8月12、13日の『荒祭り』は年に一度の大事な行事。
この日は、焼津神社の神様にぐっと近づける唯一の日なのです。
荒祭りが終わった翌日の8月14日は『焼津海上花火大会』。
夏の行事が全て終わると、「あぁ…今年の夏も終わりだな…」
なんて少し寂しくなったりもします。

写真はガラケーのカメラゆえ、綺麗に撮れていないのは許せ。
【2015年の荒祭り】
今年の荒祭りは雨だったこともあり、去年と比較すると、
あまり変な人もいなかったような感じで良かったと思います。
ただ、白装束の一部のオネーちゃんに、神事に相応しく無い、
頭の悪そうな髪型をした子がいたのが残念。盛り髪に鳥の羽根を
たくさんぶっ刺して「何だ?その中に鳥でも飼ってるのかw」
と言いたくなるような、小汚い鳥の巣みたいな頭で。
白装束やっているのにそんな格好で、荒祭りに何しに来てるの?
神に奉仕する白装束を何だと思ってやがるのでしょうね。
荒祭りは仮装大会じゃないっつーの。
去年のカラーひよこ頭の女もですが、見たまんまの『トリ頭』
でしょうから、どうせ教えたところで忘れちゃうだろうけれど、
ホンモノの焼津っ子なら、荒祭りで奉仕をする白装束とは何ぞや
という意味を考え、神社が推奨する「白装束に相応しい格好」
をして参加しているハズなんですけどね。
焼津神社の氏子としては、荒祭りを遊びと勘違いしてる人間を、
「出直してこい」と一喝出来るような古株の白装束がいないのか
と問い詰めたいトコロですわ。

【お爺さんから聞いた昔の荒祭り】
荒祭りの最中に面白かったのが、一日目の夜の神事を見に来てた
高齢であろうお年寄りの人(10代の頃から50代の頃まで祭りの日
には必ず、白装束で参加をして御輿を担いでいたらしいです)が、
私が生まれるよりも前、ずっと昔の荒祭りについて色々と教えて
下さった事。特に戦後すぐの時代の荒祭りの話は、オイルショック
の時代に生まれた私にとってはちょっと興味深かったです。
あの当時、進駐軍が神社の角々に立って見張り、
御神輿を担がせないように妨害していた時があったらしく…
(GHQが日本から神道を衰退させようとした時代があるのです)
でも地元の白装束はそんな事に屈する事なく、制止をふりきり、
「冗談じゃねぇぜ!!行こうぜオラー!あんえーとぉぉぉん!」
と社殿から御神輿を担いで、神社から出て練り歩いたという話を
聞かせてくれた時は、爽快でしたw
そんな方々たちが荒祭りを護り、今に繋いできたんだと思うと
頭が下がりますね。そもそもあの時代だろうが、現代だろうが、
日本人から祭りを取り上げるだなんて不可能なんですよと。
あの当時、負けずに担いで下さった方々ほんとスゲぇww
「オラっち(俺らの)知り合いで白装束やった人間は、
一人残してもう殆ど死んじゃってっからなぁー。ハハハ」
…なんて、昔ばなしをつい最近の出来事のように懐かしそうに
語る姿に思わずこちらも笑顔に。これからも多くの人に、
昔の荒祭りの話を語って欲しいです。
もうちょっと聞きたかったなー。

最後に、今年の荒祭りの記事を読んでいない人用に、
ここにリンクを貼っておきます。
一日目の記事はこちらから。
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-877.html
二日目の記事はこちらから。
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-880.html
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