fc2ブログ
定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2016年05月15日 (日) | 編集 |
『阿倍王子神社』の飛地境内社です。
記事をまだ読んでいない人はこちらをどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-1178.html

2015.8.23 参拝 
阿倍王子神社よりほんの少しだけ歩いた場所にあります。

20150823_abenoseimei_001.jpg

20150823_abenoseimei_002.jpg

安倍晴明神社
御祭神:安倍晴明公
http://abeouji.tonosama.jp/abeseimeijinja/
-----------------------------
 安倍晴明神社は晴明公2年の寛弘4年(1007)に、花山上皇の
ご意向によって創建されたと伝え、晴明公の子孫を称する保田家
が代々社家として奉仕し、江戸時代には大坂の大社の一として、
大坂城代更迭の際には特に当社に参拝され、古文書拝観を例と
した程の格式ある神社でありましたが、幕末に社家の没落と共に
衰微し、明治時代には江戸の文政年間(1818〜1826)堺の住人
神奈辺大道心が建立した、「安倍晴明誕生地」の石碑と小祠を
残すのみと成ってしまいました。そこで明治末期に復興が計画
され、大正10年阿倍王子神社の末社として復興が許可され、
社家の子孫の保田伊之介氏が旧社地を寄進して、
大正14年現在の御社殿が竣工しました。


-----------(阿倍王子神社 参拝の栞より一部抜粋)


『安倍晴明公産湯井の跡』
江戸時代の絵図にも見られる、晴明公が産まれた時に使用した
「産湯の井戸」を再現したもの。

20150823_abenoseimei_003.jpg

『葛之葉霊狐の飛来像』
安倍晴明の母は狐であったと言われています。晴明公の母である
『葛乃葉』が、信田森から飛来する姿をイメージした石像です。

20150823_abenoseimei_004.jpg

皆さんご存知、安倍晴明のブロンズ像

20150823_abenoseimei_005.jpg

『鎮石(孕み石)』
古代、船のいかりとして使われた鎮石。
安産を祈願して帯を「しめる(鎮める)」と掛け、
孕み石(妊娠している状態)とも呼ばれます。

20150823_abenoseimei_006.jpg

『安倍晴明誕生地の碑』
安倍晴明公は古代豪族阿部氏の出身で、一説によると平安時代の
天慶7年(944年)3月に大阪・阿倍野に生誕されたとされています。
それを記念して、堺の商人『神奈辺大道心』が建立しました。

20150823_abenoseimei_007.jpg

境内にあった絵馬で、思わず噴き出してしまったものw
絵馬に『祈願』と文字が書かれているのですが、そいつをうまく
利用した一発ネタ。腹筋もってかれたぞコンチクショウwww

20150823_abenoseimei_008.jpg

…で、結局これ描いた人は何を願ったのだろう?
という謎だけが残ったw

おまけ
阿倍王子神社の境内にあった、天王寺蕪の碑。
長野の野沢菜の起源は『天王寺蕪』でしたー!というお話。

20150823_abenoseimei_009.jpg

江戸時代末期〜明治末期にかけての約三百年間、摂州天王寺村
(四天王寺より南、阿倍野区、及び西成区の東北部一帯)の
特産物として有名で、難波の名物でした。蕪はやがて干し蕪や、
漬物・粕漬にして諸国へ出荷され、全国に名が知れ渡りました。
また、宝暦六年(1756)に長野県野沢温泉村の健命寺の住職が
天王寺蕪の旨さを知り、種を持ち帰って寺に植えたのだが、
気候風土が違うせいか出来上がった蕪は小さく、葉や茎が長い
ものになってしまった。だが漬物にすると大変美味しかった為、
その野菜を『野沢菜』と名付けて信州の名物とし、
現在に至るまで栽培され続けています。


いつも応援ありがとう!
拍手やランキングボタンをポチッとよろしくね♪
にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
関連記事
テーマ:趣味と日記
ジャンル:趣味・実用