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定食屋さんに訪れるような感覚で見てもらえたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々。ヲタクなネタから神社めぐりまでw
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2017年05月29日 (月) | 編集 |
「なくなってから気付く」ってのは前にも書いたアレ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-1449.html

最初に言っとくわ。アホか。

「カール東日本で販売終了」のニュースで買い漁り始める人やら、
そんな金額で出してどうするんだろう?…っていうワケのわからない
転売屋まで出る始末(ああいう転売屋はネタでやっているのか、
本気でバカなのか判断に悩む。ちまちまセコいやりかたで小銭を稼ぐ
オツムが可哀想な転売屋。アレに釣られるバカっているのかな?)。

「沢山買うからやめないで」「おやつといえばカールなのに」
「カールなくなったら死んじゃう」「なくなるなんてショック」

…これ言ってる奴、今まで本当に買ってたか?

上っ面だけの言葉って大嫌いなんだよね。売り上げがだんだん落ちて
きていたからメーカーさんは一部で作るのをやめてしまうわけで。
なくなる事が決まってから「やめないで」で大騒ぎはあんまりだろ。
ポテチ騒動の時もそうだったけれど、品薄とか販売終了ってなると、
普段から貢献も何もしていない層が騒ぐの何なんだ。
カールが手に入らなくなっても代わりの物は幾らでもあるし、
そんなに食べたければ、西側に遊びに行った時に幾らでも買える。
落ち着いた頃に通販で手に入れる事だって出来るじゃんね。

YouTubeから動画を拝借。懐かしのカールCM。


カール騒動で私がビックリしたのは、カールがなくなる事よりも、
西側だと思っていた愛知県まで含まれていたってコトの方が衝撃的。
「愛知県は東か西かざっくり分けるならどっち?」と言われたら、
「西の部類じゃないの?」と思っている静岡県民の私。
んで、正確にはどこで販売が切られているんだろう?…と気になって
公式サイトで詳細を見てみると「中部以東の販売を終了」とのこと。
東日本終了って言っても「中部地域以東」かぁ…ふーん…
https://www.meiji.co.jp/notice/2017/detail/pdf/20170525.pdf

中部地域以東っつーと天下分け目の関ヶ原。
あらら、岐阜県も丸々綺麗にぶった切られとるなw
今まで本当に明治製菓に貢献していた人は御愁傷様です。

最後に、西と東の境界線の謎について色々リンクしておこう。
http://style.nikkei.com/article/DGXMZO08023480V01C16A0000000
http://okomehiroba.com/2017/01/post-205.html


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2017年05月29日 (月) | 編集 |
いきなり検索でここに辿り着いた人は、その1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-1667.html

20160515_兵主大社_005

-------------------------------
兵主大社拝殿翼楼
     建立年代 天保十三年(1842年)
     改築年代 昭和十六年
 拝殿翼楼の建物は中央の拝殿一棟と左右の翼楼二棟とが組み合った
大型の建物でー、県下ではたいへんめずらしい型ちのものです。
東面して立つ楼門にもやはり左右の翼楼が付き、兵主大社独特の様式
として踏襲されてきたものと考えられます。
 現在は埋まっておりますが、平安時代末期には拝殿翼楼の正面には
建物に並行する形で水路が流れ、又本殿からの正中線上の川幅には
橋がかかり、石敷の参道が楼門まで続いていました。
 昭和十六年(1941年)皇紀二千六百年を記念して改築されましたが、
天保十三年建立当時の部材も多く残り、天保時の大工は吉地村の
長谷川若狭守繁行、改築時の大工は比留田村の加賀爪忠左エ門と棟札
に記載されております。

------------------(兵主大社 境内案内板より)

20160515_兵主大社_011

兵主大社
https://ja-jp.facebook.com/hyouzu/
御祭神:八千矛神(大国主神)
-------------------------------
 景行天皇は、御矛の神威を畏こまれ、穴師(大和国桜井市)の地を
選ばれて、兵主大神と仰ぎ、皇子稲背入彦命に奉祭せしめられた。
さらにその後、景行天皇、近江国高穴穂宮に御遷都されるにあたり、
この大神を穴太の地に御遷座になった。そこで、この穴太(大津市
坂本穴太町高穴穂宮跡)を「元兵主」と呼んでいる。
のち欽明天皇の御代、播磨別等(兵主族の祖先)が琵琶湖上を渡り、
この地に移住するに際し、再び大神を御遷座し、兵主大神の鎮まる
土地として奉斎し、地域住民は、守護神と御神徳を仰ぐに至った。
また、稲背入彦命を乙殿神と崇め、この神域に神主播磨別の祖神
として鎮祭した。
 社殿の創建は養老元年、元正天皇の勅定に因ると伝え、貞観年中、
神位従三位勲八等に叙せられ頼朝社と尊崇され、花山天皇は
「正一位勲八等兵主大神宮」の勅額を賜っている。
源頼朝、足利尊氏等武将の崇敬も殊に厚く、歴代寄進の剣、
甲冑を今に伝えている。徳川家は、社領の寄進、社殿の造営等を
奉仕し、五摂家の鷹司家代々の信仰も厚く、毎年禁中より玉串の献上
があった。大正四年、県社に列せられた。

※滋賀県神社庁のページより

-------------------------------

ちょっと隙間から失礼して…
下の写真は御本殿前。鹿さんの像がありました。

20160515_兵主大社_012

ぐねぐねしている切り株の根。

20160515_兵主大社_009

下の写真は『旧護摩堂』。

20160515_兵主大社_010

-------------------------------
兵主大社旧護摩堂
     建立年代 江戸時代後期
 棟札によると寛政六年(1794年)十二月に、吉地村の大工、
谷川若狭重道一族により上棟されて現在の形に改められたと思われる。
本来は神社蔵の江戸初期絵図によると宝形造り・二間四方・
廻り縁付きで、兵主神の本地仏(不動明王)をまつる護摩堂として
建立されたものである。
 一部、丸柱・格天井などには中世の部材も多く残り、平成八年の
修理では、根継ぎ等による補強を加えて、歴史的な重みを加えること
となった。
 又、内部には、氏子崇敬者三十六社の神々を祀り、江戸時代には
その御神徳や、現在の守山市・中主町・近江八幡市・野洲町の
二市二町にまたがる信仰圏を形造っていたものと思われる。

------------------(兵主大社 境内案内板より)

空きれいー♪

20160515_兵主大社_013

境内にいた鶏さん。

20160515_兵主大社_014

「カケコー!」

20160515_兵主大社_015

(=゚ω゚)「……ん?鶏はコケコッコーじゃないの?」
SERUNA:「あぁ、言ってみたかっただけだ。
  神話の時代のお話だが、アマテラスさんが岩戸に引き篭もって
  しまった時に、智慧者のオモイカネさんが長鳴鶏を集め一斉に
  カケコーと鳴かせた場面があってだな…伊勢神宮では遷宮の際
  には鶏鳴三声という云々……」
(=゚ω゚)「その話は長くなるのか? つーかココ兵主大社だし」
SERUNA:「うう…またやってしまった。すまん…」


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関連記事
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2017年05月29日 (月) | 編集 |
2016.5.15 参拝 
※記事は去年参拝した記録です。

今回紹介するのは滋賀県の『兵主大社』。
鳥居の側に黄菖蒲の花咲く時期に行って参りました。
ちなみに、黄菖蒲の花言葉は「幸せを掴む」「信じるものの幸福」
…だそうです。

20160515_兵主大社_002

20160515_兵主大社_001

下の写真は兵主大社の『楼門』。

20160515_兵主大社_003

-------------------------------
県指定有形文化財 兵主大社楼門
       一間一戸楼門、人母屋造、檜皮葺
       附 翼廊 二棟  昭和四十一年七月四日指定
 昭和四十五年解体修理時に地垂木から天文十九年(1550)の墨書
を発見し、建立年代が明らかになった。下層の亀甲紋や巴紋のついた
蔓股には明和三年(1766)の墨書があって、この時は殆どの部材を
取替える大修理で、下層隅虹梁上の板蔓股以外の絵様彫刻は江戸後期
の様式に変えられている。その後も度々屋根葺替が行われ、
明治二十二年には両翼廊が再び大修理を受け、
屋根が桟瓦葺に改められた。後世の取替材が多数を占めているが、
当初の部材も各所に残り、全国的に遺構の少ない一間一戸の楼門と
して室町末期の建築様式をよく伝えている。

------------------(兵主大社 境内案内板より)

続いてこちらは『乙殿神社 天満宮』。

20160515_兵主大社_004

-------------------------------
乙殿神社 天満宮の御由緒
 豊臣秀吉が、天正十九年(1590年)九月、京都の北野天満宮に
おいて兵主大社の大鰐口(鐘)を千利休の釜師、辻与次郎に鋳造させ
奉納したとの記録が『北野社社家日記』に記載されております。
 当天満宮は、その折、京都の北野天満宮より勧請したと伝えられて
おります。
 天満宮は「天神さん」と親しまれ、特に学問の神様としての御利益
があらたかです。乙殿神社の本殿右側の社にお祀りされています。
兵主大社並びに境内末社の乙殿神社の御参拝にあわせてどうぞお参り
ください。

------------------(兵主大社 境内案内板より)

20160515_兵主大社_006

20160515_兵主大社_007

神社にはよく、御祭神と深い関わりのある神使像(動物など)が境内
にあったりするのですが…「なぜ亀さんが?」と思った人に説明。
兵主大社の御祭神『八千矛神(大国主神)』は大津の日吉大社より
亀に乗って琵琶湖を渡り、次に鹿に乗ってこの場所にやって来られた
という言い伝えがあるから。兵主大社の御神紋は『亀甲に鹿角』。
あちこちの神社へ参拝しに行った時には、こういった部分にも注目
してみると面白いかも知れませんよ♪

★その2に続く。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-1668.html


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