策士だと自称している人も実は、策士ではなかったりする場合
もあったりするので何とも言えんけれどw
常に自分の行動の一歩先、また一歩先の事を考えて行動しても、
身の回りや足元に気をつけて慎重に行かないと必ず自爆する。
自信過剰になるのもいかがなものかと思うが、考えすぎて自分の
策略で自爆するのは恥ずかしいから、こうはなりたくないな。
逆にシンプルに行った方が、事が全てうまくいく場合もあるから
策をめぐらせすぎるのもある意味問題かも知れないねw
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策士策に溺れる
【意味】
策略に巧みな者は策を弄しすぎて、
かえって失敗するものであるというたとえ。
【解説】
策略を好む人は策をめぐらしすぎて、逆に失敗することがある
ということ。自己過信に陥ることを戒める時に使う。
「策士」とは、はかりごとの巧みな人、好んではかりごとを
する人のこと。「策士策に倒れる」ともいう。
注意:「策士才に溺れる」というのは誤り。
【英語】
The deceitful man falls oft into the snares of deceit.
(策略家は策略の罠にかかることが多い)
参考
http://kotowaza-allguide.com/sa/sakushisakunioboreru.html
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あれあれ?
どっかの国がやっている事を思い出すなw
連中はいつも相手をやっつけようと躍起になって、
実際にありもしない体験を語って、自分がついた嘘に
がんじがらめになりブーメラン食らって自爆とか。
もっとも、かの国は策士なんかじゃなくて
単なるバカだけど。
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あぁ、もう7月だよ…
参拝日記に時間かけすぎてスマンです。orz
2015.5.24参拝
続いては『神倉神社』。ここは熊野速玉大社の飛地境内地。
ここには神社の御神体である磐座『ゴトビキ磐』がありまして…
おそらくみなさん写真を見れば「あ!どこかで見た事あるよ!」
とハッとする人が沢山いらっしゃるのではないかなと。
古事記には詳しく書かれていませんが日本書紀の神武東征の話に、
「即位前三年戊午の年、六月二十三日、名草の村に至り名草戸畔
を討ち、そこから狭野を越えて熊野神邑に至って天磐盾に登った」
と記載されています。神武天皇が登ったとされる『天磐盾』と
される山が、千穂ヶ峰の南方にあるこの神倉山(権現山)。
神武天皇はこの山をのぼったのです。

神倉神社に来てまずビックリするのがこの石段。
1193年に源頼朝が神倉神社に寄進したもので、538段あります。
さて登ろう!と思っても、ちょっと躊躇してしまう急な石段。
そこに私の母親くらいの年齢と思しき女性が、慣れた足取りで、
どんどん上の方へと進んでいくではありませんか。
なにぃっ?!これは負けていられんぞ!
※写真右側はウチの旦那。左が年配の女性。
(旦那を追い越しヒョイヒョイと登っていくからビックリw)

まるで壁のように立ち塞がる石段。
息を切らせながらあがって、後ろを振り返ってみると…

うおぉぉ!怖えぇぇぇーーー!
チビりそうwww
これ、踏み外してコケたら絶対に転げ落ちて死ぬってw
今まで参拝者の転落事故ってひとつも起こらなかったのかな。
(気になって調べてみたら石段ではなく、境内の別の場所で事故
が起きていました。擦り傷があった事から滑落事故と思われ。
https://web.archive.org/web/20160602164822/https://wbs.co.jp/news/2012/10/30/12363.html
※記事が削除されていたのでインターネットアーカイブにかけて
リンクさせています。
よっしゃ!後ろを見ないで、気をつけながらのぼっていこう!
…と思っていてもチラッと振り返り、下を見てしまう。
あぁぁぁ!怖えぇぇぇ!((((;゚Д゚)))))))
少し向こう、下が見えないのは目の錯覚じゃないですよね。
先の無い絶壁みたいに見えるんですけどぉぉぉぉ!

2月の『御燈祭』と言われるお祭りでは、この石段を、
白装束の人たちが、たいまつ片手に駆け下りて行くんだとか。
動画でその様子を見てみると、最初の人は勢いがつくけれど、
後半の人はゆっくりだからまだいい。でも将棋倒しとかに
なったりはしないのかと、想像するだけでハラハラしてしまうw
YouTubeより、ウォーカーステーションTVの動画を拝借。
4年前の動画です。1400年続く神倉神社の『御燈祭』。
御燈祭では、白装束の人は白いものしか食べちゃダメ。
女性に触れてはいけない(女が白装束に触れてもいけない)。
祭り当日は注連縄よりも内に女が入ってはいけない。
…など、禁じられている事が色々あって興味深いです。
(祭りは完全女人禁制)
火神社(写真左)、中ノ地蔵堂(写真左)
平坦な場所があるとちょっと落ち着く。
まだ半分もいっていません。もう少し頑張ってのぼりましょう。

参道の脇に『千穂が峰 登山口』とありましたが…
道のようで道ではなさそうな道があったが行けるんだろうか?

暫く歩いて行くと二の鳥居が見えてきます。
鳥居から真っ直ぐに進んでいくと神倉神社の社殿とゴトビキ磐。
右側に見える石段を上がると満山社があります。御燈祭の時には
この二の鳥居から、白装束の人たちが駆け下りていくんですね。

満山社

そして二の鳥居をくぐると、かなり古そうな手水舎。

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新宮城主第二代の水野重良(1596〜1668)、下野国(栃木県)
那須城主の大関高増の母の延命と繁栄を祈願して寄進したもの
です。「大関高増の母」は、重良の姉(妹)にあたります。
黒雲母花崗斑岩の巨大な石を加工して作られており、正面には
寛永八年(1631)二月、重良が寄進したことが刻まれています。
阿須賀神社にも同様のものが奉納されています。
---------------(神倉神社 境内案内板より)
★その2に続きますよー。
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