『和気神社』にやって参りました。
ココは旦那が「今年は亥年だから行っておきたい」という事で
立ち寄った神社でございます。猪に関係ある神社なの?
と思ったかたは、下に貼ったリンク先を参考にして下さい。
http://wake-jinjya.com/picture
http://www.gooujinja.or.jp/inosisi.html

こちらは「霞橋」。
日笠川に架かる橋で俗界と聖界の境とされています。

橋を渡ってすぐの景色。
和気清麻呂公の像が立っています。

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和気清麻呂公 〜その人と業績〜
我が国の歴史の中で、国政に参加し参与し大きな働きをした
偉大な人物として、和気清麻呂公の名は全国に知られています。
清麻呂公は、天平五年(733)備前の国藤野郡(和気町)に
生まれ、長じて国政に参与し、政治の浄化と革新に大きな役割
をはたしました。また、長岡遷都・平安京の建設・河川改修・
港湾工事を行い、学校を建てて人材の育成に務めるなど、
多くの業績を残しました。
また姉上である広虫姫についても、その深い博愛精神は広く
知られるところであり、現在の福祉行政・人権尊重の祖と
いっても過言ではありません。
そして子孫一族も、学問の振興や新しい仏教の導入に力を
入れ、医学を拓き、郷土においてはよく民の意見を聞き、
産業の振興に務める等、和気氏は平安時代の先覚者であると
ともに、郷土の誇りでもあります。
「我独慙天地」(われひとり天地にはず)
京都護王神社の社宝である清麻呂公のご直筆書は、常に己を
反省しながら至誠と広い愛をもって公事を為した清麻呂公の
精神と、崇高な姿を現在に伝えております。
---------------(和気神社 境内案内板より)
和気清麻呂公の像がドーン!とお出迎え。

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和気清麻呂公の像について
この清麻呂公像は、高さが4.63メートルの青銅製で、
高さ1.8メートルの台座の上に立てられています。
像は、明治・大正・昭和にわたり、わが国彫塑界で活躍
された、朝倉文夫氏が、自己の信念をこめて製作されたもので、
昭和十六年、当時の彫塑界ですでに長老的存在となっていた
氏の五十九歳の作品です。
それは、紀元2,600年奉祝展覧会に出品された後、
橿原神宮に献納され、大和国史館で一般展示され、戦後は現在
の奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(旧館)に所蔵されて
いましたが、清麻呂公生誕1,250年を記念する年にあたり、
奈良県と朝倉氏ご遺族のご厚志により、清麻呂公の故郷である
和気町に譲与されました。そこで和気町では、石膏像である
この作品の永久保存と同時に、清麻呂公の顕彰をはかるため、
銅像として、この地に建立することとしました。
町民こぞって、郷土を愛した清麻呂公の里帰りを祝福し、
像の建立をよろこび合い、ご尽力いただいた多くの方々に感謝
の意をこめて、その経緯をここに記します。
---------------(和気神社 境内案内板より)
こんな看板が。
旧拾円紙幣に清麻呂公と猪が印刷されたものがあるそうだ。

亥年の絵馬型看板。

鳥居とその両側に狛亥。
さざれ石も置かれています。


「和気神社 四つのご利益」

「隋神門」。

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本殿、拝殿に続き、明治28年に造営されました。
随身の姿の守護神像を左右に安置した神社の門です。
---------------(和気神社 公式サイトより)
機種変したばかりのガラホの電池が何故かガンガン減るので
写真撮れなくなったらどうしようと焦りながら撮影。
何故こうなるんだと携帯をいじっていると、全然使っていない
アプリがバックグラウンドで動いていたりエコモードがオフに
なっていたりしていたことが判明。心の中で半分キレそうに
なりながら、要らん機能を全部切ってやりました。
新しい携帯にしたときの記事を貼っておこう。
http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2659.html
遠い地方に旅行して初っ端こうだと不安になるよね。(´・ω・`)
★その2に続く!
→ http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-2973.html
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神社は本宮の方ではありません。
これ以前の時期に使っていたガラケーからガラホに機種変。
使い慣れない操作をしながらの撮影でしたが上手く撮れて
いるかな。※画質は編集の時点で若干落としています。





由加神社
https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/17903/
御祭神:由加大神、八幡大神、素佐嗚大神、他二十余柱
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御由緒
当神社の創立は不詳、現存している最古の棟札には平安時代
後期天永三年(1112年)和気氏が新田郷の総鎮守として
西久保方の上山上に八幡宮を建立したことが記されている。
爾来、和気氏(郡司)藤原氏(地頭)明石、村上氏等有力者の
崇敬が篤く、特に、播磨、備前、美作の守護であった赤松氏の
崇敬が篤かった。
南北朝時代、赤松則祐が足利尊氏に従い、九州で戦った時、
宇佐八幡宮に参篭し戦勝祈願を行なったところ軍利を得たので
神助に報いるため建武四年(1338)当神社を新しく造営し、
現在地に遷宮した。明治五年郷社に列せられ、由加神社と改称
した。明治四十二年各地区のお社を当社に合祀し、
現在に至る。
御宝物
神功皇后御鎧及び御陣草履 赤松則祐奉納御鎧
赤松政則奉納御鎧 明石景行奉納矢 児玉因幡守為氏奉納馬具
祭り
春祭り/由加神社合祀祭 和気靖国宮戦没者慰霊祭
秋祭り/十月第三土、日曜日(昔は十月十七、十八)
御幸行
室町時代までは天王山素佐嗚神社まで御幸行がおこなわれ、
流鏑馬、競馬が行われていた。現在では境内の御旅所まで
神輿三台を中心に氏子各地区より集まった子供神輿二十数台と
神輿の供人が矛、太刀、弓、幟等持って続き荘厳な御幸行が
行われている。
---------------(和気神社 境内案内板より)
こちらは「和気靖国宮」。

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祭神/本荘、藤野、和気出身戦没者 三百柱
例祭/五月第三土、日曜日
---------------(和気神社 境内案内板より)
静かで清掃が行き届いた綺麗な神社でございました。
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