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「日本武尊 御遺蹟」でお参りを済ませ、さらに進みます。

吉田神社では秋に例大祭が行われるようで、こんな説明文が。



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吉田神社の秋季祭礼
吉田神社の秋季祭礼は、日本武尊を祀る吉田神社の祭礼で、
毎年10月15日に近い金・土・日曜日に開催されます。
吉田神社は常陸第三宮として、古来より高い格式(延喜式内
名神大社)を誇っています。
初日に例大祭と夜祭、2日目と3日目には御神体を神輿に遷し、
氏子町内を巡り神社に戻る神幸祭と還幸祭が行われます。
神幸祭では、神社の境内で三角山神事が、那珂川の河岸にあたる
細谷舟渡(城東5丁目)で舟渡神事が行われます。
古い文献によると、日本武尊が細谷から小舟で三角山に鎮座
(神がとどまること)したとされており、茨城の太平洋岸の神事
にみられる「神霊が鎮座地から、最初に上陸した海岸に赴き、
神の力の回復を願う」という「磯出」「浜降り」の要素を持つ
貴重な祭礼です。
現在は実行委員会が結成され、下市を代表する祭礼として定着
しています。神幸行列では、7基の山車や「台町のささら」
が加わり、地元の多くの人々が参加するとともに、
見物人も多数訪れて賑わいを見せます。吉田神社の秋季祭礼は
水戸の秋を彩る、歴史と伝統のある祭礼です。
----------------(吉田神社 境内案内板より)

こちらは吉田神社の「隋神門」。

阿吽の狛犬。


奉納された酒樽。


さて、お参りしましょうかね。

吉田神社
https://yoshidajinja.jp/
御祭神:日本武尊
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尊が東夷平定の帰途、常陸を過ぎて兵をこの地朝日山に留めて
憩わせた故事を以って、この地に神社を創建し尊を奉祀した。
尊の御休憩の場所は今日も三角山と称し境内見晴台の一角を占め、
神聖な処として伝え残されている。
創建の年紀は詳らかではないが、当社の古文書によれば正安4年
(西暦1301年)は、御創建以来800余年に当たるとあるので、
これより推定すると、顕宗天皇(485)と仁賢天皇(498)の
御代の間に遡るもののようである。
後に後鳥羽天皇は建久4年(1193)国司に勅して社殿を改造せられ
12月遷宮式を行い、これより後は鹿島神宮(旧官幣大社)
の遷宮についで当社の遷宮が行われるのを例とした。
次いで亀山天皇は弘長元年(1261)2月20日本社の神位を従一位
より正一位に進め、後陽成天皇の父、誠仁親王は天正4年(1576)
に御手ずから第三宮の三字を記され、大宮司田所清恒に賜り
当社の扁額とされた。更に後光明天皇の慶安元年(1648)10月
には、大将軍源家光が「吉田宮印」の朱印を下され、
権中納言源頼房は水戸に封ぜらるるや尊の功烈を慕われ、
その子贈大納言源光圀に至っては、尊崇最も敦く旧制に従って
本殿(神明造)拝殿・神殿・神楽殿・宝蔵・階・玉垣等を造営し、
八乙女・神楽男五人を置き盛大な斎祀を行われた。
------------------------(↓続く)

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現在においても尚毎年10月中旬の金・土・日曜には、
旧下市周辺を挙げて盛んな神輿渡御の神事が行なわれ、細谷町
舟渡の那珂川岸に渡御することは今も古例の通りである。
尊が朝日山に憩わせ給うた折、舟を藤蔓でつないでこの朝日山に
登られたと伝えられ、今に存する藤柄町の町名はこれより出た
ものであるとされている。
現在三角山のある一角は、見晴台と呼ばれ茨城百景の内でも、
特に優れた勝地と称えられているが、この高地に立てば一望千里
水戸市を眼下に収め、視界の及ぶところ近くはひたちなか市、
湊の反射炉、遠くは阿武隈山脈のなだらかに起状しつつ静かに
尾を引き彼方に達し、まことに史蹟と眺望とを兼ね備えた
天下有数の神域である。
----------------(吉田神社 公式サイトより)
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茨城県にある『吉田神社』へやって参りました。
さて、常陸国といえば、日本武尊ゆかりの地が沢山存在している
わけですが、この吉田神社もそのうちのひとつ。彼ゆかりの地
があれば(行ける場所ならば)すぐにとんでいきますよー。
(=゚ω゚)「正しい意味での聖地巡礼やね」
SERUNA:「…だね」

こちらは「神燈」。
文政13年(1830年)のもの。

参道を進みましょう。

参道左手を見るとこんなものが。
恐らく古井戸だと思われますが…合ってますかね?


再び参道に。すると右手側に大きな木が現れます。
美しい形にしばし心を奪われ…



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保存樹
指定番号 6-1-19 本数1本 樹種 ケヤキ
指定年月日 昭和51年10月1日
樹高 13m 幹周 6.1m 推定樹齢 300年
----------------------(案内板より)
…おっといけない。先を急がなくては。


上の写真で左手側に見えるのは『日本武尊 御遺蹟』。



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日本武尊御遺蹟は、日本武尊御遺蹟は「朝日三角山」とも言われ、
尊が御旗を朝日に輝かせ、四方を展望された由縁の場所で、
古くから聖地とされてきた。
----------------(吉田神社 公式サイトより)

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日本武尊は東征のとき、舟で那珂川をさかのぼってこの地に
上陸し、三角山で宿営したと伝わっている。翌朝、すがすがしい
朝日が昇るのをご覧になったので、三角山は朝日山とも呼ばれ、
聖地とされてきた。その聖跡に日本武尊をまつったのが吉田神社
であり、常陸第三の宮として人びとから厚く信仰されている。
----------------------(説明文より)
古事記、日本書紀、風土記、
そしてその土地のみで語られる伝説などなど。
色々ひっくるめて彼の辿った足跡を検証していきたいなーと
思ったこともあるけど、あまりにも情報が膨大すぎて、
それらをひとつに纏めるのは難しそうだよね。
えらく手間や時間もかかるだろうし。
★その2に続く!
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