マスコミは皇族に接触すべきではありません。
というかむしろマスコミは皇族に近付くなと言いたいし、
テレビに出てるコメンテーターとやらも、皇室について偉そうに
考えを代弁したり意見を述べたりする立場では無いだろと。
ニヤニヤしながら語るその姿は下衆そのもの。
テレビ番組の取り上げ方には大変疑問を感じるのですが、
皇族を芸能人か何かと勘違いしていませんかね。
同列に扱って報道するのは不敬だと思うんですけど。
右も左も関係なく庶民は皇室について口を挟むな。
皇室について、報道バラエティのネタにするな。
仰った事を都合よく編集するな。都合よく解釈するな。
注:「報道バラエティ」はニュースにあらず。
マスコミは国民の敵。本当にムカつくよ。
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平成5年(1993年)ごろの日本ってどんなんだったか覚えてる?
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/5431411.html
----------------(リンク先:哲学ニュース)
二十五年前か…
旦那と出会う少し前か、会ったばかりくらいの時代ですねー。
二十五年前、私は某ゲームショップで働いていました。
ゲーム機全機種制覇するぞ!って意気込んでたのがこの頃。
ショップ含めてあの業界、まだ結構儲かっていた時代だったから
給料も良かったし、バカみたいにゲームを買っていた想い出w
その時の話は過去ログを貼っておきますので見たい人はどうぞ。
→「駿河屋」むかしばなし
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2126.html
あの当時は「ポケベル」があった時代ッスな。
数字だけの表示から、カナが表示されるようになった頃かな。
女子高校生までもが持ち始めたんですよね。
私も連絡用に持っていましたが、アレが流行った時代、
不特定多数にメッセージを送りつけて、受信した相手が女なら
釣ってやろうと考える男もいましたよね(誤爆を装ったあと、
受信した人間に対して男か女かを尋ねるという薄気味の悪い
メッセージを送って、女とわかればそこから粘着する)。
顔も見えないのにようやるわと思いましたよ。→粘着された。
「平成の米騒動」ってのもありましたねー。
タイ米でしたっけ、当時不味い不味い言いながら食べてたの。
当時はタイの人も困っていただろうに、それなのに貴重なお米
を日本のためにと提供してくれていたんですよね…
日本人はタイの人に、あの時の事を謝らないといけないよね。
私もそういった事情があるとは知らずに、日本の米の方がいい
とか、タイ米は美味しくないってブチブチ文句言ってたっけ。
今更で申し訳ないけど、タイの皆さん本当にゴメンなさい。
あの時もマスコミはクズだったな。わざわざタイにまで行って
「日本人がみんな、タイ米が不味いって言ってますよ」
「たくさん捨てられていますよ」って報告兼ねてインタビュー
していたんですから。自分たちだって煽ってたクセにな。
「Jリーグ」も流行ったね。たいしてサッカー詳しくもないのに、
私も釣られてグッズやCD買い揃えたりして本当にバカだった。
CDはいまだに手元に残っているが、当時まんまと踊らされた
自分を思い出すと恥ずかしくなるし殴りたい。(´・ω・`)
「政治」に関して言えば確かメチャクチャな時代だったような…
お師匠さんたちがこの時の政権を風刺した、かなり尖った番組
(今やったら間違いなく潰されるやつ)を放送していたのは
この翌年の94年か。色々あったよね…色々…
【おまけ】
こういう話が出ると、関連して世代の話が出てくるけど、
面白い漫画があるのでここにリンクさせておきますね。
「ジェネレーションブラザーズ」
http://off.hornet08.net/manga/
(リンク先:ゼロ八ネット)
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こちらは「曲り家」と呼ばれる住宅。

人が住む場所と馬屋とが土間を挟んで一緒になっており、
人間と農耕馬が一つ屋根の下で暮らすようになっています。


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国指定重要文化財 旧菊池家住宅
指定 昭和五十一年二月三日
所在地 遠野市土淵町第六地割五番三
この住宅は、市内小友町高木から移築した南部曲がり家の一つ
です。この地方(旧南部藩領)は県内でも南部曲がり家が数多く
分布していた地域で、なかでもこの住宅は、遠野の代表的な
曲がり家の形式を残しています。建てられたのは十八世紀前半と
推定されます。当初は直ご家(曲がりの部分がない家)として
建てられました。その後、台所部分が拡張され、
8.1メートル(四間半)に18メートル(十間)の母屋となり、
7.2メートル(四間)に8.1メートル(四間半)の馬屋が付け加え
られ、曲がり家の形になりました。
おのや、ちょうな削りの桂を使った開口部(窓など)の少ない
閉鎖的なつくり、火打梁をかけた古い例、それに直ご家から
曲がり家へ変わっていった過程などを知る上で貴重な遺構を
数多く残しています。
----------------------(案内板より)
曲り家に入りました。
土間から撮影をして右手側に見えるのは「ながし」。

そこから視線を右に移すとふすまの向こうは「だいどころ」。
お部屋では丁度、遠野物語をお話しされているところでしたが、
途中で入室するのも申し訳ないので、写真を撮りながら暫くの間
土間にいました。

昔の道具が置かれています。


「馬屋」。



馬屋とお馬さんの古い写真。

土間の出入り口から外を見る。

一旦外に出て曲り家の形を確認。

再び土間へ入ってみる。この釜は「馬釜」と呼ばれるもので、
湧かしたお湯は、馬の世話をするために使われるそうです。

平成九年に天皇皇后両陛下が伝承園にご来園された事が
あったそうで、写真や、使われた御品が展示されてありました。


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写真多め&ちょっと長いですが一緒に伝承園を歩いているような
感覚で見ていただけると嬉しいです。良い施設でしたので、
皆さんにもその雰囲気をお裾分け致します。
「板倉」と「工芸館」を正面にカメラを左→中央→右へ。



「板倉」の方へ向かってみましょう。


おじゃましまーす。

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板倉は、土壁を塗らず作られた、元々納屋・倉庫に用いていた
物です。切り出した材木の有効活用から始まったと考えられ、
丸太を製材するとできる脇の板材を柱と柱の間に落とし込んで
左官を呼ばず建てることができます。農作業場として利用され、
明るさが必要なときは板を取り外しました。
現在は、内装を施し、遠野むかし話の会場などに利用しています。
普段は子ども達の遊び場として解放しております。
裸足になると木のぬくもりを肌で感じることができます。
----------------------(案内板より)
おぉー♪ 内装は近代化されちゃってるけれども、
東北の田舎の雰囲気、良いね。(´∀`*)
今にもわらしちゃん(座敷わらしは妖怪じゃなくて神ですよ)が
「一緒に遊ぼう」って言いながら奥からピョコンと出てきそう。
本当に出てきたらいっぱい遊んであげるよー。

吊るし雛が飾ってありますね。

目の前にある籠は、赤ちゃんを寝かせる「ちぐら」。

これは…多分昔のコタツかと思われます。

「オシラサマ」。



赤ちゃんちぐらで寝ていた「美咲」ちゃんというお人形。
市松人形かな?「ばぁちゃんがつくりました」…だそうです。
いちまさんは、昔は女の子が着せ替えをして遊ぶ人形でしたが、
今はこのお人形の愛好家やコレクターもいらっしゃるらしく、
海外にも知られています。

外へ出ました。
工芸館の外側には古い農具が置かれています。



綺麗だな。心が洗われるね。

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本当は、山の上から見た景色が取りたかったんですが取り忘れて
しまいました。まずは遠野の田んぼの景色でゴメンなさい。
ウチの地元の田舎の風景とはまた少し違った空気を感じました。

『遠野 伝承園』に到着しました。


外にあったのは「庚申塔」「西国順禮塔」など。
遠野には庚申塔が多く建てられているそうだ。
「庚申信仰」とは人の身体の中に宿る「三尸」と呼ばれる虫が、
庚申の日の夜、宿主がぐっすりと眠っている間に天に昇り、
天帝にその人の罪過ちについて告げ口をし、寿命を縮めるので、
同じ信仰を持つ人々が集まり「庚申講」を結ぶ。
庚申の夜には徹夜をして飲み食いをしたりして眠らずに過ごし、
健康長寿を願うもの(眠らなければ三尸は体から出てこない)。
これを三年十八回続けた記念に建立したのが庚申塔です。

庚申塔の横にあった、交通安産の「安全太郎」。
木で作られたカッパです。賽銭箱の絵がすごく可愛い。
カッパは日本の妖怪として有名ですが遠野物語にも登場します。
…というか、遠野はもう妖怪や神様がたくさん存在する町だと
思ってくれて差し支えない。遠野には座敷わらしもいるんだぞ。


外にあった古い写真。

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「ふるや下げの人々」写真撮影:浦田穂一
古家下げとは、屋根の葺き替え作業の事である。
30年から40年に一度の大仕事だが、集落全体でお互いに
協力しあい行ってきた。
写真は昭和40年から50年に撮影されたもの。
----------------------(説明文より)
伝承園の玄関口「乗込長屋」。
公式サイトによれば、この建物は、1850年頃に建てられた農家の
納屋を移築したもので、物置や作業場として使われていたもの
だそうです。

入り口にこんな看板があったので撮ってみた。
あぁ…そういや「カッパのクゥと夏休み」ってアニメあったね。
絵にあまり惹かれなくて、全然観てないんだけど。
https://www.aniplex.co.jp/coo/

顔はめパネル。パネルの後ろからパカっと開けて、
そこに顔をはめて撮影するタイプのやつ。

竿の先にはキュウリが結び付けられている。
こいつでカッパを釣るのだそうだw
(「伝承園 カッパ捕獲許可証」でググってみよう)
ちなみに今までカッパを釣った人は一人もいないらしい。

伝承園に入場しました。向かって左手の建物は催事場。
右手の建物は、遠野物語の話者「佐々木喜善」の記念館。
中央に見えるのは板倉と工芸館。

「催事場」。

「佐々木喜善記念館」。

記念館の入口に萌えキャラが…
「小烏瀬弥子(こがらせみこ)」というキャラクターらしい。
遠野萌えキャラプロジェクト/https://twitter.com/tonomoechara

伝承園案内図。

★その2に続くよ!
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両陛下、掛川ご到着 「ねむの木学園」など訪問
http://www.at-s.com/news/article/topics/shizuoka/570816.html
------------------(静岡新聞アットエス)
ねむの木学園で両陛下を御案内されたかたに、
地元ローカルの静岡朝日テレビがインタビューをしていました。
たまたまつけていたテレビ番組でそれを見ていたのですが…
恐らく「(両陛下が)良い笑顔をしていらっしゃいましたよ」
と伝えようとしていたのだろうけれど「いい顔をしていましたよ」
と発言をしたとびっきりテレビのアナウンサー(名前忘れた)。
あの言葉には流石に私、ちょっと変だなって思ったんですが、
ねむの木の宮城まり子さんがすぐに「失礼ですよ」と指摘。
(ちなみに指摘されてから少し、会話に変な間ができる)
「いい顔をしていた」って大体悪い意味で使う言葉なのに、
言った本人は何が失礼なのかよくわかっていない様子。
バカなのかな?
日本語不自由なのかな?本当に大学出てるのかな?
指摘されてもなお言い返すあたり本当にバカなのかもだけど。
あとさ、もうずっとしつこく「退位」って言葉を使ってるけど、
いいかげん「譲位」って言い方をして欲しいんですけど。
朝日系列は正しい言い方をすると死ぬ病気か何かですかね?
あ、これは他のテレビ局もそうか。
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