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定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2017年10月20日 (金) | 編集 |
タイトル通りです。
毎年言い続けているのですがそれまでにいつもストックが
なくなってしまい11月の新嘗祭までもたなかったりする。
だが、10月の神嘗祭さえ過ぎればOKって事で、
ウチではもう新米解禁。

(゚ω゚)「なんで新嘗祭まで新米ダメなの?」
SERUNA:「それはね…」

現在『新嘗祭』は「勤労感謝の日」という言葉に変えられて
しまいましたが、新嘗祭は天皇陛下が皇居の『神嘉殿』
において新穀を天照大御神をはじめとした神々にお供えをし、
神の恩恵に感謝なさった後、天皇陛下御自らもこれを
お召しあがりになる宮中祭祀を行う日なのですよ。

春には、収穫を祈願する『祈年祭』。
秋には、収穫を感謝する『新嘗祭』。

ざっくり説明すると11月の『新嘗祭』は収穫祭。
全国各地の神社などではこの時期、神様に収穫を感謝する
お祭りが行われていると思うのですが…
日本の風習といいますか、昔の人は新米はこれらのお祭り
を迎えて神様にお供えをしてからでないと口にしないもの
だったのです。

そして10月の『神嘗祭』というのは、
これもざっくり説明すると伊勢神宮の神様に
その年に収穫された新穀を捧げる日。

えー、つまりはあれだ。
「新嘗祭までお米がもたないよ!」という人は
神様が先に新米を口にしてしまえばOKなので、
新嘗祭まで待たずともその前の神嘗祭さえ
過ぎてしまえばギリ大丈夫って事で。

(゚ω゚)「じゃあもう、神嘗祭は過ぎたから大丈夫だね!」
SERUNA:「本当は新嘗祭まで我慢したいトコだがな」


我々日本人は自然・収穫される米・神々に感謝する
気持ちというものを持っていたハズなんですけど…
スーパーに新米が並び始めると「我先に!」と
競うように買って新米を口にする。
お金を払っちまえばそんなものは関係ない?
何だか段々と、自分本位の世の中になってきている
ようで残念な気持ちになりますね。

現代人、ちょっと贅沢しすぎですよ。

ならばどうだろう?ここはひとつ昔の人に倣い、
神様に感謝を捧げてから新米を頂くという事を
やってみるべきだと思うんですが如何だろう?


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2017年10月20日 (金) | 編集 |
2017.4.24 参拝 
今年の4月に訪れた時の記録です。
以下、写真等を貼っていきますのでご覧になって下さい。

20170424_katutori_001.jpg

下の写真は拝殿。

20170424_katutori_002.jpg

神使は鶏さんです。

20170424_katutori_003.jpg

20170424_katutori_004.jpg

こちらが御本殿。
さーすが晴れ女の私、いつもお出掛けするとこの通り♪
参拝日和の気持ちいい青空。( ^ω^ )

20170424_katutori_005.jpg

勝鳥神社
http://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=904
主祭神:天稚彦命 
相殿:事代主命、大山咋命
-----------------------------
 当社は天稚彦命を主神とし、事代主命・大山咋命をおまつり
している。天稚彦命が出雲国から東方へ征伐に出陣されたとき、
事代主命らとともに三津にたちよられた。美濃の国での戦いで
亡くなられた天稚彦命のなきがらを、下照姫命の兄が三津に
ほおむり、勝鳥石をたてたと語り伝えられている。
 その後天稚彦命を崇敬する近郷の領主や人々が多数祈願し、
明治十一年に神籠神社を勝鳥神社と改め今日にいたる。
               (勝鳥神社 境内の石碑より)

 創建年代不詳。もと豊郷町高野瀬の天稚彦神社の仮殿として
天稚彦社と称したが、明治11年勝鳥神社と改称、同14年村社に
加列、同42年10月神饌幣帛料供進指定。祭神大山咋命は
無格社日枝神社として三津町木ノ下に鎮座の処 明治41年11月
本社に合祀。
               (滋賀県神社庁 説明文より)

-----------------------------

…ん?天稚彦命が活躍するお話とな?
古事記にも、日本書紀にもないお話ですぞ。
ただ天稚彦の葬儀の時に、下照姫命の兄ちゃんが天稚彦に
間違えられて激昂し、喪屋を斬り伏せ蹴っ飛ばし(その喪屋が)
飛んで行った場所が美濃国だっていう描写はあるのだが、
双方の話の中で一致している美濃国の土地に何かがあると考える
のが普通でしょうかね。

20170424_katutori_006.jpg

御本殿の裏側に石が立てられていました。
説明を読んでみると、御由緒に書かれている勝鳥石のようです。
なんだか新しくも見えるのだが気のせいだろうか?

20170424_katutori_007.jpg

-----------------------------
 天稚彦命出雲国から東方へ征伐に出陣され美濃国の戦で
亡くなられたなきがらを葬り勝鳥石を立てたと
語り伝えられている。

-----------------(勝鳥神社 案内板より)

20170424_katutori_008.jpg

ここより1.5kmの範囲に勝鳥神社と同様、天稚彦命をお祀りする
『天稚彦神社』という神社があるのですが、そこの氏子さん達は
鶏肉や卵を食べてはいけないといういわれがあるらしい。
(記紀で、彼が雉を射ってしまったエピソードがあるのだが、
それと何か関係があるのだろうか??)
この禁忌でふと思い出した事がある。そういえば島根で事代主を
祀っている美保神社でも確か同様の禁忌があったなと(こちらは
事代主が鶏を嫌っているからというのが理由)。
キッチリ守られているか定かでないが、とても興味深い。

おまけ
勝鳥神社の主祭神『天稚彦命』は武勇の神として崇敬され、
『事代主命』は大国主命の御子であり、一般的には恵比寿様と
同一視され親しまれている、商売繁盛の神様であります。


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