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定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2018年06月01日 (金) | 編集 |
検索でいきなりこの記事のに辿り着いた人は、その1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2162.html

関所の中にお邪魔します。

20180209_araisekisyo_015.jpg

「面番所」について。

20180209_araisekisyo_016.jpg

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関所面番所
 この建物は、東海道を往来する旅人を取り調べる関所役人が
控えていた建物で、面番所といいます。嘉永七年(1854)の
地震により倒壊したため、翌、安政二年(1855)に建て替え
られました。構造は、入母屋造り、本瓦葺きで東西に十一間・
奥行きに七間、これに三方三尺のまわり縁側がつき、
内部は向かって右の部屋を上の間(十畳)・中の部屋を上番所
(二十畳)・左の部屋を下番所(二十五畳)という部屋割です。
 明治二年の関所廃止令後、明治六年から大正五年まで小学校
として、その後昭和二十六年まで新居町役場庁舎として使用
されました。
 全国で唯一現存する関所建物として昭和三十年に国の特別
史跡に認定されました。

------------------(新居関所 案内板より)

役人さんの後ろに並ぶのは「常備武具」

20180209_araisekisyo_017.jpg

-----------------------------
関所常備武具
 関所常備武具は、関所役人の所定の取り調べに従わない通行人
の不法行為を未然に防止する対策として備えられていましたが、
幕藩制社会の確立に伴い、関所の権威を通行者に誇示するという
役割、いわゆる飾り用として関所に常備されていました。
 時代によって、この数量は異なりますが、基本的には次の武具
が置かれていました。
  ・弓二十五張 ・鉄砲二十五挺
  ・矢箱二荷  ・玉薬箱二荷
  ・長柄十本

------------------(新居関所 案内板より)

隣のお部屋にいた役人さんの人形。
後ろに鉄砲が置かれています。

20180209_araisekisyo_018.jpg

-----------------------------
関所役人
 新居関所創設(1600)より元禄十五年(1702)までは
幕府直轄として関所奉公が任務にあたっていましたが、
元禄十五年以降、関所の管理は三河国吉田藩へ移管されました。
 吉田藩管理課としての関所役人は、番頭・給人・下改・賄役・
番所足軽・往還女改之女など計四十人前後が交代制で任務に
あたっていました。
 旅人の関所通行は、明六ツ(六時頃)から暮六ツ(十八時頃)
までで、原則として夜間は通行できませんでした。

------------------(新居関所 案内板より)

ここに来るまではこんな感じ。

20180209_araisekisyo_019.jpg

そして部屋に置かれてあったのは時代劇でよく見るアレ。
左から「突棒」「袖搦(そでからみ)」「刺股」。
何に使うか知らないって人は、各自でググって下さい。

20180209_araisekisyo_020.jpg

20180209_araisekisyo_021.jpg

20180209_araisekisyo_022.jpg

外に出て裏手に回ると「足軽勝手」というお部屋が。
ちなみに写真に写る女性は「あらため女」と呼ばれる人。

20180209_araisekisyo_023.jpg

中には女が男装をし、役人の目を誤魔化そうとする奴もいるので
改め女たちは、そういう奴を調べたりする事もあったそうな。
「女のような顔をして怪しいわね、お股を見せてごらん!」
って感じですかねw

201806011111566cf.jpg
歌川国貞:雙筆五十三次 荒井

-----------------------------
足軽勝手
 この関所へ勤めている役人のうちで足軽という階級の人たちが
休憩した部屋を勝手と呼んでいた。その当時勝手というのは
休憩室を言い、台所は別にあった。

あらため女
 「改め女」という通行の女を調べる女がいた長屋は、足軽勝手
の西に建てられていたが、今はその建物がないので便宜上この
足軽勝手を利用した。改め女は普通には関所役人の御内儀(妻)
を貰って女改めをやっていた。

------------------(新居関所 案内板より)

建物の外に出ました。
敷地内には「渡船場跡」があります。

20180209_araisekisyo_024.jpg

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渡船場跡
 江戸時代、新居と舞阪の間は、渡船による交通が行われた。
この渡船場跡は宝永五年(1708)に今切関所が現在地に移転して
からものである。
 大正以降の埋め立てにより、今はその面影を全くとどめて
いないが、平成十四年(2002)に渡船場の一部を復元整備した。

------------------(新居関所 案内板より)

YouTubeより動画を拝借。
昔の新居関所をCGで再現したもの。


皆さんも浜松においでの際は、見に行ってみては如何でしょう。
関所のすぐ側に「紀伊国屋資料館」という所もございます。
http://kosaicity.com/shiryo.html
(紀州藩の御用宿跡)

本日紹介した施設についての情報を…
-----------------------------
国指定特別史跡 新居関所
http://hamaguru.com/sekisho/
住所/静岡県湖西市新居町新居1227-5
開館時間/9:00〜16:30
休館日/毎週月曜日(休日の場合は開館・8月は無休)
    年末年始
無料のボランティアガイドは原則予約制。
問い合わせはリンク先参照。

※2018年6月現在の情報です。
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関連記事
テーマ:史跡
ジャンル:学問・文化・芸術
2018年06月01日 (金) | 編集 |
2018.2.9 探訪 
静岡県湖西市にあります『新居関所』にやって参りました。
歴史的な建造物ではありますが、この関所は災害などによって
何度も移転を繰り返してきたそうです。
http://hamaguru.com/sekisho/sekisho_iten.html

YouTubeより1分30秒でわかる公式動画を拝借。


20180209_araisekisyo_001.jpg

-----------------------------
 新居関所(今切関所)は慶長5年(1600)徳川家康により創設
されました。幕府は江戸を守るため全国に53ヶ所の関所を設け、
「入鉄砲と出女」に対し厳しく取り締まりをしました。
特に新居関所は約100年間、幕府直轄として最高の警備体制が
敷かれていました。鉄砲など武器の通行ではもちろんのこと、
当関所に限っては江戸へ向かう女性(「入り女」)にも「手形」
が必要で、不備が見つかれば通ることはできませんでした。
   当関所は江戸時代中期に、自然災害で2度の移転を強いられ
ました。現在に残る建物(「面番所」)は、嘉永7年(1854)の
地震でそれまでの建物が倒壊したあと、安政5年(1858)までに
再建されたものです。

 明治2年(1869)に関所は廃止されましたが、明治~昭和に
かけて学校や町役場として使われ、当時の建物が日本で唯一
そのまま残る関所としての歴史的価値が高く評価され、大正10年
(1921)国の「史蹟」に、昭和30年(1955)には改めて国から
「特別史跡」に指定されました。
 現在、当市では新居関跡の復元整備事業を進めています。
これまでに今切渡船場の石垣・護岸のほか、関所の入口となる
枡形広場の土塁柵、高札場および大御門を復元しました。今後も
船会所、女改め長屋、土蔵などの復元整備を計画しています。

------------------(湖西市のページより)

こちらは大御門
その側に「高札」が掲げられていました。

20180209_araisekisyo_002.jpg

20180209_araisekisyo_003.jpg

-----------------------------
 大御門は、明六ツ(午前6時頃)に開き、暮6ツ(午後6時頃)
に閉じました。大御門の前には、高札を置く枡形広場があり、
東海道へつながります。
 大御門の大きさは、高さ5.8m、幅4.6mです。城門と同じ
屋根付きの堂々とした高麗門です。礎石建ちではなく、
地表より2.7m下に礎石をすえ、柱を埋めた掘立柱の門です。

------------------(新居関所 案内板より)

入場料を支払い、中に入ってみましょう。

20180209_araisekisyo_004.jpg

上の写真から視線を左に。
左奥の方に先ほどの大御門が見えます。

20180209_araisekisyo_005.jpg

右に視線を向けた景色がこちら。

20180209_araisekisyo_006.jpg

下の写真は大御門側から見た関所です。

20180209_araisekisyo_007.jpg

先程の場所に戻って再び撮影。

20180209_araisekisyo_008.jpg

二種類の駕籠(かご)が置かれていました。
どちらもとても簡素なものですが、多分二番目に撮ったのは、
囚人駕籠(鶤鳥駕籠とも言う)になるやつでしょうかね?

20180209_araisekisyo_009.jpg

20180209_araisekisyo_010.jpg

下の石は「関所の石樋」

20180209_araisekisyo_011.jpg

-----------------------------
 石樋というのは雨水などを流すための側溝のことで、
関所の面番所を挟んで、南北に、排水などを流す二筋の側溝が
東側の石垣まで掘られ、浜名湖に注いでいました。
 そしてこの二つの石樋が、その側溝の先端に鴨のくちばしの
ように突き出ていました。そのためこの石樋は「鴨の嘴」とか
「鴨の口」と呼ばれていました。

------------------(新居関所 案内板より)

こちらは「荷物石」

20180209_araisekisyo_012.jpg

-----------------------------
 これは旅人が関所で取り調べを受けている時に荷物を置いた石
です。当時は、二つの荷物石が面番所の西側に並んで置かれて
いました。

------------------(新居関所 案内板より)

さて、中に入りましょうかね。
入口の隣に見えるお部屋は「書院」と呼ばれるお部屋です。

20180209_araisekisyo_013.jpg

20180209_araisekisyo_014.jpg

-----------------------------
 書院とは本来読書などの学問をするための部屋であった。
江戸時代以降には公式の対面などを行う表向きの施設を
さすようになった。関所の書院は、八畳間で簡素な造りで
あった。

------------------(新居関所 案内板より)

★その2に続くよ!
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