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2015年01月29日 (木) | 編集 |
神社めぐり一日目。続いては『知立神社』のレポートです。
この日の時系列についてはこちらを参照下さい。
(´∀ ` )ノ
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-603.html

20150124_chiryuujinjya_001.jpg

2015.1.24参拝。
神社に訪れて鳥居をくぐるとまず目に飛び込んでくるのが『多宝塔』。

国指定重要文化財(建造物)/明治四十年五月二十七日指定。
嘉祥三年(850)僧円仁が神宮寺を創建。知立神社の別当寺として
多宝塔を建立。寺は天文十六年(1547)兵火により焼失するもこれは
災禍を免れており、神宮寺の遺構と考えられています。明治の廃仏棄釈
の際には神社の文庫として難を逃れ、本尊であった愛染明王は、
廃仏棄釈で撤去されたまま現在は総持寺に安置されているとの事です。

20150124_chiryuujinjya_002.jpg

知立神社の境内には池があり、ここに花崗岩で組まれた太鼓橋が。
全長6.6m・幅2.4m・水面より高さ1.7mのもので、欄干南側右柱には
「享保十七年十一月吉日敬白」と刻まれており、この池について
『東海道名所図会』には「石橋は神籬の外にあり、池を御手洗という、
片目の魚ありなん」と書かれているそうです。

知立神社『片目の鯉』の物語はこちら。
http://www.city.chiryu.aichi.jp/0000000050.html
大正時代まではこの池で目を洗う人々がいたのだとか何とか。

20150124_chiryuujinjya_003.jpg

この日は境内で何かの撮影が行われていました。
数名のスタッフと共に、着物を身につけた女性がいましたが、
観光用の写真でも撮られていたんでしょうかね?
特に、有名な人というワケでは無かったでしたけれども。

20150124_chiryuujinjya_004.jpg

知立神社
http://chiryu-jinja.com
御祭神:鸕鶿草葺不合尊、彦火火出見尊、玉依比売命、
    神日本磐余彦尊(神武天皇)
-------------------------------
 知立神社は、池鯉鮒大明神とも称し、古来三河国第一の名社で、
東海道沿線屈指の大社であります。
 抑々当神社は、第十二代景行天皇の御代、皇子日本武尊が大命を
奉じて東国平定の砌、当地に於て皇祖の神々を祭って国運の発展を
祈願し給ひ、依って以て数々の危難を脱して平定の大功を完うし
給へるにより、其の報賽のため、建国の祖神、彦火火出見尊、
鸕鶿草葺不合尊、玉依比売命、神日本磐余彦尊(神武天皇)の四柱
の皇大神を奉斎あせられた。国家的由緒あるお社であって後世、
文化の恩神聖徳太子を合わせ祀り、相殿には当碧海地方開拓の祖神
青海首命をもお祀り申上げてあります。


--------------(知立神社 参拝の栞より一部抜粋)

5月2日・3日には『知立祭』が行われ、知立五ヶ町より曳き入れた
山車や、車上にて知立のからくりや、文楽が上演されるそうですよ。



人慣れした鶏がいました。可愛かったッス。

20150124_chiryuujinjya_005.jpg


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2015年01月28日 (水) | 編集 |
『菟足神社』と関連のある場所です。
まだ神社の記事を読まれていない人はこちらからどうぞ。

http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-609.html

2015.1.24探訪
神社からはそんなに離れていない場所にありました。
場所で言えば菟足神社からは目と鼻の先。国道247号を超えると
ニチレイがあるんですが、その敷地の外側にあります。

『子だが橋』は、小坂井と下五井の境界付近に架かっていた橋。
現在橋はありませんが、ココにはこんな悲しい物語が…

20150124_kodagabashi_001.jpg

------------------------------
『子だが橋』
 子断が橋ともいわれ、明治時代には「小田橋」と書いてあった。
およそ一千年前菟足神社には、人身御供があり、春の大祭の初日
にこの街道を最初に通る若い女性を生贄にする習慣があったと
伝えられている。

 ある年のこと、贄狩に奉仕する平井村の人の前を若い女性が
故郷の祭礼と父母に逢う楽しさを胸に秘めて、暁の街道を足早に
通りかかり橋の上まで来た。見ればわが子である。
「ああ、いかにすべきか」と苦しんだが、神の威光の尊さに
「子だが止むを得ん」と、遂に生贄にして神に奉った。
 それからこの橋のことを、子だが橋と呼ぶようになったという
ことである。

現在、菟足神社では、十二羽の雀を贄に替えておこなわれている。


------------------(子だが橋 案内板より)

20150124_kodagabashi_002.jpg

現代の価値観で言えば随分残酷な話になってしまいますが、
ずっとずっと昔は、人柱を立てる事は珍しくありませんでしたし、
日本各地にはこういった物語が幾つか残されています。

「でも、それにしたって自分の娘を生贄にだなんて」
と思うでしょ。実はこの話の真実はこうなのだそうです。

子だが橋の真実
菟足神社の祭りの日には、若い娘が『巫女』となって神に仕える
ため社殿に籠ったのですが元の意味が忘れられ、いつしかそれが
神に捧げる生贄話に変化してしまった。

(情報ソース:二年前の『広報とよかわ』より)

…というお話だったとさ。

(´;ω;`)「くそぅ、私の涙を返せッ…!」
SERUNA:「みんな拍子抜けしたかな。大丈夫、私もだw」


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2015年01月28日 (水) | 編集 |
いや、別に本物のウサちゃんが居るわけでは無いのですけれどもw
ちょっと気になっていた神社でしたが今回参拝の機会に恵まれました。
兎のご神紋が珍しい神社でございます。

まずはパッと見、神社の名前が読めなかったかたへ。
菟足(うたり)と読みます。

この日の時系列についてはこちらをどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-603.html

20150124_utarijinjya_001.jpg

フレンドのさとしさんが参拝。記事をリンクしておきますね♪
http://mumeinohitotati.blog.fc2.com/blog-entry-66.html

20150124_utarijinjya_002.jpg

2015.1.24参拝
菟足神社前は、奈良時代から平安時代の十世紀頃まで大小の海がある
広大な入り江であったそうで、昔は対岸の『飽海』や『坂津』方面
へは船で渡っていたのだそうな。

20150124_utarijinjya_003.jpg

菟足神社
http://www.toyokawa-map.net/kanko/utari.php
(菟足神社の公式サイトが無かったので観光案内のページをリンク)
御祭神:菟上足尼命
--------------------------------
 創立は、白鳳十五年(685)四月十一日。
御祭神・菟上足尼命は、第八代孝元天皇の御裔、葛城襲津彦命四世の
御孫にあたり、第二十代雄略天皇の御代に穂の国(現在の東三河地方)
国造に命ぜられた方です。葛城襲津彦命は、第十二代仁徳天皇の皇后
磐之姫媛命の父君にあたられ大和葛城地方の豪族として、
さらには大和朝廷の将軍として大きな力を揮っておられました。

菟上足尼命は、こうした名門の出として、また顕著な殖産、治民の功に
よって、没後、平井の柏木浜に大神として奉斎され、さらに第四十代
天武天皇の白鳳十五年四月十一日に、神の御誨えのままに秦石勝により
現在の地に遷し祀られました。平安初期貞観六年(864)には神階は
従五位下に進み、祈年祭、新嘗祭には国幣の共進に預かり皇室の崇敬
深く、延喜五年(905)編纂が始められた「延喜式」神名帳に登録
されている由緒ある神社でもあります。

徳川幕府になり家康公も親しく参拝され、神領(九十五石、制札)を
寄せられ、領主・藩主等の崇敬篤いものがありました。
明治維新の始め天皇東行の際には勅使による御参向を賜っています。
また、明治十一年(1878)には有栖川宮熾仁親王 御染筆にかかる
「式内菟足神社」の社号軸を頂いております。さらに大正七年(1918)
には郷社から昇格し県社に列せられることとなりました。


----------------(菟足神社で頂いた説明書きより)

20150124_utarijinjya_004.jpg

この神社には、こんな風に兎さんが幾つか隠れています。
賽銭箱、灯篭、屋根…などなど。もしも参拝される事がありましたら
ドコに居るかなーと探してみるのも面白いかも知れませんよ♪

ちなみに拝殿の中にもでっかいウサちゃんが。
こやつは御神輿らしいのですが、正面から見ると顔が怖いww

ぬぅぅぅぅん!

20150124_utarijinjya_005.jpg

あ、横から見るとあまり怖くないかもw

20150124_utarijinjya_006.jpg

4月には『風まつり』というお祭りも行われるようです。
http://www.toyokawa-map.net/festival/kaze.php

花火などの見どころもある風祭は「風鎮め」の祭り。
かつて菟足神社の風祭の際には人身御供というものがあったが、
その代わりに生きた猪を献ずるようになった。国司の『大江定基』は
その様を見て出家したという文章が平安時代中期の『今昔物語』の
中に記載されているとか何とか。後にそれは雀12羽に改まって現在も
『雀射初神事』『雀射収神事』が続けられているのだそうです。


★菟足神社の人身御供の物語、『子だが橋』に続く。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-610.html


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2015年01月27日 (火) | 編集 |
神社レポを中断してちょっと書かせてもらう。

『映っちゃった映像GP』とかう番組。
福井県の雄島にある『大湊神社』で心霊企画やっていたけど、
関わったスタッフやタレント含めてバチが当たればいいと思うよ。
神聖な神社の境内で、霊がどうのとかやってんじゃねえよ。

神社に神霊はいるけど、
心霊なんかいないっつーの!


これから行って神社で肝試ししようとしている連中にも警告。
あんたら注意したほうがいいよ。幽霊がどうのとかいうよりも、
神さんが与える罰のほうが数倍怖いよ。
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2015年01月27日 (火) | 編集 |
検索でこの記事に辿り着いた人は、その1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-606.html

大己貴命がお祀りされるお社の横に、摂社『三河えびす社』が。
ここには大己貴命(大国様)の御子神が祀られています。

事代主と建御名方は、古事記にも登場する国津神ですね。
『事代主命』は智徳の神で、釣りが大好きな神様。
『建御名方命』は体徳の神で、物凄い力持ちな神様。
双方とも腹違いではありますが大国様の息子です。

ちなみにどうでもいい情報かもですが…
お兄ちゃんが事代主命で、弟が建御名方命でございますw
大己貴命(大国様)には180人の子供がいらっしゃいますが、
その内の二柱の御子です。

三河えびす社 御祭神
二宮:事代主命、三宮:建御名方命

20150124_togajinjya_005.jpg

砥鹿神社には本宮山に『奥宮』が存在するのですが、
この日はそこまで行く時間が無かったため、里宮のみの参拝。

20150124_togajinjya_006.jpg

奥宮まで参拝に行けない人は、神社境内に遥拝所がありますので、
そちらで済ませてしまいましょう♪


20150124_togajinjya_007.jpg

奥宮遥拝所の横にポツンと建つのは『守見殿神社』。
この小さなお社に三柱の神様がおられます。守見殿の御祭神は、
『大己貴命の和魂』『迦久の神(鹿の神)』『倉稲魂命』。

20150124_togajinjya_008.jpg

…その他の摂社は省略。
砥鹿神社を後にした私らは続いて『菟足神社』へと向かいます。



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