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国宝の『七支刀』は以前、二年ほど前に東京の国立博物館にて、
『大神社展』が開催された時に本物を目にしております。
これ、滅多に見る事が出来ないですよ。
石上神宮の七支刀にしても、神話に登場する数々の剣にしても、
とっても厨二心をくすぐられるのでゲームや漫画なんかにも
登場したりするよね…ってそんな事はどうでもいいかw
『七支刀』について
http://www.isonokami.jp/about/c4_2.html
-----------------------------ー
当神宮には古代各氏族の王権を象徴する神宝を始め、
大和朝朝廷の数多くの神宝類が天神庫に保管されていました。
その量は計り知れないほど莫大な量であったと考えられ、下って
『日本後紀』には、平安時代初期の延暦二十四年(805)に当神宮
の器仗を山城国葛野郡に遷すのに十五万七千余人の人員を要したと
記されています。しかし、中世以降衰退の一途を辿り、戦国時代の
織田尾張勢の乱入や度々の盗難によって多くの宝物が散逸しました。
現在残っているものは少量ですが貴重なものが多く、古代の日朝
関係を考察する上で不可欠な七支刀(国宝)を始め、鉄盾(重文)
、足利尊氏奉納と伝えられる兜を具した色々威腹巻(重文)、更に
禁足地発掘により出土した勾玉・管玉・環頭大刀柄頭等(重文)が
神庫に収蔵されています。
尚、毎年大晦日には、神庫の守護神を祀り、その安泰を祈る
神庫祭が斎行されます。
------------------(石上神宮 参拝の栞より)
記事の最後に境内の鶏さんの写真をもう少しだけアップ。
ほぼ同じ種類の仲間同士でかたまっていましたよ。
可愛かったです。



地味に感じるかもしれませんが、
静と動をバランス良く兼ね備えた雰囲気が心地よいです。
これから奈良へ行かれる方は石上神宮をコースに組み込んでみては
いかがでしょう♪ ( ^ω^ )
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2015.5.23参拝
久し振りにやってきました石上神宮!
ここの主祭神は、神武天皇が危機の時にタケミカヅチが降ろした
布都御魂剣(この剣は彼が所持していたもの)。それから、
ニギハヤヒが天降られる時に、天津神より渡された十種の神宝。
それからもう一つは、スサノオが八岐大蛇を退治した時に使われた
と言われている十握剣。
詳細ページ→ http://www.isonokami.jp/shinwa/index.html
もうね、これらがこの神社に神としてお祀りされているってだけで
私はシビれてしまうのですよ。(*´Д`) ハァハァ…

朝早かったので境内の鶏が鳴きまくりw
神の使いと言われている鶏についての詳細はコチラ。
→ http://www.isonokami.jp/map/17.html
でっかい鶏もいるのですが、個人的にはこの親子っぽいのが好き。
雌鶏も居たけれど、雄鶏の尾で隠れてしまった。orz

鶏舎の中にみっちり。
ちなみにこの子らはこのあと全て外に放されていました。

楼門をくぐるとお社はすぐ目の前。
現在、楼門左右の回廊は塗替工事が行われています。

神職の皆さんは社殿のお掃除真っ最中。
神様にお尻を向けないよう、気を配りながら掃除をしてました。

石上神宮
http://www.isonokami.jp/
御祭神:布都御魂大神、布留御魂大神、布都斯魂大神
配祀神:五十瓊敷命、宇摩志麻治命、白河天皇、市川臣命
-----------------------------ー
石上神宮は、大和盆地の中央東寄り、龍王山の西の麓、布留山
(標高266メートル)の北西麓の高台に鎮座し、境内はうっそうと
した常緑樹に囲まれ、神さびた自然の姿を今に残しています。
北方には布留川が流れ、周辺は古墳密集地として知られています。
当神宮は、日本最古の神社の一つで、部門の棟梁たる物部氏の
総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気
平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。
御祭神は、神武天皇御東征の砌、国土平定に偉功をたてられた
天剣(平国之剣)とその霊威を布都御魂大神、鎮魂の主体である
天璽十種瑞宝の起死回生の霊力を布留御魂大神、素戔鳴尊が八岐
大蛇を退治された天十握剣の威霊を布都斯魂大神と称え、
総称して石上大神と仰ぎ、第十代崇神天皇七年に現地布留の高台
に祀られました。古典には「石上神宮」「石上振神宮」「石上坐
布都御魂神社」等と記され、この他「石上社」「布留社」とも
呼ばれていました。
平安時代後期、白河天皇は当神宮を殊に崇敬され、現在の拝殿
(国宝)は天皇が宮中の神嘉殿を寄進されたものと伝えています。
中世に入ると、招福寺の荘園拡大・守護権力の強大化により、
布留川を挟み南北二郷からなる布留郷を中心とした氏人は、
同寺とたびたび抗争しました。戦国時代に至り、織田尾張勢の
乱入により社頭は破却され、壱千石と称した社領も没収され衰微
していきました。しかし、氏人たちの力強い信仰に支えられて
明治を迎え、神祇の国家管理が行われるに伴い、明治四年官幣
大社に列し、同十六年には神官号復称が許されました。
当神宮にはかつては本殿がなく、拝殿後方の禁足地を御本殿と
称し、その中央に主祭神が埋斎され、諸神は拝殿に配祀されて
いました。明治七年菅政友大宮司により禁足地が発掘され、
御神体の出御を仰ぎ、大正二年御本殿が造営されました。
禁足地は現在も「布留社」と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれ、
昔の佇まいを残しています。
------------------(石上神宮 参拝の栞より)
摂社の『出雲建雄神社拝殿』は屋根の葺き替えのため、
足場が組まれ、覆いがかけられていました。

『出雲建雄神社』。
ここの御祭神は出雲建雄神で、草薙の剣の荒御魂。
隣の小さなお社は『猿田彦神社』です。
詳細→ http://www.isonokami.jp/map/8.html

摂社の『天神社』と『七座社』。
詳細→ http://www.isonokami.jp/map/5.html

★その2へ続く!
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-767.html
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