこから流れてきたのか、被災地に『諏訪神社』は数多くある為
元あった神社がわからない。ひとまずお札は鹿島で預かり、
神主さんの友人が諏訪大社におられるという事で連絡を取り、
元宮である諏訪大社にお札を託そうという事になります。
元宮に戻される前夜、鹿島の神と諏訪の神でゆっくり語り合って
もらいたいという宮司様の粋な計らいにより、応接室に祀られて
いたお札は拝殿に案内される事に。恐らく双方、国譲りの恩讐を
超えて、国家安寧のために力を合わせる事を誓い合ったのかも
知れません。諏訪のお札は鹿島神宮の拝殿に移された翌21日、
長野の諏訪大社に託されました。
※その後、このお札が岩手県陸前高田市気仙町今泉の、諏訪神社
の斎館お札であることが判明したのは6月8日になってから。
お札の詳細について京都の平野神社の宮司様より鹿島神宮に連絡
があったそうで(陸前高田の災害復興ボランティアに参加した際、
今泉の諏訪神社近くの月山神社の禰宜から話を聞いて分かった
らしい)、鹿島に流れ着いた例のお札は、御本社より受けたもの
であること、今泉の諏訪神社は小高い丘の上の御本殿だけを残し、
平地にある斎館・社務所・神輿庫・宮司自宅は流されてしまった
事や、宮司様や神職の方々は罹災して亡くなってしまった事を
知ったそうです。
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話を読んで思ったのは、諏訪の神はきっと縁のある鹿島の神に
助けを求めて流れ着いたのだろうなという事。
何にしても漂流したまま何処かへ行ってしまわず、鹿島の地へ
やってきたこと、偶然通り掛かった老人に発見されたことなど
いくつもの偶然が重なればそれは奇跡です。本当に不思議な話は
あるもんだなぁと。
震災の年に描いた漫画がありますのでアップ致します。
某SNSにて暫く公開していました。アナログで下書きのまま放置中
で申し訳ないですがw(字が汚くて読みにくかったらスマンです)

【物語のその後、お札の行方は…】
2011年10月19日に諏訪大社にて全国諏訪会が開催され、
宮司様はこのお札についてのお話をされたそうです。
翌20日にはお札に対して特別なお祭りを。
11月4日には元あった陸前高田市に札をお連れして、
諏訪大社の宮司様から、今泉諏訪神社の亡くなられた宮司様
の奥様にお札が託されたという事です。
(記事まとめ:©SERUNA)
『鹿島の神と諏訪の神』という小冊子(200円)が鹿島神宮
の社務所にあり、この機会なのでと早速お受けして、
記事を書くにあたり冊子を参考にさせていただきました。
この他にも震災による影響など、事細かな話が書かれています
ので、これから鹿島神宮へ行かれる方は是非一冊如何でしょう。
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