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2018年09月16日 (日) | 編集 |
検索でいきなりこの記事に辿り着いた人は、その1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2303.html

「書院 大伽藍」寛政八年(1796)築

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中庭の「陰陽石」
※写真の石、左側が「男石」。右側が「女石」。

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陰陽石の側にある「五輪塔」

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「陰陽石」の庭園 
中庭の中心に夫婦和合、お家安泰、子孫繁栄を願って「陰陽石」
が置かれています。東に陽石(男石)西に陰石(女石)、
その寸法は似合って一体、男女円満を表しています。
旧本堂の中庭に配置されていたもので、江戸時代のものと
考えられます。日頃から夫婦喧嘩ばかりで仲が悪くても
一度きりの人生です。陰陽石に手を合わせれば、きっとご利益
がありますよ。
また、西の傍らには小さな五輪塔が六つあります。
約四百年前、戦国時代に作られた五輪塔で南無阿弥陀仏の
六文字を表しています。互いに生かされていることを感謝し、
お念仏とともに生きること、家庭円満の心薬です。

-----------------(西光寺 庭園説明文より)

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ジュビロ磐田のカミンスキー選手の写真が飾られていました。
このお寺に、ご家族で参拝に来られたそうです。
http://www.saikouji.pw/blog/diary/579/

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奥へ進んでいきましょう。
こちらは「弘法大師」(左)と「薬師如来」(右)の像。

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 昔、この地域に四国霊場の寺院をお祀りしたお堂が八十八カ所
ありました。西光寺も札所のひとつでしたが、現在札所巡りは
歴史の中に消えてしまいこの石仏さまだけが残りました。
四国霊場第二十二番札所。白水山 医王院 平等寺(はくすいさん
いおういん びょうどうじ)としてお祀りされています。

-------------------(西光寺 案内板より)

続いて下の写真は「朝日弁財天」

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七福神の中で唯一の女性の神様。楽器の琵琶を持つ。
御利益は学芸成就、恋愛成就、商売繁盛。日が昇る東方の池に
お祀りされたことからこの名がついたと言われています。
江戸時代、西光寺境内東には、加茂川に面して弁天池
(日限地蔵尊石柱あたり)がありました。
この弁天さまの呼び名と関連があるかも知れません。

-------------------(西光寺 案内板より)

「十王尊(じゅうおうそん)」

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十王は、冥界にあって死者の罪を裁くとされる十人の王で、
人は死後七日ごと(七日〜七十七日)、その後は百日、一年、
三年と合計十回(中陰)、十王が死者の生前の善行・悪行を
裁断し、その死者のいくべき世界を定めるものとされる。
有名な閻魔大王も十王の一人で、地蔵菩薩の化身と言われて
います。ご覧の十王尊は、元々西光寺境内地であった現見附
西坂交差点角にあえいましたが、安政の大地震で十王堂が大破
したため本堂内に安置されました。

-------------------(西光寺 案内板より)

「三十三観音」

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観音は三十三に化身して人々を救うという説によって、
本来は三十三体の観音菩薩を安置します。
衆生の救いを求める声を聞くと、自在にそれを救う菩薩で衆生に
現世利益の救済を施す存在です。

-------------------(西光寺 案内板より)

「平重盛公お位牌」(左)と「徳川家歴代のお位牌」(右)

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「徳川家歴代のお位牌」
歴代の将軍より御朱印(境内地)を頂戴していた関係から、
影祀り的に安置していたと考えられる。

「平重盛公お位牌」
西光寺末寺、旧蓮光寺開基。平清盛の長子で、遠江の国主。
もともと蓮光寺にお祀りされていたが、明治四十四年に西光寺
と合併。現在に至る。

-------------------(西光寺 案内板より)

「旧位牌堂遺構」(昭和十二年築)

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位牌堂に向かい、左手側にあった仏様。

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「鬼瓦」

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外に見える書院の鬼瓦は、江戸時代の瓦で、
平成十八年の書院大改修まで使われていました。中央に菊の御紋
が見えますが、これは、皇室で使用されております。
花びら十六の御紋で、江戸時代初期、後水尾天皇の皇后、
東福門院より西光寺へ。七堂伽藍を拝領されたご縁を今に伝える
ものです。東福門院よりご寄付された日限地蔵尊共々、皇室との
関わりを垣間見ることができます。

-------------------(西光寺 案内板より)

最後は外に出てお堂の裏手に回り、
「市指定天然記念物 西光寺のイヌマキ」

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西光寺の紹介は以上です。

「どなたでもどうぞ」と解放している場所だとしても、
お堂の中に入るにはどうしてもハードル高い感じがしますよね。
(「敷居が高い」という言葉は間違いなので気をつけましょう)
ですが、このお寺は閉鎖的な空気は一切なく、本当に誰でも
気軽に入って中から大楠を見ながら瞑想したり、お参りをして
いって下さいねというウエルカムな空気がありました。

「なんとなく…」でも接点が出来て繋がればそれは「縁」。
私たちは外の看板につられてフラフラ立ち寄っただけですが、
考え方によってはこれも何かのご縁…なのでしょうかね。
西光寺へはいつかまたお邪魔して、お堂の中で心を落ち着けて、
ゆっくり瞑想でもしてみたいと思っております。


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ジャンル:学問・文化・芸術