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定食屋さんに訪れるような感覚で見て戴けたら嬉しいです。中身は趣味のネタ色々、たまに飯テロ。ヲタクなネタから神社めぐりまで。お好きな記事をブログカテゴリからお選び下さい。
2019年08月01日 (木) | 編集 |
2019.1.25 探訪 
一日の旅の最後に欠かせないのが美味しいお酒♪
磯丸水産はよくあるチェーン店ですけれども、
こんなの食べましたよって事で。

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「三ケ日みかんサワー」とお通しの「もずく」
大阪に来てまで静岡みかんのお酒か!とツッコまれそう。
もずくに柑橘のサワー…組み合わせが変だ。選択間違えたかも。

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「黒マカロニサラダ」「ごま塩きゅうり」
うーん、マカロニサラダのコショウはちと余計だよなぁ…

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「刺盛 六点盛り」

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「白海老唐揚」と旦那が頼んだ「酔鯨特製本醸造」

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「イカとキノコのホイル焼き」。
炭火でじっくりじっくり…

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「鮪の葱まみれ」
これ美味しかったなー。

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「白ワイン」
おぉぉぉ… 白海老の天ぷらとよく合う…!

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「ご飯セット」

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「金目鯛の梅肉てんぷら」

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都市部だからというのもあるでしょうけれども、
24時間営業の居酒屋さんって良いですね。
田舎だとそこまで人が集まらないのでそうはいきません。
どうでもいいけど深夜営業、店員さん死にませんか?(´∀`;)

美味しかったです。ご馳走様でした♪

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磯丸水産 堺東駅前店
https://r.gnavi.co.jp/478yjpem0000/
住所/大阪府堺市堺区北瓦町2-1-28 ヤングタウン103ビル1F
電話番号/050-3462-6259
営業時間/24時間営業
定休日/年中無休

※店舗情報は2019年8月現在のものです。
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テーマ:居酒屋
ジャンル:グルメ
2019年08月01日 (木) | 編集 |
検索でいきなりここにたどり着いた人は、その1からどうぞ。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2787.html

男神社の摂社「浜宮」にやって参りました。
古事記や日本書紀で語られる神武東征の物語の中で彦五瀬命が
敵の弓矢で負傷し、雄叫びを上げた場所がこの地であると
伝えられています。

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「産経waste」から、メモとしてまとめてみる。
https://www.sankei.com/west/news/150820/wst1508200003-n1.html
・神社がある地名は「男里」。彦五瀬命の無念を伝える文物は、
隣接する阪南市にまで広がりを見せている。
・両市域にまたがり七塚と呼ばれる塚が三ヶ所で残っている。
この塚は、彦五瀬命と共に傷つき、亡くなった家臣たちの塚で、
近年まで七塚参りを行う習慣があった。
・地元に伝えられる物語では、御祭神は上陸し山の井の水で傷口
を洗ったとされる。村人たちが介抱し、彦五瀬命の右側で手当て
をした家は「右座」、左側にいた者の家は「左座」をそれぞれ
名乗っていた。座の家は男子が続く限りその名称を守り、
明治期以前まで神社の神職も務めた。村人たちの介抱で彦五瀬命
は船出が出来るまでに回復。別れを惜しむ村人らに彦五瀬命は、
石を与えこう言った。「これ、わが御霊として祭れ。
されば末永く、汝らの子孫を守らん」。

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浜宮があるこの場所は「天神の森」と言われているらしい。
http://welcome-sennan.com/tourist-spots/tenjin-no-mori

こちらのお社が「浜宮」です。
その1で紹介した男神社が元々あった場所でございます。

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上から撮り忘れた。
これは碁盤だったか将棋盤だったか…どっちだったかな…

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「神武天皇聖蹟雄水門顕彰碑」
浜宮のすぐ近く。天神の森内にある石碑です。

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-----------------------------
 天神の森一帯は、往昔における海面であり、
当時は水深もあり、船舶の碇泊に適した地で山城水門と言われた。
日本書紀に皇兄五瀬命が「敵に報いることなく手傷を負って死ぬ
とは残念極まりない」と雄々しく叫ばれたとあり、そのことから
雄水門と呼ばれている。

----------------------(案内板より)

【まだ見ていない人へのオマケ】
和歌山にある雄水門(男之水門)「水門吹上神社」
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2781.html
彦五瀬命を祀る「竈山神社」
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2774.html
彦五瀬命の陵墓「竈山墓」
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2775.html


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テーマ:神社仏閣
ジャンル:学問・文化・芸術
2019年08月01日 (木) | 編集 |
2019.1.25 参拝 
「男神社(おのじんじゃ)」にやって参りました。
記紀で語られる場所には行っておかねば気が済まない私。
和歌山にも彦五瀬命が雄叫びをあげた地「雄水門(男之水門)」
がありますが、大阪にも同様の場所があるのです。

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近隣には小学校。
参道をずっと真っ直ぐ歩いて行きます。

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すいません、鳥居の写真ピンボケました… (´・ω・`)

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男神社(おたけびの宮)
http://welcome-sennan.com/tourist-spots/onojinja
※リンク先は泉南市観光協会のページ。
御祭神/彦五瀬命(皇兄)・神日本磐余彦命(神武天皇)
相殿神/天児屋根命・熊野速玉神
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 元府社男神社は大阪府泉南市男里即ち古への呼唹郷の地である
延喜式内神社で、本殿には彦五瀬命・神日本磐余彦命を祀り、
相殿には天児屋根命・熊野速玉神を祀る。
境内一万五千平方メートル(五千坪余)老樹欝蒼として幽邃絶塵
の神域をなしている。 その北一キロ余の処に摂社浜宮がある。
本社の元宮で境内九千平方メートル(3,000坪)松樹茂って海風
に鳴っている。聖蹟雄水門は即ち此地である。
 神武天皇御東遷の砌孔舎御坂で長髄彦と御激戦した。此時、
皇兄彦五瀬命が賊の流矢に中って御肱脛に瘡を負はせられ
「吾は日神の御子として、日に向ひて戦ふこと良はず、
故れ賤奴が痛手をなも負ひつる。今よりはも行き廻りて日を背負
ひてこそ撃ちてめ」と仰せられた。
よって血沼の海即ち今の大阪湾を南進し紀伊に向わせられよ
として、紀元前三年五月八日(太陽暦六月二十日)此の地に着き
給ふたが、彦五瀬の御瘡いよいよ重らせられた命は劔の柄を堅く
握られ「慨哉大丈夫にして被傷於虜手、報いずして死なむや」
と雄詰び給ふた。よって此の地を雄水門といふ。
即ち彦五瀬命、雄詰の遺蹟雄水門、今の浜宮の地に命と神武天皇
の御神霊を祀奉ったのが当地で、社伝によれば貞観元年三月、
今の地に御遷座し奉ったという毎年十月十一日の例祭には
本社より聖蹟雄水門の地神輿渡御の儀が行はれる。
明治七年七月、畏き辺りより幣帛料を下賜せら給ふた。

-----------------(男神社 境内案内板より)

御神木の「夫婦樟」

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「若宮神社」

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 男神社拝殿の東隣りに寄り添うように据えられる若宮神社本殿。
男神社本殿よりは少し新しく、江戸時代中期(17世紀末~18世紀
前期)の建築です。昭和初期までは本殿のすぐとなりに据えられ
ていましたが、現在の拝殿建設の際、今の場所へと移されました。
 江戸時代の古文書にもたびたび登場することから、
男神社本殿とともに大切に守られてきたことがわかります。

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「無患子(むくろじ)の樹」

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-----------------------------
 「無患子」あるいは「無患樹」と書き、子どもが患うことが
無いようにとの意味が込められています。
夏には枝先に淡緑色の花をつけ、果実は七五三のころに黄色に
熟します。果皮にサポニン成分を含み、古くは石鹸の代用として
使われていました。種は硬くて球形の黒色、はねつきの羽の頭や
数珠として利用されます。

-----------------(男神社 境内案内板より)

★その2に続くよ!
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