地震が起こった非常時に「おっ、実況したろw」とか、
「録画してネットにアップしたろw」の精神になる奴らって
頭イかれてるのかなって思う。記者ゴッコでもしたいのか
単なる一般人が動画を撮って歩いて「えー只今○○にいます」
「地震の影響で〜」みたいな感じでウロウロしてあちこちに
カメラ向けるのってどうなんだろうな。
「今の地震凄かったですねえ!」って他人様に向かって、
無遠慮にカメラを向けながらマスコミもどきみたくなる奴も
ちょっとどうなんだろう。ああいう連中が目に入ると、
「気持ち悪い」って思うのは私だけでしょうか。
そんなの撮影して何がしたいんだろう?
ネットにアップして「いいね」でも貰いたいのか?
アキバの某事件の時にも現場を撮影してる連中がいたけどさ、
ああいう奴らを思い出しますよ。
輩どもがユーチューバーだか何だかは知らんけど、
非常時に湧いてくる非常識な奴らにカメラ向けられた人は
怒っていいと思うよ。
NHK:「あっ、私たちは仕事なので良いですよね?」
SERUNA:「勝手に学校の敷地内撮影して怒られてただろ」
NHK…レポートする奴の顔がモロに朝鮮顔だったようで。
注意されても撮影続行とか、コイツらも頭おかしい。
マスコミのゴミクズ連中も災害時にウッキウキで撮影する
だなんてホント気持ち悪いね。
【おまけ】
「みんなっ!地震大丈夫?!(自撮りパシャー)」→論外。
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「ああこれわかるわー」って思った人、
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臨済宗妙心寺派 萬松山 龍潭寺
http://www.ryotanji.com/index.html
御本尊:虚空蔵大菩薩(秘仏)/御前立:釈迦如来三尊仏
由緒:井伊家・宗良親王菩提寺
-----------------------------
井伊氏は平安時代より戦国時代まで六百年間、井伊谷を中心に
遠州地方を治めてきた国人領主です。二十四代井伊直政公が彦根
に移り、今日まで千年を数えます。龍潭寺は井伊家歴代の御霊を
お祀りする菩提寺です。
また当寺には南北朝時代、井伊城で北朝軍と戦った後醍醐天皇
皇子宗良親王をお祀りしています。
文化財 国指定名勝龍潭寺庭園(小堀遠州作)
県指定龍潭寺伽藍六棟(本堂・庫裡・開山堂・
井伊家霊屋・山門・稲荷堂 江戸時代建立)
-----------------(龍潭寺 境内案内板より)
お堂の「龍虎の襖絵」(江戸時代初期の作)が凄いですよ。


寺田心くんのサインが置いてあったw

「宗良親王の御位牌」と「ほほえみ観音菩薩さま」

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龍潭寺は南朝、後醍醐天皇の皇子宗良親王の菩提寺です。
興国元年(1340)正月、親王は井伊軍の砦、三岳城に立てこもり、
これを攻める北朝軍と衝突します。
三岳城は落城し、親王は駿河 ・越後・信州の各地を転々とし、
信濃の大河原に山奥で三十年余り世を避け過ごされました。
晩年井伊谷に戻られ余生を送り、元中二年(1385)八月十日、
七十二歳で逝去されました。
ご法名を「冷湛寺殿」と申し、寺名も一時冷湛寺と称したと
伝えられています。お祀りされている御位牌は井伊大老直弼公が
ご寄進下されたものです。
-----------------(龍潭寺 境内案内板より)

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ほほえみ菩薩観音さま
江戸時代はじめの頃のお話です。近江の国(今の滋賀県)
琵琶湖で遠網をしていた漁師が湖底より次々と三体の仏像を引き
上げました。それはそれは尊いお顔をした観音菩薩さまでした。
びっくりした漁師はすぐに御領主である彦根のお殿様へ差し出し
ました。お殿様は傷んだ仏像を修理させ、井伊家の菩提寺に
寄進されました。その一体がこの十一面観音菩薩像なのです。
話は戦国時代にさかのぼります。元亀二年(1571)九月、
織田信長は比叡山を攻め湖畔の寺もことごとく焼き払いました。
火をつけられたお寺では、御本尊様を湖水に沈め火災より守り
守りました。そうした仏さまのなかには、引き上げられること
なく、湖底に眠ったまま江戸時代に至った仏様があったのです。
この十一面観音様は、火難・水難にあいながら、奇跡的に再び
この世に出現されました。
合掌し、静かに拝顔ください。仏さまの口もとにかすかな笑み
が現れてきます。モナリザの微笑を連想させる神秘的なほほ笑み
です。ほほ笑みのある日暮しを大切にしたいものです。
-----------------(龍潭寺 境内案内板より)
こちらは廊下にあった龍の彫刻(伝左甚五郎作)。
江戸時代中期 仏殿に使用された蛙股の彫り物だそうです。

★その3に続く!
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浜松市北区にある龍潭寺。
今年の二月に訪れた時の記録です。
以前、龍潭寺を探訪した時の記事(寺の外側を撮影)はこちら。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2097.html
今回は、前回入らなかったお堂の中へ入場してみました。


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井の国と井伊氏発祥の地
ここ遠州井伊谷は古代「井の国」と呼ばれていました。
清らかな水が豊かに湧き出る土地でした。井伊谷川、神宮寺川が
交差する両岸の段丘には、縄文・弥生・古墳時代より中世に至る
古代人の遺跡が数多く残されています。
古墳時代四世紀半ばには北岡大塚古墳(前方後円墳)が造られ、
続いて馬場平古墳、谷津古墳が造られます。
古代井の国には井の国の大王が住んでいたことを物語っています。
この井の国より井伊氏の元祖共保公が誕生しました。
共保公は七歳の時、遠江守として村櫛志津城に着任していた藤原
共資の養子となります。後に古里井伊谷に戻り、城山の麓に居館
を築き井伊氏を名乗ります。
平安時代には「井の八郎」鎌倉時代・南北朝時代には「井伊助」
の名が日本史上に登場します。このように井の国より発症した
井伊氏は、遠江の代表的な国人領主(在地領主)として、
井伊谷に六百年の歴史を刻んできました。
戦国時代、二十四代直政が徳川家康に仕え、徳川四天王の一人
として大活躍し、彦根の地に出世します。
龍潭寺はこの名門井伊氏千年の歴史を伝える菩提寺であり
湖北の地はまさに歴史の宝庫であります。
-----------------(龍潭寺 境内案内板より)

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井伊家・宗良親王 菩提寺 萬松山 龍潭寺
当寺の歴史は古く、天平五年(733)行基菩薩開創八幡山
地蔵寺に始まると伝えられています。寺の南に井伊氏祖共保公
出生の伝説を残す八幡宮御手洗の井戸があります。
この寺域はもと井伊八幡宮の境内でしたが、五百年前井伊氏が
この地に龍泰寺(現龍潭寺)を造営しました。
龍潭寺は井伊城南の守り砦の役目を果たしてきた歴史があり
ます。この参道石垣などに小規模ながら城郭造りの跡が残されて
います。
朱印地であった境内地二万四千坪は、明治政府が没収、
その後一万余坪が返還されました。龍潭寺の森は日本の森百選に
選ばれています。この森に包まれ点在する龍潭寺伽藍は、
江戸時代建立の貴重な文化財で長い歴史をひめてよく保存され
今日に至っています。
-----------------(龍潭寺 境内案内板より)
※共保公出生の井戸の記事 過去ログはこちら。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2104.html
ピンボケすいません。お堂の中にお邪魔致しましょう。

廊下は鶯張りになっていて、キュキュッと可愛い音が…
鶯張りの廊下、大好きです♪ (´∀`*)

こちらは『丈六の釈迦牟尼佛』。
上の写真の廊下、すぐ右手に鎮座しております。

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この仏さまは遠州地方第一の大仏さま、丈六仏です。
丈六とは一丈六尺(五米)の寸法を言いますが、お座りですから
三米ほどの高さです。享保十四年(1729)雲長作の寄木造り
釈迦牟尼佛坐像です。
静かに己の心を深く見つめておられる、坐禅のお姿の仏さまです。
この仏さまのお体には、黒い落書きの跡が付いています。
明治初年に起こった廃仏毀釈(仏教を排斥しお寺をこわす)の
動乱の傷跡です。本堂前にあった大仏殿が壊された時、
近所の子供たちがこの仏さまに登り、金箔をこすった跡です。
廃仏毀釈という歴史の生き証人といえる仏さまです。
-----------------(龍潭寺 境内案内板より)
…明治期の廃仏毀釈ってのが、どの程度のものだったかは
その時代の人間じゃないとわからんのは当然ですが、
この大仏様の姿を見ると随分激しいな。
ゴシゴシ擦って眉毛みたのなの書かれちゃってるよ。

廃仏毀釈に関する話は色々書くと、メンドくさい人たちが
来そうなのでスルーしておこうっと。
★その2に続く!
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敷田審判倒れる→すぐにベルトを緩める大野奨太、
靴を脱がす秋山翔吾の神対応
http://carp-matome.blog.jp/archives/1071323588.html
---------------(リンク先:かーぷぶーん)
ファウルの球を膝に受けた影響だそうですが、
何事もなく既に退院されているということで良かったです。
…にしても、血管迷走神経反射性失神…初めて知った言葉だよ。
人間あまりにも激しい痛みがあると気絶するんですね。
この時、即座に処置を行った選手は素晴らしいなと思いましたが
なによりも素晴らしいと思ったのが、西武のファンが
(審判が運ばれた後に)審判への頑張れコールを送ったこと。
自然とああいったコールが出てくるというのを映像で目にして、
日本もまだまだ捨てたものではないなと感じました。
野球あまり詳しくなくて知らなかったのですが、調べてみたら、
この敷田さんというかたは野球ファンの間ではかなり人気の審判
のようですね。頑張って戻ってきて欲しいという想いがファンを
ひとつにさせたのでしょう。
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