fc2ブログ
定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2018年05月05日 (土) | 編集 |
勿体無いなぁ…

----------------------------
日本のフードロスの量、約646万トン・・・
世界における食糧援助の倍だと判明

http://www.gurum.biz/archives/100047754.html

----------------(リンク先:おいしいお)

日本はいつからこんな国になってしまったんでしょうね?
たとえ飽食の時代とはいえ、こういう事って日本人としてよりも
「人として幸せな事なんだろうか?」と思う時があります。
食べ物を粗末にするだなんて私には理解出来ません。

コンビニで時間が過ぎると廃棄されるお弁当は勿論のこと、
夜遅くまで営業しているスーパーに陳列されている肉や魚なども
割引シールが貼られ、大量に残っているのを見てしまうと、
期限が過ぎたらどこへ行くんだろう?と悲しくなってしまう。
(残った食材が惣菜に化けるならそれで良いんですが…)

それと、かなり前の話になりますが、夜間、新東名の某SAにて
パン屋の店員さんが、閉店後の作業で大きなビニール袋のなかに
大量のパンを廃棄していたのを目にした時(店舗に網がかけられ
ているだけなので中の様子が見えていた)、何だか心が潰される
ような気持ちになりました。見ていて心が痛かったよ。 (´・ω・`)

食べられるために殺される命。
最終的に人間の口に入れば全く問題は無いんですけれど
(使われるなら家畜の餌でもいいや)中には何の役にも立たない
まま捨てられてしまう物もあるんですよね?
彼らはただ捨てられるために生まれてきたのだろうか?

思うんですが、某地元スーパーのご意見コーナーの書き込みに、
「広告掲載商品が夜間に品切れになってるなんてありえない!」
「切らさず十分揃えておくべき!」などいう随分自分勝手が強い
客の意見が書かれていました
が、こういう人間がいるってのも
食品ロスのひとつの要因になっているのではないだろうか?
(店がそういうクレーマーの意見まで聞いてしまうから…)
品切れなら諦めろ!欲しけりゃ早い時間に店に行きやがれ!
って、その意見に対して物申したくなったよ。

売れ残って余らせる位なら、売り切ってしまった方がよっぽど
いいに決まってる。食材だけでなく惣菜だってそうだ。


…あ!あとこれも言っておくぞ!
そんなに注文して大丈夫か?って位に頼んでおいて、
「あぁん、もう食べられなーい」ってメチャクチャ残すバカ。
こういう奴も私は許せないです。大食いチャレンジで残す奴も。
使うかどうかもわからない食材をバカみたいに買いだめして
冷蔵庫に突っ込んでおいて、忘れて腐らせる奴もだ!

古来より日本人は、動物や植物(米の一粒にでさえも)、
生きとし生けるもの全てに神が宿ると考え、
とった命はありがたくいただく民族だったはず。日本人の
「勿体無い精神」は何処に行っちゃったんでしょう?
料理をほんの少し残したりするだけでも心が痛くなるのに、
まだ食べられるのに捨てられる光景を目にしてしまうと、
心にもの凄くグサッときます。

飽食は豊かさの象徴?
だからって自分は大和民族としてのプライドまで
捨ててしまいたくは無いですね。


あなたの応援がブログ継続の活力となっています。
拍手やランキングをポチッとよろしくね!
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
関連記事
テーマ:食品・食べ物・食生活
ジャンル:ライフ
2018年05月05日 (土) | 編集 |
検索でいきなりこの記事に辿り着いた人はその1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2119.html

御殿から見える掛川城です。

20171224_ninomarugoten_008.jpg

掛け軸のあるお部屋は『御所院上の間』
城主が藩の政治をつかさどった公的な部屋です。

20171224_ninomarugoten_009.jpg

御所院上の間から見える小さなお庭。

20171224_ninomarugoten_010.jpg

甲冑がありました。※フラッシュ撮影は禁止。
「杉良太郎様 御寄贈 掛川城歴代城主 甲冑等」と書かれてます。
松平忠喬と太田資俊の甲冑だそうで、杉良太郎がそれぞれ
知人友人から購入したり譲り受けたりしたものだったが、
個人所有では劣化を防ぐ事が出来ないため掛川市に寄贈をした
との事らしい。

20171224_ninomarugoten_011.jpg

…ま、本来はこういう場所にあった方が甲冑も本望でしょうね。
歴史的なものも何故か血縁でない人間が手にしているパターン
(外人さんがコレクションしている場合もありますよね)珍しく
はないと思いますが、もし他にも個人宅にて歴史的貴重な文化財
を所蔵しているかたがいたら、あれこれ調べて、その品々が関連
する「然るべき場所」に寄贈して頂きたいなと願っているのは
私だけでしょうか。

20171224_ninomarugoten_012.jpg

下の写真は『梵天』

20171224_ninomarugoten_013.jpg

20171224_ninomarugoten_014.jpg

展示物の一部。
…なんの箱だったかな?

20171224_ninomarugoten_015.jpg

二階へ続く階段。※のぼれません。

20171224_ninomarugoten_016.jpg

続いて『徒目付』の間。

20171224_ninomarugoten_017.jpg

-----------------------------
 徒(徒士)というのは江戸時代の下級武士の一つであり、
それを監督した徒目付が使用した部屋です。

-----------------(掛川城御殿 案内板より)

『大目付』の部屋。

20171224_ninomarugoten_018.jpg

20171224_ninomarugoten_019.jpg

『御用人部屋』

20171224_ninomarugoten_020.jpg

-----------------------------
 藩の財政や庶務万端を取り扱う用心が使用した部屋です。

-----------------(掛川城御殿 案内板より)

★その3に続く。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2123.html


ブログに訪問ありがとう
拍手やランキングをポチッとよろしくね♪
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
にほんブログ村 その他趣味ブログ 多趣味へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
関連記事
テーマ:史跡
ジャンル:学問・文化・芸術
2018年05月05日 (土) | 編集 |
掛川城の記事を読みたい人はこちら。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2109.html

2017.12.24 探訪。
去年訪れた時の記録です。
お城をあとにして二の丸御殿にやって参りました。

20171224_ninomarugoten_001.jpg

20171224_ninomarugoten_002.jpg

二の丸御殿
http://kakegawajo.com/goden/
-----------------------------
【掛川城御殿の歴史】
 掛川城御殿は、儀式・公式対面などの藩の公的式典の場、
藩主の公邸、藩内の 政務をつかさどる役所という3つの機能を
合わせ持った施設です。掛川城御殿は二の丸に建てられた
江戸時代後期の建物で、現存する城郭御殿しては、
京都 二条城など全国で4箇所しかない貴重な建築物です。
 書院造りと呼ばれる建築様式で、畳を敷き詰めた多くの部屋
が連なり、各部屋 は襖で仕切られています。当初は本丸にも
御殿が作られましたが、老朽化したり災害にあって、二の丸に
移りました。その後、江戸時代の藩の政治や大名の生活が
偲ばれる貴重な建物として、昭和四十七年から五十年まで保存
修理が実施され、昭和五十五年一月二十六日、国の重要文化財
に指定されました

----------------(掛川城 公式サイトより)

20171224_ninomarugoten_003.jpg

-----------------------------
 嘉永七年(安政元、1854)、安政の東海大地震で御殿が倒壊
したため、時の城主太田資功によって安政二年(1855)から
文久元年(1861)にかけて再建されたのが現在の御殿で、
明治元年(1868)までの間、掛川藩で使われました。

----------------(掛川城 公式サイトより)

なにせ部屋数が多いので、ほんの一部だけを紹介。

20171224_ninomarugoten_004.jpg

-----------------------------
【掛川城御殿の構造】
 掛川城御殿は七棟からなる書院造で、部屋はそれぞれの用途に
応じ約20部屋に分かれています。最も重要な対面儀式が行われる
書院棟は、主室の御書院上の間と、謁見者の控える次の間・
三の間からなります。
 藩主の公邸の小書院棟は、藩主執務室である小書院と、藩主の
居間として使われた長囲炉裏の間からなります。
 東側は藩政をつかさどる諸役所の建物で、
目付・奉行などの役職の部屋、警護の詰所、帳簿付けの賄方、
書類の倉庫である御文証などがあります。小書院棟の北側には
勝手台所がありましたが、明治時代に撤去されてしまいました。
 江戸時代には身分によって入り口が異なっており、
藩主や家老は式台玄関から、その他の武士は玄関東側から、
足軽は北側の土間から入りました。

----------------(掛川城 公式サイトより)

『三の間』

20171224_ninomarugoten_005.jpg

-----------------------------
 城主や家老に用向きの場合この間に通され要件を済まします。
用件によっては、御二の間や次の間に通される場合もあります。

-----------------(掛川城御殿 案内板より)

『報刻の大太鼓』
直径90cm・長さ100cm・胴回り333cm 樹齢600年のケヤキ

20171224_ninomarugoten_006.jpg

20171224_ninomarugoten_007.jpg

-----------------------------
 安政二年(1855)八月、当時掛川藩の藩主であった太田氏に
より、時間を告げることを目的として製作されました。
この太鼓によって時間を告げるという習慣は、明治の中頃まで
続いています。
 平成四年太鼓の張り替えがあった際、胴内に文字が発見され、
これにより、大正四年(1915)/大正十五年(1926)/
昭和四十一年(1966)に張り替えが行われていたことが明らか
になりました。

-----------------(掛川城御殿 案内板より)

★その2に続くよ!
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2120.html


ブログに訪問ありがとう!
拍手やランキングをポチッとよろしくね♪
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
にほんブログ村 その他趣味ブログ 多趣味へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
関連記事
テーマ:史跡
ジャンル:学問・文化・芸術