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定食屋さんに訪れるような感覚で見てもらえたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々。ヲタクなネタから神社めぐりまでw
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2019年06月11日 (火) | 編集 |
【2012年に行った神社仏閣(1)】
某SNSがもうじきなくなるという事で、行った場所をメモ。
下の写真は日本武尊の陵墓。

20120526_日本武尊能褒野御墓(能褒野御墓)

2012.1.8/(神奈川)寒川神社、お昼にラーメン博物館 
2012.1.9/走水神社、記念艦 三笠、
 よこすか海軍カレー館 魚藍亭(カレー) 
行けなかった場所:御所ケ崎(走水神社近く)

2012.1下旬/浅草神社、浅草寺、仲見世、妻恋神社 

2012.3.11/大井神社(島田市)
2012.3.17/
金持神社(鳥取)、出雲大社、出雲大社 北島国造館出雲教、
「そば処 おくに」で食事、稲佐浜、日御碕神社、日御碕港、
万九千神社、神立橋

※万九千神社や神立橋のある地域は「神立」という名が。
神々は出雲大社や佐太神社での各神事の後に万九千神社で
お別れの宴を開く。この神社の神官が「お立ち、お立ち」と
神等去出を告げると神様たちはいよいよ故郷へと旅立たれる。
万九千神社を出た神々が旅立って行く場所がまさにこの
『神立橋』からだとか。
ついでに日本武尊が出雲健を討った場所がどこかを調べたら、
この神立橋付近にぶち当たった。地名や付近に残されるお話
から辿りに辿りまくった結果だが場所はハッキリしない。

2012.3.18/
須佐神社、斐伊神社、八本杉、草枕山、八口神社、
尾留大明神旧社地、八俣の大蛇公園、須我神社、八重垣神社、
佐太神社、おまけで島根県立美術館 

八本杉:斐伊神社から約100m。八岐大蛇を倒したスサノオは、
 再び大蛇が生き返り人々に危害を加えて悪さをしないよう、
 八つの頭をこの場所に埋め、その上に杉の木を植えた。
 杉は斐伊川の氾濫により何度も何度も杉の木が流されてしまい、
 その度に補植されているのだそう。今の杉は明治6年(1873年)
 の水害後に植え直しされたものとの事。

草枕山:斐伊川と、赤川の合流点に近い場所に草枕山。
 現在はふたつに分かれているが元々はひとつの山。
 スサノオの大蛇退治の話で酒に酔った八岐大蛇がグッタリして
 枕にした山だという。スサノオが矢を射った八口神社の場所から
 この山がよく見える。
尾留大明神旧社地:スサノオが大蛇退治したあと、
 大蛇の尻尾から天叢雲剣を見つけた場所。
 わかりづらい場所にあるが草枕山のすぐ近くを探せばOK。
 案内板によるとそこから200m北の場所が本当だが、
 斐伊川の氾濫により、延享元年(1744)に現在の場所へ移動。 

2012.3.19/
松江城、松江神社、美保神社、美保関灯台(地蔵崎)、
美保関の港町ぶらり、ついでに鳥取の水木しげるロード

2012.4.7/近江神宮、伏見稲荷大社 
2012.4.8/八阪神社、祇園の街、仲源寺、晴明神社、
 上賀茂神社(賀茂別雷神社)、貴船神社、
 下鴨神社(賀茂御祖神社) 

2012.5.7/玉清井神社、鹿島神宮(茨城) 
     香取神宮、吾妻神社、太田山公園(千葉)
行けなかった場所:香岡八幡宮

※玉清井神社:常陸国風土記によれば日本武尊は海北の地を
平定後に槻野の泉に立ち寄られ水に近寄り手を洗い、
お持ちになっていた勾玉を清めようとしたところ、誤って井の中
に落としてしまったという。その事からこの泉は『玉清の井』
と言う。現原丘や梶無川は玉清井神社の近くにある。
行方市の地名の由来は日本武尊ゆかり。
※太田山:弟橘媛が走水の海に身を投げたことを悲しみ、
弟橘媛を想ってこの地に七日間とどまり、太田山からずっと
海を眺め続けていたというお話が。
この山には「きみさらずタワー」が立ち、小さな「橘神社」
もある。猫いっぱいいた。

2012.5.13/御所の前、矢倉神社、鞍佐里神社、
 山宮浅間神社(富士信仰の祭祀遺跡) 

※「御所の前」は静岡市駿河区小坂1322-1付近。
 『JA静岡市 小坂支店』の西約200メートル。
 日本武尊が行宮を建てた場所。
※「山宮浅間神社」の祭祀跡は現在立ち入り禁止になっている。 

2012.5.26/
 日本武尊尾津前御遺跡(尾津神社)、杖衝坂、
 日本武尊御血塚社、能褒野神社、日本武尊能褒野御墓、
 加佐登神社、白鳥塚古墳、史跡 宝冠塚、史跡 宝装塚 

2012.5.27/
 伊勢神宮(外宮・内宮)、猿田彦神社、月讀宮、
 倭姫宮、倭姫命御陵、足洗池(四日市市) 

※足洗池は江田神社の近く。国道365号線を通り枝分かれを
している道、国道616号線に入って間もなく右手側。
「足洗池 ここです→」の、銀の看板が見える…はず。
西坂部町もまた三重県の「三重」地名発祥の地とされる。
日本武尊が足を洗ったという場所だが、
地元民ですら知らなかったと言われる史跡だったw
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2019年06月11日 (火) | 編集 |
【過去訪れた場所のメモ・2011年】
某SNSがもうじきなくなるという事で、行った場所をメモ。
下の写真は鳥取県の「大神山神社 奥宮」。

2011.7_大神山神社奥宮

2011.1/鹿島神宮 
2011.5 /伊勢神宮(外宮・内宮)、猿田彦神社、月讀宮、子安神社、
    大山祗神社、二見興玉神社、松下社 

2011.6.11/出雲大社、稲佐の浜、古代出雲歴史博物館、
    須佐神社、御井神社 
行けなかった場所:「出雲大社北島国造館」「日御碕神社」 

2011.6.12/須我神社、八重垣神社、神魂神社、熊野大社(松江市)、
 神納峠(岩坂陵墓参考地)、熊野大社(松江市)、
 黄泉比良坂、揖夜神社  
行けなかった場所:「比婆山山頂 イザナミ陵」 

2011.6.13/美保神社、地蔵崎、粟嶋神社、宗形神社(鳥取)、
 赤猪岩神社、楽楽福神社 

2011.7.2/諏訪神社 上社 本宮、上社 前宮、下社 春宮、下社 秋宮 
2011.7.9/秋葉山本宮 秋葉神社

2011.7下旬/
(鳥取1日目)大神山神社 奥宮、妻木壹宮神社、
  唐王神社、波波伎神社、倭文神社、三仏寺(投入堂)

妻木壹宮神社:下光比売と天若日子が一緒に暮らしていた場所。
      大山は『孝霊山』に遮られて見る事が出来ない。 
唐王神社:スセリ姫が亡くなった地。 
波波伎神社:事代主は国譲りの後に福場の地にやってきて、
     神社の山に繋がる谷に隠れ住み、そこで亡くなった。
    「波波伎=伯耆」
倭文神社:下光比売は国譲りのあと、身の回りの世話をする
    三家族と共に海路でやってきてこの地で亡くなった。

(鳥取2日目)長尾鼻 血止めが池、白兎神社、白兎海岸、
      天穂日命神社(鳥取市福井361)、売沼神社、
      河原城(若鮎城)  

天穂日命神社はとてもわかりづらい場所にある。
売沼神社周辺には「倭文」「布袋」「袋河原」「円通寺」など
八上姫と大国主に因んだ地名が付けられている場所が。

2011.7下旬/中嶋神社(兵庫県)
2011.8.15/静岡縣護國神社

2011.8.20/春日大社、垂仁天皇陵、石上神宮、箸墓古墳、
 大神神社、八咫烏神社 
2011.8.22/『橿原神宮、神武天皇稜、雷丘、飛鳥坐神社、
 マラ石(飛鳥歴史公園)、日本武尊白鳥稜、葛城一言主神社 
行けなかった場所:「甘樫坐神社(アマカシニイマス神社)」

※日本武尊白鳥稜(御所市冨田):日本書紀ルート。
白鳥になった尊が大和の琴弾原に降り立ったと言われる場所。

2011.8.26/富士山本宮浅間大社、三嶋大社 
2011.8.27/玉取明神(藤枝市岡部町)、大鈩不動尊、日本平 
2011.9.10/事任八幡宮、小國神社 
2011.9.11/久能山東照宮 
2011.924/登呂遺跡 
2011.9.29/伊豆の神社へ(名前失念) 

2011.10.29/(滋賀・岐阜)
 建部大社、日吉大社、多賀大社、加茂神社(滋賀・居醒の清水)、
 泉神社(泉神社湧水) 、関が原合戦場跡地(石田三成 陣跡)、
 関ヶ原古戦場 決戦地 

2011.12.17/(愛知)
御手洗宮、馬蹄石、内々神社、巌屋神社(※旧妙見神宮 奥之院)

御手洗宮:坂下小学校そばにあるガソリンスタンド近く。
 日本武尊が神屋(かむや)の地で休まれた時に 手を洗った所。
 綺麗な湧き水が枯れる事なく溢れていたが、周辺の開発により
 湧き水が枯れてしまった。
馬蹄石:国道19号線沿いの安祥寺入口のすぐ北側。
 駿河の海で水死した「建稲種命」を内々神社に祀ったあと、
 タケルはその地で駒を返し 内津山の方を振り返りった。
 その時に馬の蹄の跡が、 岩盤の上に付いたとされている。
 この辺りの字名を「駒返」といい、西尾の地名は駒の尾が
 西の方を向いたのでこう呼ぶようになったとも。

2011.12.18/(愛知)
 熱田神宮、断夫山古墳、氷川姉子神社(元宮含む) 

断夫山古墳:宮簀姫命はの陵墓。日本武尊が亡くなったあと、
 宮簀姫命は生涯独身 を貫き通した。「夫を断つ」で「断夫」。
氷川姉子神社:草薙剣は熱田神宮に祀られる前はこの地に
 留め置かれていた。氷川姉子神社には宮簀姫が暮らしていた
 宅趾がある。日本武尊と宮簀姫はこの地で結ばれた。
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