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定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2015年11月06日 (金) | 編集 |
検索でこのページに来ちゃった人は、その1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-948.html

神社裏手の鳥居の側にも講碑群があります。

20150707_higashiguchi_024.jpg

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 麻布山三元講 講碑群
江戸・麻布の町に栄えた山三元講は、江戸期の享和三年(1803)
山口左門が山吉講から分離独立させた富士講である。
富士登拝には吉田口(北口)から登り、須走口(東口)へと
下山し、須走を定宿とした。神門前の火山岩によって築かれた塚
と一対の狛犬は昭和の初頭に山三元講の人々が築造し、
奉納したものである。このように近年まで講と当社・須走との
関わりは深い。同じ頃麻布永坂には富士塚か造られ頂上には当社
より勧請された浅間社が祀られた。この富士塚は自然の傾斜地を
利用して造られ、頂上部は富士山のクロボク(火山石)によって
築かれている、浅間社の周囲には記念碑が次々と移され、
また新たに造られた。

この永坂富士塚も講の解散と共に解体され、昭和六十二年、
大半の記念碑がこの地に移設された。これら講碑群は往時、
栄えた講の姿を今に伝えている。

※永坂富士塚の模型は当社、記念資料館に展示されている。

-------(富士山東口本宮 冨士浅間神社 境内案内板より)



地味ですがこちらにも注目してみよう。
東口本宮の脇の道に『鎌倉往還』と呼ばれる道が通っています。
細い道が一本あるのですが、写真を撮り忘れ。orz
まず案内板のイラストをアップ。

20150707_higashiguchi_025.jpg

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 鎌倉往還
鎌倉往還は、かつては鎌倉道などと呼ばれ、
幕府所在地の鎌倉から放射状に複数のルートがありました。
 由来については、現在のところ、源頼朝が鎌倉に幕府を開くに
至る源平の合戦にその起源をおくといわれています。

 鎌倉時代に鎌倉幕府の御家人や坂東の武者達が、有事の際に
「いざ鎌倉」と鎌倉殿の元に馳せ参じた道であり、当時の御家人
らが鎌倉と自領との往還に利用した道でもあります。
 当時から街道が担ってきた役割は軍用道路としての実質的な
目的の他、政治や経済流通としての交易にも用いられ、
地方に残る様々な遺物から文化や宗教等も急速に伝えられたこと
が明らかにされています
かつての鎌倉往還は、廃道となっていたり、拡幅されたり
付け替えられたものも見受けられ、また枝道も多くあることから
正確なルートについては諸説あります。しかし、未舗装のまま
現在に至り、当時のようにかつての雰囲気を偲ばせる箇所も一部
に残存しています。

 当時の鎌倉往還は、まっすぐに籠坂峠・御坂峠を越え、
甲州源氏の国の中心、石和へ向かうルートをとっています。
 このように小山町須走は、古くから富士北麓地域と駿東部を
結ぶ交通の要衝として利用されていたことがわかります。

-------(富士山東口本宮 冨士浅間神社 境内案内板より)

上のイラストと似たようなアングルで、写真を撮ってみました。
7月に参拝した時のものなので、雪は積もっていませんが、
目の前に富士山が見えます。

20150707_higashiguchi_026.jpg

皆さんも東口本宮冨士浅間神社へ、
是非、お参りをしてみては如何でしょう。( ´ ∀`)ノ


余談です
7月、頭の悪い左巻きの議員さんが、虎の威を借る狐のように
東口本宮の目の前で、神社の意とは反する思想と考えを振り撒き
演説を行っていったそうで、神社側はとても迷惑したらしい。
https://mobile.twitter.com/fujisengenjinja/status/617191581884395520
こういった許可のない迷惑行為はここだけに留まらず、
他の神社でも左翼の議員が、同様の事をやらかしている模様。
本当にブサヨはクソしかいませんな。

もしも、九条がどうとか戦争がどうとか、
おかしな演説をやらかしてる「オヒダリさん」を見かけたら、
即刻社務所に通報して、あとは神社の人にお任せしましょう。


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2015年11月06日 (金) | 編集 |
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いつものように、その他の摂社は省略。
参拝を終えて社殿から左手側へ向かっていくと、
富士講講碑群が見えてまいります。何十回もの富士登山を行い、
富士山をお参りしたという証なのですが、その回数が凄い。
(講碑に回数が刻まれています)

20150707_higashiguchi_019.jpg

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 富士講講碑群
ここには、明治より昭和にかけて、各地の富士講より寄進された
記念碑が多く残されている。多くは、三十三度、六十六度など
数多く富士登山が成就された事を感謝し、先進や講名を高く揚げ
信仰の証とした。


-------(富士山東口本宮 冨士浅間神社 境内案内板より)

20150707_higashiguchi_020.jpg

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 富士講と講社碑
富士山は、昔から信仰の山として登拝され、修行の場であった。
人穴で修行を重ねた長谷川角行は江戸に出て、富士山の信仰を
説いた。その後、食行身禄がさらに教えを広め、富士山七合五勺
に入滅の後、江戸では「八百八講」といわれる程、富士講が盛ん
になった。須走は富士信仰登山の登山口として、古くから栄えて
きた。須走浅間神社には、講の人達によって奉納された石碑や
石燈籠が多く、その一つ一つから登山する道者(行者)達の
息づかいが聞こえてくる。


-------(富士山東口本宮 冨士浅間神社 境内案内板より)

20150707_higashiguchi_021.jpg

富士講講群の場所から、神社裏手の鳥居を抜けます。
鳥居の側に天然記念物のモミの木が。

20150707_higashiguchi_022.jpg

20150707_higashiguchi_023.jpg

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 小山町指定文化財 天然記念物 冨士浅間神社の根上りモミ

根回り 4.61米、目通り 3.07米、樹高 27.00米

このモミは推定樹齢約300年で、この根上り群は約150年生のモミ
の根元にブナ、イヌシデの種子が生え、現在を遡る約100年間の
降雨による火山灰土の流亡により根上りになったものと考えられ
本邦希に見る奇観で学術上価値が高い。


----------------(境内案内板より 一部抜粋)

★その5に続きます。
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