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定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2015年08月10日 (月) | 編集 |
この日の時系列についてはこちら。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-763.html

獅子巌を見たあとは鬼ヶ城へ。
本当は立ち寄る予定になかったのですが、道路の案内表示を見て
「鬼ヶ城ってどんな所だろう?」と気になってしまいましてw
ここに到着した時点で、もう夕方五時を過ぎていました。
お土産やさんが閉店していてガックリ。

鬼ヶ城
http://onigajyo.jp

鬼ヶ城には幾つか伝説があるようです。
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【南紀熊野 木ノ本浦鬼城物語(江戸後期作品)より】
断崖絶壁で海からしか近付けない『鬼ヶ城』と言われる場所に、
鬼神が住み着き、郷の人々を悩ませていました。

平城天皇の頃です。大同年間(806〜810)鈴鹿山の鬼神を退治
したという『坂上田村麻呂将軍』が紀伊国の鬼の話を聞きつけ、
これを討伐しようと二木島を計有し、船で岩屋に近付きました。
鬼の大将『金平鹿』(注:多娥丸では無い)は、手下を集め、
「敵は観音の加護がある。我々の神通力が効かないかも知れぬ」
と食料を運び込んで石の扉を閉め、手下たちと共に、
岩屋に閉じ籠ってじっとしていました。

坂上田村麻呂将軍が攻めあぐねている時、沖の島の上に一人の
童子が忽然と姿を現し、弓を携えて将軍を手招きしたのです。
その姿はまるで菩薩のよう。将軍は畏まって話を聞きました。

「私が舞を舞うから、軍勢も一緒に舞おう」

童子はそう言うと、船を並べた舞台の上で舞い遊び始めました。
すると童子の妙なる調べに、岩屋に閉じ籠っていた鬼の大将は
「何が起こっているんだ?」と油断をし、顔を出しました。
田村麻呂将軍はそれを見逃しませんでした。
「今だ!」と、童子から授かった弓を引いて矢を放つと、
矢は鬼の大将『金平鹿』の左眼に命中。続いて、岩屋に隠れて
いた800人もの手下の鬼たちが一斉に飛び出してきましたが、
田村麻呂将軍が撃ちこむ千の矢先に、次々と倒れました。

千手観音の化身であった童子はそれを見届けると、
光を放ちながら飛び去ったということです。


----------(鬼ヶ城のページを参考に文章を改変)

童子が現れた島を「魔見るか島」(魔見ヶ島)と呼ばれるよう
になったのは、この語が元になっているようです。

下の写真は物語に出てくる『魔見ヶ島』。鬼ヶ城の沖合1.5km
に浮かぶ無人島で、地元では「マブリカ」と呼ばれています。
(釣りやダイビングの絶好のスポットとなっているらしい)

20150525_onigajyou_001.jpg

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【鬼ヶ城、もうひとつの物語】
平安時代 桓武天皇の頃のお話です。人々から鬼と恐れられ、
海を荒し回っていた海賊『多娥丸』の討伐をせよと命じられた
坂上田村麻呂将軍は、この地に隠れて様子を窺っていました。
近くの鳥帽子山に大馬権現の化身である天女が目の前に現れ、
将軍に鬼の隠れ家(鬼ヶ城)を教えましたが、岩が厳しく聳え、
磯は波が激しく打ちつけ、とても近くまで立ち寄れるような状況
ではなかったのです。

すると突然、沖の魔見ヶ島に童子が現れ、舞い唄い、
軍勢も加わり大騒ぎを始めました。鬼神が何事かと油断をして
岩戸を開く一瞬に将軍が矢を放つと、鬼を一矢で仕留めました。

童子が光を放ちながら北の峰に飛び去ったので、後を追うと、
そこには紫雲たなびき、芳香に満ちた洞窟(清滝の上流)
がありました。田村麻呂将軍は童子に感謝をし、
守仏の千手観音を納めて安置しました。


----------(鬼ヶ城のページを参考に文章を改変)

これらの伝説に基づき『鬼の岩屋』と呼ばれていましたが、
のちに『鬼ヶ城』とも呼ばれるようになったそうです。

…さて、進んでいきましょう。

遊歩道があるのでそこを歩いていきます。
旦那が先に行って写真真ん中あたり、向こうで両手を挙げて
手を振っていますが、ちっちゃくて分かり難いかも。
あの穴を抜けると、思わず「おおぉー!」と言ってしまう景色が
待っているんだけどスケール大きすぎて写真に収めきれず。

20150525_onigajyou_002.jpg

ここは鬼ヶ城の『千畳敷』と言われる所。
とにかく「広い!デカい!高い!」とだけ言っておこう。
比較するものがなくて上手く伝えにくい。スマンっす…orz

http://onigajyo.jp/map/map_senjyoujiki.html
公式サイトの情報によれば、前方五段の段丘は、
大地震ごとに隆起したもので、冗談下段に分かれた岩場は、
高さ15メートル、広さ約1500平方メートル。鬼の海賊『多娥丸』
の住みかだったと言われている場所です。

20150525_onigajyou_003.jpg

あ、左下にちっちゃくウチの旦那が写ってるw
足元の岩場も、パッと見ると墨絵のような感じで「自然の芸術」
という例え方をしたくなるような、そんな場所です。

20150525_onigajyou_004.jpg

写真左側に階段が見えますが、
ここは『奥の木戸』と言われる場所です。
http://onigajyo.jp/map/map_okunokido.html
公式サイトによれば、ここからが鬼ヶ城の本番だそうでw
千畳敷だけ見て帰るのは勿体無いです。

ちなみに、下の写真を写したのは17:50。
20150525_onigajyou_005.jpg


★その2に続くよ!
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-889.html


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