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日乃坂神社をお参りした後、更にそこから進んでみる。
写真からは伝わりづらいですがこの辺りから傾斜がそこそこ
ついているような感じです。


ここの坂は東海道の難所のひとつ。上るも下るも大変です。
きっと多くの旅人がクタクタになりながら歩いたことでしょう。

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「甲斐が嶺を さやにも見しが けけれなく
横ほりふせるさやの中山」
古今和歌集より 詠人不知
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ちょっとツラくなってきたぞ。
振り返って見たら、これまたすんげぇー坂っスなぁ。
お馬さんが歩くにもこの坂じゃ大変ではなかっただろうか。
現代人ですら大変だってのに、昔の人はこの道以外に次の宿場
へ行く選択肢がなければ行かねばなるまい東海道…っと。

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「二の曲り」と「沓掛」
「古駅路ハ下町ヨリ南ノ清水ト云所ヲ経テ、
ニノ曲リト云下ヘ出シナリ…(掛川誌稿)」に見られる
「二の曲り」とは旧坂口町を過ぎて東へ向かう沓掛へ至る
この急カーブを指しています。「沓掛」の地名は峠の急な坂道
に差し掛かった所で草鞋や馬の沓を山の神などに手向け、
旅の安全を祈願するという古い習慣に因るといわれています。
---------------------(案内板より)
おっそろしいほどの傾斜と、急カーブ。
ここらの地域の人たちの生活道路として使われているのだが、
役場の車が慣れた感じで通ってめちゃくちゃ驚いた。
SERUNA:「……ここ、車で通る自信ある?」
旦那:「自信ない。無理だね、絶対事故るよw」

ここから旧東海道をずっと歩いて行くと、あの有名な安藤広重の
東海道五十三次にも描かれている元々夜泣石があった場所や、
そして『久延寺』があるのですが…
http://www.shizuoka-tokaido.com/map/pdf/map16.pdf
歩いて行くと時間がかかりそうですし、ここは一旦戻って、
安全な道から車で久延寺に向かってみることにしました。
(さっきの道を走行するのは危険そうなので、避けて行きます)
★『久延寺』に続く!
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2015.10.13 探訪
国道一号線を下り方面に行くと見える茶畑脇の急勾配な坂。
カーナビにはその先に『日乃坂神社』とあり、
ずぅっとその神社が気になっていたのですよね。
気になったら行くしかないっしょ。
………なので、いつものように「行ってみた」w
このあたりは東海道の『日阪』と言われるあたり。
神社へ行きたいので、山の方まで上がってきてしまいましたが、
絵で見る場所はもうちょっと下の方にあります。

----------------------------
東海道五十三次 日阪
浮世絵版画 安藤広重作 狂歌入東海道
倭園琴桜
あたらしく 今朝にこにことわらび餅 をかしな春の立場なるらん
江戸時代末期になると、江戸を中心として諸国への街道が
整備され、物見遊山の旅が盛んに行われ、庶民の関心が
それまでの享楽の場から戸外へ移るにつれて風景画が多く
描かれるようになった。この浮世絵は、広重が天保三年(1832)
「宝永堂版東海道五拾三次」に続き天保十三年(1842)頃に、
視点を変えて風景をとらえた「狂歌入東海道」の日阪である。
---------------------(案内板より)
今は木札しかありませんが、
こんなお店が軒を並べて賑わっていたそうです。
うどん屋に足袋屋…他のお店はどんなだったんだろう?


……と、考えを巡らせるのは置いといて。
モタモタしていないで、先へ進んでいきましょう。

どんどん進んで振り返ってみると、国道一号線が見えます。
あそこから、そこの目の前の道が見えていたんですよねー。

さて、神社に到着。とってもシンプルな鳥居があります。
辺りを見ると本当にココでいいのか不安になってきますけど…

大丈夫、お社はちゃんとあります。
少しばかり荒れてしまっているような印象でしたが、
キチンと管理はされているのでしょうか?
こういう神社を見ると一日かけて綺麗にお掃除してあげたく
なるのは私だけだろうか。ゴチャッとした周囲が写らないよう
写真を撮ってみました。
お社の前にぽつんと御神酒が置かれていたので、
お参りをしている方はいるみたいですね。

神社の御祭神はどなただろう?
少し調べてみると日乃坂神社はかつては事任八幡宮で行われる
大祭の神輿渡御の御旅所となっていたようです。
昔の神輿渡御のコースは事任八幡宮の本宮→現在の社殿がある
御仮屋→氏子の要所をまわって日乃坂神社まで来て夜を迎える
という順番だったそうですが、現在御神輿はここまで来ず、
本陣跡まで来て引き返していくらしい。
★『二の曲り』『沓掛』に続く。
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気になっていたけれど見に行った事がない『夜泣石』。
一度見てみたいから行こうかと静岡側から掛川へ向けて国道一号を
車で走らせて行きます。『小泉屋』というドライブインが見えたら、
(子育飴を作っているお店 → http://koizumiya.com/index.html)
そこの駐車場に駐めましょう。
小泉屋のすぐ側に、夜泣石への道があります。
夜泣石は中山トンネル脇にあり、石が安置されている場所へは、
ここの入り口より登って行くこととなります。

ちょっと登るとすぐに到着です。

-------------------------------
夜泣石の伝説
只今居ります場所は国道一号沿いですが、これより4〜500m山を
のぼりますと旧東海道が通って居ります。国道の頂上にはお観音様を
お祀りした久延寺という昔からのお寺があります。
この寺に、或る日の夕方、臨月の身に成った婦人が安産をお祈り
して帰る道中、丸い石にもたれて休んで居りますと、突然刀を持った
山賊が出て来て婦人を丸い石に切りつけ、ふところにあったお金を
取り去っていきました。
婦人は殺されましたが、幸い刀の先が石に当たった為、
お腹を斬りとおさなかったので赤ちゃんは無事切り口から生まれ、
婦人の魂は丸い石にのり移り助けを求めるため泣きました。
山頂のお坊さんは泣き声に気づき山を西の方に下りて訪ねてみると
道の真ん中の丸い石のかたわらで婦人は殺され赤ちゃんは虫の息で
居りました。この有り様ではお寺まで赤ちゃんの泣き声が聞こえる
はずが無い。泣いたのはこの丸い石に違いない。先ず婦人を始末して
赤ちゃんをお寺に連れて帰りました。お乳が無いので早速水飴を
作り育てました。
幸い子供は肥立ち良く成長し、音八と名付けられました。日頃、
住職さんより生い立ちの事を聞いて居りましたので、大人になったら
母親の御魂を休めたいと思って暮らして居りましたところ、お観音様
のお告げであるか、刃物の研師に成る様にと夢を見ましたので、
十五歳になった音八は西の方に旅立ち大和の国、恩地村へ行き、
研屋源五郎宅に身を寄せました。幾多の苦労を重ね一人前の研師に
成った時、一人の侍が来て一振りの刀を研いで下さいと音八の前に
差し出しました。見ると、刀の先に大きな刃こぼれがありましたので
「大変名剣ですが…」と尋ねてみると、侍は思わず知らず
「我若き頃、遠州の山の中で石に当てた時の刃こぼれがある」
と語りました。
長い年月、胸にあった思いを語り合い亡き母の御魂を休めたという
事です。
旧東海道はあまりに険しい峠道でしたので明治十三年、日阪から金谷の間、
約五キロの日本で初めての有料道路(中山新道)が開通しました。
そして旧道にあった夜泣石も現在の場所に移りました。
---------------------(夜泣石 案内板より)
ここの物語では、母を殺した男を赦して和解をしていますが…
久延寺の案内板に書かれている物語では、音八が名乗りをあげて、
母の仇をとるお話になっています。
これは個人的な思いですが、お母さんを殺した男を赦す結末の方は、
なぁーんかスッキリしないんだよなぁ。音八よ、それでいいのか…?
やっぱ仇は討っとかないと。(´・ω・`)

【子育飴の思い出】
『子育飴』は幼い頃、ちょっとかための水飴を割り箸ですくい取り、
祖母に食べさせてもらった思い出が。甘くてとても美味しいですよ。
子育飴から『だいこん飴』を作るレシピもあるのですが、
(詳細→ http://koizumiya.com/html/page4.html)
これは確か、祖母が飴を買ってきては大根を入れて作って、
私が風邪をひいた時に舐めさせてくれた思い出。
両親共働きなので、お爺ちゃんお婆ちゃんっ子だったんです、私。
…久し振りに子育飴を買って食べたくなっちゃった。
創業 宝暦元年(1751年)の、小泉屋についての情報はこちら。
子育飴は、今も昔からの製法を守って作られています。
夜泣石を見た帰りにでもいかがでしょう。
-------------------------------
小泉屋
http://koizumiya.com/index.html
住所/静岡県掛川市佐夜鹿57-8
電話番号/0537-27-1010
営業時間/8:00〜18:30
定休日/毎週木曜日
-------------------------------
…子育飴は道の駅や、東名のSAでも売られているのは秘密だw
(もう一つ言うと子育飴は実は、久延寺の側にある宝永年間創業の、
『扇屋』が元祖のようですw)
★久延寺の記事見ちゃう?
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【風土記】
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兵庫県に伝わる神様同士のコントのような物語。子供か!とツッコミ
を入れたくなる勝負、そら誰でも気になって検索したくなるよねw
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【相撲】
相撲の発祥について皆さん、大変興味があるようで…
知らなかったという人は覚えて損はないです。
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【東日本大震災とお札】
あれから五年経っていますが…震災と神様に纏わる不思議な物語。
古事記を読んだ事がある人ならちょっとシビレると思う。
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【猫といっしょに撃退】
撃退方は様々あれど、中でも一番可笑しかったのがこれ。
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静岡県内の企業からや、静岡ローカルのプロバイダを使用している
方からのアクセスが多いです。個人的お気に入り&イチオシのお店。
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【国旗】
NHKのクロージングに出てくる国旗について調べる人多し。
Wikipediaには嘘情報も混じっています。一次ソースは大事ですよ。
情報は極力公式や、公式に近いところから持ってきましょう。
デマに踊らされると迷惑をかける場合もありますよ。
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TVや映画に神社がチラッと出てくると気になってしまうのは恐らく
神社好きあるあるですね。やっぱ気になって調べちゃうよねー。
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中部や西部は「何それ美味しいの?」って感じで降らないんですわ。
どんだけ寒くなってもアホみたいに降らない。降っても雨だし。
雪に慣れない静岡県民、雪どころか風花が舞っただけでテンション
MAXレベルで上がるんですよ。他の地方に行って雪を見てはしゃぐ
静岡県民いると思いますが許してやって下さい。お前は犬か!
ってツッコミ入れたくなると思います、ええ。
ちょっと黙ってろと言われてもウズウズしちゃうんです。(´∀ `;)
中部で雪が積もったのなんて何十年前の話だよって感じだし、
雪が積もる光景なんて見れたら奇跡だね。明日は恐ろしく寒いかも
という予報が出されて一瞬期待しちゃうんだけど、そんな淡い期待
は翌日、粉々に砕かれてしまうのが静岡。毎年そんな感じ。
そんなわけで、いつもの動画。雪が降らないランキング。
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大事なことだから今年も書くよ。一般的に本日は『勤労感謝の日』
と言われている日ですが、正しくは『新嘗祭(にいなめさい)』。
日本人ならば覚えておきましょう。
新嘗祭は、今年の収穫を祝い感謝をする日。
皇居内では『神嘉殿』にて、天皇陛下が宮中で神様に神饌を供え、
五穀豊穣を感謝した後、自らもそれをお召し上がりになるという
最も大事な儀式が執り行われます(神人共食でググれ)。
天皇陛下はこの宮中祭祀をおこなうまでは、一切新米を口にしない
そうなのです(新嘗祭が来て初めて新米を口にする事が出来る)。
知っている人は少ないと思いますが、昔は一般の人々も、
「収穫を祝い、神に感謝をする日」という事で新嘗祭を迎えるまで
新米を口にしない風習があったのですよね。なのに現代の人々は、
贅沢にも新嘗祭を迎える前に「我先に!」と、新米をモリモリ口に
しています。新嘗祭どころか神嘗祭の前に食べてしまう人まで。
(ストックが持たない…新嘗祭まで待つのは無理という人は、
せめて神様が新米を召し上がる神嘗祭まで待ちましょう)
『新嘗祭』という言葉は、戦後『勤労感謝の日』という言葉に
変えられてしまいました。11月23日のこの日は元々使われていた
「新嘗祭」という呼び方に戻した方が遥かに素敵ですし、
こっちの方が日本的だと思うのですが如何でしょう。
本日は、全国各地の神社でも、新嘗祭が行われていると思います。
声を大にして言いたいのですが、日本に生まれ育ったのならば、
やれハロウィンだのクリスマスだのは(決して嫌いというワケでは
ないけれど)その辺に置いといて、こういった日本古来からの祭り
こそ大事にしていくべきだと思うのですよ。西洋の祭りなんかは
二の次にして、もっと近くにあるものに目を向けていただきたい。
「豊葦原千五百秋瑞穂国」
日本は、素晴らしい国ですよ。
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