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さあさあ、楼門をくぐったら、鹿島の軍神『武甕槌大神』のお社に足を運んで
いよいよお参り!…といきたい所ですがちょっと待って下さいね。
その前に大事なことが。
拝殿を背にしたら目の前をご覧ください。摂社『高房社』がございます。
ここの御祭神は『建葉槌神』で、織物をつかさどる倭文神。日本書紀の国譲り
の話に登場致します。香取の大神と鹿島の大神に従い、葦原中国を平定した後
なおも最後まで従わなかった星の神『香々背男(カガセヲ)』を、
大神の命により討ったとされています。
古例では、まず最初ににココを詣でるのが習わしなのだそうですよ。
なので必ずここを先にお参りして下さいね。

高房社のお参りは済みましたか?
それでは早速!行ってみましょう。
ちょっと正面から写真に収めるのは気が引けたんですが…
今回は珍しくこのアングルの写真で。

常陸国一之宮 鹿島神宮
http://www.kashimajingu.jp/wp/
御祭神:武甕槌大神
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神代の昔、天照大御神の命を受けた武甕槌大神は香取神宮の経津主大神と
ともに出雲国に向かわれ国譲りを成就し、皇孫の国たるべき日本の建国と
建設に挺身されました。とりわけ東国における神功はきわめて大きく、
関東開拓の礎は遠く大神にさかのぼります。
後に神武天皇はその御東征なかばにおいて思わぬ窮地に陥られましたが、
大神の「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」の神威により救われました。
この神恩に感謝された天皇は御自らの御即位の年、大神を鹿島の地に勅祭
されました。皇紀元年、即ち紀元前660年の頃と言われています。
----------------------(鹿島神宮 参拝の栞より)
鹿島神宮の社殿は、その昔は伊勢神宮のように二十年毎に造営が行われて
いましたが、現在の社殿は元和5年(1619)二代将軍徳川秀忠公により
奉納されたもの。最近では平成24年より御本殿、石の間の保存修理が
行われ、創建当時を思わせるような檜皮葺の屋根と鮮やかな色彩が復活。
つい2か月ほど前に遷座の儀と奉幣の儀が斎行されたばかりのようです。
さて、続いて奥宮へ参りますよー。
20万坪にも及ぶ鹿島神宮の森はまさに植物の宝庫。
800種類を超える草木が繁殖し、照葉樹林の北限としても貴重。
自然の空気を感じながら奥参道を歩きましょう。

鹿島神宮の森の中には『鹿園』がございます。周辺の森にはかつては多く
の鹿が生息していたそうで(幕末に殆どいなくなってしまったらしい)、
現在はこの鹿園でその歴史を伝えるためにニホンジカが飼育されています。
ちなみに鹿は武甕槌大神の神使。奈良の春日大社を創建の折には、
鹿島神宮の御分霊を神使の背に乗せてお遷ししたというお話がありますね。

夕刻でしたので、鹿に餌をあげる売店が閉まっていました。
遠くからの撮影で申し訳ない。この場所からもう少し歩くと奥宮です。
(記事:©SERUNA)
ってなわけで………
奥宮

■鹿島神宮 奥宮(御祭神:武甕槌大神 荒魂)--------------
慶長十年(1605)に徳川家康公により本宮の社殿として奉納されたが、
元和五年(1619)に二代将軍秀忠公によって現在の本宮社殿が奉建される
にあたり現在地に引移して奥宮社殿となった。
---------------------------(案内板より)
★その3へ続く
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香取神宮で参拝を済ませたら、鹿島神宮へ向かいます。
境内には句碑や摂末社などが沢山ありますが、細かくはレポせず、
省略しているものもございますのでご了承下さい。
《この日のコースについてはこちら》
→http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-259.html
全国に約600社ある鹿島神社の総本宮がこちら、鹿島神宮。
平安時代の延喜式神名帳で『神宮』の称号が使われているのは、
伊勢・鹿島・香取のみで、三社合わせて「三神宮」と呼ばれておりました。
そういえば宮中で正月に天皇陛下が行われる四方拝にこれらの神社が含まれて
いるんでしたよね。何となくですがふと思い出しました。
参拝された事の無いかたは是非とも鹿島神宮の方へもお参りをして欲しい。
さて、未曾有の大災害から三年の月日が過ぎました。
ちょっと先に鳥居の話をさせて下さい。

三年前のあの日、鹿島神宮では御本殿の千木が落御、大鳥居と御手洗池入口
の鳥居が倒壊、石灯籠62基が倒壊。ですが幸いにも参拝者や職員に怪我人が
出る事はありませんでした。震災のあった2011年3月11日に倒壊した、
以前はコンクリート製だった鳥居は、現在は真新しい木製の鳥居になって
生まれ変わり、訪れる参拝者と地域の人々を見守っています。
鳥居をひとつ立てるにも、長い長い時間を要します。
御用材の伐採が平成23年10月。境内の杉の木を四本伐採して山形へ搬送。
再建にかかる費用は、財務大臣が指定した『指定寄付金』の認証を受け同月、
大鳥居建立奉賛活動を開始。当時は再建が困難であると予想されていました
が、多額の費用が集まったそうです。
木造り始め祭は平成23年12月13日。御用材乾燥はその翌年の平成24年。
御用材加工がそのまた翌年の平成25年の12月(この加工も大変なんです)。
大鳥居地鎮祭は更に翌年の平成26年2月1日、基礎工事の開始が同年2月4日
〜3月で、その深さは3メートル。大鳥居の借組立検査(屋内にて行われる)
が3月18日。立柱祭が3月25日。組み立てられて姿を現したのが(建方完了)
4月30日。そしてようやく、今月の6月1日に竣工祭が行われて完璧なものと
なったのです。(記事:SERUNA)
※時系列は、鹿島神宮社報『要石』大鳥居竣工記念号を参照しました。
あれから3年、長かったですね。
大鳥居から真っ直ぐ進みますと楼門が見えます。
この楼門は寛永11年(1634)、水戸徳川初代藩主頼房卿が奉納したもの。
高さは13m。日本三大楼門の一つと言われています(あとの二つは九州の
筥崎宮と阿蘇神社の楼門)。

手水舎で清めたらこの楼門をくぐって参拝致しましょう。
★その2に続く。
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