ボヤかせて下さい。
今日突然人気ブログランキングのランキング画面で、
上部にハングルの広告が出るようになりました。
正直気持ち悪いのでやめていただきたいです。
韓国の広告なんか見たくないんですけどねぇ。
かの国と全然関係ないジャンルに出して来るなっつーの。
表示するなら日本の広告出してくれよ。とっても不快。
反吐が出ます。
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熊野速玉大社(新宮)
http://kumanohayatama.jp/
【御祭神】
第一殿(結霊宮):熊野結大神(いざなみの命)
第二殿(速霊宮):熊野速玉大神(いざなぎの命)
第三殿(証誠殿):家津美御子命・国常立命
第四殿(若宮):天照大神
第五殿(神倉宮):高倉下命
第六殿(禅地宮):天忍穂耳命
第七殿(聖宮):瓊々杵命
第八殿(児宮):彦火々出見命
第九殿(子守宮):鸕鷀草葺不合命
第十殿(十万宮・一万宮):国狭鎚命・豊斟渟命
第十一殿(勧請宮):埿土煮命
第十二殿(飛行宮):大斗之道命
第十三殿(米持宮):面足命
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熊野速玉大社は悠久の彼方、熊野信仰の原点、神倉山の霊石
ゴトビキ岩(天ノ磐盾)をご神体とする自然崇拝を源として、
この天ノ磐盾に降臨せられた熊野三神(熊野速玉大神・
熊野夫須美大神・家津美御子大神)を景行天皇五十八年の御代
(西暦128年)初めて瑞々しい神殿を建ててお迎えしたことに
創始いたします。
我々の祖先は、美し国熊野に坐しますこの真新しい新宮に
大自然の恵みを献じて神々を斎き祀り、感謝と畏怖の心を込め
て祈りを捧げながら、最も神社神道の特色ともいうべき
清め祓いを実践してまいりした。このように原始信仰から神社
神道へと信仰の形を整えていった厳儀を、未来永劫にわたり
顕彰し続ける精神をもって「新宮」と号するゆえんであります。
この尊称は、まさに熊野速玉大社が、天地を教典とする
自然信仰の中から誕生した悠久の歴史を有すことの証といえる
でしょう。
中世、熊野御幸は百四十度を仰ぎ、第四十六代孝謙天皇より
「日本第一大霊験所」の勅願を賜り、また千二百点を数える
国宝古神宝類が奉納され、全国に祀る熊野神社の総本宮として
厚い信仰を集めております。また境内には、熊野信仰の象徴
たる「梛の大樹」が繁り、熊野神宝館や熊野詣を物語る
「熊野御幸碑」などがあります。
--------------(熊野速玉大社 境内案内板より)
結宮、速玉宮(手前は拝殿)

奧御前・三神殿(左側の小さなお社)、上三殿

八社殿

新宮神社(写真左)・恵比寿神社(写真右)

どこへ参拝に出かけても想う事は同じ。
国家安寧と、日々無事に過ごせている事の感謝の気持ちです。
熊野速玉大社への参拝は今回が初めてですが、天気が良くて
本当に良かったな。
★続いては速玉大社の摂社『神倉神社』に続きます。
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2015.5.24参拝
続いて『熊野速玉大社』を参拝です。
日記的に記録を残していますが、これらが無駄にならず、
いつか参拝される方のお役に立てたらいいなと思っております。
皆様に幸せが訪れますように。( ´ ∀ ` )ノ

鳥居をくぐり右手側。
ここにもいらっしゃいますよ八咫烏さん♪(右のお社)
御祭神は『建角見命』。神武東征の際に八咫烏の姿に化身して、
神武天皇に仕え、大和国まで道案内をした神様です。
左側のお社には『天之手力男命』がお祀りされています。
この神様は皆さんご存知、天照大神の岩戸隠れのお話で大活躍
した力持ちの神様です。

境内には『奉八度の記念碑』があります。
奥州南部八戸領久慈八日町(岩手県)の吉田金右衛門さんという
人が、八度の熊野詣を記念してこの石碑を神社に奉納したもの。
石碑に1708年と刻まれていますが、あの当時で岩手から何度も
遠路はるばる熊野までお参りに行くというのは凄いですね。
(交通の便が良くなった現代ですら大変な事なのに驚きです)

さて、熊野信仰と皇室についてこんなお話があるので掲載。
皇室と神社というとお伊勢さんとの繋がりばかりがピックアップ
されがちですが、熊野の信仰も篤かったようですよ。
昔、こんなカタチで熊野詣をされていたんですよーというお話が
案内板に詳しく書かれていました。随分と長旅だったんですね。
昔は今のように、平坦に舗装された道路がなかった時代。
全てをめぐるにはさぞ大変だった事でしょう。
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熊野御幸
中世、宇多上皇(第五十九代天皇)の延喜七年(907)から
玄輝門院の嘉元元年(1303)までの三百九十六年間に上皇、
女院、親王を合せて二十三方、百四十回に及ぶ皇室の御参詣が
あり、これを熊野御幸と言って熊野三山史上に不滅の光彩を
放っている。
熊野御幸には、陰陽師に日時を占定させて、斎館で心身の御精進
を数日間行われて後に御出発になる。白河天皇の天永元年九月の
御幸には総人数八百十四人、一日の食糧十六石 二斗八升、
傳馬百八十五匹と「中右記」に記している。
御幸の道順は京都、住吉、和泉、紀伊半島海岸沿いに南下して
田辺、中辺路、本宮、熊野川を下って当大社へ参拝、
那智山、雲取、本宮、往路コースを逆行して帰京されるまで、
およそ二十数日に及ぶ難行苦行の旅であった。
熊野御幸によって、熊野信仰は公卿武士、
庶民の間に流布し、熊野水軍をもつ熊野三山の忠誠心を助長し、
京と熊野との文化交流有名な熊野懐紙、幾多の名歌が詠じられ
るなど、各方面に大きな影響を残している。
----------------(熊野速玉大社 案内板より)
速玉大社の歴史が書かれる案内板を読みながら
境内をのんびり歩くと、神門が見えてまいります。

★その2に続きます。
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