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2019年07月05日 (金) | 編集 |
2019.1.12 参拝 
『若宮八幡宮』にやって参りました。
「井伊直孝産湯の井」から200mほどの距離にある神社です。
井戸詳細→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2729.html

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鳥居の注連縄がずり落ちている… (´・ω・`)

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境内はそんなに広くありません。

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若宮八幡宮(焼津市)
御祭神:品陀和気命
http://shizuoka-jinjacho.or.jp/shokai/jinja.php?id=4407025
-----------------------------
 江戸時代の地誌『駿河記』や旧祢宜家の山川氏古記録によると、
若宮八幡宮は井伊直孝の産土神とされており、寛永6年(1629)、
第二代彦根藩主となっていた直孝が自分の生まれ故郷の地にある
中里の若宮八幡宮を再建したと言われています。
焼津市指定文化財の「若宮八幡宮の棟札」にも直孝による再建が
記されています。祭神は品陀和気命、ご神体は馬上の木像と
伝わります。


-------(焼津辺文化遺産ガイド 高草山周辺ルートより)

若宮八幡宮の棟札についてはこちらを参考にどうぞ。
https://www.city.yaizu.lg.jp/rekimin/bunkazai/a37.html
(リンク先:焼津市公式サイト)

こちらは若宮八幡宮の石橋(写真は神社側から撮影したもの)。

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 天保6年(1835)6月に関方村の石工五左エ門により架設
された石橋です。長さ152cm(親柱部分含む)幅159cm
(高欄部分含む)。若宮八幡宮の外側の鳥居から現神社敷地内
の鳥居、拝殿、本殿に真っすぐのびる参道の途中にあり、
敷地境の東側水路の上に掛けられています。
 構造的には通路部分、高欄部分、親柱部分からなり、
すべて石製です。通路部分の長さは122cm、幅は129cmで上部
がアーチ型の4枚の板石からなります。その両横に長さ122cm、
幅15cm、厚み25cmのアーチ型の一枚石の高欄がついています。
各高欄の両端に、15cm角で高さ約33cmの石製の親柱が
4本立っています。親柱の側面に、架設年や関わった人の氏名が
彫り込まれています。
 架設年年代がはっきりした江戸時代の石橋が、現在も現役で
使用されていることはたいへん貴重な例です。

-------(焼津辺文化遺産ガイド 高草山周辺ルートより)

若宮八幡宮拝殿。

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本殿と拝殿。

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ご神木。

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その他の境内社。

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詳細不明。

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テーマ:神社仏閣
ジャンル:学問・文化・芸術
2019年07月05日 (金) | 編集 |
2019.1.12 探訪 
我がふるさと焼津には、たとえ人物が有名だとしても、
あまり知られる事もなくひっそり存在する史跡がございまして。
『井伊直孝産湯の井』って知っていますか?
…って知るワケないですよねぇ。(^ω^ ;)

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だって、道路脇にこんな風にちんまりしているだけだから、
あまり気付かれる事も無いんです。これでも整備された方で、
以前はもっとわかりにくい雰囲気でした。

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井伊直孝といえば誰もが知る歴史上の有名人。
彼は焼津の地で誕生したんです。

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案内板。

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以下、焼津市で配布している冊子から転載しておきます。

井伊直孝産湯の井
https://www.city.yaizu.lg.jp/rekimin/iinaotakaubuyunoi.html
-----------------------------
 井伊直孝は「徳川四天王」の一人と称えられた井伊直政の次男
です。度胸がすわっていて物事に動じず、表裏がない性格で、
少年のころ屋敷に忍び込んだ盗賊を退治した話や、徳川家康の
お墨付きをめぐる伊達政宗との調停話、招き猫の由来となった
言い伝えなど、多くの逸話が残る人物でもあります。父の直政は
「井伊の赤鬼」と恐れられ、関ヶ原の戦いなどの活躍で知られ
ますが、息子の直孝も大変勇敢で戦術に優れ、大坂夏の陣では
大きな功績を上げて「井伊の赤牛」の異名を誇りました。
直孝は家康から絶大な信頼を得て彦根城主となり、家康に続く
将軍秀忠の遺言で、三代将軍家光の後見人に指名されるなど
歴代の将軍の信任が厚く、戦場だけでなく徳川幕府の内政や外交
にも大きな力を発揮して、譜代大名の中で最大の領土を与えられ
ました。なお、遠江井伊谷の女領主として有名な井伊直虎は、
直孝と面識はありませんが義理の祖母にあたります。
また、幕末の大老で有名な直弼も直孝の子孫です。

------------------------(↓続く)

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-----------------------------
 さて、江戸幕府ナンバー2ともいわれるこの直孝ですが、
その生まれは現在の焼津市中里の地といわれ、次のような話が
伝えられています。
 直孝の父直政が東海道を通った折、岡部宿本陣へ泊まりました。
そこで中里の娘が、身の回りのお世話をすることになりました。
直政は娘をたいそう気に入りました。その後、娘は男の子を
産みました。この子が後の井伊直孝で、出産の時の産湯を汲んだ
のが、中里にある井戸と伝えられています。天正18年(1590)
のことです。
 また、直政の側室が正室に遠慮してこの地で産んだともいわれ、
直孝の出生については諸説ありますが、中里地区で大事にされて
きた産湯の井や若宮八幡宮、そして江戸時代から今も連綿と続く
井伊家と中里地区との関係などは無視できない事象と考えられて
います。

-------(焼津辺文化遺産ガイド 高草山周辺ルートより)

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なんて事のない井戸のみが残される場所ですが、
歴史好きなかたは訪れてみては如何でしょう。

★直孝ゆかりの若宮八幡宮に続く。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2730.html


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