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2015.8.23 参拝
阿倍王子神社よりほんの少しだけ歩いた場所にあります。


安倍晴明神社
御祭神:安倍晴明公
http://abeouji.tonosama.jp/abeseimeijinja/
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安倍晴明神社は晴明公2年の寛弘4年(1007)に、花山上皇の
ご意向によって創建されたと伝え、晴明公の子孫を称する保田家
が代々社家として奉仕し、江戸時代には大坂の大社の一として、
大坂城代更迭の際には特に当社に参拝され、古文書拝観を例と
した程の格式ある神社でありましたが、幕末に社家の没落と共に
衰微し、明治時代には江戸の文政年間(1818〜1826)堺の住人
神奈辺大道心が建立した、「安倍晴明誕生地」の石碑と小祠を
残すのみと成ってしまいました。そこで明治末期に復興が計画
され、大正10年阿倍王子神社の末社として復興が許可され、
社家の子孫の保田伊之介氏が旧社地を寄進して、
大正14年現在の御社殿が竣工しました。
-----------(阿倍王子神社 参拝の栞より一部抜粋)
『安倍晴明公産湯井の跡』
江戸時代の絵図にも見られる、晴明公が産まれた時に使用した
「産湯の井戸」を再現したもの。

『葛之葉霊狐の飛来像』
安倍晴明の母は狐であったと言われています。晴明公の母である
『葛乃葉』が、信田森から飛来する姿をイメージした石像です。

皆さんご存知、安倍晴明のブロンズ像。

『鎮石(孕み石)』
古代、船のいかりとして使われた鎮石。
安産を祈願して帯を「しめる(鎮める)」と掛け、
孕み石(妊娠している状態)とも呼ばれます。

『安倍晴明誕生地の碑』
安倍晴明公は古代豪族阿部氏の出身で、一説によると平安時代の
天慶7年(944年)3月に大阪・阿倍野に生誕されたとされています。
それを記念して、堺の商人『神奈辺大道心』が建立しました。

境内にあった絵馬で、思わず噴き出してしまったものw
絵馬に『祈願』と文字が書かれているのですが、そいつをうまく
利用した一発ネタ。腹筋もってかれたぞコンチクショウwww

…で、結局これ描いた人は何を願ったのだろう?
という謎だけが残ったw
【おまけ】
阿倍王子神社の境内にあった、天王寺蕪の碑。
長野の野沢菜の起源は『天王寺蕪』でしたー!というお話。

江戸時代末期〜明治末期にかけての約三百年間、摂州天王寺村
(四天王寺より南、阿倍野区、及び西成区の東北部一帯)の
特産物として有名で、難波の名物でした。蕪はやがて干し蕪や、
漬物・粕漬にして諸国へ出荷され、全国に名が知れ渡りました。
また、宝暦六年(1756)に長野県野沢温泉村の健命寺の住職が
天王寺蕪の旨さを知り、種を持ち帰って寺に植えたのだが、
気候風土が違うせいか出来上がった蕪は小さく、葉や茎が長い
ものになってしまった。だが漬物にすると大変美味しかった為、
その野菜を『野沢菜』と名付けて信州の名物とし、
現在に至るまで栽培され続けています。
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