ゆかりの神社がありますので、今回はその場所を紹介しちゃおう♪
二年前に参拝した時のレポートです。某SNSにて投稿した記事を
再編集して、こちらのブログで公開致します。
播磨国風土記『揖保郡粒丘』の漫画はこちら。
まだ読んでいない人は先にご覧になって下さい。
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-481.html
2012.7.23参拝
風土記をめぐる旅、本日は『中臣印達神社』。
偶然かも知れませんが「何かのご縁じゃないかな」
という出来事が。私がココにやって来たのは、
風土記に残される大国主さんの物語を辿ってなのですが…

中臣印達神社
http://www.harima-united.jp/column/climate/contents000008.html
御祭神:五十猛命
合祀:大鹿嶋神、大香山戸臣神
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宝亀元年六月十五日の創祀と伝えられ、
延喜式の制名神大に列格するが、中古より両部神道のため
修験者が社務に関与し、社背の山上にあった十二所権現を
本社に合祀した。近世に至るまで社名を『蔵王権現』と称し、
明治十年十月十日、願済の上創立当時の社名である
『中臣印達神社』に復称する。同年同月、縣社に列格する。
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この神社の境内には『粒丘』の石碑が立っています。
(粒丘は、中臣印達神社の背後の中臣山に比定されている)
大国主さんはこのあたりでご飯をかきこんでポロポロとw
神社裏手に揖保川が流れますが、ここは中臣山の鞍部にあたる
湧水地で南北へ通じる位置にあります(揖保川の丁度中心辺り)。
播磨国風土記にはこんな文が残されています。
『葦原志挙乎命が杖をこの地に刺すと泉が湧き出し、
南北に分かれ流れた。北の方は水温が低く、
南の方は水温が高かった』

さてさて、神社の参拝レポートですよ。(´∀ ` )ノ
「お賽銭を持ってお参りを…」
と思って拝殿に向かうと神職の皆さんがお掃除中。
こんにちはーと挨拶をしたあとにいつも通りにお参り。
その時、神社の宮司さんとおぼしき男性に、
「どちらからいらっしゃったの?」と聞かれたので、
これまたいつも通り「静岡県の焼津市からです」と答えると…
宮司さん:「あぁ!焼津っていえばあそこには、
焼津神社っていうたいそう立派な神社があるねぇー」
SERUNA:「あっ、はい!ありますあります!」
宮司さん:「私ここの宮司なんだけどね、
あそこの神社の宮司さんのコト知ってるんよ」
SERUNA:「Σ(;゚Д゚) へえぇぇ?!」
宮司さん:「焼津神社の宮司は少し前に先代が死んじゃって
新しい宮司に変わったんだけど…その今の宮司さんがね、
焼津神社の宮司になる時とちょうど同じ時期に、
私もここの宮司になったの。あそこの宮司はなかなかの
いい男だよねぇー(笑)」
ここの宮司さんの仰る通り、
現在焼津神社の宮司は先代さんの息子が継いでいます。
(イケメンとはまた違いますけれども「いい男」でございますw)
焼津市から兵庫のたつの市まではえらく距離が離れていますが、
参拝に訪れた先の神社の宮司さんが地元の神社の宮司さんの
知り合いだったってのは凄い偶然ですね。
神様に呼ばれているんでしょうか。
何かの縁のようにも思えてきました。(記事:SERUNA)
★その2に続く
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-483.html
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