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2014年07月25日 (金) | 編集 |
2014.7.23参拝
藤枝市にある『飽波神社』へ参拝に行って参りました。
(「飽波=あくなみ」という読み方をします)

飽波神社は『岡出山』と呼ばれる市街地に囲まれている
丘陵地に鎮座しており、神社の森は静岡県選定「ふる里の森」
百選のひとつとされています。飽波神社の森の上層部は
『藤枝市岡出山児童公園』として管理されていて、
日清・日露・第二次大戦における戦死者の忠霊碑もあり、
市民の憩いの場になっています。

飽波神社_20140723_001

飽波神社
http://hellonavi.jp/fujieda/shisetsu/1441.html
御祭神:少彦名命
配祀:瀬織津姫命、蛭子命、天忍穗耳命

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 飽波神社は古墳時代、第16代仁徳天皇6年西暦318年
戌寅10月飽波郷(旧藤枝一円)の鎮護の神としてお祀りした、
古い歴史を経た神社であります。
御祭神は少彦名命と申し上げ、大国主命と共に国を開き、
産業を奨めて、医療の術を教え、人々に知恵を授け、
幸福をもたらしてくださる、御神威の高い神様といわれ、
崇敬されております。
 戦国時代(1560年)永禄、元亀の戦乱時、武田の兵が
乱入し、社殿、旧記録などを消失、時の神宮、曽根彦八貞が
御神体を護持して難を逃れ、小祠を建ててお祀りした。
以来、江戸時代に入り、正徳5年(1715)に社殿を再建した
と伝えられています。

<歴史に示される「正徳の治とは」徳川6代将軍家宣
(1709年)は、儒者 新井白石を登用し政治を改めさせた。
白石は儒教の徳治主義を理想とし文治政治をすすめ、
典礼、儀式なども整え、善政を行った。この時代に飽波神社
も再建されたことが推測される。>

 当時、山裾の小石のまわりから清らかな水がこんこんと
湧き出ており、諸病に霊験があったと伝えられ、人々に命の
水を恵み、瀬戸川の水害からも護って下さることから、
飽波神社、湧波神社などともいわれ、崇敬されてきました。
正徳5年乙未年造建の棟札に「飽波神社川関大明神」と記載
され保存されております。時代の変遷を経た今日に至るまで、
歴史の流れが示していると申しあげられます。


----------(飽波神社参拝のしおり より抜粋)

飽波神社_20140723_002

拝殿はこんな感じ。
御本殿はここよりもう少しだけ高い位置にあります。

時々、旦那と一緒にぶらっと立ち寄る神社なんですが…
この日は「御朱印をもらいに行こう」と言う理由で参拝。
「あれれ?前もらってなかったっけ?」と思ったけと
まぁいいや。

そんなに大きい神社ではないが実にのんびりした所。
社務所でお婆さんに「今日はどちらか遠くからお越しで?」
と言われ「え?いや、地元(県内)ですw」と答えたら
「あらそうでしたかぁ」と。…んで、何か会話が続くかと
思いきやそれっきりでちょっと寂しかった。
近場の人間ですまぬ。(´・ω・`)


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