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2019年06月01日 (土) | 編集 |
いきなり検索でココに辿り着いた人は、その1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2661.html

明治時代の教員室(職員室)。

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明治6年開校当時の教員
【正教員】
中等教授2名 上等助教1名 一等授業生1名

【臨時の雇教師】7名
    教員免許を持たない授業生(代用教員)
    寺子屋の師匠など
浜松県では教員不足解消のため、明治8年3月に浜松瞬養学校を
開設し、2〜4ヶ月修行期間で教員を養成した。
(入学年齢15歳以上)教官は文部省から派遣された。
明治20年以降は正規の教員(訓導)が代用教員の数を上回って
いる。

-----------------(旧見付学校 説明文より)

【市指定文化財 伝 酒井之太鼓】
その昔、先程の最上階にて叩かれていた太鼓です。

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児童の士気を高めた太鼓 
 見付学校が新築落成した年、家康の窮地を救ったと
いわれる「酒井之太鼓」が、見付学校に寄贈されました。
 明治七年(1874)浜松の祭りを見物していた見付の花屋
吉三郎らが、板屋町の屋台で使っている太鼓が浜松城の警鼓で
あったことを知り、板屋町から買い受けました。
太鼓は吉三郎らがどこに置くかと協議していたとき、ちょうど
見付学校が建設中であったことから、当時の見付の戸長・
古澤脩らと交渉して、翌年開校を記念してこの学校に置くこと
になりました。太鼓は最上階に据え付けられ、児童の登校の
合図と正午の時報として、 また児童の士気を高めるために
毎日打ち鳴らされ、見付の人たちの生活の音として親しまれて
いました。

-----------------(旧見付学校 説明文より)

【磐田文庫】北側にある建物です。

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 淡海国玉神社の神官大久保忠尚は、寄付と私財合わせて200両
を投じて元治元年(1864)4月に設立した私設図書館である。
忠尚は自宅に門下生を集めて和漢の書を講じ、維新の際に
遠州報国隊を組織して活躍したことから、磐田文庫は遠州国学の
象徴ともいえる。内外の書約500冊を所蔵する。
 建物の構造は、角材を積み上げた校木造二階建で、間口5.5m、
奥行5.7m、平面積約31㎡を測り、4室が設けられる。
 昭和44年、旧見付学校とともに国の文化財に指定され、
平成4年県の補助金を受けて解体復元修理をおこなう。

-----------------(旧見付学校 説明文より)

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二階は立ち入り禁止で、登れないようになっていました。
入口より、カメラを左から右に向けて撮影。

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展示物の一部。

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【遠州国学の流れ】
賀茂真淵(1697-1769) → 内山真龍(1740-1821)
→ 夏目甕麿(1773-1822) → 八木美穂(1800-1854)
→ 大久保忠尚(1825-1880)

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国学者「大久保忠尚」

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磐田文庫から見える淡海國玉神社。
神社について知りたい人は、こちらの記事をどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2657.html

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校舎の方へ戻ってまいりました。
下の写真は見付学校の玄関。この学校の珍しいところは、
右と左とで男女別に区切られていたこと。向かって右手側は、
男子専用出入り口、左手側が女子専用出入り口。内部も中央で
仕切られ、教室はそれぞれ別に分かれていたとあります。

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 子供は男女の別なく、みな学校へ通う決まりでしたが、
はじめの頃、女子児童は少なく、各県では女子の就学率向上に
力を入れ、女子児童の数は次第に増えていきました。
 女子教室では、普通教科のほかに裁縫や家事の授業が行われ
ました。女の子には、 勉強より実用的な技術の習得を望む親
たちが多かったからです。目標の「男女同質の教育」への道は、
まだまだ遠いものでした。

-----------------(旧見付学校 説明文より)

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磐田市の『旧見付学校』、
皆さんも行かれてみては如何でしょう。


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テーマ:静岡県
ジャンル:地域情報