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定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2014年08月20日 (水) | 編集 |
えー、まず初めに注意書きを。
ミシャグジ神の話を出すと絶対古代イスラエルがどうの、
ユダヤがどうの結びつけたがる人が現れるけど、
私は完全否定致しますのでそういうお話をしたい人は
どうぞ回れ右をしてお帰りください。
日ユ同祖論ってなんだよ!胡散臭せぇぇぇぇ!
(ちなみに最近こういう都市伝説を信じてるような人らが
この守矢史料館に来るらしい)

………それではいきましょう。

前のレポはこちら。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-373.html


さて…史料館を見学したら敷地内にある、
ミシャグチ神のお祀りされている総社をお参りですよ。


20140808_moriya_011.jpg


■ミシャグチ社と社叢
----------------------------
 ミシャグチ(御左口神・御社宮司)を祀っている神社。
御左口神は諏訪社の神事では、非常に重要な役割を果たしていた。
社叢は茅野市の天然記念物に指定されている。


----------(神長官 守矢史料館パンフレットより)

 諏訪大社の祭政体はミシャグチ神という
樹や笹や石や生神・大祝に降りてくる精霊中心に営まれ、
守矢家では「ミシャグチ様」と呼んでいたそうです。
中世まで一年に七十五度の神事が、前宮と大祝の住む神殿、
冬季に掘られた竪穴である御室や十間廊、八ヶ岳山麓の
御射山(現・諏訪郡富士見町)で行われていたといいます。
ミシャグチ神の祭祀を持っていたのが神長であり、諏訪大社の
重要な役割としてのミシャグチ上げ、ミシャグチ降ろしの技法
を駆使して祭祀をとりしきっていました。

 大祝の分身である童子は、内県(旧諏訪郡一帯)、
外県(旧伊耶郡一帯)、大県(信州一円の神氏系の代表)から
それぞれ一年毎に選ばれて奉仕していたようです。

20140808_moriya_012.jpg

守矢家は諏訪信仰と共に長い歴史の中を生きてきたのですが、
明治五年、明治維新により世襲の神官の制が廃止。
神長の職が消滅。明治六年に守矢家の家宝(鹿骨製の御宝印・
御頭お占法用具・鏡・太刀)などが移されましたが、
神長が祭祀に用いた佐奈技鈴は守矢家に残された。当時の神長
であった七十六代守矢実久は、神長の祭祀が消えてしまう事を
惜しんで、七十七代真幸にその一部を伝えたそうです。

明治の解職に至るまで守矢家の神事の秘法は、
真夜中に火の気の無い祈祷殿の中で一子相伝によりくちうつし
で伝承されていました。

一、ミシャグチ神祭祀法。
一、冬季に竪穴の御室の中で行われる神事の秘法。
一、御頭祭の時に行われる御符札の秘法。
  年内神事七十五度の秘法。
一、大祝が前宮のカエデの樹の下で行う即位式の秘法。
一、祈祷殿で行う蟇目の神事法。
一、家伝の諏訪薬なる製造法。
一、守矢家長の系譜。

神事の細目は『年中神事次第旧記』に記されていますが、
具体的な神事の方法については一子相伝で伝わったものの、
残念ながら先程書きました通り、明治維新により七十六代実久
でもって永久に絶えてしまったそうです。七十七代真幸は、
ミシャグチ神御頭占定の秘法と蟇目神事についてのみ口伝を
受けたそうなのですが、それも七十七代で終焉を迎えた
との事です。

(文章は『神長官 守矢史料館のしおり』を元に作成しました)

一子相伝による神事って凄いな。
こういったものが遥か昔から続いてきたというのは本当「凄い!」
の一言だよ。それにしても、その伝統が途絶えてしまうのは
非常に残念であり、寂しいものですね。

…あ、そうそう。ミシャグチ様のお社には御神酒の他に、
鹿の頭部と思われる骨が置かれてましたよ。


余談です】『鹿食免』について
日本では、仏教が伝来した時に獣肉を食べる事を江戸時代まで
制限された時代がありました。しかし諏訪大社があるこの地域
では古来より、鹿や猪などに深く関わり食してきていたので
不自由をしたのです。そのため諏訪大社では特別に、その地域で
獣肉を食べる事を許可されるお札(免状)を発行した事により、
人々はいつも通り鹿や猪などを食せるようになったのです。

★その8に続く。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-375.html


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2014年08月20日 (水) | 編集 |
前のレポを読んでいない人はこちら。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-372.html

20140808_moriya_004.jpg

守矢家の敷地内にある史料館の外観です。
ここの館長さんらしき人が色々とお話しをしてくれた。
優しくていい人だったよ。( ´ ▽ ` )ノ

20140808_moriya_005.jpg

この史料館の存在は以前から知っていましたが、
ウチの旦那が「通りすがりにあるし折角だから見に行きたい」
と。ここにある御頭祭の供物を復元した展示物は、天命四年
(1784)三月六日に旅行家『菅江真澄』という人物が
御頭祭を見聞して書き残したスケッチを元に再現されている
そうだ。

撮影可能な場所は『神前供物の復元』と『神前祭具の復元』
の場所のみ。その奥は撮影禁止となっています。

∑(゚Д゚) うひょぉぉ!ウサちゃんがぁぁぁ!

20140808_moriya_006.jpg
(注:これは標本ですw)

御頭祭の時に鹿の頭と一緒に捧げられるヤツです。
生々しい感じですが神事には欠かせません。串刺しウサちゃん
の両側に刺さっているやつは猪の頭皮や鹿の皮を焼いたもの。

20140808_moriya_007.jpg

脳も無駄にはしません。
写真右側→『脳和(のうあえ)』鹿の肉と脳の味噌和え。
写真左側・中央→『生兎・生鹿』肉を煮て味付けしたもの。
※「五臓』も並んだらしい。

20140808_moriya_008.jpg
(注:これは食品サンプルですw)

菅江真澄のスケッチによれば、神への捧げ物としてこの他に、
白鷺・山鳥・フナ・ブリ・エビ等があり、列席者の前には
餅・かや・山芋等が置かれたと史料館の栞に書いてありました。
大勢の史官が敷皮の上に並び、この供物を下ろし、
神人一体となって食すのです。

以下、その他のアレ。

御頭祭では鹿だけでなく猪やカモシカを含めた時代もある。
中世には、頭だけでなく体全部が献ぜられ、
「禽獣の高盛」が出現した。

20140808_moriya_009.jpg
(注:しつこく言いますけれど、これは標本です)

神前に献ずる七十五頭の鹿の首の中には必ず耳が裂けたもの
があり、これは神の矛にかかったものだという。

20140808_moriya_010.jpg

【神前祭具の復元】こちらも供物と同様、
菅江真澄の残したスケッチを元にして再現された物のようです。

■御贄柱
植物のような物がゴチャっと付いているのは、
『御贄柱』と言われるもの。
「おにえはしら」「オンネバシラ」とも「御杖」とも言われる。
柱の上端を尖らせ、これにヒノキ、コブシ、ヤナギ、ジシャの木、
そして柏の葉に麹を盛ったものを折りバシに差して取り付け
矢を付ける。これを篠のムシロの上に置きます。

20140808_moriya_0013.jpg

御贄柱に巾着のようなものを被せられているのは『サナギ鈴』。
この鈴は神使の首にかけたり、御贄柱に取り付けたりして、
神使の地域巡行の道中を運ばれていったという事らしい。
鍛造した薄い鉄板をメガホン状に丸めて、上端部に閂を通し、
内部に鉄の舌を吊し、鈴の形に作ってあります。守矢家では
この鈴を神器として扱っていましたが、明治維新後の明治六年
に守矢家から諏訪大社上社に三組を移管し、
一組を残したと言われています。

佐奈技(サナギ)鈴を鳴らすのは「契約のしるし」。
神使巡行は各地のタタエにおいて、ミシャグチ神を降し、
豊饒を約束し、御礼として農作物の何割かを貢上する約束と
見られる。ミシャグチ神の元で約束の鈴を鳴らし、
違約のある時はミシャグチ神の祟りがあると信じられてきた
という事です。

20140808_moriya_0014.jpg

下の写真は『根曲太刀』『藤刀』『弓矢』。
藤刀というのは藤蔓の皮を巻いた短刀。神官がこれで御贄柱
の頂部に刻みを付けた。根曲太刀は御頭祭に参加する神官の
一人が差していた。

20140808_moriya_0015.jpg

★その7に続く。
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2014年08月20日 (水) | 編集 |
神社じゃないけどタイトルは気にしないで欲しい。
一応、守矢家は諏訪大社に関係しているのでこのままでいきます。


8日の時系列についてはこちら。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-347.html
箸休めのイラストを見ていない人はどうぞw
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-371.html


2014.8.8探訪
さて…諏訪大社の上社をお参りした後は、
近くにある『守矢史料館』という場所へ立ち寄ってみた。
一見普通のお家にも見えますが、ここで貴重な資料を見る事
が出来ます。…というか守矢さんのお家の敷地内に史料館が
あるんですけれどもw

20140808_moriya_001.jpg

神長官 守矢史料館
http://www.city.chino.lg.jp/www/contents/1000001465000/
----------------------------
神長官守矢家は古代から明治時代の初めまで、
諏訪上社の神長官という役職を勤めてきた家である。
大祝諏訪氏は、現人神(生き神)であり実際に神事を
取り仕切っていたのは、神長官をはじめとする五官祝である。
五官祝には、祢宜大夫守屋氏・権祝矢島氏・擬祝伊藤氏・
副祝長坂氏がいた。


-------------(守矢史料館パンフレットより)

玄関を入ってすぐ左手には『祈祷殿』がございます。

■祈祷殿
神長官家の祈祷は一子相伝で、神長以外他の何人もたずさわる
を許されず、神長が祈祷殿に籠って祈祷調伏したという記録が
残されているそうです。
明治五年前の家屋建物の図によれば現在この祈祷殿のある位置に
神使精進室屋敷と言われる建物があり、ここに籠って御頭役の
神使達が精進潔斎を行い、その上で前宮での神事に参加をした。
元々の祈祷殿は精進室に対し、少し離れた東側に屋敷とは
直接繋がらずに建っていたようです。

祈祷殿は明治八年に一度取り壊されたけれど、
伝統が消え去るのを惜しみ明治二十年に再建され、
現在の建物は昭和五年に改築されたもの。
茅野市有形文化財に指定され、立ち入りは出来ません。

20140808_moriya_002.jpg

『一子相伝』っつーと某アニメを思い出すのは私だけだろうかw
などいう、どうでもいい話は置いといて…

手元に『神長官守矢史料館のしおり』がございます。
史料館で200円で手に入れることが出来ますよ(と宣伝しておくw)。
現在の守矢家七十八代、守矢早苗さんのお話が載っていますので、
少し抜粋して書かせていただきます。

----------------------------
 諏訪盆地には、『古事記』に書かれた出雲の国の国譲神話
とは別にもうひとつの国譲神話がいい伝えられています。
そのことは、室町時代初期に編まれました『諏訪明神画詞』
などに記されています。

 それによりますと、大和朝廷による日本統一以前の話に
なりますが、出雲系の稲作民族を率いた建御名方命がこの盆地に
侵入しました時、この地に以前から暮していた洩矢神を長とする
先住民族が、天竜川河口に陣取って迎えうちました。
建御名方命は手に藤の蔓を、洩矢神は手に鉄の輪を掲げて戦い、
結局、洩矢神は負けてしまいました。その時の両方の陣地の跡
には今の藤島大明神(岡谷市川岸三沢)と洩矢大明神
(同市川岸橋原)はその時の藤蔓が根付いたものといいますし、
洩矢大明神の祠は、現在、守矢家の氏神様の祠ということに
なっています。


--------------------★更に物語は続く。

「建御名方神vs洩矢神」のバトルってなんかシビれるなぁ。
藤の蔓に鉄の輪というアイテムがカッコええ。
あぁ、悶々と物語が脳内で。双方の能力はパワー系ッスかね。

(だから妄想はその辺に置いとけと…)

20140808_moriya_003.jpg

上の写真は祈祷殿の隣。

----------------------------
 さて、出雲から侵入した建御名方命は諏訪大明神となり、
ここに現在の諏訪大社のはじまりがあります。
このようにして諏訪の地は中央と繋がり稲作以後の新しい時代
を生きてゆくことになりましたが、しかし、先住民である洩矢の
人々はけっして新しく来た出雲系の人々にしいたげられたり
したわけではありませんでした。
このことは諏訪大社の体制を見ればよく分かります。
建御名方命の子孫である諏訪氏が大祝という生神の位に就き、
洩矢氏の子孫の守矢氏が神長(のちの神長官ともいう)という
筆頭神主の位に就いたのです。


大祝は、古くは成年前の幼児が即位したといわれ、また即位に
当っての神降ろしの力や、呪術によって神の声を聴いたり
神に願いごとをする力は神長のみが持つとされており、
こうしたことよりみまして、この地の信仰と政治の実権は
守矢が持ちつづけたと考えられます。

----------(神長官守矢史料館のしおり より抜粋)

★その6に続く。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-373.html


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2014年08月20日 (水) | 編集 |
諏訪大社レポートの途中ですが、ここで一旦休憩してイラストを…
古事記に登場する神様『建御雷之男神』と『建御名方神』。

※剣を持ってるのがミカヅチさんです。

ミカヅチ×ミナカタ_SERUNA2014

某SNSの方ではフレンド限定で公開していましたが、
個人的にお気に入りのイラストなので諏訪大社のレポに絡めて
ついでにブログで全ての人に公開。
二年程前に描いたもので、PCでイラストを完成させようと
思っていたけどメンドくさくなって下描きしたまま放置中w
(…開き直るのも逆に清々しいがそんな絵ばかりが溜まってく)

この二柱の組み合わせで、ご飯何杯でもおかわりできる。
どっちの神様も個性が強いんで漫画にする時ネタにしやすい
んだよなぁ。

古事記が好きだから神にも萌えるよ、私は。( ´ ∀` )ノ

好敵手と書いて「ライバル」と読む。
好敵手と書いて「とも」と呼ぶ。
どうでもいいが好敵手って響き凄く良いな(腐的な意味で)。
国譲りの物語では、建御名方神に対してハンパないレベルで
容赦ないドSで最強のミカヅチさんが大好きッス♪


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