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2017年08月05日 (土) | 編集 |
民族文化伝承館とお蕎麦の記事(↓)のおまけです。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-1761.html

伝承館の辺りは『北条峠』と言われています。

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ホウジ峠・傍示峠・北条峠のいわれ
 平安時代末期から鎌倉時代(荘園時代)に旧勢力(天皇方・
荘園領主)と新勢力(武家方・地頭)下地(土地)争いをしたとき、
その下地を折半(下地中分)するという形で紛争を解決した際、
この峠に「杙」を立てたことから、「傍示峠」という。
 地名では、天皇方を「領家」とか「奥領家」といい、武家方を
「地頭方」という。因みに、この地の字名は「奥領家」である。

 北条・鎌倉時代に北条家ゆかりの者がこの地を通って信濃に逃れた
という伝承があったことから、その末裔がこの地を訪れたとき、
「傍示」を「北条」に当て字して「北条峠」と呼んだといわれている。
なお、明治時代には、四国と峻険の別天地のため、赴任した官吏が
この峠に立って驚愕し、辞職を申し出たことから「辞職峠」とも
伝えられている。

 傍示/杙(くい)または石などによって、領地、領田の境界の標示
としたもの。かたわら、近くのところ。(広辞苑)

---------------------(北条峠 案内板より)

佐久間の昔ばなしをひとつ。
ここにはお地蔵様が立っているのですが…

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北条峠の地蔵様
 むかしむかし、この北条峠に飛騨から出かせぎに来ていたそま
(木こり)が住んでいたと。妻や子供たちにおいしいものを
食べさせてやりたいと、せっせと働いてはお金をため、
いつも腰にくくりつけておった。
 けどある日のこと、ぬす人におそわれて死んでおったそうな。
あまりのかわいそうな身の上に、誰が立てたのか、殺された場所に
地蔵様がたてられたのじゃ。

---------------------(北条峠 案内板より)

20160820_houjyou_002.jpg

肌身離さず大金を持ち歩いていたら不用心だよっ!
そりゃ狙われるに決まってるよっ!…というツッコミは置いといて。
家族に美味いものを食べさせたいと毎日頑張って働いていたなんて、
良いお父ちゃんじゃないか。供養のお地蔵様、看板を読んで静かに
手を合わせてしまったよ。

それより物語は続きがなく鬱エンドで終わっているようだが、
飛騨に残された木こりの奥さんと子供は、その後どうなったのか、
続きが気になるのは私だけであろうか。お父ちゃんがいない暮らしで
食いつないで行けたのだろうか。

下の写真は断層粘土が剥き出しになっているところ。
お地蔵様のすぐ側で見る事が出来ます。

20160820_houjyou_003.jpg

【断層谷の観察】
北条峠から、ちょっとくだってきた辺りで撮影したもの。
(二本杉峠と呼ばれるあたりから)

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最後もうひとつ。
二本杉峠のお話を書いて終わりにしておこう。

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 昔、戦国武将がこの峠にさしかかってな、弁当を食べようとしたが
箸がない。遠くの杉の小枝を切って食べ終わった後、二本の箸を地面
に刺してこういった。「わたしが出世したらお前も大きく育て」と。
 その木は明治十年頃切られたが木のまわりが二十メートル、
高さ五十メートルもあったそうな。
その武将は家康だとか、信州の遠山城主だとか、中には弘法大師だ
とか言われているが、古い話だでなあ、はっきりしておらん。

--------------------(二本杉峠 案内板より)

お弁当を食べる時に使った箸を突き立てたら、
ぐんぐん育って大木になったという話は、確かヤマトタケルにも
そんなエピソードがあったな。アレはどこの物語だったか…
昔ばなしではきっとよくあるテンプレなんだろうね。


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