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続きいきますよー。
『武蔵御嶽神社』の神使像は狼。
そしてこの辺りには狼の信仰がございます。
なぜ狼かというと、以前、埼玉の寶登山神社で語った通り、
この山でも狼がヤマトタケルを救ったとされているから。
ちなみに奥の院にお祀りされる神様は日本武尊です。


武蔵御嶽神社
http://musashimitakejinja.jp
御祭神:櫛眞知命、大己貴命、少彦名命、廣國押武金日命
奥の院御祭神:日本武尊
ご眷属:大口眞神
--------------------------------
創建は第十代崇神天皇七年と伝えられ、
平安時代の延喜式神名帳には、大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつの
あまつかみやしろ)として記されており、古くより関東の霊山として
信仰されて参りました。山岳信仰の興隆とともに、中世関東の修験の
一大中心として、有力な武将たちの信仰を集め、御嶽権現の名で厄除
・延命・長寿・子孫繁栄を願う多くの人達の参拝によって栄えました。
天正十八年徳川家康公が関東に封ぜられますと、朱印地三十石を
寄進され、慶長十一年大久保石見守長安を普請奉行として社殿を改築、
南向きだった社殿を江戸城守護のため東向きに改めました。
人々の社寺詣が盛んになるとともに、御嶽詣も、武蔵・相模を中心に
関東一円に拡がり、講も組織され、現在に及んでおります。
また日本武尊御東征のみぎり、この地で難を狼により救われたと
いわれ、以来この御縁により御嶽大神のお使いとなり、厄除・火災除・
病気平癒の守り神である「大口眞神」として多くの人々の崇敬を
集めております。
明治維新により、御嶽神社の社号となり、更に昭和二十七年
武蔵御嶽神社と改めました。現在の幣殿拝殿は元禄十三年に徳川幕府
によって造営されたものです。
-----------------(武蔵御嶽神社 参拝の栞より)
拝殿の屋根は明治中頃に檜皮葺から銅板葺に改められている。

そしてこちらが武蔵御嶽神社の御本殿。
ハッとしてしまうくらいに綺麗な神明造りの本殿。

隙間から失礼して…
やはりここにも狼の神使像が。

取り敢えず他の細かな摂社などは省略していって、
重要なものだけをアップしていこうかな。
下の写真は『常盤堅盤社』です。

--------------------------------
常盤堅盤社(旧本殿)
全国の一の宮(各国で最も格式のある神社)が祀られており、
現在の本殿が明治十年に建て替えられた際にここへ移築されました。
-----------------(武蔵御嶽神社 境内案内板より)
神社は標高929mの高さにある。あぁ、この雰囲気好きだなー。
それよりアレだ。息を切らして登ってきたから体に酸素まわってないw
ここに着いた時にクラクラしてヤバかったです。
★その4に続く。
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その1から読む事を強くオススメ致します。
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さて、武蔵御嶽神社へは『御岳山駅』から徒歩で。
山道を歩いて25分かかるけどな!(鬼畜)
「歓迎」と書かれたアーチ。ここから暫くは紅葉を眺めながら
まったりと歩けるからまだいいんですけれど…
坂道の地獄はもうほんの少し先ですw(以下記事:SERUNA)

※目の前を歩いている黒いシルエットはウチの旦那w
歩いていてふと気付いたんですが、山荘が沢山あります。
Googleマップなんかで確認していただくとわかると思いますが、
この辺に住んでいる人たちみんな山荘を経営してるんじゃないか
と思ってしまうくらい。何でこんなにあるんだw
全部の社を参拝する勢いで、本気の登山をする人らがこういった
山荘を利用するのかなぁと思ってみたり。気付けば熊よけの鈴を
付けて山登りのスタイルで歩いている人もいる。
………10分ほど歩いた辺りで息が切れてくる。
あれれ、なんだかだんだん坂が急になっているようなw
ゼェゼェしながら坂道を登っていくと、目の前に大きくて立派な
『神代欅』が見えてくる。この欅がある辺りなんかは、
明らかにもう無理っていうくらいの急な坂。舗装されているけど
一苦労だなコリャ。

----------------------------
国指定天然記念物 御岳の神代ケヤキ
社伝にいう、日本武尊東征の昔から生い茂っていた木とされ、
古くから「神代ケヤキ」の名で親しまれている。
指定書(昭和三年二月)によれば、
御岳の神代欅
周囲二丈八尺 高サ十丈、幹根ハ崖ノ傾斜面ニアリテ、
巨大ナル瘤ヲ出シ樹枝多ク分枝シテ古木ノ雄相ヲ示セリ。
中略。日本武尊東征ノ折此山ニ登リテ甲冑ヲ蔵ス。
此時ニ此欅生ヒ茂リテアリ。以テ神代ヨリ存スト云フ。
即チ神代欅ノ名アリ。御岳神社境内木トシテ保存セラレ、
村民等ヨクコレヲ愛護セリ。
-------------(神代欅についての案内板より)

現在の樹高は30m。
隣に写る建物と比べるとその大きさがわかりますね。
ヤマトタケルが居た時代からあったと伝えられているケヤキ。
この木は、彼がこの山を登った姿をココで見ていたのだろうか。
歴史のロマンですねぇ。(´∀ ` *)
ここを超えるとお土産屋さんが見えてきます。
おしるこや甘酒の誘惑が!……いやいやここは我慢だ。
で、神社の大鳥居はまだ?
(;´Д`) ハァハァ… まだ?
(;´Д`) ハァハァ…ハァハァ… まだ?
あぁぁぁ!大鳥居着いたぁぁぁ!

…って!拝殿はまだ先かぁぁ!
まだ登るんだね、登っていかないとダメなんだね。orz
ぜぇはぁしながら登ると銅鳥居が見えてくる。
下の写真の鳥居が見えたら、拝殿まであともうちょっと。
あ、銅鳥居の足元で旦那が振り返ってこっち見てるw

拝殿見えてきたぁぁぁ!

★その3に続く。
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前回の神社めぐりの時には結局時間の都合で行けなかった場所。
それは東京都の山奥に鎮座する『武蔵御嶽神社』。
今回ようやく足を運ぶ機会が出来ました。
何で行きたかったって…
そりゃ、ヤマトタケルが好きだからですよ。
長くなるので記事を分けます。秋葉原でお買い物をしたあと、
「どうせ都内だから先にこっちへ行こう」という事に。
29日の時系列についてはこちらを参考にどうぞ。
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-513.html
2014.11.29参拝
到着したのは午後2時すぎ。
北御坂入口の鳥居から徒歩で行くと、何と神社まで1時間半も
かかるというので、体力に自信のない私らはケーブルカーを
使って行く事になりました。下の写真は北御坂入口の鳥居と、
神代イチョウ(樹齢は推定500年)。樹高45m、目通り5.3m。
頑張って撮っても、樹がここまでしか写真に収まらないw

神社へ行くための近道のケーブルカーは、
標高407.4mの場所にあるこの『滝本駅』から出発です。

どうでもいいけど、山の中っていうこともあるせいか、
めちゃくちゃ寒かったわ。

『御岳山駅』に到着。標高831m。
本来徒歩で1時間半かかる所をケーブルカーならラクラク5分。
ちなみにケーブルカーが登ってきた山は傾斜がこんな感じ。
来る時にちょっと怖かったのは秘密だw

駅前の広場から見た風景。
雨があがったあとで、眼下に雲海が広がる。素晴らしいッス。
(スマン、もっと写真があったけど雲の少ない写真を掲載。
雲が広がっていたのはこの写真の左側が凄かった)
ここからの眺めはオススメです♪

※写真は都心の方を向いています。
★その2に続く。
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来週はナンジャタウンに行って、
進撃の巨人のスイーツや餃子を食べる予定でいます。
「写真付きでみんなにも教えたい!楽しさを共有したい!」
…っというワケでして、まずはそれに合わせたいので、
先週行ってきた場所についてのレポを怒涛の更新です。
一日に何個も記事をなんて久しぶりすぎて笑えるわw
記事に集中したいので皆さんのブログには暫くなかなか
お邪魔する事ができないかもですが、レポ書き終わったら
まとめて沢山読ませて下さい。
おぉぉぉ!!頑張るぜぇぇぇ!!!
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2014.11.29参拝
アキバに遊びに行くと必ずここに立ち寄り神様にご挨拶。
神田明神の御祭神三柱は東京都心108町会
(神田・日本橋・秋葉原・大手・丸の内)の総氏神様。
どこの神社でもそうですが鳥居の前に来るといつも
身が引き締まる思いです。

神田明神は最近ではアニメの聖地になっているらしい
のですが、神社は本来「正しい意味での聖地」ですので、
アニメの聖地巡礼にやって来た人たちは是非ともそこの神社
についても色々と知って欲しいです。

神田明神
http://www.kandamyoujin.or.jp/sp/
御祭神:
一の宮/大己貴命、二の宮/少彦名命、三の宮/平将門命
---------------------------
社伝によると、天平二年(730)にご創建とあり、
約1300年の歴史を持つ江戸東京の神社の中で最も古い神社
のひとつです。はじめは現在の千代田区大手町の将門塚周辺
に鎮座していました。その後、延慶二年(1309)に平将門公
を御祭神としてお祀り致しました。
慶長八年(1603)、徳川家康公が江戸に幕府を開き江戸城
を拡張する際、当社は社地を江戸城から表鬼門の位置に
あたる現在の地へ遷し幕府より御社殿が造営されました。
以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として
幕府はもちろんのこと江戸庶民にいたるまで多くの人々の
崇敬を受けました。
明治時代に入ると准勅祭社・東京府社として皇居・東京
の守護神と仰がれました。明治七年(1874)、茨城県・
大洗磯前神社より少彦名命をお迎えいたしました。
さらに同年、明治天皇が親しくご参拝なされました。
平将門は明治七年に一時、摂社・将門神社に遷座され
ましたが、その後、神職及び氏子総代をはじめとする氏子
崇敬者の懇願により、昭和五十九年、再び神田明神の
三の宮ご祭神に復座されました。
--------------(神田明神 参拝の栞より)
この日は朝から結婚式が行われていました。
白無垢の花嫁さんを見るといつも「綺麗だなー」と
見惚れてしまう。

御由緒に表鬼門がどうという話が出てきます。
陰陽道とか好きな人にはたまらん話になりますが、
『東京の結界』ってやつに関連してきますね。これは話が
ちょっと長くなりそうなので省略しておきましょうかw

--------------------------
『石獅子』
本石獅子は区内に残る数少ない江戸期の石造物の一つ
であり、当時の庶民の信仰を知る上で貴重な資料である。
『武江年表』には「文久二年(1862)十一月両替屋仲間
より神田明神へ、岩石を積み、石にて刻みし獅子の子落とし
の作り物を納む」とあり、江戸時代でも幕末期に製作された
と考えられている。
神社境内の獅子山に据えられていたが、大正十二年
(1923)の関東大震災により獅子山自体は崩壊した。
その際、子獅子は紛失したものの、親獅子二頭は保存され、
再建された獅子山に据えられた。
-------------(神田明神 境内案内板より)

獅子の子落とし。
子獅子の見上げる先には親獅子が二頭。
「そこから這い上がってこい!」っていうあれですな。
這い上がってきた力の強いものだけを育てるっていうやつ。

…で、実際にライオンの親は子を崖から落とすかというと、
そういう事はやらないそうです。お母ちゃんは子煩悩なので
子を大事に育てて、お父ちゃんに至ってはその見た目によらず
頼りないから出来ないとかなんとか。あくまでもことわざ
ですからそういう所にツッコミを入れるってのは
野暮ってものですけどねw
甘やかすばかりが子育てではないのですが、
最近の若い世代は甘やかされてぬくぬくと育った人たちが
多いのでいざ厳しい場面に遭遇したらすぐにヘコみそう。
日本人よ強くあれ!大和魂を忘れるな!
【余談です】
この神社には『あかり』ちゃんという神馬が居ますが、
参拝に行った朝の時間には居なかったです。 (´・ω・`)
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