「井出商店」にやって参りました。
和歌山ラーメンといえばココ!とよく聞くので気になっていたが
店内に入ってからの獣の匂いがもう私には耐えられなかった。
後で知ったんですが、このお店は地元民はほとんど来なくて、
観光客しか行かないお店なのだそうだ。
地元民が行かなくて、地元民が認めない和歌山ラーメンって
それもう和歌山ラーメンでは無いのでは?

そして豚骨が苦手なクセになぜ行ったのだと言われそうですが、
以前私が初めて食べた和歌山ラーメンがまる豊さんのラーメンで
あの時はあまり獣臭くなかったから、和歌山ラーメンがまさか
こんなにも豚骨豚骨したものだとは思わなかったんです。
あと、一応どんな味か知っておきたかったってのもあるかな。
…っていうか、和歌山ラーメンって本当はどんなスープが本物で
どんなものなのかがよくわかっていないので、もし正解があれば
「和歌山ラーメンの定義はこうだぞ!」って教えて欲しいです。
(´・ω・`)

狭い店内は芸能人のサインでいっぱい。
いや、そういうの興味ないんですが何となく撮ってみただけ。

芸能人が来るからとか、来たから何なんだって感じで、
店が有名か有名じゃ無いからとか関係なく、私にしてみたら
「美味いのかそうで無いか」が重要だと思うんだ。

テーブルにはお寿司やたまごが。
この辺は食べたらお会計の時に自己申告で…だそうです。

旦那はチャーシュー多めの特製中華そば(写真左手側)。
私は普通の中華そば(写真右手側)。見た目変わらんッスね…

「特製中華そば」。

「中華そば」。

ニオイで倒れそうだった私ですが、食べてみたらどうなんだって
やっぱり豚骨はダメかも…だけど頑張って残さず食べたよ。
私の中でお残しは許されない行為ですから。
リピートがあるかどうかと言ったら次は多分無いかな。
ここの味が好きな人には申し訳ない。
ご馳走様でした。
本日紹介したお店はこちら。
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井出商店
https://lifemagazine.yahoo.co.jp/articles/10170
(リンク先はYahoo!ライフマガジン)
住所/和歌山市田中町4-84
電話番号/073-424-1689
営業時間/11:30〜23:30
定休日/木曜日
※店舗情報は2019年7月現在のものです。
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「水門吹上神社」にやって参りました。

来た時は拝殿に足場が組まれ、
社殿をお直ししている真っ最中でございました。

水門吹上神社
http://www.wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=1027
水門神社御祭神/御子蛭児神(戎様)
吹上神社御祭神/大己貴神(大黒様)
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水門神社社伝によると、昔、紀水門の海上に、夜ごとに神光
顕われ、いつしか波に従って浜辺に打ち上げられたのを見ると、
戎様の神像であったと言う。そこで、湊村字和田濱鵜島に祠を
建て、これを齋き祀っていたが、明應年間(1491-1500)に
大海嘯が起こって砂に埋没したので、住民らが今の西河岸町
字元恵美須に移し、更に大永3(1523)年6月23日、現在位置
に鎮座したものである。
吹上神社は、昔は、吹上三本松(今の植松町の南)と言う所
に鎮座していたが、天正年間(1573-1591)、此地に合祀した
ものである。その後、しばらくは、相殿でお祀りしていたが、
後に、社殿を分け二神相並べてお祀りし、第二次大戦迄、
水門神社・吹上神社と称していたが、戦災により社殿一切が
消失し、戦後は、同床共殿によりお祀りし、水門吹上神社と
称するようになり現在にいたっている。
水門神社は蛭兒神(戎様)、吹上神社は大己貴神(大国様)が
御祭神で、2柱の福の神をお祀りする全国でも例の少ない神社
である。
------------------------(↓続く)

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【鎮座地】
現在の鎮座地は、神武天皇が御東征のみぎり、御皇兄の
彦五瀬命が、和泉で長髄彦の流失に当り、出血甚だしく崩御
されたと言われる旧跡である。『古事記』に言う「男水門」
とはこの地であると伝えられ、境内には、聖跡記念碑が立って
いる。
【十日戎】
神社は、紀州の十日戎祭発祥の社として知られ、
正月9日、10日、11日の十日戎には、福を授かるべく老若男女
が参詣し、吉兆(福笹)を求めて帰る人のおびただしい事は、
今も昔も変わりない。又、現在では、よく知られている
「のし飴」も当社が発祥の物であり、これは紀州独特の物で、
他では見られない。
【牛の舌餅投げ】
牛の舌餅という畳1枚程ある「のし餅」は、毎年11月23日の
新嘗祭に、神饌として、御供し、祭典終了後、参詣者に、
他の奉納された餅とともに、投げ配られている。
これは何時の頃より始められたか詳らかではないが、
牛祭りに投げたものと言われている。
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…というワケで彦五瀬命が雄叫びをあげて亡くなった地は、
この地がそうだと言われているが、実は雄水門(男之水門)
と言われている場所は大阪にもあるので、そちらの場所また
後ほど紹介するとしよう。
こちらは参集殿と、l境内社の「笠森稲荷神社」。


★大阪の雄水門に関する記事はこちら。
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2787.html
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『國懸神社』の方へ向かいましょう。
こちらの境内社は…何も書かれていなかったので詳細不明。


更に進みます。

摂社「中言神社」。

中言神社
御祭神/名草姫命・名草彦命
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祭神である名草彦命は、天道根命を初代國造にして五代目に
あたり、また夫婦神として名草姫命と御一緒に中言神社として
奉祀されております。名草郡の地主の神として崇敬され、
『紀伊続風土記』には名草郡だけでも中言社と呼ばれた神社が
十二社もあった程で、同郡では最も多い神社であったと
伝えられております。
明治十年三月二十六日官命を以て日前國懸両神宮の摂社に
定められました。
-----------(日前神宮・國懸神社 公式サイトより)
末社「市戎神社」。

市戎神社
御祭神/蛭子神
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『旧記』によると、市戎神社はかつて境内の外にお祀りされて
いた庭外社で、江戸時代の享保6年に境内に御遷座され日前宮
末社となりました。もともとこの社の近くで「市」が立ち
非常に賑わったことから、次第に市のえべっさん・市えびすと
呼ばれるようになり、往時は新内から芸者衆の「宝恵かご」
が出て、たいそうな賑わいであったようです。
-----------(日前神宮・國懸神社 公式サイトより)
その隣に末社の「松尾神社」。

松尾神社
御祭神/大山咋神・中津島姫命
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京都洛西の総氏神である松尾大社から分社され、当宮の末社と
なりました。特に醸造の祖神として特別な崇敬を受けており、
毎年十一月には「松尾祭」が厳かに斎行されております。
-----------(日前神宮・國懸神社 公式サイトより)
「國懸神社」に辿り着きました。
こちらも先程と同様、鳥居の向こうからは撮影禁止なので、
鳥居よりこちら側で撮影しました。

國懸神社
御祭神/國懸大神(天照大御神の別名)
相殿/玉祖命・明立天御影命・鈿女命
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國懸神宮は日矛鏡を御神体として國懸大神を奉祀しております。
-----------(日前神宮・國懸神社 公式サイトより)
境内社の跡地になっているような所がチラホラ。
こちらも何も書かれていなかったのでよくわかりませんでした。



来た時は気づかなかったですが、
写真の手前の丸い部分は鳥居があった跡だと思われます。

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