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2019年11月30日 (土) | 編集 |
2019.5.28 探訪 
吉備津神社から近い場所。
『福田海本部』の中に「鼻ぐり塚」という所がある。
福田海という所はお寺なのか何なのかがよくわからなかった
のでちょっと検索してみました。

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http://kibinonakayama.com/中山散策/53-福田海/

明治33(1900)年、中山通幽(本名 多田盛太1862〜1936)
が、聖徳太子・役行者・僧行基の教えに基づいて開いた修験道
の寺院。通幽は当初小学校の教員をしていたが、修験道に強い
関心をもち大和の大峰山で修行し山伏になった。
「陰徳積善」を生涯の目標と定め、無縁仏の供養、霊場・旧跡
の修復活動に取り組んだ。昭和2(1927)年吉備津に帰郷し、
有木の青蓮寺を聖徳太子の四福田から「福田海」と名付け本拠地
とした。境内には不動岩と呼ばれる大岩があり、冬至の太陽を
拝む場所であったとする研究者もいる。


----------(吉備の中山を守る会公式サイトより)

修験道って事でOKだろうか。
開祖もその方面に関心を持ったと書いてあるし、
カテゴリも何にしようと迷ったけど、仏教カテゴリに振り分け
ることにした。

さて。
御祈祷料の100円を納めて護摩木に願いを書いて入場。
鼻ぐり塚は人間のお役に立つため働いた牛さんや、
人間の血肉となるため食用になった牛さんなどに感謝を捧げ、
供養をするための塚なのだそう。

20190528_鼻ぐり塚_001

20190528_鼻ぐり塚_002

到着しました。
こんもりしているコレが鼻ぐり塚です。

(=゚ω゚)ノ「先生ー、鼻ぐりってなんですかー?」
SERUNA:「牛さんの鼻についてる輪っかの事だよ」

20190528_鼻ぐり塚_003

20190528_鼻ぐり塚_004

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鼻ぐり塚について
 かつてわが国の農村では、牛を飼い、田畑の耕作の労役等に
使用していました。牛は家族の一員のように大事に育てられ
ました。その際、牛の鼻に穴を穿ち、鼻輪(鼻環、鼻ぐり)
をはめ、それに縄を結んで使役していました。
やがて牛は飼い主の手をはなれて売りに出され、解体されて
肉となり皮となりその最後を迎えます。牛はその一生のすべて
を人間のために尽してきたといえましょう。
 こうした牛の恩恵に報いるため、死後残された鼻輪(鼻環、
鼻ぐり)を牛の唯一の形見として集めて浄祭することを福田海
開祖中山通幽師が発願されたのであります。
篤信の方々のお力により全国から鼻輪は収集され、
現在もその事業は続いています。鼻ぐり塚はもと円墳であり、
その墳丘上に鼻輪を積んでいます。石室内には真鍮製の鼻輪を
溶かして作った阿弥陀の宝号を刻印した金属板が安置されて
います。また、正面には馬頭観世音菩薩を祀っています。
昭和初年に塚が建立されて以来、現在までにおさめられた鼻輪
の数は七百万を超え、現在も畜類供養のため、春、畜魂祭を
行っており、年間数万個の鼻輪が塚におさめられています。

護摩木のお供え 
 護摩木は鼻ぐり塚正面にお供えください。
毎週日曜日、お供え頂きました護摩木にて、護摩を奉修し、
畜魂追福という陰徳積善のご縁につかれた皆様方の
家内円満 夫婦和合 良縁成就 子孫繁栄 身体健康
病気平穏 交通安全

をご祈念いたしております。

------------(福田海本部 境内案内の説明より)

ニッコリしている牛さんの銅像がありました。
なんだか顔の造形が妙に可愛いぞ。

20190528_鼻ぐり塚_005

かと思えば豚さんの銅像も。
供養しているのは牛さんだけではなさそうッスね。
しかしどうしてこんなに嫌そうな顔をしているのだろう?

20190528_鼻ぐり塚_006

入り口で願いを書いた護摩木はココに置いておきます。
目の前に馬頭観音の像が安置されていますね。
毎日人間のために働いてくれる家畜さんたち、ありがとう。
そして私たちのお口に入る牛さん豚さん、命をありがとう。

20190528_鼻ぐり塚_007

ちっこい牛さんの像が幾つも鎮座。

20190528_鼻ぐり塚_008

塚の周りをぐるっと回ってみましょう。

20190528_鼻ぐり塚_009

ぐるぐるー。

20190528_鼻ぐり塚_010

山盛りの鼻ぐり。

20190528_鼻ぐり塚_011

塚の左手側。
お地蔵さんが鼻ぐりを見つめるように立っています。

20190528_鼻ぐり塚_012

ちなみにですがこの鼻ぐり塚は「ウルトラマンエース
のロケ地となっていたそうで、16話の「夏の怪奇シリーズ
怪談・牛神男」に登場するようです。
タイトルで検索するとどこかに動画が転がっているかも?
ヒッピーの男が鼻ぐりを盗んで呪われ、怪獣カウラになる話。
最終的には人間に戻って改心するというお約束オチありの…
ヒッピー男のキャラがサイコ野郎すぎてもうね。(´Д` )
昔の特撮なので、ツッコミどころは多々あれど面白いですよ。
(先程の牛さんと豚さんの像はその当時からあるっぽい)


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南隋神門から続く回廊。

20190528_吉備津神社_031

20190528_吉備津神社_032

「吉備津えびす宮」

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えびす宮から見た回廊。

20190528_吉備津神社_035

えびす祭りが観れるQRコード。

20190528_吉備津神社_036

「岩山宮」への参道。※ココはお参りしませんでした。

20190528_吉備津神社_037

20190528_吉備津神社_038

再び回廊を歩く。

20190528_吉備津神社_039

「御竈殿」へ向かうのですが、残念ながら内部は撮影禁止
遠くからならOKだそうなのでココから撮影。

20190528_吉備津神社_040

20190528_吉備津神社_041

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御竈殿鳴動神事の由来 
 社伝によれば御祭神に退治せられた鬼「温羅」を祀る処
と伝えられる。縁起によると、或夜、吉備津彦命の御夢に
温羅の霊が現れて「吾が妻、阿曽郷の祝の娘阿曽媛をして
ミコトの釜殿の神饌を炊かしめよ。若し世の中に事あらば
釜の前に参り給はば 幸あれば裕かに鳴り禍あれば荒らかに
鳴らふ。ミコトは世を捨てて後は霊神と現はれ給へ。
吾が一の使者となりて四民に賞罰を加へむ」と告げた。
これが神秘な釜鳴神事のおこりである。
今日も「鳴釜の神事」が行われており 鳴動の音の大小長短
により吉凶禍福を卜とするのである。江戸時代の林道春の
「本朝神社考」や上田秋成の「雨月物語“吉備津の釜”」
などに紹介され 神秘な神事として天下に有名である。

  うずなへる神のひびきに鳴る釜の
        音のさやけき宮ところかな  重胤

御竈殿祈祷 一件につき 参阡円也

神火授与 
 吾国では古来より火は神秘的なものとして神聖化されて
来ました。当御竈殿の火は古くから消えることなく伝わる
神火でこの火で各家庭の火を清めると禍を祓い福を招くと
伝えられ今日でも特に火を取り扱われる人々が火縄にて
お持帰りになって居ります。

--------------(吉備津神社 境内案内板より)

御竈殿に入って思わず「おぉー!」と声が出てしまいました。
皆さんにも是非、実際目にして頂きたいところです。

20190528_吉備津神社_042

20190528_吉備津神社_043

20190528_吉備津神社_044

※QRコードの動画は360度動画。

下の写真は「春日宮」「大神宮」「八幡宮」

20190528_吉備津神社_045

こちらは「御供殿」

20190528_吉備津神社_046

「岡山一中吉備津教場跡」
吉備津弓道場と本宮社の間の回廊脇にあります。

20190528_吉備津神社_047

「本宮社」

20190528_吉備津神社_048

(内宮・新宮合祀)
御祭神/孝霊天皇・吉備武彦命・百田弓矢姫命
----------------------------
当社の南端に鎮座し、吉備津彦命の父母神をおまつりして
おり、安産・育児の神様として信仰されています。
※正宮・本宮・内宮・新宮・岩山宮 =吉備津五所明神


--------------(吉備津神社 公式サイトより)

「ぼたん園」
四月下旬になると約400株のぼたんが見頃となるそうです。

20190528_吉備津神社_049

外に出ました。

20190528_吉備津神社_050

こちらは「宇賀神社」
吉備国最古の吉備神(商売の神様)が祀られているそうです。

20190528_吉備津神社_051

駐車場の方向へ。

20190528_吉備津神社_052

「岡山県関係 法務死殉国烈士 慰霊顕彰之碑」
建立/昭和五十九年十二月十四日 岡山県憲友会

20190528_吉備津神社_053

一番奥に見えるのは「忠魂碑」です。
(建立は明治四十三年五月吉日。帝國在郷軍人会直金村分会
によって建立されたようです)


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20190528_吉備津神社_011

吉備津神社
http://www.kibitujinja.com/
御祭神:主祭神/大吉備津彦命
相殿/御友別命、仲彦命、千々速比売命、倭迹迹日百襲姫命、
  日子刺肩別命、倭迹迹日稚屋媛命、彦寤間命、
  若日子建吉備津日子命
----------------------------
 当社は大吉備津彦命を主神とし、その異母弟の若日子建
吉備津日子命と、その子吉備武彦命等、一族の神々を合わせ
祀っております。大吉備津彦命は第七代孝霊天皇の皇子に
あたられ、もとのお名前を五十狭芹彦命と申し上げ、
武勇の誉れ高いお方であられます。

一説によりますと、第十代崇神天皇の御代、災害もなくなり
天下もようやく治まってまいりましたが、都から遠く離れた
地方には未だ朝廷に従わない者が多数おりました。そこで
天皇即位十年に皇族の中から四人の将軍を選び、印綬を授け
各地方に派遣し討伐することとなりました。
すなはち、北陸道には大彦命、東海道には武渟別命、丹波には
丹波道主命、そして西道のちの山陽道には大吉備津彦命が派遣
されることとなりました。
吉備津彦命と異母弟若日子建吉備津彦命は兵を率いて山陽道を
進軍し、まず播磨国に達してここを「吉備の道口」と定められ
加古川の畔で神祭を行っております。

-----------------------(↓続く)

20190528_吉備津神社_012

----------------------------
その場所と思われるところに日岡神社が現存し天伊佐々比古命
がお祀りされています。こうして命は吉備国に入り、人々を
苦しめ鬼と恐れられていた温羅一族を苦戦の末退治することが
でき、この地方に平和と秩序をもたらしたと云われております。

 当社がいつごろ誰によって造営されたのかについては、文献
もなく確かなことはわかりませんが、ただ言い伝えによると、
一説に吉備津彦命から五代目の孫にあたる加夜臣奈留美命と
いう人が祖神として吉備津彦命をお祀りしたのが起源であると
云われております。

また一説に若建日子吉備津彦命から三代目の孫と云われる
稲速別命・御友別命・鴨別命が始めて社殿を造りお祀りしたと
も云われます。さらに一説に仁徳天皇が吉備海部直の娘である
黒媛を慕ってこの地に行幸したときに、吉備津彦の功績を聞き
称えるために社殿を創建してお祀りしたのが起源とも伝わって
おります。


--------------(吉備津神社 公式サイトより)

20190528_吉備津神社_013

御神木の銀杏の奥にあった池。

20190528_吉備津神社_014

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祈祷殿の辺りから写した「御本殿」

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20190528_吉備津神社_017

御本殿を横から撮影。
美しい形をしたこの御本殿は「比翼入母屋造」
(全国唯一の様式から「吉備津造」とも称します)。
室町時代応永三十二年(1425)に再建された国宝です。

20190528_吉備津神社_018

国指定重要美術品の「銅鐘」

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20190528_吉備津神社_020

----------------------------
 当社も王朝以来、数百年に亘って神佛習合時代が続いたが、
享保十七年(1732)社家により境内の安政四年(1447)建立
の三重塔破却事件がおこり、元文二年(1737)の幕府寺社
奉行裁決は寺院側敗訴となり神佛分離運動が一気に加速され、
当社の神佛混淆は分離、社僧寺院は完全に関係を絶つに至った。
この銅鐘はその遺品の一つである。

社務代生石兵庫助藤原家秀らが、
永正十七年(1519)卯月九日、国家安泰の祈願のため
吉備津宮に奉納す との銘文があり、その製作年代や動機が
明瞭である。


---------------------(説明文より)

こどもみくじに桃太郎の絵。

20190528_吉備津神社_021

20190528_吉備津神社_022

20190528_吉備津神社_023

バーチャル体験が出来るそうで、QRコードを読み込ませると
御本殿内を360度見渡す画像が出てきます。
もしも読み込めない場合は下記のリンクからどうぞ。
http://www.sanyo-eiga.com/kibitsu/honden20160711.html

20190528_吉備津神社_024

20190528_吉備津神社_025

修復前神事、修復作業、修復後神事のQRコード。
youtubeでは検索で出てこない動画でした。
限定公開の設定になっていたのでいつか動画が消えてしまう
可能性があります。気になる人はお早めにどうぞ。

20190528_吉備津神社_026

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20190528_吉備津神社_028

「いちょう神木」

20190528_吉備津神社_029

南隋神門より向こうへ行ってみましょう。

20190528_吉備津神社_030

★その3に続く!
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2019年11月28日 (木) | 編集 |
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境内をのんびり見ていたら、
白猫さんがポツンと椅子に座っていることに気付く。

20190528_吉備津神社の猫_001

─こんにちはネコさん。
白猫:「ん?おまいりにきたのかニャ?」

20190528_kibitsu_cat_002.jpg

白猫:「オマエたち、おみくじはひいたか?」
─ううん、まだひいていないよ。

20190528_kibitsu_cat_003.jpg

白猫:「ここのおみくじは色々あるからオススメにゃ」
─あっ、本当だ!子供みくじ…よろこびみくじ…はなみくじ…
英語みくじ…いにしえみくじ。いっぱいあるね。

20190528_kibitsu_cat_004.jpg

白猫:「カミサマにどんなネガイゴトするのニャ?」
─特にないよ。みんなが幸せになってくれればいいからさ。

20190528_kibitsu_cat_005.jpg

白猫:「………へんニャの」
─えっ、なんで?どうして?
白猫:「欲にまみれたニンゲンばかりじゃニャいんだな」
─本当は欲はあるよ。むしろ欲まみれだよw
でも自分のことは後回しでいいし。

20190528_kibitsu_cat_006.jpg

白猫:「いつかオマエにもしあわせがくるといいニャー」
─いつも平穏無事ならそれでいいよ。

20190528_kibitsu_cat_007.jpg

白猫:「かわりにココからカミサマにねがってあげるニャ」
─優しいネコさん。

20190528_kibitsu_cat_008.jpg

白猫:「ゆっくりしていくと良いニャ」
─ありがとう。

20190528_kibitsu_cat_009.jpg

あまりネコっぽくない顔をしたブサカワな子でした。
この子、吉備津神社で飼われているのかなぁ?
神社の人にこのネコさんの名前を聞こうと思っていたのに、
すっかり忘れていました。

★神社の記事その2に続く!
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2019年11月28日 (木) | 編集 |
2019.5.28 参拝 
『吉備津神社』にやって参りました。
下の写真は駐車場から神社の方向を写したもの。
屋根がちょこっと見えますね。

20190528_吉備津神社_001

手水舎と神社周辺マップ。

20190528_吉備津神社_002

20190528_吉備津神社_003

「犬養毅の銅像」
なぜココに犬飼さんの像があるかというと…

20190528_吉備津神社_004

----------------------------
犬養木堂先生 銅像の説明 
 犬養毅(木堂と号す)は安政二年(1855年)に備中国賀陽郡
庭瀬村(現在、岡山市川入)に犬養源左衛門の二子として生る。
明治八年(二十一才)上京し慶應義塾に学ぶ。
明治十年(二十三才)西南戦争起るや従軍記者となったが、
その後、文筆と雄弁をもって政治運動に入り、明治二十三年
(三十六才)衆議院議員となる。明治三十一年(四十四才)
文部大臣に任ぜらる。その後、立憲国民党、革新倶楽部等を
組織し、「憲政の神」と称せらる。
大正十三年(七十才)逓信大臣、昭和四年(七十五才)政友会
総裁となり昭和六年総理大臣となる。しかるに、翌昭和七年
(1932年)いわゆる五・一五事件勃発し過激派のために
官邸にて暗殺さる。享年七十八才、正二位・旭日桐花大綬章を
追贈せらる。
 毅の生家(此処より南方へ約三キロに現存)は代々庭瀬藩の
大庄屋、その遠祖犬養健命は大吉備津彦命の随神なり。
よって氏神吉備津神社のため尽瘁するところ多し。
毅の没するや郷党の人々その高風を慕い、昭和九年この地に
銅像を建つ。作者は朝倉文夫、雄姿堂々として天下を睥睨する
の概あり。


--------------(吉備津神社 境内案内板より)

※犬養健命=桃太郎に出てくる犬のモデルとなった人です。
 犬養毅はそのかたの子孫にあたるのだそうな。

20190528_吉備津神社_005

こちらは「矢置岩」

20190528_吉備津神社_006

----------------------------
矢置き岩の由来 
 社伝によれば 当社の西北八キロの新山に温羅といふ鬼神あり
凶暴にして庶民を苦しむ。大吉備津彦命は「吉備の中山」に
陣取り 鬼神と互に弓矢射るに 両方の矢 空中に衝突して落つ。
そこに矢喰宮(岡山市北区高塚に現存)あり。また中山主神は
鬼神の矢を空中に奪取す。当社本殿の中に祀る矢取明神は
すなはちそれなり。この戦のとき大吉備津彦命その矢をこの岩
の上に置き給いしにより矢置岩と呼ぶ と。旧記によれば中古
より箭祭の神事あり。願主は櫻羽矢または白羽の矢を献る。
神官その矢を岩上に立てて交通の安全を祈る。のちその矢を
御蔵矢神社納むる例なりき と。この神事いつしか中絶せしが
昭和三十五年 岡山県弓道連盟の奉仕により復活され
毎年正月三日ここに矢立の神事を斎行することとなれり。

--------------(吉備津神社 境内案内板より)

北隋神門は屋根の葺き替え工事をしていました。

20190528_吉備津神社_007

20190528_吉備津神社_008

20190528_吉備津神社_009

石段をのぼって進みましょう。

20190528_吉備津神社_010

★その2の前に吉備津神社のネコさんの記事に続く。
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★猫なぞどうでもいい!という人はその2へ。
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