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門の中に入りましたよ。
浜松城ちっちゃ!と思うかもですが、
昔はこれより大きかったと考えられているようです。

浜松城跡
http://www.entetsuassist-dms.com/hamamatsu-jyo/
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浜松城は徳川家康が遠州攻略の拠点として築いた城で、
元亀元年(1570)六月に入城し、十七年間滞在した。東西600m、
南北650mの規模で、南の東海道に大手門が開き、東から西へ
三之丸、二之丸、本丸、天守台と連なり、順次高さを増す。
ここは、その天守曲輪の跡である。家康の後、城主は代々譜代の
大名が勤め、在城中に老中まで栄進した人が多い。
中でも水野越前守忠邦の名はよく知られている。
石垣は、野づら積みと呼ばれる強固な作りで、古い石垣の特徴を
よく残しており、浜松市の史跡に指定されている。
-------------------(浜松城 案内板より)
野づら積みについての図説。

天守台。

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浜松城天守台は、一辺21mのややいびつな四角形をしていて、
西側に八幡台と呼ばれる突出部が付いている。また東側には、
付櫓と呼ばれる張り出し部分があり、現在は復興天守閣への入口
として利用されている。
浜松城の天守は第二代城主堀尾吉晴の在城期(1590年頃)に
築かれた説が有力だが、17世紀の絵図には天守が書かれていない
事から、江戸時代前期には天守が失われていたと考えられている。
昭和33年に作られた現在の復興天守閣は、天守台の大きさと比べ
ると小さいものである。
かつての浜松城は、築城時期等から大きな屋根を持つ下層部の
上に小さな望楼が載せられる「望楼型」であった説が有力である。
その規模は天守台の大きさから推測すると現在よりも一回り
大きい三重四階で、巨大な天守だったと考えられる。
-------------------(浜松城 案内板より)


「ん?土が盛ってあるぞ」と思ったら……

発掘調査の真っ最中でした。
「浜松城発掘通信」が読めるリンクを貼っておきます。
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/search?all=浜松城



こちらは井戸。
発掘調査をされている方々の荷物が…w

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この井戸は、銀明水と呼ばれていたという。
浜松城には、天守台に一つ、天守曲輪の埋門のそばに一つ、
本丸に一つ、二の丸に三つ、作左曲輪に四つ、計十本の井戸が
あったという。
天守台の井戸は、再建の時に残し、今は天守閣の地下にある。
直径1.3m、深さは現在1mほどになっており水はない。
-------------------(浜松城 案内板より)
★その3に続く!(次は城内に入りますよ)
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浜松市中央区にある『浜松城』へとやって参りました。
徳川家康公は29歳から17年間浜松城に在城していたそうな。
…さて、どんどん進んで行きますよー。

下の写真は「二の丸」だった場所にカメラを向けたもの。
現在は浜松市役所などが建てられている。

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本丸の東側に位置して土地も一段と低い。
ここは城主の家と浜松藩主の政治をおこなう政庁があり、
江戸時代を通じて藩の政治の中心であった。広さはおよそ
5000m2(1500坪)。主な建物は表御殿(藩の政治をする所)
と奥御殿(城主の家)であり多くの部屋があった。
現在は市役所と元城小学校体育館が建てられている。
-------------------(浜松城 案内板より)
家康さんのブロンズ像です。

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天守閣が城の象徴なら、本丸は城の拠点である。
普通の城は天守閣を取り囲むように本丸が配置されているが、
浜松城の場合は天守閣の東、約17m下につくられた。
周囲を石垣で囲み、南に正門である鉄門があった。
北には富士見櫓、南東のすみに二層の菱櫓を置いた。
本丸内の建物についてのくわしいことはわからない。
-------------------(浜松城 案内板より)
下の写真は「天守門」。

門に近づいていきましょう。
目線(カメラ)を奥の方から左に移してみます。


天守門を近くから写してみた。

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門脇の鏡石
天守門の石垣正面は、左右ともに隅に巨石が用いられている。
この巨石を鏡石と呼ぶことがある。
かつて城の壮大さや城主の権力を見せるため、門の両脇や周辺
に意図的に大きな石を用いたと言われており、彦根城太鼓門櫓や、
岡山城本丸、松本城太鼓門の石垣等に類例がある。
巨石を用いた部分は算木積(石垣の角部を強固にするために、
長い石材の長辺と短辺を左右交互に振り分けて積む積み方)
になっていない。また、横長石も不揃いで、算木積とはいえない
部分もある。
-------------------(浜松城 案内板より)
さて、門をくぐって中へと進みましょう。

★その2へ続く!
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