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2019年02月28日 (木) | 編集 |
いきなり検索でココに辿り着いた人は、その1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2539.html

「弘法大師像」

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「石刻 五百羅漢」
申し込みすれば自分そっくりな像を作ってくれるらしいですよ。
一体作るのに幾らするんだろう。高そうだな…

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こちらは「大御堂」
外は良いですが、内部は国宝級の仏像があるので撮影禁止です。
中が見たい人は拝観料を払ってから見ましょう。
寺宝についての詳細は、公式サイトをご覧になってください。
https://ganjoujuin.jp/temple_treasures.html

20190225_ganjoujuin_014.jpg

高野山真言宗 天守君山 願成就院
https://ganjoujuin.jp/
御本尊:阿弥陀如来
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願成就院略縁起
 当山は、山号を天守君山と称し、阿彌陀如来を本尊とする
高野山真言宗の寺である。
 創建は、鎌倉時代初頭の文治五年(1189)に遡る。
この地で源氏再興の旗揚げをし、鎌倉幕府を開いた源頼朝公の
奥州藤原氏征討の戦勝を祈願して、幕府初代執権北條時政公が
建立し「願成就院」と称したことに始まる。
幕府の亊蹟を伝える「吾妻鏡」には、時政公が大御堂と南塔を
建立し、二代執権北條義時公が亡き父時政公の供養として
南新御堂を建立、三代執権北條泰時公が北條御堂と北塔を建立
したことが記されており、堂塔伽藍の営作は北條氏三代に
わたる。貞應元年(1222)には、「定額寺」(官寺)とする
宣旨が朝廷より下されており、この地に、守山を借景として、
中之島のある池を配した「浄土様式」の壮大な寺院が、
北條氏の氏として造営されていたのである。
数回の発掘調査でその遺構が概ね明らかになり、昭和四十八年
境内を中心に周辺一部地域を含めて「願成就院跡」として
国指定史跡となる。

------------------------(↓続く)

20190225_ganjoujuin_015.jpg

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鎌倉時代の伽藍は、十五世紀末、伊勢新九郎長氏(後の北條早雲)
の堀越御所(北條時政館跡)攻めの兵火で焼失するが、創建時に
祀られた大仏師運慶謹作の五仏を中心とすろ七体の仏像と、
仏像胎内造像銘札四枚は、奇跡的にも今日に伝えられており、
この尊き御仏様を拝観すると、幕府最大の権力者北條氏とこの寺
の盛時を偲ぶことができよう。
 本尊阿乎彌陀如来・不動明王・矜羯羅童子・制吒加童子・
毘沙門天の5体の仏像は、文二二年(1186)の造像で、
運慶三十代半ばの謹作、日本彫刻史上、運慶様式の成立を考える
上で大きな意義を有する尊像とされ、造像銘札四枚と共に
重要文化財の指定を受ける。本堂(茅葺き御堂)本尊阿彌陀如来、
宝物館に祀る北條政子尼七回忌供養地蔵菩薩両像も、
十三世紀前期の慶派正統仏師による秀作とされ、県指定文化財
である。
 境内には、北條時政公と足利茶々丸公(堀越御所二代公方)
の墓所があり、両公の菩提寺である。
運慶作五仏、胎内銘札四枚は平成二十五年に国宝に指定される。

天守君山 願成就院山主

-----------------(願成就院 案内石碑より)

大御堂に祀られた仏像を見ていた時に「運慶ハゴ存ジデスカ?」
と外人さんが説明に来られたので、えっ?えっ?と思ったら、
ゆくゆくはこのお寺を継ぐかもしれないイギリス人のかた。
住職の娘さんのお婿さんだそうで、お寺の歴史から運慶作の仏像
のことまで、丁寧に色々と説明をして下さいましたよ。

※茅葺屋根の本堂はウッカリ写真を撮り忘れ。(´・ω・`)

さて、国宝の仏像を拝み、宝物館を見学して出て参りました。
五百羅漢もズラリと並んでいます。

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酔いそうな角度の写真ですまぬ。

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「足利茶々丸公方墓」

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 室町幕府八代将軍の足利義政の兄・足利政知が、
将軍の命を受けて関東を治めるために鎌倉に派遣されるが、
鎌倉まで進出できず、北條時政の館跡の伊豆国北條の堀越に留まり
堀越公方と称しました。父政知の没後、二代目公方に就いたのが
茶々丸公であります。継承時に起きた相続争いの混乱に乗じて、
1493年に伊勢新九郎盛国(のちの北條早雲)の侵攻を受けて滅亡
しました。茶々丸公若干16歳でありました。
当山が茶々丸公の菩提寺であります。

----------------(願成就院 公式サイトより)

お寺の池。

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静岡県内に運慶の仏像が五体もあるお寺ってのはなかなか貴重。
願成就院の近くには「北条政子産湯の井戸」もあるそうですが、
そちらは気付かずにスルーしてしまいました。
皆さんもいかがでしょう。


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ジャンル:地域情報
2019年02月28日 (木) | 編集 |
2019.2.25 参拝 
源頼朝公祈願所・北条時政公菩提所・足利茶々丸公方菩提所。
伊豆の国市にあるお寺「願成就院」へ行って参りました。
逆光の写真でスイマセン。

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ここには運慶作の仏像(国宝)がお祀りされています。
(注:仏像と宝物館は撮影禁止の為、写真には収めていません)

20190225_ganjoujuin_003.jpg

下の写真は門の左手側にあったもの。
これは何だろう。梵字が刻まれていますね。
仏教あまり詳しくないので、誰か教えていただけたら嬉しい。

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中にお邪魔いたしましょう。

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門をくぐって参道左手側。
お地蔵さんの手前に案内板が。

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そちらの方向へ歩くと、まず目の前に鐘楼が現れます。

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鐘楼のすぐそばに「北条時政公御墓」

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北条時政公 没後800年忌供養として建立
 北條時政公(1138年生、1215年没、享年七十八歳)は、
願成就院の創建者で、今日に伝わる国宝指定、運慶作緒仏の檀越
である。時政公は、この地、伊豆国北條に居館を有した平家一門
の伊豆における有力豪族の一人で、伊豆国府在庁官人であった。
 1160年十四歳で伊豆配流のなった源頼朝を伊豆祐親と共に監視
する立場にあった。激動する歴史の中、娘政子が流人頼朝に嫁し、
一転して頼朝の岳父となる。1180年8月17日の頼朝の伊豆挙兵
では平家目代山木兼隆攻めの主将となりてこれを成功させる。
以後、平家討伐、鎌倉幕府創設では、頼朝の参謀役、智将として
大いに活躍してその立役者となる。
 頼朝亡きあとも、幕府初代執権に就任して、東国武家政権の
確立に努め、北條氏繁栄の礎となり、鎌倉北條氏の祖と呼ばれる
幕府草創期の最重要人物の一人である。

現住 祥道

-----------------(願成就院 案内石碑より)

★その2に続くよ♪
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