→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-369.html
前宮の御本殿は、
十間廊の場所より約200m登った場所にあります。
諏訪大社の栞によればこちらにお祀りされるのは建御名方神の
奥さんにあたるかたで『八坂刀売神』という神様です。
※記紀には登場しません。

信濃國一之宮 諏訪大社 上社前宮
http://suwataisha.or.jp/honmiya018.html
御祭神:八坂刀売神
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前宮とは上社本宮に対し、
それ以前にあった宮の意味とも考えられている。
前宮の祭神は建御名方神とその妃神八坂刀売神と古くから
信じられ、ここ前宮の奥に鎮まるところが墳墓と伝えられる。
古来より立ち入ることが固く禁じられ侵すときは神罰がある
といわれた。四方には千数百年の歴史を有する御柱が七年目
に建てられ、現在の拝殿は昭和七年に伊勢神宮から下賜された
材で造営されたものである。
---------------(諏訪大社 境内案内板より)
ここは諏訪大明神が最初に居を構えた地と言われ、
諏訪信仰発祥の地とされています。
前宮の脇にはとても綺麗な水が流れる小川がございます。
■名水 水眼の流水
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古くから“すいが”と呼ばれ、山中より湧出する清流は、
前宮の神域を流れる御手洗川となり、昔から御神水として
大切にされてきた。中世においては、この川のほとりに精進屋
を設けて心身を清め、前宮の重要神事をつとめるのに用いた
と記録されている。
この水眼の源流は、これより約1キロメートルほど登った
山中にあるが、昭和五年に著名な地理学者・三沢勝衛先生
によって、はじめて科学的調査がされ、
その優れた水質は「諏訪史」第二巻に取りあげられている。
---------------(諏訪大社 境内案内板より)

この川の水の透明度は凄いです。
水に手をやってみると、キンキンに冷たかったですよ。
…前宮のレポはここまで。次の場所へと急ぎます。
【余談です】
諏訪大社の御祭神はみなさんおわかりの通り『建御名方神』。
建御名方神は、古事記では建御雷之男神に敗れ諏訪まで逃走し
「ここから出ないから許して!」とゴメンなさいしています。
で、諏訪大社で行われる『御頭祭』は鹿の頭を七十五頭も神に
捧げるわけですけれども…あれれ?そういえば鹿といえば、
ミカヅチさんの大事なお使いの動物では……
建御雷之男神:「お前っ…俺の可愛い鹿を…!」
建御名方神:「ごめんなさいごめんなさい!」((((;゚Д゚)))))))
私の中でこんなコミカルな妄想が始まってしまうのは秘密だw
★その5に続く。
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その前にちょっと休憩。
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上社本宮の参拝が終わり、次に向かったのが『上社前宮』。
本宮より2km東方に向かった場所に鎮座しています。
境内の全てを紹介出来なくてすいません。
8日の時系列についてはこちら。
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-347.html

白い鳥居より少し歩くと、次の鳥居に到着します。
ここから斜面を登って行くような形で進んで行きます。
諏訪大社を語るのに重要な場所もありますので
見落とさないでね。

■十間廊
鳥居を超えると、左手に大きな建物があります。
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間口三元、奥行き十間あることから、
この名が付けられています。昔は「神原廊」とも言われ、
上社でも最大の神事である三月酉の日の神事御頭祭
(大立増神事、酉の祭)がここで行われました。
当日は大祝以下の全神職が総出で奉仕し、鹿の頭七十五頭
をはじめ、鳥獣魚類等独特のお供えものをし、
諸郷の役人が参列しました。
大祝のお使(神使)が神霊を奉じて、信濃国中に出発する為の
大祭でした。この時七十五頭の鹿頭の中に毎年必ず耳の裂けた
ものがあり高野の耳裂鹿と言い諏訪七不思議の一つに挙げられ
ています。
この御頭祭、明治以後は四月十五日に行われ、
本宮で例大祭をすませてから行列を整えてお神輿を渡御し、
十間廊上段の間に安置して神事を行っております。
----------------(諏訪大社 参拝の栞より)
※上段に大祝の座、次に家老、奉行、五官の座。
下座に御頭郷役人などの座が定められている。

「えっ!鹿の頭を75も!?」と思う位に血生臭い神事ですが…
これね、日本に仏教が入って来てから「殺生は良くない」だの
何だのいう思想が邪魔をして、本物が使えなくなっちゃった
んですよね。今なら動物愛護団体とやらがクレームをつけたり
でしょうかね。とにかく煩い連中がいるので現在は
剥製を使ってやっているそうです。
伝統ある神事にイチャモンつけるとか、愛護の奴らは一体普段
何食って生きているんでしょうね。霞でも食ってろ!
と言いたくなりますわ。
さ、そんな愚痴は置いといて。
■高神子屋跡
十間廊の横に『高神子屋』という場所があります。
現在この場所には建物は無く、その跡地だけが残されています。
----------------------------
伝「天正の古絵図」には神子屋とあり、寛政の前宮絵図には
舞屋とみえ、一般には神楽屋と呼んでいた。前宮神事の舞楽は
この場所で行われたといわれ「年内神事次第旧記」にいう
二十番の舞曲は名高かった。
四月十五日にとり行われる酉の祭には五官祝以下祭に奉仕
する村々の御頭役人を従え、大祝が前宮十間廊にのぞみ
高座に着くと当日の供物である鹿の頭七十五首が供えられる。
このとき神子屋にて舞人五名によって舞楽が奏せられ、
神長官がまず祝詞を申す。
現在も神事は存続しているが略式化され、神子屋は衰退し
礎石を残すのみで舞楽は行われなくなった。
---------------(諏訪大社 境内案内板より)

なぜ舞楽が行われなくなったのかはわかりませんが、
こういう行程ひとつにしても、復活できないものでしょうかね。
なんとなく寂しい感じ。
ここから少し上へ上がって行くと細い道路に出ますけれど、
「あれっ?」と思って引き返さないように。
前宮の御本殿は更に上に行った場所にありますよー。
…と、その前にでっかい欅の木がある事に気付くと思います。
欅の側に小さな祠があるのがわかるでしょうか。
■御室社
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中世までは諏訪郡内の諸郷の奉仕によって半地下式の土室が
造られ、現人神の大祝や神長官以下の神官が参篭し、
蛇形の御体と称する大小のミシャグジ神とともに「穴巣始」
といって冬ごもりをした遺跡地である。
旧暦十二月二十二日に「御室入り」をして、
翌年三月中旬寅日に御室が撤去されるまで、土室の中で神秘な
祭祀が執行されたという。
諏訪信仰の中では特殊神事として重要視されていたが、
中世以降は惜しくも廃絶した。
---------------------(案内板より)

ミシャグジ神は諏訪では元々の土着の神様で蛇の形をしており、
「ミシャグジ様」と呼ばれ崇められていました。
諏訪大社の御祭神である建御名方神や、諏訪に元から居た
洩矢神と同一視される事もあるようですけれど、
私個人的には全く別の神だと思っています。
建御名方神がこの諏訪の地にやってきて云々、
元々諏訪に居た神と色々とあったわけですがココでは省略。
(建御名方神の逃走ルートについても諸説あるらしいけれど、
これについては双方を否定せずにあれこれ語りたいなぁ…)
どうでもいい話ですが…このミシャグジ様については、
この神について語らせたら物っ凄く詳しいマニアもいるみたい
ですね。世の中いろんな人が居るなぁと。
あぁ…世界は広いや。( ´∀ `;)
★その4に続く。
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