→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-809.html
参拝当日に写真撮影の許可はいただきましたが当方の判断にて、
門より内側の社殿の写真のみブログに掲載は致しません。
熊野本宮大社の社殿は、第十代崇神天皇六十五年に創建されたと
『神社縁起』『帝王編年記』『皇年代略記』『延喜式神名帳』に
記載されていますが、実は神武天皇の御東征以前から既に、
御鎮座されていたと伝えられているそうです。
熊野本宮大社は現在の大斎原の場所にあったのですが、
明治二十二年、熊野川の大洪水の際に大きな被害に遭ったため、
その二年後の三月に上四社を現在の場所に遷し祀り、大斎原には
中四社と下四社の石祠二殿を造営し、現在に至っています。
↓四年前にも台風被害があって酷かったようですが…
http://www.city.tanabe.lg.jp/kouhou/kankoubutsu/files/h23t12-w2.pdf
しかしここはよく水害に遭う地域ですね。復興するまでさぞ大変
だったことでしょう。
熊野本宮大社
http://www.hongutaisha.jp/
【上四社御祭神】
第一殿(西御前):夫須美大神(伊邪那美大神)、事解之男神
第二殿(中御前):速玉大神(伊邪那岐大神)
第三殿(本社):家津御子大神(素戔嗚尊)
第四殿(東御前):天照大神
-----------------------------
熊野国造家の開祖は天孫邇邇藝命の御兄君 天火明命です。
その子孫に当たる高倉下は熊野の村に在って 神武天皇に天剣
布都御魂を献げてお迎えし、時を併せて高御産巣日神は天より
八咫烏を遣わし大和の橿原まで導かれました。
第十代崇神天皇は大和民族の旨は神を祀ることとお考えになり、
時を前後して神宮(伊勢)や本宮(熊野)が奉祀されました。
第十三代成務天皇の御代には国々の境(県境)が決められ、
紀伊半島の南半分が熊野の國と定められ 初代の国造には高倉下
の子孫大阿斗宿禰が就任しました。
この様に熊野国造家とは天津神の子孫で、
物部氏の先祖に当たり、特に天神地祇の子孫に当たる氏のこと
を神別諸氏といいます。神代の時代、この地を治めた天孫系
神別諸氏の日神信仰によって創立したのがこの本宮で、
それは熊野の大神の神道が太陽の化身「八咫烏」であることも
本宮祭神の始元が日神であったことを物語っています。
熊野信仰とは一言で云えば太陽の黄泉返りを願う祭礼です。
その後本宮は千数百年に渡り 熊野国造家の子孫によって代々
お祭りされることになります。
------------------(熊野本宮大社 栞より)
※大きな参拝の栞が手元にあるのですが、これよりもかなり文章
が長めだった為、御朱印を頂いた時に挟んであった小さな栞の文
を抜粋して掲載しました。
さて、お参りですが…『第三殿 → 第二殿 → 第一殿 → 第四殿』
の順で参拝しましょう。御本社のスサノオさんが先ですよ。
そして第一殿、第二殿、第三殿、第四殿の隣にある小さなお社は
『満山社』で、御祭神は「結ひの神(八百万の神)」。
第一殿〜第四殿を参拝してから次にお参りする場所です。
下の写真は拝殿。先程の場所でお参りが済んだら、
あとは特にこの拝殿での参拝は必要ないかと思われます。

ここからもうちょい、
テンションの上がる神社アイテムを掲載しようw
八咫烏ポストぉー♪(テレテテッテテー♪)

毎日収集しているので、普通にお手紙が出せますよ。
ハガキは社務所に申し出ましょう。八咫烏の記念スタンプを
押してもらえるそうです。
うっひょぉぉ!カッケぇぇぇ!

御由緒にもあります通り(記紀にも書かれていますね)、
八咫烏は神武東征の際、神武天皇を無事に大和国まで無事導いた
三本足のカラスでございます。熊野では八咫烏が神の使いとされ、
八咫烏の三本の足は熊野三党(宇井・鈴木・榎本)を表すとも
言われ、熊野本宮大社の主祭神『家津御子大神(素戔嗚尊)』
の御神徳である「智・仁・勇」又は「天・地・人」を表している
とも言われています。

八咫烏といえば日本サッカー協会のマークになっていますね。
日本の建国神話に登場した道案内の聖なる鳥は、日本のシンボル
にも相応しく、日本チームを勝利に導いて欲しいという願いを
込めて使用されているのだと思います。ちなみにあのマークは、
明治時代、サッカーが日本に始まった頃から使用されている
らしいですよ。
YouTubeにあった『八咫烏神事』の動画を拝借。
(=゚ω゚)ノ 「先生ー、動画の最後は何をしているの?」
SERUNA:「牛玉宝印にえいっ!と押印しているところです」
『牛玉宝印』というお札について
http://www.hongutaisha.jp/熊野牛王神符/
魔除けのお札だけではなく、裏面に約束事を書かせて相手に渡す
『誓約書』としても使われてきました。熊野のお札に誓約する
ということは、神に誓いを立てるという事。
もしも誓約を破れば、熊野の使いのカラスが1〜3羽死に、
誓いを立てた者も血を吐き死に、地獄へ堕ちるとされています。
((((;゚Д゚))))))) うわぁ…こえぇぇぇ…
「約束するのであれば確かな誓いと実行を示してね」
って事でしょうかね。現代の人たちは口だけの約束事が多すぎ
ますので、本当に血反吐吐くのであれば書かせてみたいッスw
(きっとみんな死ぬ気で頑張るだろうなw)
歴史上の中で牛玉宝印は、源義経と藤原泰衡の契約や、
関ヶ原の戦いにおいて家康と諸大名との誓紙、
そして赤穂四十七士の連判状にも使用されたそうです。
ちなみに熊野本宮大社にて挙式をされるカップルさんへ。
婚礼の誓詞の裏側にはもれなくこの御神符が貼布されているぞw
夫婦の誓いを破ったら、血を吐いて地獄逝きだからなっ☆
この『牛玉宝印』は熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社
で、それぞれデザインが違いますので、興味がありましたら是非
すべてのお札を手に入れてみてほしいです。
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熊野本宮大社の旧社地の記事はこちら。
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2015.5.24参拝
全国にある熊野神社の総本宮っ!
うおぉぉ!鳥居の前には大きな八咫烏の幟がぁぁぁっ!
あぁ…もうここの鳥居をくぐる前からテンションMAXッス。
(;´ Д`) 静かにしろ、そして落ち着け自分ww
熊野の系統は、どどーん!と『動』の空気がバリバリです。
女性の神様もお祀りされているけれど、本社には力強い男神が
いらっしゃいますので、とにかく熊野本宮大社といえば自分の
中でのイメージでココは「漢らしい神社」だったりする。
大事なことだからもう一度言うけど「男らしい」じゃなくて、
「漢らしい」ですからね。

まず、熊野の本宮参道では歩く方向に気をつけましょう。
他の神社同様、神様の通り道の真ん中は歩いちゃいけません。
そしてココは右側通行です…という看板が立っています。
お参りする順番にも気をつけてね。

真っ直ぐな良い雰囲気の参道です。
この雰囲気たまらん。

祓戸があるので、先にココをお参りして祓い清めましょう。
スルーはいかんぞ!

さて、最初の方でも触れましたがココは熊野神社の総本宮。
「日本全国にどのくらい熊野神社が分布しているかな?」
みたいな表がありましたので写真を掲載してみよう。
トップ3は…千葉県、福島県、愛知県です。我が故郷静岡県は
12位ッスね。ランキングではいつも微妙な位置に居るなw

門が見えてきましたよ。
撮影禁止マークがありますが、メディアの撮影は許可が必要。
んで、一般の個人が撮影する分にはオッケーらしいです。

★その2に続く。
次は本編!長くなるから分けるぜ!
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